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霧の先の町、海のオルゴール

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霧の先の町、海のオルゴール

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第四章 嵐の跡に響く歌

 夕方から降り始めた雨は、月が顔を見せる前には激しく強い雨に変わり、黒い夜空に染まった時それは嵐になっていた。
「起きて――」
 皆が寝静まった深夜。ゆらゆらと揺れている自分の身体を感じて、東雲 いちる(しののめ・いちる)は睡魔に負けそうな思い瞼を開けた。
「起きて下さい」
 掛けた布団を引っ張っているのは、ソプラノ・レコーダー(そぷらの・れこーだー)だった。
「もう……何なの……」
 グシグシと眠い目を擦り、もぞもぞと体を動かす。
「音が鳴りそうです。急いで下さい!」
「何の音が鳴るの……?目覚まし?」
 まだ眠いのかソプラノに返す言葉はいい加減だ。
「違います。オルゴールが鳴りそうなんです!」
「え!」
 ガバッと布団から起き上がる。一気に目が覚めた様だ。

 「こっちです」
 地を叩く雨が降る中、いちる達は夜の外へと抜け出した。
「本当にこっちなの?」
 いちるに先んじて、前を走るソプラノは真っ直ぐに目的の場所へと走る。その足には迷いが無い様だった。
「はい。間違いありません。何か不思議な物を……感じます」
 懸命に走るソプラノの向かう先、それは海岸の先にある洞窟だった。
「ここは何も無かったって詩穂さんと加夜さんは……」
「もう直ぐ。もう直ぐです」
 あれ程激しかった雨は止み、夜空には月が見えていた。月明かりの照らす洞窟は荒れた波に曝され、洞窟の奥まで海水が入り込んでいた。

 そして、それは突然やって来た。 
「聞こえる……」
 オルゴールが鳴り始めた。洞窟に波が満ちて、滴り落ちる水滴の輝く音色。洞窟に刻まれた傷と自然が調整した水面が奏でる風笛の歌。今は鳴り止むことの無い、この町の音色。

 三山 雛菊(みやま・ひなぎく)は草花達が囁く声で目を覚ました。窓際に飾られたプランターに植えられた小さな草花。それぞれが外の音色の方へと向いていた。
「『聞こえる』」
「『海のオルゴールが聞こえる』」
「『鳴り始めた、オルゴールが鳴り始めた』」
「『開けて、窓を開けて』」
 雛菊が窓を押し開けると、その音色は風に乗り雛菊の中へと響いてきた。
「聞こえた……です」
 この音色は遠く離れていても、雛菊へと届くだろう。
 「起きてです!」
 帆村 緑郎(ほむら・ろくろう)はペシペシと頬を叩かれ目を覚ました。
「あ、こんな夜更けに何のつもりだ?」
 お返しにと雛菊の頭をガッシと掴む。
「うぁ、痛たたた。ちょ、止めてください」
「何で起こしたんだ?」
 緑郎の胆の据わった目は雛菊の返答を待っていた。
「オ、オルゴールが聞こえるんです!」
 「本当にこっち何だろうな?」
 ドスの効いた声で前方の雛菊に何度も確認をする。
「ま、間違いないです。草花さん達がこっちだって言ってます」
「信じられんな?」
「本当なんですぅ〜」
 半泣きで緑郎を洞窟の方へと案内する。近づく度、オルゴールの音色は雛菊の中で更に大きな音色になっていた。
 「本当なのか……」
 海岸へと導かれた緑郎は絶句した。途中で気付いていたが、信じられなかった。
 洞窟から小さく聞こえるだけのメロディーが大きく聞こえてくる。

 「起きて、海君!」
 懸命に海を杜守 柚(ともり・ゆず)が揺すっていた。
「ん……」
 少し顔を顰めたが、海は直ぐに静かな寝息を立てる。
「起きないのか?じゃあ、こうして!」
 杜守 三月(ともり・みつき)はヒュンと風を切り、拳を海の顔面へと叩き込む。
「ちょ、ちょっと……」
 柚が慌てて止め様とするが、既に出た拳は引っ込められない。パンッと音がして、三月の拳が海の手に止められていた。
「何をしている……」
「お、やっと起きたか?」
 腕を引っ込めると、柚が急いで海の傍に近寄る。
「あ、あのね。オルゴールが鳴っているの!」

 「間に合ったか……」
 やって来た海達を待っていたのは、音色を奏でる洞窟だった。

 柚達を連れ洞窟へとやって来た、
「居ないのか?」
 辺りを見回すと海は叫んだ。
「待・っ・て・い・た」
 海……の目の前の洞窟。その上に、白面の襲撃者が立っていた。海は白面の襲撃者を睨み、こう言った。
「オレもだ……。お前を待っていた……」
 柚は掴んでいた海の袖を強く引っ張っている事に気付いていなかった。
「誰……?」
 柚の眼前が海の腕で遮られる。
「下がれ……」
「でも……」
 柚の腕を三月が強く掴んでいた。
「下がろう、柚。海の邪魔になる」
 背後に下がる柚達に声だけを向ける。
「……援護は任せる」
「は、はい」

 「お前の理由は分かるが、本気で行かせて貰うぞ」
 最初に動いたのは海だった。
「はあぁ!」
 勢い良く跳躍し振りかぶった刀を、白面のいる場所に振り下ろす。刀を叩き付けた箇所には、亀裂が走っていく。
「……流石に早いな」
 白面は軽快なステップでかわし、直ぐに間合いを詰めて来る。
「だが、こちらもだ!」

 「おらぁあ!」
 エヴァルト・マルトリッツ(えう゛ぁると・まるとりっつ) が放つワイヤークローが空を斬る。細く研ぎ澄まされた斬線が白い仮面の一部を斬り落としていく。
「浅いか!」
 白面は大きく後ろに跳躍し、エヴァルトとの距離を取った。
「まさか、追いつかれるなんて……」
 白い仮面が斬り落とされた処から、見えたのはラクエルの顔だった。
「久しぶりだな、ラクエル」
 エヴァルトの視線の先、隠れていた金の髪にエメラルド色の瞳が月夜に映える。
「どうして……分かったんですか?」
 ラクエルの双眸は、悲しそうな視線を海へと注いでいた。
「ラクエル・マーリッツガルド。オルゴールの護り手にして、唯一の所持者だ」
「マーリッツガルドとはこの町の名前では……」
 エヴァルトもまたこの町について調査をしていたが、そんな話は聞いたことが無い。
「町というより、土地の所有者の名前だったな……ラクエル」
「ええ……我が祖父マーリッツガルド6世が所持している土地です」
「そして……」
「そして、我ら死者の楽園『マーリッツガルド』!」

 ハンナだった。
「美しい海の調べを響かせる唯一のオルゴール。この世界に一つしかない、美しい調べと共に、こっちの世界に未練を持った良き魂を蘇らせる……」
 ハンナは此処にいる全ての者に聞こえる様に声高らかに話す。
「死者が生き返る……?」
 エヴァルトはハンナの声を繰り返していた。
「ああ……美しき海の調べを聞きし良き魂……新たな肉体を持ち、この世に蘇らん。その肉体は死を知らず、永遠の牢獄に囚われる。眠りを求めれば、美しき調べを……」

 「僕も聞いた事が無い音色ですね」
 フランツ・シューベルト(ふらんつ・しゅーべると)が聞こえる音色に併せて、小さく指を指揮棒の様に振っている。
「ここからは僕達が話すけど、ええか?」
「ええ、お願いします」
 軽く会釈すると大久保 泰輔(おおくぼ・たいすけ)の隣へと下がる。
「マーリッツガルド卿はオルゴールによって、目覚めてしまった彼らの魂を癒す場所として此処に町を模した物を造った。せめて此処では偽物であっても幸せで居られるようにと……」
「ハンナ!!どうして話したんだ?」
 エヴァルト達が居るのを忘れ、ラクエルは叫ぶ。
「君が生まれて、マーリッツガルド卿の娘とその本人が死んだ時……彼らは気付いてしまった。ラクエル君、君をこの町に縛り付けてまで死者が此処にいる理由はあるのかと……。生ある者と触れ合う事無く、死者と過ごして一生を終えさせて、ええのかなって……」
「違う!違う、違う、違う!みんなはそんな事思ってない!」
 喚く様にラクエルは叫んでいた。
「ラクエル!聞きなさい、これは町の者全ての意思なのです」
 小さな子供を諭すようにハンナは話す。
「でも……僕は!オルゴールを護る!誰にも壊させはしない!」
 仮面を剥ぎ取り、ラクエルの闘志が剥き出しになる。
「うわぁあああ!」
「ラクエル……」
 ハンナは海の顔をみただけだったが、ハンナの声が海には聞こえてきていた。

 「ルーさん!」
「はいはい!はあ、……損な役回りだよね」
「かもな」
 ルカルカ・ルー(るかるか・るー)は『ゴッドスピード』を自身とダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)に重ねて掛ける。
「行くよ」
「ああ」
 ルー達は砂浜を駆け、ラクエルを抜きに掛かる。
「『捕らわれざるもの』」
 ルーの姿が一瞬ブレたと思うと、ルーはラクエルを抜き去っていた。
「邪魔はさせない!」
「悪いな……」
 ルーに並走するラクエルをベルテハイト・ブルートシュタイン(べるてはいと・ぶるーとしゅたいん)の放つ『光術』が遮る。間を抜けた光弾は、海水を巻き上げ吹き飛ばした。
「邪魔を……」
 動きが乱れたラクエルをグラキエス・エンドロア(ぐらきえす・えんどろあ)の『レーザーマインゴーシュ』が切り払う。
「ふっ」
 体を無理やり捻りラクエルは背を反らす、グラキエスのビームサーベルが何も無い空を切り裂いていく。
「おまえの怒りは真っ直ぐ受けよう、『ランスバレスト』」
 アウレウス・アルゲンテウス(あうれうす・あるげんてうす)の巨体が壁の様にラクエルへと突き刺さる。
「ぐっ……」
 体勢を崩していたラクエルへと、アウレウスの体重を乗せた重い一撃を衝突させる。
「もう止めておけ。思いは聴いたのだろう」
 吹き飛ばされた身体を空中で器用に捻り、砂浜へと着地する。
「聞いていない!」
 ラクエルは駆け出し、グラキエスへと拳を撃ち込む。
「しっ!」
 大気を穿つ拳圧をマシンガンの弾幕の様に放つ。
「くぅ、何て拳技だ!」
 ビームサーベルの双剣でラクエルの拳を捌いていくが、防ぎきれない。洩れた拳撃がグラキエスを打ち据える。
「っぅ」
「主よ、お体の方は?」
「大丈夫だ。ラクエルを止めてやれ!」
「……分かった」

 「さ、やっちゃおうか」
 ラクエルを抜けて、ルー達は洞窟の中へと侵入する。洞窟の中は海水で満たされ、ルーは膝まで水に使っていた。
「じっくりと解析をしたかったのだがな」
 名残惜しそうにダリルは『ナゾ究明』を止める。
「そうだね……」
 海水で冷たく濡れた洞窟の壁面に手を触れる。そっと触れているだけなのに、ルーの心が揺れる。
(どうしよっか……辞めちゃおうかな……)
「ルー」
 ダリルが壁面からルーの手を引き剥がす。
「バイバイ」
 思考を止め、『疾風突き』を壁へと何度も撃ち込む。壁面に亀裂が走るが、気にしない。崩壊が始まるまで何発でも叩き込む。
「手伝うさ。『我は射す光の閃刃』」
 ルーが生み出した無数の亀裂へと光の斬撃が走り抜けていく。

 「……依頼は完了したよ」
 ルーは、時折不協和音を鳴らすオルゴールを指差した。
「ええ、ありがとう……」
 洞窟には既に巨大な亀裂が刻まれていた。やがて崩壊が始まるだろう。
「これで……オルゴールが鳴り響く事はないでしょう。そして……私たちも……これで――」
「ハンナ」
 地に伏したラクエルはハンナに触れようと空中に手を伸ばす。
「ラクエル」
 ハンナはラクエルの手を握り閉める。これでお別れだというように、力強く……。
「「「ラクエル」」」
「みんな……」
 海岸を埋め尽くす程の町民たちが集まってきていた。みんな、知っていたのだ……終わりが来るって。
「止まったみたいね……」
 オルゴールの崩壊が始まる。ハンナ達、町の住民達の身体がゆっくりと光に変わっていった。
「ハンナ!みんな!」
 蛍のように優しく光りながら、身体が消えていく。
「さよなら……私たちの息子」
 リョウは夜空に手を伸ばしていた。消え行く光を掴むように、遠くにいる誰かの手を掴むように。
「――さよなら」
 朝日が昇るまで、ラクエルと海達はずっと黙ったまま夜空を見上げていた。