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過去という名の鎖を断って ―希望ヵ歌―

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過去という名の鎖を断って ―希望ヵ歌―

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     ◇

 彼は泣いていた。
 彼は泣いていた。
後ろ手で扉を閉めた彼は、涙を流していた。
孤独が故に、涙を流せる時がある。
独りが故に、弱音を呟ける時がある。

「ウォウルさん、貴方はもっと辛いよね」

 決別ではない。
 別れではない。
これからの始まりの為の終わり。
これからの笑顔の為の涙。

彼はその意味を知っている。

「僕はね――僕は」

 言いかけた言葉を呑んだ。
今はその言葉を言ってはいけない気がして。
だから彼は口を閉ざす。

守れる物。 守ったもの。 守りたいもの。

「守るよ。僕の手の届く範囲、全て」

例えそれが自己満足であったって、例えそれが綺麗ごとであったとしても

「それが僕の――僕の道だから」

静かに歩く彼の手には 彼の心を映し出す青が握られている。
光を放ち、しかし何処か揺らめくそれは、彼の心を映し出す。





     ◆

 ドゥングを止めに向かった面々を送り出した彼等は、ただひたすら、黙々と資料を読んでいる。日記を、制作過程の日誌を、計画書を読み進めている。
その中で、和輝は壁に背を預けて立ちただ外を見つめているだけだった。既に彼は、少なくとも彼は、なんとなくでもラナロックと言う存在がどういう意図で持って生み出されたのかを知っている。知っているからこそ、彼は特に何をするでもない。彼は調べに行くその前から、その事を薄々ながら気付いていた。無論、それを調べていてたアニス・パラス(あにす・ぱらす)禁書 『ダンタリオンの書』(きしょ・だんたりおんのしょ)もその事を知っている。
「ねぇ……和輝? 私たちは調べもの、しなくていいの?」
 アニスが心配そうに言うと、彼は短く「あぁ」と返事を返し、窓の外を見つめるだけだ。
「何を考え込んでいるのやら。そう言った類の行為はすべて私に任せればいいと言うのに」
 ダンタリオンの書の言葉にも、彼は短く「あぁ」と返事を返すだけ。そこで再び、その部屋には会話がなくなる。暫くの沈黙の後、ウォウルが手元の本に目を落としながら呟いた。
「託君」
「……うん」
「たくにーに?」
 コタローの隣で座っていた託は、そこで立ち上がると何をいう事もなく扉の前まで歩いて行った。
「託君。後は任せても、良いよね」
 ウォウルはやはり何事もなくそう尋ねる。
「……わからない。わからないけど、僕は守るよ。ラナロックさんを守って見せる。それが貴方に――ウォウルさん。貴方に頼まれた事であるのなら。それが貴方の願いであるなら、僕は全力で彼女を守るよ」
 俯いてから、しかし顔を上げて一同を振り返った。
「行ってくるね」
 笑顔だった。精一杯の作り笑顔だった。悲しみと呼べるものを抑え込み、怒りにも似た何かを抑え込み、彼は振り返り、そう呟くのだ。
「行ってらっしゃい。そしてまた後で――皆と一緒に必ず迎えに行きますよ」
 笑顔の彼を送り出すウォウル。彼は一度託の顔を見てから、しかし再び手元の資料に目を落とした。
「ねぇ、どうしたのよ。あの二人」
 プリムラがこっそり佑一に尋ね、彼が説明をしようとするとウォウルが代わりに言葉を発する。
「彼には随分と重たい、そして辛い役割をお願いしたんですよ。そして今も――それは変わらない。でも一番は、今回は彼がそれを選んでくれた。僕はその言葉に甘えただけに過ぎません。彼は恐らく僕の言わんとしている事、僕の思っている事を知ってくれているんでしょう」
「おぅるしゃん、たくにーに、のこにいったろ?」
「彼はね、守りに行ってくれたんだ。ラナロックをね。僕の代わりに――守りに行ってくれたんだよ」
 ウォウルは心配そうな表情のコタローの頭に手を置いて言った。
「ヘラ夫……。笑えよ、笑えって。お前は笑ってなきゃ……お前じゃねぇよ」
「樹ちゃん、今は仕方がないよ。今はしょうがないんだ。彼だって、何も神様じゃないから。人間だから。辛いときは――笑えない時は、あるんだよ」
「……ウォウルさん。一つ良いですか?」
 重苦しい空気になっていた部屋の中、急に佑一が口を開いた。
「なんです?」
「これ――この部分……」
 彼はウォウルの元に自分が持っている本を持って行くと、ある一文を指して彼にその本を見せた。
「『研究に成功した私たちは、さっそく起動してみる事にした。局長が何を考えているかはわからないが、成功してくれる事を願うだけだった。』……これって、彼女を造った人たちが必ずしもラナロックさんの完成を望んでいた訳ではない、って事ですよね?」
「そのようですね。何々……『起動実験当日、研究員から変な物音が以前からしていた。と言う情報を聞く。おそらくは鼠か何かだろう。私は特に気にする事もなく、起動実験をするだけだ』……成程。で、この後の記事はなし、ですか」
 佑一は頷く。と――。
「待てよ……。おいクラウン。ちょっと待て、今気付いた事がある。ならば一体誰が、ラナロックを封じたんだ? 考えてもみろ。研究員やその場にいた人間が死んだのには道理がつく。『起動したらランドロックが暴走し、全員を殺した』それならばわかる。でも、ならばあいつが暴走した後、何故あいつは外に出なかった」
「……そうですよね」
 壁に背を預けていた和輝は慌ててウォウルに近付くと、一気に述べた。
「だから不自然に思って、今まで考えていたんだ。それで気付いた事がある。もしもだ、もしもラナロックが起動後、暴走していないとしたら……どうなる?」
「誰かが実験を隠ぺいしようとした。内部、外部問わず。成る程………」
「そしてその存在が彼女を封印し、ずっとその封印が解かれない様監視していたのであれば……」
「封印を解いた僕と、そしてラナを殺しに来る」
 全員が息を呑んだ。
「待て待て、これっていつの話だ? 少なくとも数年前、数十年前の話じゃないんだろ? だったら生きてるなんて事――」
 慌てて樹が口を挟むが、章がそこでそれを制止した。
「いや。有り得るよ。充分にあり得る事だよ樹ちゃん。何故ならこの世界には、数百年単位で生きる事が可能な種族が多くいるからね。もし人間でない、とすれば話はあり得なくもない」
「でも……でございますわ」
 ジーナが首を傾げ、何とも不可解そうな、しかしある意味一番的を射た質問を持ち出した。
「ならば何故、そのドゥングと言う方の体を使って? ご自分で出てきやがればいいですのに」
「何かしら、それが出来ない理由があるか、もしくは――」
 ダンタリオンの書が思考する為に顎に手を当てる。
「ウォウルよ。ドゥングとやらは、ラナロックとは関係が?」
「……えぇ。ありますよ」
 失念していたのだろう。その事を。だからウォウルは驚いた表情のままに一同を見渡したのだろう。
「何せ僕は、彼と――ドゥングとラナロックの封印を解いたんですから」
 ウォウルとラナロックが狙われる、と言う事実関係。
 ウォウルとラナロックが、ドゥングによって狙われている、と言う既成事実。
 その全てが何処かで、繋がる音がした。
「ドゥングは僕の悪友みたいなものでしたから。一時期はずっと一緒にいた気がします。……ラナロックの封印を解いた時も、彼と一緒に――」
「ウォウルさんとラナロックさんを狙う……ドゥングさん」
「全てがラナロックの封印を解いた人間――監視している可能性がある誰か……じゃあ犯人は!」
 ミシェルの言葉を遮って、プリムラが声を上げた。
「恐らく、研究員を殺し、ラナを封印した誰か。そしてその誰かがドゥングの体を操り、彼の手で僕たちを殺すと言う、筋書きでしょう」
 扉が開き、病院内を見回っていたルカルカとダリルが部屋に入ってくる。と、部屋を慌てて出ようとしたプレシアとぶつかりそうになった。
「ど、どうしたの? えっと……今は、プレシアちゃん?」
「否! 我は時の 魔道書(ときの・まどうしょ)だ! それよりすまないがそこを通してくれないか……急ぎ皆に伝えなければならぬことがある!」
「あ、ああ。……すまない」
 慌てて道を開ける二人は、何が何やらわからないと言った面持ちでその姿を見送った。
「ん……どうしよう。私たちが見回ってきてる間に話が読めなくなってきてる……」
「おい、何があった。どうしたんだ」
 一同が慌てて今の話を簡潔にルカルカ、ダリルに伝える。
「何! 目的はお前たち全員が共倒れになる事だと!?」
「だからドゥングを操って、ウォウルたちを狙ってるの!? じゃあ、皆がドゥングを倒しちゃったら……」
「誰かは知りませんが、その者の思惑通りに事が運ぶ、と。端から全員殺すつもりでしょうからね。誤差が生じたところで何の問題もないのでしょう」
 他人事の様にそう締めくくったウォウルを見て、その場の全員が言葉に困る。
「ウォウル様――」
 声がした。いつしか姿を消していた綾瀬の声が、部屋に響き渡った。
「何故貴方様はいつも――そこまで全てを他人事としていますの?」
「なんの事ですか?」
「この期に及んでとぼけた真似をする必要などないのではございませんか?」
「その様――ですね。いや、しかしその質問の答え。僕は貴女には必要ないと思いますが」
「私が傍観者としてあるべきだ、と言うところと似ている、と?」
「僕は傍観者にはなれませんよ。性分も合わせたうえで。ですが、だからと言って当事者である必要はないんですよ」
「あくまでの大勢の中の一人になりたい、と?」
「えぇ。その為にも笑顔は大切だ。その為にも上辺は大切です」
 その声の主の姿を捉えられない一同と、明確に目的地を決めて声を掛けるウォウル。
「僕の言葉が他人事の様に思えるのは、僕が上辺しか晒していないからでしょう。僕を気味悪く思うのは、僕が上辺だけしかないからでしょう」
「ウォウル様。それでも貴方様は、皆様を頼るのですか。その、かなり難しい距離感を保って」
「えぇ。上辺を振る舞い、上辺で生きる。これが僕の生き方なのかもしれませんから。そうでしょう? 皆さんも必ずどこかには上辺がある。重い重い過去を背負い、辛く苦しい過去がある。しかしそれに捕らわれず、屈せずに生きている。それと同じ事、なんですよ。皆さんが誰かを、何かを頼る様に、幾ら上辺とは僕も、皆さんに頼る事にしたんです」
「ウォウル。お前……わかった。それでいい。一先ずはそれでいい。それこそ、生き方云々については全てが片付いてからで構わない。だから教えろ、これからどうする。お前やラナロックを、そして何よりドゥングを生かした状態で、この状況を収めるにはどうすればいい」
「皆もルカたちもいるんだ。一人じゃできない事も出来る! だから教えて」
 わかりました。良いですか、既に外に行ってしまった人たちはこのことを知らない。何故ならこのことを知らせれば、彼らが本当に危うくなるから。逃げるタイミングすら逃しかねないから。だから彼等には何も言わないでいただきたい。良いですか――僕はこれから」
 作戦会議が始まった。その場の全員が彼の言葉を聞き、開けた口が塞がらずとも。幾ら反対しても、彼はその意志を、言葉を曲げない。否、曲げられないのだ。これ以外に道はない。
そして、彼は知っている。自分が幾ら無謀な提案を出したとして、この病院の近くに点在する彼等全ては、必ず成功を収めると言う事を。

 ウォウルが一番、わかっている。

「……反対しても、意味はないだろうな」
「えぇ。お手数おかけしますがね」
「本当だ。おかげで治療しても治療しても、意味がなくなりそうだぞ」
 最後。ダリルとウォウルのそのやり取りで、彼等の最後の作戦会議は終了する。