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コンちゃんと私

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コンちゃんと私

リアクション

 
「ああん、キリがないっ」
 ローズが思わず弱音を吐くほど、ケララの触手の這い寄る勢いは凄まじかった。
 そのぬらぬらとした触手はもとより、体液のように沁み出す白濁した粘液のおぞましさは正視に耐えないものだったが、その触手の彼方でけたたましい叫び声を上げている「本体」から感じる恐怖に較べれば、意志の力で跳ね返せるレベルだ。
 「本体」と正面から対峙することを避けながら、横へ横へと回り込んでいたものの、ステージ前を観客が塞いでしまって思うように動きが取れない。
 計画では、ローズがケララを引きつけているうちに、カンナが観客を追い払う予定だったのだ。
 それは、あっという間に広がった熱烈な観客の行動で台無しになった。
 そして、隙をついて【荒ぶる力】による腕力に訴える作戦は、ケララのあまりの大きさと、粘液を纏った触手の荒ぶる動きに断念せざるを得なくなった。
 ステージの上で観客とケララの挟み撃ちにあったような状態で孤立してしまったローズの耳が、ケララの声ともカンナのギターとも違う音を捉えた。
 カンナが音の方向を見ると、ラムズが竪琴を手に、静かなメロディーを奏でていた。意図を察したカンナは、少しずつ、ギターのリズムとボリュームを抑えていく。
 その場の誰も気がつかないほどの自然さで、場を支配している音楽が入れ替わった。
 ラムズの弾く眠りの竪琴の音は、周囲の興奮を僅かながら鎮めているようだ。ローズの足元に押し寄せてステージによじ登ろうとしていた観客が、我に返ったようにその場に立ち尽くした。
「ローズ、もう少し頑張って」
 声をかけて、カンナがそっとステージから滑り降りる。
 ラムズは竪琴を弾きながら視線を巡らせると、人混みの向こうでこちらを伺っていた東雲が、軽く頷いた。

「……よし、通じた」
 東雲は自分の意図があちらに伝わったことを確信していた。もとより、他に方法は無い。軽く咳払いをして、喉の調子を確かめる。
 バタバタしたけど、まあ、大丈夫。そう判断して、上杉三郎景虎を振り返った。
「三郎さん、これ、持っててね」
 景虎にたこ焼きを手渡して、東雲が言った。
「お客さんを誘導しよう。シロ……あれ?」
 既にシロは、足元に這い回る小型ケララを追いかけては踏みつぶして回っていた。
「……成敗するそうだ」
「めずらしく、やる気だなぁ」
 

 ようやく人混みから抜け出したカンナが、竪琴を奏でているラムズの傍に走り込み、アイコンタクトをとる。そしてGOサインを確認して、【叫び】を発した。
 凄まじい音の衝撃の後、一瞬その場が静まり返る。
 次の瞬間、計ったように同時に、別の方向からふたつの歌が流れ出した。

 最初に反応したのは異形の怪物だった。
 【叫び】の音そのものに引き寄せられるように、その体をゆるゆるとカンナの方に向ける。その形の無い目がこちらを見るだけで、背筋に悪寒が走り、両足から力が抜けそうになる。
「下がりなさい、常人の正対は危険です」
「こっちだ」
 僅かによろめきかけたカンナを、エッツェルと「手記」がケララの視線を避けるように建物の陰に誘導する。走りながら、カンナは彼らの外見について軽い皮肉をいくつか思い浮かべたが、口にはしなかった。
 助けられた立ち場としての大人の分別を心がけたこともあるが、すぐにその耳に澄んだ歌声が響いたからでもある。
 驚いて目をやると、小柄なポニーテールの少女……緋王輝夜が、ラムズの竪琴のメロディーに乗せるように歌っていた。
 
 傷ついても 折れぬ華 花の香に誘われ 風の舞うように 嵐の中へ 駆け出す足は……

 胸の前で両手を握り、言葉とメロディーに精一杯の思いを込めたその歌は、ネバネバのバケモノに聴かせる為だけに歌うのはあまりに勿体ないとカンナは思った。

 そのネバネバのバケモノの向こうにいる観客は、残念ながらこの歌に注意を払っていなかった。
 彼らは、彼らを魅了し誘導する為に奏でられる、東雲の歌に聴き入っていたのだ。
 歌いながら東雲がゆっくりと移動する。
 ようやく自由になったローズがステージから滑り降りて、熱狂した観客とケララの粘液に蹂躙された客席に駆け寄った。
 人が引いた客席の真ん中で、ネバネバまみれで白目をむいてひっくり返っているふたり。
「置いて行く訳には、いかないわよね……」
 ハデスとアルテミスを見下ろして、ローズはため息をついた。

 その頃リリは、グランドコンコースを抜け、ミュージアムゾーンのファクトリーへと急いでいた。
 水溶きの小麦粉が入っていた筈の、空の鍋。
 何かから身を守るようにララの手に握られた、鍋の蓋。
 そして、消えた鍋の中味。
 導き出される解は単純だ。
 異界より呼び出された悍ましい異形は、あの鍋から出現したのだ。そしておそらく、鍋の中にあった小麦粉を身に纏い、仮の体を形成しているのだろう。
 ならばより多くの小麦粉を目指すはず。
 そして。
「クト神科でも成功していない邪神召喚……まだ、何か秘密がある筈じゃ」
 見過ごすことのできない謎に、オカルト探偵の血が騒いだ。
「その秘密、リリが必ず手に入れる……!」
 目を輝かせ、リリはすごく悪い顔でニヤリと笑った。


「やれやれ……なんとかなりそうだな」
 ローズと東雲に誘導され、ハンメルンの伝説のようにゾロゾロと観客がゲートに向かって行くのを見送って、ラムズがほっと息をついた。
 背後ではまだケララが名状しがたい笑い声を立てているが、その動きは輝夜の歌で上手くコントロールできているようだ。
「一般客の避難までの時間稼ぎは問題ないとして、斬っても焼いても増えるだけで効果がない……どうするつもりだ?」
「ふむ、まずはお前たちの為に、発狂判定回避の処置をせねばならんのう」
 「手記」が名状しがたい口調で言うと、エッツェル冒涜的な口調で応じた。
「ではその後、アレの移動を制限して試してみましょうかね……色々と」
「……あのさ、ちょっと恩知らずなことを言ってもいいかな」
 ステージの陰で息を整えていたカンナが、ラムズに小さく声をかけた。
「少しだけ、バケモノに同情する」
 ラムズは乾いた笑い声を上げたが、答えなかった。