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絶望の禁書迷宮  救助編

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絶望の禁書迷宮  救助編

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第10章 生命

 森は霧がだんだんに晴れ、当初とはだいぶ様相が変わっていた。
 霧に包まれていた時にはわからなかったが、樹木は相当に貧相で、枝はおろか幹がぼきりと折れているものもある。
「こんなに荒れてるのは……破壊されかけてるから……なの?」
 ネーブル・スノーレイン(ねーぶる・すのーれいん)は、霧の薄れた森の径を一人で歩いている。
 この森を形作る魔道書を害してでもこの世界を破壊しようとする『石の学派』を倒すため。
(私、頑張って手伝うから……死んじゃあ……ダメだよ?)
 魔道書たちは人を憎んで、自分たちの棲み家に人が踏み込んでくることを嫌ってくると聞いている。こんな風に入り込まれることを、この世界を紡いだ魔道書は望んでいないかもしれない。けれど。
(私は……私がそうしたいから、ここに来たよ……魔道書さんが破壊されるのが、嫌だから……)
 『石の学派』を放っておけば……
(ここで死んだら、残された人……他の魔道書の人たちが、悲しむから……)
 歩みを続けるネーブルの横を、急に何かが大挙して通り抜けていった。それはまるで風のようだったので、全くネーブルの警戒は及ばなかった。
 それはネーブルに何の危害も与えることなく、黙々と過ぎていった。
 見ると、貧相な木々の並ぶ森の中で、変にしっかりした木立ばかりが一群れになって集まっている場所がある。そこに、通り抜けていったもの――何も持たない幻影の人影が、この道からだけでなく、そこに繋がるいろいろな道から入っていく。
 間違いなく、その木立の中には何かあるようだった。
「あっ」
 後ろから声がした。ネーブルが振り返ると、鉄心とティー、リースとセリーナ、ナディムの一団が駆けてきた。
 彼らは、木の枝を持たない人影の動きを追って、『神殿』を探してここまで来たのだった。イコナ・ユア・クックブックからのテレパシーによる連絡によって、最新の情報ももたらされていた。『神殿』は、間違いなくこの幻想空間の要であり、そこに『石の学派』の首謀者がいる可能性が高いことも。
「きっと……あの、木で囲まれた、中ですね……」
 説明を聞いたネーブルが言うと、一同はそれぞれに頷いた。
「行きましょう……!」
 緊張した面持ちで、リースが言う。ネーブルも、彼らと共に、そこに急いだ。


 森の中の石造りの神殿は、ひっそりと佇んでいた。
 神殿の入口には天幕が引かれ、内部を慎ましやかに隠している。幻影は、神殿の入口の一歩手前で、礼拝するように身をかがめ、そして消えていく。
「霧が晴れていくのと、影が消えていくのは、同じような意味なのかもな」
 鉄心が呟く。一同は、影が礼拝して消えていく地点を越えて奥に入り、神殿の建物に近付いた。
 と、そこにも何やら、契約者らしき一団がいる。
「あっ! も、もしかしてっ」
「鷹勢さん!?」
 ナディムとティーが声を上げた。
 それは確かに杠 鷹勢と、彼を守るように付き添うファイリアとニアリー、レキとミア、朋美とシマックとトメという契約者の集団であった。
「鷹勢さん、よかった、無事だったか」
「うん……無事、なんだけどね……」
 鷹勢の表情は以前と変わらず虚ろで、契約者たちの表情には困惑の色が隠せない。聞けば、彼はずっとうわごとで「めい子」の名を呼びながら、ふらふらと彷徨うように歩き続け、不安定な存在だけに無理に動きを遮るのもためらわれて、ただついて歩いているうちにここまで来たのだという。
「そ、それは、一体、どういう……」
 リースが口を開きかけた時、神殿から出てくる人影が見えた。黒いフードが、三つ。
「!」
 全員の間に緊迫感が走った。
 最初に動いたのは朋美だった。魔導師たちが動き出すより一瞬早く、【鬼眼】で威嚇し、魔法を繰り出すのに必要な精神集中を妨害した。その隙に、彼女から精神感応で合図を受けたシマックが【クロスファイア】で全員を攻撃した。他の契約者たちは、戦況を見据えながらも誰からともなく、鷹勢を庇うように囲んだ。
 一人は吹き飛び、倒れたが、二人目は転がって階段を落ちたために攻撃範囲から辛くも逃れ、三人目は際どいタイミングではあったが魔力でのバリアが間に合った。
「そこまでだ!」
 残る二人に、『魔道銃』を構えて鉄心が叫ぶ。ネーブルも身構えた。
 だが。

 神殿入口の柱の影から、めい子が現れた。
「!?」
「あれ、まさか……!?」
 自立歩行しているように見えたが、真正面から見たその姿は明らかに生者ではない。その場にいた誰もが、死者操作だと分かった。階段から落ちて座り込んだ男が、腕を伸ばして彼女を見えない糸で引くように動かす。めい子は二人の前に立ち、契約者たちが二人を直接攻撃で狙うことは難しくなった。
「……めい子?」
 皆に囲まれた真ん中で、鷹勢が呟くように口にする。反射的にファイリアが叫んだ。
「見たらダメですっ!!」
 ただでさえ不安定になっている鷹勢が、敵に操られる死しためい子の姿を見たら、どうなるか……!
 だが、知覚していない鷹勢は、何かに引かれるように、契約者たちの間をすり抜けて出ていこうとする……
「はい、ちょっとどけ〜!!」
 突然、場にそぐわないほどの景気のいい声がして、何かが出し抜けに飛び込んできたかと思うと、鷹勢の姿が消えた。
「よしっ! 保護完了!! にゃははは〜」
 幻想の森に入ってからずっと、鷹勢の精神を捜索してきて、ようやくここで追いついた朝霧 栞(あさぎり・しおり)だった。『封印の魔石』を手に、にっと笑う。不安定になる暇もなく、鷹勢の精神はそこに封印された。
「このまま、ここの外まで無事運び出してやっからな!」
 おそらく、めい子の姿を目にする寸前のところで助けられた形だろう。これ以上不安定な徘徊に及ぶ懸念もなくなった。一同はひとまず胸を撫で下ろした。

「契約者の諸君」

 神殿入口に立つ黒フードの男が、口を開いた。
「君らは、この森から出たくないのか?」
「何……?」
「何が言いたいですかっ!?」
 フードで上半分が隠れた顔の、口元に酷薄そうな笑みが微かに浮かんだ。
「我々は、この森の要であるこの神殿に、脱出口を作ることができる。もし、協力する気があるのなら」
「バカ言えっ!」
「そ、そんな、勝手なこと……させません……!」
 鉄心が叫ぶように遮り、リースはどもりながらもその身に力を込めて立った。
 だが、黒フードの男は続けた。めい子を矢面に立たせて、余裕を持っているらしかった。
「どのみち、我らは目的を達する。我らは『道』を掴んでいる。我らが目指す魔道書を手に入れた時――」
 そうして、フードから伸びた手で、めい子を指した。

「我らは絶大な力を手に入れ、この女を蘇らせることもできよう。
 それは、今死にかけているあの少年のためにもなるとは思わないか?」

 一瞬、思わぬ言葉に全員の思考回路が停止、沈黙した。
 誘惑に揺れた――とのかどうかは分からない。
 ただ言えるのは、全員の頭に「パートナーロスト」という言葉、それに付随する幾つかのイメージが、人によって多少の程度の差こそあれ、重みをもってよぎったということだけだった。

「騙されてはいけないですうぅぅぅぅ!!!」

 大音声が、降ってきた。
 それが、呪縛を解くように、全員の思考回路を再び正常に動かし始めた。黒フードの男は、驚いて辺りを見回すが、声の主の姿はない。
 それは紛れもなく、エリザベートの声だった。

「そんな力を与える魔道書がここに存在するかどうか、まだはっきりしないですぅ。
 そんな、まだ手に入れてもいないもので釣ろうだなんて、焦って適当なこと言ってるだけですぅ!!」

「それに、そんなやり方でたとえ蘇ったとしても、所詮めい子は、奴らの傀儡になるだけですうぅ!
 元のめい子はもう、決して戻っては来ないですぅ……!!」


「にゃははは〜!! 言われなくても騙されたりなんかしねーよっ!!」
 哄笑するように言い放ったのは、栞だった。
「あの少年のためだぁ? お前ら、自分の行動顧みて、その言葉に説得力あるかどうか考えろよ!
 本当にお前らニンゲンってのは、自分勝手すぎるんだよ! あの魔道書達がニンゲンに腹立てるのも無理はねえな!
 不要になったからってテキトーに放置して、必要になったら求めてくるんだからな」


「これで騙されてたら本当に馬鹿だろ」
 神殿の裏から声がした。建物の影から出てきたのは、恭也とドーラだった。
「テメェらが死者をどう扱うか、ここまで追ってくるまでにとっくり見させてもらったからな。到底信用は出来ねぇ」
 その位置からなら、契約者に相対して立つめい子は、攻撃範囲から逸らすことができる。
 仮にめい子を動かせば、今度は契約者の攻撃に晒されることになる。

「く……っ!」
 死者を操る男は、じりじりと、契約者とも恭也とも距離を取る方へと退いていくが、

「どこへ行くつもりだ」
 恭也とは反対側の神殿裏から出てきた唯斗が、『練気の棍』を構えて立っていた。
 ――めい子を取り返すには、彼女を攻撃範囲に挟まないよう位置を取って、術者を速やかに倒す。そのために、ここまで追ってきた後、二人は打ち合わせて位置を取ったのだ。
 気付かれても、動きを封じられるように。
 追い詰められた術者が次の動きを取る暇も与えず、唯斗は素早く距離を詰めた。
「お前らには何も渡さん、死者も――逃げる権利も」

 階段上にいた一人は、身を翻して、神殿内に逃げようとした。
「壊させない……です……!」
 その無防備な背中に、ネーブルが【その身を蝕む妄執】をかける。入り口に垂れ下がっている天幕をくぐろうとしたところで、その体は動きを止めた。
 ネーブルはさらに【我は科す永劫の咎】で、彼を石化させた。
 石化した体が前に倒れ、それに引っかかった天幕が落ちて、中の風景が現れた。
「あっ!!」

 中にはもう一人、黒いフードの影があったのだ。
 魔力を集中している。外の三人は、彼のために見張り役を担ったにすぎなかった。
 黒フードの下、にやりと笑う口元が見えた。
「大したものだ、契約者。――だが、我の『血』の勝ちだ。我は導かれ、手に入れる。お前たちには止められない」
 その手の中に、魔力の光が輝きだした――
 

 ここに、もう一つ、思わぬ伏兵があった。
「ククク、今だヘスティアよ、我らが敵を打ち払う一撃を!!」
「はいっ、ごしゅ…ハデス博士!! 必殺、アイスロケットパーンチ!!」
 ドクター・ハデスの命を受けたヘスティアの、【アルティマ・トゥーレ】を乗せた『ロケットパンチ』が、神殿を取り巻く木立の影から、契約者たちの方へと飛んだ。

 空間が一瞬白くかすみ、全員の視界がホワイトアウトした。