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【神劇の旋律】旋律と戦慄と

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【神劇の旋律】旋律と戦慄と

リアクション

     ◆

 そこは地下室だった。どこまでも、どう見積もったところでも、そこは紛れもなく地下室だった。
壁に窓はない。故に自然の光はない。
あるのは冷たい壁の温度と、そして僅かばかり、おまけ程度に部屋の中を照らす人工の光だけ。
 どこかの誰かが言う様に、地下は楽園。とは、お世辞にも言えないその空間。
全てが終わってしまった、『終わってしまった空間』のそこで、彼女はただただ辺りを見回す“フリ”をしながら、部屋の随所に注意を向けた。

 中願寺 綾瀬。

 両の眼を自ら閉ざした彼女はきっと、視覚的なもの以外の何かを見つける事に長けている。
 視界 を捨てた彼女が故に。
 視界以外の情報網が自然と、発達しているのだろう。彼女は静かに扉を押し開け、辺りを見回しているだけだった。
「綾瀬……何故此処に来たの」
 突然の言葉は、人の形を持っていない彼女からの言葉。とはいえ、その言葉が綾瀬にのみ聞こえる。と言う話ではなく、あくまでも人前では殆ど口を紡いでいる彼女の言葉だ。
「此処に来るであろう襲撃者たちの事は、外の方たちにお任せすればいいのですわ。わたくしが出来る事は、わたくしがしなくてはならなりませんから」
「それは良いけど、ならばあなたの出来る事は何? 此処には何もないでしょう?」
「此処に何がある、何もないではなくて、即ち“此処”に意味があるんですわよ。ドレス」
 優しく笑い、静かに部屋の中へと足を踏み入れる。
「始まりが此処から、と仮定して話をします」
 突然の言葉に、思わず口を開いてしまった漆黒のドレスが再び口を閉ざした。排他としての意味ではなく、会話に意味をなさないという判断でもなく、彼女の言葉を最後まで聞く為に。それを知っているかのように、綾瀬は言葉を続けるのだ。
「とても、ウォウルさんが今回の一見に絡んでいないとは思えませんの。わたくしは、ね」
「それは彼を知っている誰もが思う事よ」
「ですわね。そして此処から物事が始まったのであれば、彼の消息を知るのは即ち、この屋敷内では此処のみ。物語の終末はいつも、新たな物事の始動を意味します。何もない事はないんですわ。何かが終われば、同時に何かが始まります。何かが始まれば、それは終わりへと向かって進みます。紆余曲折しても、道草を食っても、来た道を戻っても。最後に待つのは終わりのみ。終焉――ただのそれだけ」
 言い終った彼女は、まるで確信めいた様に足を進め、そして先日――ウォウルが立っていた場所で立ち止まる。立ち止まってゆっくりとその場で回転し始めた。
「終わりの終わりは終わりの始まり。この言葉の意味、お分かりになりますかしら。ドレス」
「…………」
「そう。そうなりますわ。だから困るんですの。彼がいないと言う事は、即ちわたくしの話し相手が減ると言う事。この言葉の意味が分かる彼がいなくては、わたくし非常に詰まらない。詰まらない――詰まらない」
 屈んで、彼女は薄らと笑みを溢した。何かを拾い、確信を拾い、全てを理解した笑みを浮かべて。

 血に染まった――ウォウルのモノクルが一つ。

「ほぅら、みつけた。始まりの欠片。終わりの残り火、波瀾の火の粉。ドレス、わたくしの言いたい事が少しでもわかるのであれば、これがどういう意味を持ち、彼の失踪が意味するものはおのずと見えますわ」
 不敵な笑みは漆黒に包まれる。薄暗い明かりが彼女の口元だけを照らし、そして彼女はその場を後にした。





     ◆

 そこには並々ならぬ殺意があった。否、正しくは殺意ではなく、闘争本能。
万物全てが持ち得る、全ての物が持つ引力にして、全ての物が持つ“根幹”。
「のぅラムズぅ……」
 シュリュズベリィ著 『手記』(しゅりゅずべりぃちょ・しゅき)の、随分と間延びした声。狂気に没した声。それは一層の不気味さを持って、自らパートナーであるラムズ・シュリュズベリィ(らむず・しゅりゅずべりぃ)の名を呼ぶ。
「……何ですか」
 本当に面倒そうに頭を抱える彼は、子供の我儘に付き合う大人の様に困り果てた顔で一瞬だけ相棒である『手記』を見やった。
「何じゃろうのぅ……この昂ぶり……! 高揚感! 圧倒的な狂気、漲り、ひしひしと忍び寄り、そして決してわしを離そうとしないこの力……! あぁぁああぁ、たまらんのぅ……キッヒヒヒヒヒっ!」
「……あなた、誰ですか」
 うんざりした顔。
「わしかぁ? 知らんのぅ、わしにもわからんん………頭が割れそうに痛いかと思えば、爽快な気分じゃぁ、あっはっはっはっは……!」
 眉間に皺をよせ、かと思えば笑い。それは大凡、常なる状態ではない。見るからに均等を失し、狂気を漲らせ、本能のままに動き出しそうな、そんな色。暗い色、明るい色、艶やかな色、質素な色。その全てが混在している。

 二人は今、ラナロック邸の中にある、玄関と門との中間地点――噴水のある広場にいた。

彼等だけではない。彼等を囲むようにして、まるで『手記』とは真逆の男たちが、二人を中心にして周りを囲み、手に手に凶器を握っていた。
 どちらかと言えばラムズに近い、色の薄い存在。生きている色も薄ければ、欲望も渇望も、絶望も希望もない。そんな色を放つ人影が、二人を囲ってひしめいていた。

 それは全て――敵である。

「ひとつ聞きたいがのぅ、ラムズぅ……」
 『手記』の喉が鳴る。
「こやつらは悪人か? こやつらは死するべき者共か?」
 『手記』の喉が更になる。ぐるぐる、ぐるぐる。
「私に聞かないでください。知りませんよ。私は何もね。あなたも誰だかわからない、自分さえも誰で、何故こんなところにいるのかもわからない私に、あなたがそれを聞くのは野暮というものでしょう」
 随分と詰まらなそうに、随分と困った言葉面だけを、並べる。並べる。
「ならばこうしようぅかぁ、ラムズぅ……まずは一匹殺してみよう、ギヒッ……! キシシシシシシ! それから考えてみるのも悪くはない、そうじゃろうぅ? クシシシシシッ!」
「“殺してから”じゃあ遅いですよ」
「そうかそうかぁ! じゃがわしゃあ知らんよぉぉぉぉ! きっひゃっひゃっひゃ!」
 それはある種――呪いにしか思えない笑い方だった。『手記』の呪詛が高らかに響き渡った瞬間、その背後に影が伸びた。その影は『手記』を包み、再び辺りに静寂が戻ってくる。
「とりあえず私は安全な場所に行くべきなんでしょうね。とはいえ、安全な場所があるかはわかりませんが」
 詰まらなそうな顔でふらふらと後ろへと下がって行くラムズは、ふらつく足取りのままに生気篭らぬ敵へと近付いて行った。
「すみませんが、通してください。危ないのは嫌なので」
 当然とでも言うように。少し道を開けて欲しいとでも言うように。彼はよろけるように足を進める。敵が前に居ようが構わず、足を進める。

 そこで、敵である彼等。ラムズの前にいる彼等の足元に、得体の知れない何かが現れる。
手に手に弓を持ち、何本もの腕を器用に弾いて、そしてラムズの進行方向にいる敵を次々射抜き出した。決してそれらが死なない場所に。手や足に、弓を射ぬく。射抜かれた敵は体のバランスを崩して倒れ、それがドミノ倒しの要領で伝播していく。
「道を開けていただいてどうも。お礼にあなたのお名前を聞いておきましょう。どうせ覚えてる訳もなく、甚だ覚える気もありませんけどね」
 詰まらなそうに、呟いた。
彼が進むのは敵たる人影の群がる場所。故に彼に向き直り、手にする凶器を振り下ろそうとする彼等はしかし、そこで動きを止めた。ラムズから視点を換えたのは、今まで彼が立っていた場所。黒い影に包まれたそれの呪詛が、遠くから再び戻ってくる。

「ひゃっはっは! 余所を見て良いと誰が言ったぁ? ほら、死ぬぞ」

 影が剥がれ、飛翔した。それは影ではなく、大きな大きな鳥。黒曜鳥。
『手記』から剥がれたそれは標的を定めるかの様に上空を旋回し始める。
『手記』はぎらぎらした瞳のみを左右に揺らし、標的を見定める様にしてから瞼を閉じた。どれも同じか――とでもいう様に。

「贄は何でもよいなぁ……考えるだけ、無駄かぁぁ」

 爪先に瞬間的な力を籠め、ねじ切れんばかりの力を地面に伝えた『手記』が飛び出す。
文字通りの一足。放物線を描かず、まるで宙を浮いているかのように、地面すれすれを飛行するが如く、敵の一人との距離を縮めた。
何処からともなく取り出したそれを握り、思い切りそれを敵の頭部目掛けて振り下ろした。
 暗闇の中に映える――黄金のそれは殺意。
手にする武器で咄嗟にその攻撃を受け止めた敵と、体重をかけたままに空中で停止する『手記』。
「ほうぅ……贄は贄らしく。かぁ……十全十全。いやはや結構……ならば最後まで贄として生き、贄として逝け」
 鍔迫り合い。それを思い切り横へと滑らせ、更に振りかぶって同じく打ち付ける。

 一度、二度――三度。

「三度鳴らせば何とやら。その身帰るは故郷に非ず。その身還るは――」

 続ける『手記』の握る黄金が眩く辺りを照らし、辺り一帯に鎌首をもたげて襲い掛かる。
三度打ち鳴らすと発動する、囁きからの叫び声。 光の蛇が暗闇に走り、敵たる敵を数人穿った。手を、足を、脇腹を。
無論、叩きつけられ、黄金を受け止めた存在の両の肩も、黄金の蛇が穿っている。
「意識の外よ。 クッハッハッハ! 無様な物よなぁ、贄ぇ……! ぬしらは所詮贄であり、ぬしらは所詮贄でしかない。無様か? すまんのぅ、宣言は撤回か。あっぱれあっぱれ。クシシシシシシっ!」
 笑い声がこだまする辺り。と、その笑い声は停止した。至極詰まらなそうに、至極面倒そうに、どこまでも嬉しそうに、どこまでも愉快そうに。

「どこから沸いて出るのかのぅ……ラムズ。こやつ等やっぱり殺した方がいいかもしれんのぅ……どちらでも良いか、所詮は贄」

 表情は――消えていた。