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【神劇の旋律】旋律と戦慄と

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【神劇の旋律】旋律と戦慄と

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     ◆

 和子は店内をくまなくチェックしていた。それはもう、店を閉めるからに他ならない。
勝手口のカギを絞め、それぞれの窓を閉め、火元を確認し、ゴミを捨てて。
「なんだ。もっと練習するのかと思った」
 案外詰まらなそうに呟き、再び携帯に目を落とすボビンに対しいて、和子は「そういうわけにもいかないよ」と言う。随分と忙しそうに。
「ほら、勝手にやって良い事と、勝手にやったらダメな事ってあるでしょ? 私はお店を一瞬でも任されたんだもん。私の一存で、私がどうにも出来ない事になったらそれこそ責任取れないから。だから駄目なの」
「へぇ……そう言うもんなのかねぇ……」
 頬杖をつきながらに呟くボビンの元に、どうやら帰りの身支度も済ませたらしい和子がやってきた。
「ほら、帰ろう? お店閉めるよ」
「んー」
 体が小さい分、携帯電話と言えどもボビンにしてみれば大荷物だった。それを和子に預け、もう片方の彼女の手に乗ってから、ボビンも辺りを見回す。
「ま、またこういう感じの日があったら珈琲淹れる練習させて貰えばいいんじゃないの? って言うか数人、常連の客は良いよって言ってたし、またあいつらに頼めばいいじゃん」
「お客さんに対して“あいつら”とか言わないの! 居なくったってちゃんと敬意は忘れちゃ駄目なんだよ! 接客業は意識が命! わかった?」
「俺は店番しないもんね」
 ボビンの言葉に若干頬を膨らませる彼女は、しかしシャッターの鍵を握って店を出た。電気を消して扉を開け、扉の鍵を絞めてシャッターを下ろそうと、立てかけてあった棒に手を伸ばした、その時である――。

「すみませんが、此処の店主さんですか」

 生気の籠らない、まるで言わされているかの様な口調の男が、和子の背後から声を掛ける。
「えっ? ああ、違いますよ。違う違う。お店ね、今日はもう閉店なんです。ごめんなさい。何か御用があるなら伝言を――」
「すみませんが、此処の店主さんですか」
「え――いやだから」
「すみませんが、此処の店主さんですか」
 繰り返される言葉。
歪なまでに、一言一句、声色も速度も変わらず、繰り返される言葉。
「和子……こいつ様子が」
 彼女の肩に上っていたボビンが身構えると、突然店に向かって足を進める男。
「あ! 駄目だってば! お店閉めるの!」
 男を止めに入ろうとした和子はしかし、男に押し退けられて尻餅をついた。
「大丈夫!?」
「いったたた……もぉ! 何するのよ!」
「開けろあけろあけろアケロアケロあけろあけろあけろ」
 呪詛――。
「お、おいおい……これ結構不味い感じの奴じゃないの……?」
「怖いよ……! 怖い! でも、御店が……」
「開けろあけろあけろあけろアケロアケロアケロあけろあけろあけろ」
 呪詛――。
「お店が壊れちゃう! あんなに叩いたら窓ガラス割れちゃうよ!」
 慌てて立ち上がった和子が男の背後に回り、懸命に彼を店から引き離そうと試みる。試みはするが、彼女一人で彼を動かす事は出来ず、勢いに負けて振り払われた。再びしりもちをつく彼女と、変わらず呪詛が如く『開けろ』と呟き続ける男。
「なんだよこれ……気色悪いなぁ……」
「でも……! 怖いけど、でもね! 私がお店を任されてるんだよ! 今! お店守らなきゃだよね……!」
「和子……何を考えて――」
 言いながら、突然動き出した和子にしがみつくボビン。彼女は手にする、シャッターを下ろす棒で男の腰を、足を、ひたすらに叩き続ける。
「離れてください! 人呼びますよ!」
 普通ならばそれが先に来る。『人を呼ぶ』と言う選択肢が先に立つ。が、この状況ではそれは意味をなさない事を和子自身が知っていた。これは、よくいる変質者の類ではない。
もっと不気味で、もっと歪な物だと、彼女は知っていた。根拠も理由もないが、それでも彼女が直感でそれを理解するのには、充分過ぎる場面であった。だからこそ叩く。武力行使以外に恐らく、道はないのだと。『人を呼びますよ』と言う言葉、おまけ程度の意味しかなさない。だから彼女は思い切り叩いた。
背中を、腰を、足を、腕を――。決して致命打にならない様に細心の注意を払いながら。
「ちょ、ちょっと和子――」
 肩に乗るボビンがその様子を見て慌てる程に、彼女は一心不乱に男を叩く。叩く叩く。
「もういや! 何でこんな事になってるの! もう本当にいや!」

 和子は泣いている。
恐怖でもなく、苛立ちでもなく、何故自分が泣いているのかさえわからない程に泣きじゃくりながら、ひたすら店の窓を、扉を、辺り構わず叩く男を叩き続けた。
金属で出来た棒で叩いていると言う事は、生身の人間をそれで叩き続ければ、幾ら彼女の様な華奢な女の子でも、人ひとりを行動不能にするだけの打撃になる。自然、男の膝が地面に砕ける。厳密には、膝よりもやや上。
 関節の無い部分だ。
男は尚もドアを叩こうと動くが、どうやら肉体の限界がやってきたらしい。ゆっくりと体がバランスを崩して地面に潰れていくに従い、彼の叩く箇所も沈み、そして最後には、ひたすら地面を叩き続けて動きを止めた。
 肩で息をしながら、何とか男の動きが止まった事を理解した和子が、安堵の息を漏らして地面に座り込む。
「和子……」
「うぅぅぅ……何よ………もう……何だっていうのよ……ふぇぇ……」
 泣きじゃくる彼女の頭を、ボビンはただただ撫でるしかない。