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【猫の日】『キトゥン・ベル』の奇妙な開店日

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【猫の日】『キトゥン・ベル』の奇妙な開店日
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第1章 猫たちは探り始める

 いよいよ猫カフェ『キトゥン・ベル』が開店する、その直前の猫ルーム。

「にゃあにゃあ」
「みゃあ」
「にぃやああああ」

 やたら元気な猫たちの鳴き声が満ち満ちている。
 ――ように一見思えるが。
 実は、何が何やら解らぬ間に猫の姿になっていた契約者たちのそれぞれに上げる不満、不安、困惑の声なのである。


『どうすればいいのかしらね、この状況……』
 猫の姿で、リネン・エルフト(りねん・えるふと)は溜息をついた。
 どうやらスキルも使えないようだし、装備していたものも周囲にはない。猫になった過程も捕縛されてここに来た経緯もよく分からないし、「パートナーが見抜けば元に戻れる」と言うが、
(近くにいるパートナーは……頼りにならないし)
『このままじゃ、天空騎士改めリネン・ザ・キャットになっちゃう』
『天空騎士かぁ、カッコいいね。僕はもともと“リネン・ザ・キャット”だけど』
 のんびりしたその声に、リネンが見ると、ショックでうろうろ動き回る猫(の姿の人間)たちの中で1匹だけ、落ち着き払ってクッションの上で丸くなっている茶色の猫の目と合う。
 先程から、突然のこの事態に戸惑う契約者たちに、朴訥にではあるが何かと助言をくれるこの猫。
『あなたもリネンって言うの? ……不思議ね。私もリネンよ。タシガンの『天空騎士』のほう」
 奇しくも同じ名前。奇妙な縁を感じるリネン(天空騎士)である。
『こんにちは、天空騎士のリネン。僕は何の肩書も二つ名もない、ただのリネン。
 この名前は、そうだな……“姉貴分”みたいな子と対(つい)で付けられたもの、かな』
 リネン(茶猫)はちょっと首を傾げて、左の耳の下を後脚の先でくしくしっと掻く。いかにも呑気な風情だ。
 そこに東條 梓乃(とうじょう・しの)がやってきた。彼も最初は事態が飲み込めず、自分の手の先のピンクの肉球を見つめて呆然としていたが、いつまでも現実を見失ってぼんやりしているわけにもいかない。他の猫たちとはどこか雰囲気が違う、そして何か知っていそうな茶猫リネンに近寄ってきたのだ。
『ねぇ、ここはどこ? あなたは何か知っているの?』
 梓乃の言葉に、リネンはゆっくりとした口調で答える。……このテンポが、彼のデフォルトらしい。
『ここは猫カフェ「キトゥン・ベル」さ。その中の猫ルームってとこだね。もうじき店が開いて、お客さんが来るよ。
 ……でも、ちょっと開店まで手間取るかもね。スタッフの仕事効率が悪そうだし。
 お客さんは僕らを触ったりちょっかい出したりするから、構われたくなかったらベッドボックスに入るとか、タワーに上るとかした方がいいよ』
 リネンの言葉は、ごく一般的な猫カフェの説明だが、もちろん2人が訊きたいのはそれ以上のことだ。
『どうしてこんなことになったのか、一体誰の仕業なのか……そういうことも、知ってたり…しませんか?』
 梓乃の問いに、猫のリネンは、ん〜〜……と呟きながら、またしても後足で耳の後ろをくしくし掻いてから、こう答えた。

『それを答えてもいいけど、答えたら呪詛は解けなくなるよ。
 そういう種類の呪詛なんだ。……ごく古い方式で紡がれる術式でね』

 すぐには返事できない2人を前に、猫は落ち着き払って続ける。

『今、この店内には、一種の結界が成立しているんだよ。
 人を締め出したり閉じ込めたりするための結界じゃあ、なくてね。
 店の中を外とは隔絶して、外にはないある種の「約束事」によって成立する世界にしているんだ。
 人に感じられる隔壁ではないし、お客さんには何の影響も与えないけどね。
 
 その約束事ってのは、“秘密”と“その開示”の厳密な規則によって複雑に編み上げられているんだ。
 そして僕は、この約束事の外側にいる。
 君たちに僕がその全容を話すことは、約束事によって構築された呪詛世界に不正な接触をすることになる。
 それは、紐の結び目を解くために間違った端っこを引っ張るのと同じでね。
 結び目は最初よりも固く締まって、解けなくなってしまう。
 だから僕ができるのは助言だけ。

 本当なら、呪詛を仕掛けた本人が、この呪詛世界をほどくまで待つしかないところだったんだけどね。
 アクシデントで契約者をまきこんじゃったから、どうなるのかなぁ……』


『リネン、あなたは、猫に変えられたにしては馴染み過ぎている。一体何者……?』
 同じ名前のリネンの問いに、猫のリネンはちょっと首を傾けて前脚で顔を洗うと、
『僕? 僕は、猫だよ。……少なくとも、それ以外だったことはない』
『人間から変えられたわけじゃないの!?』
 梓乃が驚く。てっきり、部屋の隅で暗い様子で一塊になっている「非契約者の猫」たちと同じような立場だと思ったのだが。
『言っただろう? 僕は約束事の外にいる。「例外」ってやつさ」』
 マイペースな口調でそう言うと、猫のリネンは思い出したように付け足した。
『あぁそうそう、契約者のみんなをこのルームに引き入れた理由はね。
 みんなを猫に変えたこの呪詛が、この結界の中でだけ、正常に作用するからなんだよ。
 勘違いしないでね。正常に作用するっていうのは、猫に変えて苦しめ続けるって意味じゃないんだ。
 この中でだったら“秘密とその開示”、つまりパートナーの看破によって猫の姿から解放されるっていう「法則」がきちんと作動するってこと。
 店の外に出れば、君たちは猫の姿のまま自由にどこにでも行ける。
 けど、万が一それで他の種類の魔力の磁場に触れたりしたら、呪詛がこじれて、パートナーとの絆を持ってしても解呪し難くなる場合が考えられるからね』
 例外として、これくらいは教えても構わないだろう、と呟くと、リネン(猫)は再び顔を洗い始めた。

 大してこの事態を好転させるような情報はなかったが、リネン(天空騎士)と梓乃には、何となくわかったこともあった。
 このリネンという猫は、教えてくれることは限られているようだが、決して契約者たちの敵ではないということ。
 そして――事実はどうだか分からないが、彼の知るこの呪詛を施した「張本人」にも契約者に対する敵意はない、と、少なくともこのリネンは信じている、ということだ。


 開店の少し前。
「よろしくお願いしま〜す」
 店に雇われた臨時アルバイトの面々が店内に入っていた。
「わー、猫さんいっぱいなのー」
 及川 翠(おいかわ・みどり)は好奇心に目を輝かせて、猫ルームに入っていく。
 パートナーたちはこの店の臨時アルバイトに入ったが、さすがに彼女の年では働けそうにないので、客としてカフェで遊ぶことになっていた。
 この部屋の中にいる猫たち何が起こっているか、彼女には知るすべはない。
「みんな可愛いのー」
 何か訴えかけるようににゃあにゃあとやけに鳴きながら寄ってくる猫の姿にも、「遊んでほしいのかな?」と、無邪気に思うばかりだ。
「ねえお姉ちゃん、あそこに猫さんたちが集まってるのー。もしかしてあれって、『猫の集会』っていうのなのかなぁ?」
 ルームの隅、遊具の影に、五、六匹の猫が集まって顔を突き合わせるように円陣を作っている。
 お姉ちゃんと呼ばれたミリア・アンドレッティ(みりあ・あんどれってぃ)は、開店に備えて猫ルームと客が飲食するホールとを隔てるガラス壁を拭いていたが、翠の声に首を傾げた。『キトゥン・ベル』のスタッフ募集を知って「猫さん達、待っててね……!」と即座に応募を決めたミリアは、ガラス越しに見るもっふりした猫たちの姿に目を細めていたのだが。
「え? 集会?」

『だが、あんたら契約者はそれで人間に戻れるとしても、俺たちは……』
『分かってる。この変な呪術を施した“元凶”に何とかして、術を解いてもらわなきゃならないんでしょ? それも協力するから…』
『呪術を使ったのは、猫の誰かだが、誰なのか分からんのだ俺らには』
『……分かったとしても、下手に口にしたら呪術が解けなくなるかもしれん。口にするのが怖いんだ……』
『それは契約者に当てはまるケースじゃないの? パートナーじゃなくて他の人から教えられたら、呪いが解けなくなるって……』
『一生猫で過ごすのは嫌だ……』


(呪いですって……!?)
 部屋の隅の猫たちの会話を、特技の【言語(動物)】で聞いたミリアは、一瞬言葉に詰まって黙り込んだ。
 どうやら、何かおかしなことが起こっているらしい。
(でも、他人から教えられたりしたら、元に戻れない……って)
 詳細までは、その会話からは分からなかった。だが、横から何か無責任に言葉を発してはいけないような雰囲気だけは伝わった。
 思えば、店に入った時から何かおかしかった。店員たちの不可解なまでに不慣れな様子と、ちぐはぐな動き。オーナーのシルクという人は一回だけ出てきたが、妙に身のこなしが人間離れしたしなやかさだった。
(この店には何かあるのかもしれない。でも)
「あ、あの、ミリアさん、どうか……したの?」
 その声に我に返ると、アンナ・プレンティス(あんな・ぷれんてぃす)が不思議そうに横から見ている。猫用玩具の入った箱を持って、ルームに入るところだったらしい。一緒に来ている椿 更紗(つばき・さらさ)は厨房に、ミリアはホールに配属されたが、アンナは雑用係のような感じで、さっきからあっちこっちへいってものを片付けたり掃除したりしている。更紗に勝手に一緒にアルバイト応募させられ、若干不安そうな感じで店に来たものの、雑務とはいっても仕事を頼まれれば結構てきぱき動けているようだ。
(自分が迂闊なことを言っちゃダメなんだわ、きっと)
 そう思ったミリアは咄嗟に、
「ううん、何でもないわ」
 猫たちの様子が気にはなったが、そう答えていた。
 余計なことをしたら解呪に関わるというのだから、聞かなかったことにしようと考えた。
(……でも、もしも私に何かできることがあったら、その時は……)

 気が付くと翠は『猫の集会(?)』から興味が逸れた様子で、別の黒い猫を構って遊んでいる。アンナは持ってきた猫じゃらしなどを、客が手に取れるようルーム内の所定の位置に並べている。そのアンナから一つ受け取って、翠は黒猫をじゃらし始めた。
 その様子を一度見つめて、それからミリアはホールの仕事に戻るべく、猫ルームを出ていった。
「あれ、猫さん、おめめ悪いの? 大丈夫?」


(やれやれ……)
 目の前で振られる猫じゃらしに手を伸ばしながら、東條 葵(とうじょう・あおい)はふうっと息をつく。
 壊した義眼を交換してもらいに行く途中で、何やらよく分からない呪術に巻き込まれてしまった彼は、現在『隻眼の黒猫』となっている。
 ただ、そんなにこの状況に焦ってはいない。四足の獣になってはいるが、身体的に大して不自由は感じていない。
(どうやらこれから客も増えてくるようだな)


 だんだんと客がやってきて、猫ルームは猫大好きな人間たちの「きゃー♪」やら「かわいー♪」やらの高いトーンの嬉しげな悲鳴に満たされていく。
 そんな中で。

(人に触られるのは嫌だな。……高いところにいよう)
 三毛猫に姿を変えた林田 樹(はやしだ・いつき)は、早々に距離を取ることを決め込み、タワー型遊具の一番上にそそくさと昇った。さすがは猫の身体能力、細い足場にもバランスを崩すことなく、軽々と頂上に到達する。丸くなって、樹は目を閉じた。
 何でこんなことになったのだろう、とは思うが、考えても仕方がない、とも思う。
(パートナーが見破れば、か……)
 頭の中を、パートナーたちの顔がよぎる。――彼らの喧嘩に嫌気がさし、空京まで脱走したところで、こんな目に遭ったのである。
(どうなるんだろうな、これから……)


 長い尻尾を揺らし、やはり猫となった中願寺 綾瀬(ちゅうがんじ・あやせ)は、落ち着き払って辺りを見回している。
(起こってしまったことは仕方がありませんわ。慌てたところでどうなるものでもございませんもの)
 長い乳白色の毛が、ゆったりしたその所作に不思議としっくり似合っている。しなやかに歩いて、ガラス壁の所まで来る。ミリアがしっかり拭いた後で、綺麗になったガラスの向こうはくっきりと見渡せる。
(……なるほど、そういうことですのね)
 室内では、周りに同じような、人から姿を変えた猫。そして、ガラスの向こうにみえる――店員たち。
 綾瀬は常に、周囲を見つめ、自分の外に在るものを傍観する者であった。
 猫となった今も、それは変わらない。
(まぁ、楽しく傍観させて頂きますわ)
 猫の口でも笑みが浮かぶものなのかどうかは分からないが、己の心持ちではほんのり微笑したつもりで、綾瀬は迷うことなく、常のスタンスを維持することを選んでいた。