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リアクション
〜第二部〜
『不思議な世界に迷い込み、途方にくれていたヴィちゃん達。しかし、食事会で知り合ったあゆむという少女から、元の世界に戻る方法を教えてもらうことができた。』
第二部に進行するにあたり、劇の舞台は正面広場から街の反対側に位置する飛空艇停泊場へと移動する。
そこには、この日のために特設ライブ会場が用意さえ、第一部が終わったお昼頃から既に客席は今日だけの特別ステージを楽しみにした観客で埋め尽くされていた。
いまかいまかと興奮に包まれる会場に、前置きとばかりにナレーターの声が響く。
『ヴィちゃん達が目指すのはハートの女王が住むお城。しかし、途中魔法で声を封じられた人魚姫を助けるため、ヴィちゃんは美しい人魚達による華麗な歌合戦に参加することになってしまいます――』
スピーカーの声が静まった次の瞬間、ステージに白煙が立ちこめ、火花が飛び散り、飛空艇が派手に空砲を鳴らした。
会場が拍手に包まれ、ステージの両脇に設置された巨大なスピーカーから流れ出したノリのいいメロディーが会場を震わせ、観客のテンションをあげていく。
歌合戦はミッツ・レアナンドの小賢しい妨害で、順番が入れ替えられたり、ライトや火薬の演出の不都合が起きたりなどしていたが、概ね順調に進んでいった。
「もうすぐ私達の出番だね……」
自分達の順番を目の前に、舞台袖では遠野 歌菜(とおの・かな)が高鳴る鼓動を抑えつけようとリボンの飾られた胸元に手を当てる。今日の衣装は、曲に合わせて明るい可愛らしいものだ。
「ねぇ、ポミエラちゃんいるかな?」
「どうだろうな。会場にいなくてもテレビで見れるだろうし」
「なんか、つれないね」
振り返ると、月崎 羽純(つきざき・はすみ)が自分のギターを入念にチェックしていた。
まるで戦い(いくさ)を前にした戦士のような眼差しをした羽純。それは様子はどこか――
「羽純くん怖すぎ!」
パシッと歌菜が羽純の頭頂部を叩く。意表をつかれた羽純は目を丸くしていた。
「これからステージに上がるんだから、スマイルスマイル♪」
「……悪い。気を張りすぎていたか」
羽純の表情が少し柔らかくなったのをみて、歌菜は安心した。
スタッフから声がかかり、出番が回ってきた。
「それじゃ、行こう!」
「ああ!」
合図を受けて、一つ前の歌手と入れ替わるように二人は白煙の立ちこめる舞台に上がる。客席から向けられるノンストップで上昇し続けた熱気と興奮に負けぬよう、歌菜は深呼吸して唄い出す。
音が消え静まりかえった会場に、語りかけるような優しい声が響く。
「分からなくていいよ
そんなに簡単なことじゃない……」
白煙の間から現れた歌菜にスポットがあてられ、視線が集中する。
背後に控えた羽純は、ギターを構えながら小さな声でタイミングを数える。
「5……4……3……2……1!」
瞬間、羽純の腕が激しく動きだしギターから激しい音楽が奏でられた。客席から一斉にあふれ出た歓声が会場全体を震わせる。
歌菜はマイクを握り締め、アップテンポに曲を唄い出す。
「落ち込んでもいい 泣いてもいい
無理して強がってもいい
カラ元気が
『本当の元気』
に変わることもあるから」
思わず踊りだしたくなるようなその曲は、自分や周りのことに悩む誰かさんに向けた歌。
直接励ますことが難しくても、歌に乗せてなら伝わる想いもあるから。
「 飾らないで
ありのままの貴方で居て
貴方の事が好きなこの気持ちは
――変わり様がないから 」
だから、『届け』と力強く気持ちを込めて歌い続けた。
唄い終わり、次の曲に向けて舞台袖に一端ひく歌菜。
「あとはよろしくね♪」
「は、はいっ」
歌菜は受け取ったタオルで汗を拭きとりながら、アルミナ・シンフォーニル(あるみな・しんふぉーにる)とハイタッチを交わす。
出番を前にして、アルミナの緊張は最高潮に達していた。
自分が言い出して参加してみたが、直前になって逃げだしたくなってくる。
「せっちゃん……」
せめて、辿楼院 刹那(てんろういん・せつな)が傍にいてくれればと、起こりえない願いを口にしてしまう。
なぜなら、刹那は第3部に向けて準備を行っているのだから。
名前を呼ばれ、アルミナは覚束ない足取りでステージに上がっていく。
「大丈夫、深呼吸……深呼吸」
刹那に教えられたとおりに気持ちを落ち着かせようとして――
「――ぁぅ」
アルミナは言葉を失った。
ステージから見える会場を埋め着く人の数。入りきらなかった観客が入り口から通りまで続いている。四方に設置された複数のカメラが町全体にアルミナの姿を映し出していた。
目の前が真っ白になるようだった。
何百……何千の人が見ている。果たして彼らにはどう映っているだろうか。
足が震え、この場に立ったことを後悔して、今にも鳴きだしそうになっているアルミナの姿を……。
「――――」
アルミナはそれでも必死に歌おうした。けれど、歌は喉が枯れたように出てこない。
――もう駄目。
瞳が潤み、溜まった涙が頬を伝いかけた。その時、顔を照らすライトの光がチラチラと点滅した。
「……え?」
顔を上げてみると、会場横のライトの所に刹那の姿があった。足元にはのびているミッツの姿。おそらくなんらかの工作途中で刹那に懲らしめられたのだろう。
でも、それはおかしいことだ。だって、刹那はここにいてはいけないはずだから。
刹那はライトを操作して、短い点滅を二回、さらに長いのを一回、もう一度短いのを……
「モールス信号?」
今時使う人も珍しいその暗号を、アルミナは急いで頭を働かして理解する。内容は「FIGHT」。この場合、喧嘩ではなく、アルミナに送られた声援の言葉だ。
刹那は伝え終ると、手を振って会場の出口に向かっていく。
ただ、それだけの言葉を伝えるために、刹那は劇の準備を抜け出して応援にきてくれたのだ。
「……ありがとう、せっちゃん」
効果は絶大だった。塗りつぶされたように真っ白だった目の前が、今はしっかりと彩られている。後悔を含んでいた涙が、今は嬉しさに変わり流れ落ちそうになっていた。
アルミナは袖で目元を拭うと、キッと客席を見つめる。
「ボク、歌うよ!」
迷いも不安も打ち消すようにアルミナは歌う。
打ち寄せては引いていく波のようにしっとりと。
皆の心(おもい)に響く友情の唄を……。
コンサートも終盤。一端控えに入った歌菜に再び出番が回ってくる。
煌びやかなドレスに衣装チェンジし、最後を締めるに甘く切ない歌を会場に響かせる。
「さよならは言わない
代わりに 「またね」 の約束と笑顔の花束……」
抱きしめる花束は『再会』への誓い。
奏でる歌声は『忘れないで』という想い。
「いつでも
いつまでも
泡になっても消えない
同じ空の下 空の精霊が繋ぐ
繋いだ縁と絆は
きっと離れないから」
会場からすすり泣く声が聞える。劇の終幕を悲しむ声なのか、それとも誰かを思って流した涙なのか。それは当人にしかわからない。
そんな誰もが歌菜の唄に聞き入る中、空気を読まない人が一名。
「よっし、最後のチャンスだ! 今のうちにこのパイをぶつけにいくぞ!」
人魚姫側に対して、周到に妨害を続けてきた全身黒タイツ姿のミッツである。
ミッツは聞き入っていた仲間のお邪魔虫隊に喝を入れ、パイを片手に舞台の方へと向かう。
もちろん狙うのは、その歌声で観客を魅了するステージ上の歌姫、遠野歌菜である。
しかし、そう易々と事は運ばない。
「まったく懲りない人達だ……」
ステージから降り立った羽純が、舞台袖に隠してあった聖槍ジャガーナートを手に立ち塞がる。
羽純が一振りすると穂先から凄まじい衝撃波が発生し、ミッツ達お邪魔虫隊が投げつけたパイが持ち主の所へ舞い戻っていった。
「くっそぉぉぉぉ!!」
顔面にパイを食らったミッツは地面に座り込みながら叫ぶ。
結局のところ、ミッツの妨害はことごとく失敗に終わった。
このままで終わってもいいのだが、なんとなく悔しいものがある。
「隊長この後はどうします!?」
お邪魔虫の一人が声をかけてくる。
まだ歌は終わってない。残弾(パイ)もあった。
ミッツは低い笑い声をもらすと、床についた手に力を入れ――見上げたその先で、歌菜と目があった。
歌菜は優しく微笑むと、そっと手を伸ばした。
瞬間、ミッツは歌詞の一部を思い出す。
『さよならは言わない
代わりに 「またね」 の約束と笑顔の花束……』
それが近いうちに旅立つ決意をした自分へのものだったかはわからなかった。けれど、その言葉にミッツはこれ以上邪魔をする気を失くしてしまった。
この歌に耳を傾けていたいと思ったから。
物語は、人魚側の歌が凍りついた海の魔女の心さえも溶かし、海の底に平和が戻ってきた。という形に終幕を迎えた。
観客席からスタンドオベーションが巻き起こる。口笛を吹く音やアンコールを叫ぶ声もあった。劇が終わっても熱気と興奮がなかなか冷めやらない人々。しかし、彼らはこの劇の最後がミッツの予定していた脚本の結末とは異なっていたことを、知るよしもないのである。