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月の蜜の眠る森

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序章 イルムの森

 イルムの森は音色のような静けさに包まれた場所だった。
 ときおり、子どもたちのはしゃぐ声や、鳥のさえずりが聞こえる以外は、きわめてゆったりとした時間が流れている。
 村の外れにある「学びの家」をおとずれ、そこに残されている村の歴史や、イルムの森の歴史を載せた本を調べながら、ローザマリア・クライツァール(ろーざまりあ・くらいつぁーる)はその静けさに身を委ねるような気分だった。
「ふああぁぁあ……」
 思わず、あくびをかみしめる。
「ローザ? いくら暖かいからって、寝たらダメよ」
 隣で他の本に目を通していたシルヴィア・セレーネ・マキャヴェリ(しるう゛ぃあせれーね・まきゃう゛ぇり)が、咎めるように言った。
「わかってるわよ。ただ、どうにもこう、良い天気だとつい、ね」
 自分でも単純だとわかっていながら、ローザマリアは、こてんっと床に転がった。
 シルヴィアは呆れたようにそれを見る。だけど、あまり強く言えないという事実もあった。なぜなら彼女も、暖かい陽気と森の深緑が生み出す心地よい空気、それに静かな音色みたいな梢のささやきに、すこしずつ眠くなってきたからだった。
「ローザの気持ちも、わからなくないけどね……」
 シルヴィアも、言いながらあくびをかみしめる。
「こんな森の奥地に、死滅しちゃった森があるなんて、信じられないわ」
 ローザマリアはあらためて驚いたように言った。
禁じられた森……ね。いったい、どんなところだったのかな?」
「元々は緑豊かな森だったらしいわ。今ではイルムの森と禁じられた森とで分けられてるけど、昔は一つの森だったみたいだし」
「イルムの森は小さくなっちゃったってわけね」
 シルヴィアは残念そうに言った。
 鯱の獣人のシルヴィアは、もしも自分の大好きな海が汚されて、住める場所が少なくなったらと考えていた。それはとても恐ろしい考えに思えた。そして同時に、イルムの森に住んでいる、花妖精や獣人や精霊といった、村人たちの気持ちが痛いほどよくわかった。
「研究所は、機晶石に秘められている謎のエネルギーを研究していた施設、らしいわ」
「謎のエネルギー?」
「そもそも機晶石には謎が多いの。その技術体系は長い歴史で確立されてきたけど、結局のところ、機晶石の正体が明らかになったのかっていうと、そうでもないし。ヒラニプラでは、まだその機晶石そのものの研究が盛んにおこなわれているわ」
「ううぅん……」
 専門的な話になると、どうも頭が痛くなる。シルヴィアは顔をしかめていた。
「で、その問題の禁じられた森にある施設だけど……。どうも、機晶石のエネルギーを人工的に引き出そうとしてたみたいね。機晶石のエネルギーには色々な効果があるから。植物の成長を促進させたりにも、運用できるんじゃないかって考えてたみたい」
「それで森が死滅したんじゃ、最悪の結果ね」
 シルヴィアはまるで自分のことのように、怒りを込めた声で言った。
 同じように憤りは感じているが、それでもまだ冷静を保つことを自分に言い聞かせているローザマリアは、肩をすくめた。
「まあ、研究者を悪く言うつもりはないけど、そういう人もいるってことよ。やろうとしたはいいけど、自分たちの手には負えなくなって、そのまま放置したってことね。そのせいで、かつては禁じられた森に住んでいた森の住民たちは、このイルムの森へと避難してきた。それがイルムの森のはじまりみたい」
 ローザマリアは開いていた本の内容をすべて読み終えると、パタンとそれを閉じた。
 そのとき、学びの家の入り口に、村の子どもたちがいるのに気づいた。花妖精や獣人の子どもらしく、頭には小さなつぼみや、犬と狼を思わせる獣耳がちょこんとついていた。四人ぐらいの子どもたちは、どうやらローザマリアたちが珍しいらしく、入り口でこそこそと二人を見ていたが、ローザマリアがそちらに気づいて手を振ると、はっとした顔になってどこかにぴゅーっと去っていってしまった。
「……まだまだ、仲良くはできないかな」
 苦笑しながら、ローザマリアが言う。シルヴィアは首を振った。
「そんなことない。きっと、森が良くなって、人間にも悪い人ばかりじゃないって気づいてくれたら、きっと……。きっと、仲良くできるよ」
 それは、鯱の獣人であるシルヴィアが、ローザマリアと一緒にいる理由の一つなのだろうか。
 ローザマリア本人にはわからなかったが、きっとシルヴィアの言う通りだと、彼女は思った。そのためには、なんとしても施設跡の遺跡にある、暴走した装置というのを止めてもらいたい。
(みんな、大丈夫かしら?)
 禁じられた森に向かった仲間たちのことを思って、ローザマリアは窓の外を見つめた。