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●ジャネット・ソノダ

 ジャネット・ソノダを紹介されて、祥子・リーブラ(さちこ・りーぶら)は意外という感想を持った。ただただ、驚いたというのが正しい。
 彼女の初対面の印象は、それほどに祥子の予想からかけ離れていたのだ。
 漆塗りの黒い馬車が停まりドアが開くと光が溢れた――そう感じた。
 ラズィーヤ・ヴァイシャリー(らずぃーや・う゛ぁいしゃりー)の案内で、一人の女性が降りてきた。
 まず目を引くのがブルネットの髪だ。つや消しの濃い色はよく育った栗のようで、その焦げ茶がすうっとなめらかに、絹の滝のごとく流れ落ちている。肌が乳よりも白いのと好対照だった。端整な切れ長の瞳にはどこか愁いがこもり、黒く長い睫毛が、そこに細緻な影を投げかけていた。女性にすれば身長の高いほうで均整の取れた体つき、けれど肉付きは華奢で、どこか少女を思わせた。ソノダ(曽野田)の姓は結婚にともなう変更であり、本姓はオドネルというスウェーデン系であるにもかかわらず、日本の美人画を連想させるところを多分に有している。
「ジャネット・ソノダです。よろしくお願い致します」
 玲瓏でよく通るその声は、仮に姿が見えなくても、聞く者に彼女を美人と確信させ、心をかき乱すに十分なものだった。ましてや、姿を直視しては。
 祥子は事前に、ソノダが出ている映像を観た。写真も知っている。それは、美人だな、と思わせるだけのものはあった。けれど違うのだ。実物は、全然違う。こんなに美しい人がいていいものだろうか。
 しかもどうしたものか、過激な発言で知られ闘士としても名高い彼女が……優しそうに見えて仕方がない。
 呑まれてたまるか――そう決意して出てきた今朝の祥子である。相手が偏見の塊のような顔して、高圧的な態度で顎をしゃくるような挨拶をしてきたとしたら、絶対に気合い負けすまいと思っていた。
 ところがまるで正反対だった。ソノダは極上の羽布団のようなやわらかな態度で、微笑を浮かべ手を差し出したのだ。
 その細い手を握って、
「あ……ゆ、百合園女学院で教育実習生を勤めております。祥子・リーブラです。今回の会談の間の護衛を務めさせて頂きます」
「よろしくお願いしますね」
 若い……いや、若く見える。彼女の外見はせいぜい三十代前半といったところ、二十代後半といっても通じるのではないか。ソノダは普通の人間、それで五十代だというのだから大したものだ。
 だがよく見れば、ソノダの目尻には年齢を感じさせるものがあった。握った手の質感も、女の子というよりは母親のそれのようでもある。
 けれど祥子はむしろそれを好意的に受け止めた。
 だってそうだろう。ボトックス注射なりリフトアップ整形なり、現代には若さにしがみつく方法がいくらでもあるというのに、近くで見るソノダからうかがえるのはせいぜい薄化粧くらいなのだから。ごく自然で、こんなにも美しい。
 あんな齢の取り方をしたいな――ふとそんなことを祥子は思った。
「お連れの方も紹介していただいてよろしいですか?」
ヴェロニカ・バルトリ(べろにか・ばるとり)だ。しばらく不自由させるかもしれんが、指示には従ってもらう」
 ヴェロニカは青水晶色の甲冑姿で進み出た。視線が険しい。
 一瞬、ヴェロニカは祥子に鋭い眼光を投げかけたが、むっつりと口を閉じて特にそれ以上は何も言わない。
 見とれている場合ではないぞ――と祥子を叱っているかのようだった。
「お母さん、僕も?」
 にょろにょろと出てきたのは宇都宮 義弘(うつのみや・よしひろ)、白蛇型の形態で祥子の足元にまとわりついた。
「お母さん? あなたは……?」
「あ、いえ、卵から孵して育てた縁でそう呼ばれているだけで……本当の子どもじゃあないんですけど……まあ、いわば養子というかー」
「それにしても、うらやましいことです。母と呼ばれるのは」
 人によっては気味悪がるであろうに、ソノダはしゃがみこんで臆することなく義弘の蒼い目を見つめた。
「お名前は?」
「うん、僕、宇都宮義弘」
 よろしくね、と言うだけ言って、なにやら照れ気味に義弘はくねっと祥子の背に隠れたのである。
「可愛い坊やですこと」
 素直にソノダは微笑んだ。

 ロイヤルホテル前のエレベーターに、南條 託(なんじょう・たく)が待っていた。
 腕組みして背を壁に付けていたが、一行の姿を確認してまっすぐに立つ。
 託はソノダを見ても感情を表に出さなかった。ただ、ふうん、という顔をしただけだった。
 ――どうやら思っていたのとは違うようだ。
 もっとガツガツしてキーキーしているタイプを想像していたのだが。
 託は簡単に自己紹介して、自分もボディーガードを務めると伝えた。
「なにもないのが一番だけれどねぇ」
 軽く赤毛の頭をかく。
 そう、平穏無事で終わればいい。……今回ばかりはそうもいきそうもないが。
 ソノダという人に圧倒的なカリスマ性があるのは彼も認める。それが好ましい方向に働くか、逆になるかはまだわからない。そのあたりはラズィーヤたちの腕の見せ所だろう。
 特別警戒中なのでエレベーター内にホテルの従業員はいない。託は自分でエレベータのスイッチを押した。
 それにしても――。
 託は思った。
 ブラッディ・ディバインだかなんだか知らないが、ご苦労なものだ。
 連中にしたところで、元は(善悪はともかくとして)理想があったはずだし、イデオロギーに基づいていたからこそ狂信的なふるまいに出ることもできたのだろう。
 ところがそれが壊滅状態となり、今ではどこかの誰かの依頼を受けテロ活動を請け負うだけの存在へと堕している……。
 そんな人生、楽しいんだろうか。
 少なくとも自分には、楽しめそうもない。

 エレベーターを降りると、控え室につづく通路がある。
 ここも堅く守られている。いたるところに教導団の制服が目立ち、彼ら以外にも契約者の姿が見られた。
 今日はソノダのみならず、複数の重要人物が出席する会合が行われるのだ。これでもまだものものしいとはいえまい。
 グラキエス・エンドロア(ぐらきえす・えんどろあ)も警護を担う一人だ。
 先頭をゆく託、続く祥子とラズィーヤ、ソノダたちを見送って、ふと呟く。
「男一人に女複数の契約者は珍しくない。気にしたことはなかったが、地球で問題視されていたとはな」
 彼の隣に立つウルディカ・ウォークライ(うるでぃか・うぉーくらい)はなにも言わない。
 グラキエスにとって、ソノダの主張はどうしても理解できないところがあった。単に文化の差とか、世界観の違いという概念で伝わらないものだろうか。
「せっかくこれまで世界規模の危機を乗り越えたんだ。こういう問題で地球と物別れしたくない。氏には契約者たちにいい印象を持ってもらいたいものだが……」
「……エンドロア、心象がどうのと余計なことは考えるな」
 仕方なく、といった口調でウルディカが言葉を挟んだ。
「しかし」
「俺たちは警備だ、会合で発言するわけではない。自分の仕事に集中しろ。無益な思考は行動を鈍らせる。……キープセイクの言葉を忘れたか」
 そうだった。
 グラキエスは正面に向き直った。
 背筋も、若干伸びた気がする。
 ロア・キープセイク(ろあ・きーぷせいく)はこの場にはおらず、現在はホテルに設置されたば監視カメラを統括できる場所にいる。そうしてずっと監視を続けているだろう。
 ロアは言ったものだ。
「エンド、私は当日側にいられません。無理をしないように」
 そうして一拍置くと、しみじみ付け加えた。
「ウォークライの言うこと、ちゃんと聞くんですよ?」
 と。
 うまく言い表せないが、グラキエスは恥ずかしいような気持ちになっている。
「悪かった。集中する」
「それでいい。下手な怪我などしてみろ、しばらく外に出さんぞ」
 ―――外に出さん、か。
 ウルディカの言葉は淡々としたものだが、自分への気づかいが感じられた。心の中で感謝しておきたい。
 今日はまだ涼しいほうだ。しかもここは屋内、冷房が効いている。
 けれどもうそう遠くない。真夏がやってくるまでには。
 ……グラキエスにとって『天敵』の季節がめぐってくるまでには。

 通路の途上で、
「ジャネットさん!」
 ティー・ティー(てぃー・てぃー)がソノダの隣に並んだ。
「ティーさん。昨日以来ですね」
 彼女を受け止めるようにソノダは両手を広げた。彼女は源 鉄心(みなもと・てっしん)に気づくと、
「昨日はお世話になりました」
「いえ、こちらこそ」
 鉄心は会釈を返した。
「ふぁ」
 アクビが出そうになったが、イコナ・ユア・クックブック(いこな・ゆあくっくぶっく)はこれを懸命に噛み殺している。それをスープ・ストーン(すーぷ・すとーん)が「困ったでござる……」とでも言いたげな目で(実際に口に出すことはしないが)見ていた。
 昨日、鉄心らはお忍びでジャネット・ソノダのパラミタ見学を手伝ったのである。
 彼女言うところのまさしく「『契約者(コントラクター)とパートナー』という形態は一人の男性契約者が複数の女性パートナーを従えるケースが多く……」の典型のような鉄心ゆえ、昨日は自分はあまり表に出ず、ティーを中心とするパートナーたちに世話役を任せていた。
 それがよかったのかもしれない。
「うさ……じゃなかった。リラックスしてすごしてもらえるようがんばりたいです」
 というティーの意気込みは、少なくとも昨日においてはほぼ成功したといえよう。あくまでお忍びゆえ表だった行動はなかったが、それゆえソノダと親しく話すことができた。
 イデオロギーに触れるような話題は避けた。それでも話したいこと、話すべきことはいくらでも見つかった。
 とくにティーは積極的に話しかけたので、いつのまにかティーとソノダは、互いをファーストネームで呼び合えるほどになっていたのである。(ティーの場合ファーストネームもファミリーネームもないような気がするが、とりあえず)
 ――ジャネットさんって、優しいし親切な人です。
 一日一緒に過ごして、ティーが抱いた彼女への感想だ。
 正直、パラミタにおけるソノダへの風当たりは強い。好ましく思われていないどころか、はっきりと『嫌われている』といってもいいのではないか。けれど事前に聞いていたようなラディカルな発言は、ソノダとじかに接した限りでは見られなかった。
 ――仮に、会合ではそのような厳しい言葉を口にしたとしても、ジャネットさんの発言は私たち女性パートナーのことを心配して言ってくれてる気がするので悪い気はしないです。
 誤解が解ければいいのに、とティーは願う。
 ソノダとパラミタだけではなく、地球とパラミタの間の誤解が。
「お役立ち! お役立ち!」
 と言葉だけは勇ましいものの、昨日の疲れが出たのかイコナは眠たそうだ。
「わたくしがその気になればティーよりもできるってところを見せてあげますわ……特上ウナギですの……むにゃ……」
 なんと、立ったまま船を漕ぎ出したりしている。
「……」
 スープがつんつんと、イコナの脇を肘でつついた。
「皆、先に行ってしまったでござるよ」
「え? ち、違うわよ、これは意図的に遅れたの! 殿(しんがり)を務めただけなんだから!」
「それは失礼を致した」
 スープはあまり表情を表に出さず口調にも抑揚が少ないので、これがイコナの意を汲んでのサービス的な発言なのか、それともイコナの発言をそのまま信じての返答なのかはわからない。
 イコナとスープは連れだって鉄心たちの背を追った。