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リアクション
●カーネリアン・パークス
「構うな」
いくらか苛立たしげに、カーネリアン・パークス(かーねりあん・ぱーくす)が告げた一言だった。
「えー? アルちゃんはかまってるんじゃなくて、かまってほしいのー」
五歳くらいだろうか。少女というにも幼いものが、柱を背にして立つカーネリアンの足元に絡み、ほとんど無視されているとみるやよじ登りはじめた。頭には黒猫耳、尾も生えていてやはり黒猫、これぞ牛皮消 アルコリア(いけま・あるこりあ)がちぎのたくらみで変身した姿である。
「かわいいアルちゃんはネリちゃんのお手伝い、ないし後ろから刺すために呼ばれたー…あれ? お尻からさすためだっけ? まーいーやー」
「降りてもらおう」
いろいろと際どい冗談(?)も言っているのに、カーネリアンはとことん冷たい。いやがるアルコリアを引き剥がそうとした。
しかしそうそうひっぺがされてなるものか、とアルコリアも巧みに抵抗した。結果、カーネリアンの髪をくしゃくしゃに、上着も同様にしてしまうのである。
「ネリちゃんわらおうー? わらえばかわいいのにー、むにむにー」
「断る」
「じゃあ、ほっぺをこうやってー」
両手を伸ばしアルコリアは、無理矢理カーネリアンを笑顔にしようとしたが果たせず、
「あー、そのなんというか、アルがすまんな」
シーマ・スプレイグ(しーま・すぷれいぐ)が近づいて、両腕でアルコリアを抱きとめていた。手慣れたもので簡単に、アルコリアをカーネリアンから引き剥がしている。
彼女らはラズィーヤの命を受け、初対面なのだがカーネリアン(アルコリアいわく『ネリちゃん』)への協力と監視のために来たのである。今のは、アルコリアがにこやかに自己紹介しても素っ気なく名乗っただけでにこりともしなかったカーネへの、多少強引な『ご挨拶』というわけだ。
「ぶー。笑おうと思えば笑えるんでしょー?」
「自分は、笑うことはない」
それを聞いて、ラズン・カプリッチオ(らずん・かぷりっちお)が何やら声を上げたのである。
「さてさて、最初からないのか、あったものを失ったのか、もっていないフリをしているのか。同じ『無』といえこれだけ違う。きゃはは☆ どれなんだろうね? どうなんだろうね?」
カーネリアンはラズンを一瞥したが、唇を噛みしめただけで言葉は発しなかった。
「きゃふ、怖い顔して。言いたいことがあれば言えばいいのに☆」
「よさないか」
シーマが二人の間に割って入った。腕にはやはりアルコリアを捕まえたままである。忙しい。
「あれだ、そんなに会話などしなくても百合園に席を置くことは可能だ。悪くはないと思う……それだけだ。任務に戻る」
「助かる」
カーネリアンは短く告げただけだが、なんとなく安堵したように見えた。
ではまた後で、と手を振ったアルコリアたちと入れ替わるように、シリウス・バイナリスタ(しりうす・ばいなりすた)がつかつかと近づいて来た。
「よう。先日以来だな」
これは、ラズィーヤの元で出会った……正しくは、先日、ラズィーヤの元にカーネリアンを連れていったときのことを指している。
「シリウス・バイナリスタ」
「お、名前覚えててくれたんだな。嬉しいぜ」
シリウスは、自然に湧き起こる笑顔を隠そうともせず、
「食うかい? 騒動前に腹ごしらえくらいいいだろ?」
と、差し出したのはお菓子のケースだった。マシュマロにチョコレートをかけた甘い菓子だ。蓋を開けるなり、カカオのいい香りが漂う。
「知ってるか? ポーランドの高級チョコだ」
有名なブランド名を言う。日本で言えば伝統の羊羹に相当しようか。
だが、フレンドリーなシリウスに対して、カーネリアンは冷淡だ。
「いらん」
絶海に浮かぶ孤島のように、ただ静かにそう言い切った。
――あの方。
二人のやりとりを眺めながらリーブラ・オルタナティヴ(りーぶら・おるたなてぃぶ)は思った。
――話慣れているようには見えませんし、うざったく思われるかもしれませんね。
リーブラの見立てでは、百合園の生徒は社交的、言い方を変えればお節介焼きの傾向が強い。カーネリアン……ポーランド読みではカルネルオル? には迷惑かもしれない。
場合によっては止めに入ろう、とリーブラが半歩踏み出したとき、
「まったく……珍しいのはわかるけど、少々ハイになり過ぎじゃぁないかな……!?」
サビク・オルタナティヴ(さびく・おるたなてぃぶ)が呟いた。同時に、サビクは片腕でリーブラを制している。
さらに、サビクのもう片側の手は腰に伸びていた。腰の……剣に。
「サビク……それは」
「シリウスたちには悪いけれど……万が一に備えさせてもらってる」
つまり、カーネリアンに妙な動きがあればこの場でも斬るということだ。
「裏切る可能性は……」
リーブラは深みのある瞳を滑らせてサビクを捉えた。
「……わたくしたちが考えるのはやめましょう」
「考えてるわけじゃないよ、ボクだって。彼女がそうする理由だってないと思う。……ただ、理由より能力に備えるのが仕事だからね」
「けれどあまり動くと、シリウスの立場を危うくするのではなくって?」
「……それも一理あるね」
サビクは口を閉じた。
――ボクも祈ってるよ。キミに剣を向けずに済むことを。
リーブラとサビクの心の動きを知ってか、知らずか。
カーネリアンに拒否されても、シリウスは親しげに話しかけている。
「カーネリアン、経歴見させてもらったよ。波蘭(ポーランド)の出身なんだって?」
「名乗っているだけだ」
「じゃあ、偽の経歴なのか……」
シリウスは、傍目からもわかるほどに肩を落とした。しかし、
「Chleb cudzym nozem krajany - niesmaczny.」
「『他者のナイフで切るパンは不味い』……ポーランドのことわざじゃないか。みずからの運命を決めるのは自分だ、っていう感じの意味の……!」
すぐにこうして、顔を輝かせたのである。
カーネリアンはシリウスの様子に頓着することなく、ただ言葉を紡いだ。
「本当の生まれは自分も知らない。ただ、この言葉だけは知っていた。大半は忘れたようだが、ごく一部だけならpolszczyzna、つまりポーランド語も理解する」
クランジという機晶姫は一から作り上げられたものではない。量産型・後期型のようなタイプは別として、大半は人間を改造して機晶姫化したものだ。その大半は赤子から年端も行かない頃に、誘拐されるか人身売買された者だという。
「だから期待するな。寺院に教えられただけの知識かもしれない」
ところがシリウスは、ぱっと彼女の肩に腕を回したのである。
「……!」
カーネリアンはシリウスの手を払いのけようとした。
けれど、やめた。
「最初は偽籍だろうがいいじゃねーか」
シリウスは笑っていた。
「オレは信じるし、同郷と思って接するぜ。うちは半世紀前から兵隊クマにまで国籍出してる国(※)だし、機晶姫くらい余裕余裕!」
――心が開いてるか見えちまうってのも厄介なもんだな。
ソウルヴィジュアライズの能力が自動的に発動しており、シリウスには、カーネリアンの真の表情が見えていた。
カーネリアンは、多少の戸惑い混じりとはいえ穏やかな顔をしていた。
オレはこいつを信じる――シリウスはそう決めた。
同じ戦友で、同じポーランド人だ。
※にわかには信じられない話だが実話である。第二次大戦中、ポーランド陸軍には本物のヒグマ『ヴォイテク(Wojtek)』がマスコット的存在として所属し、兵士の階級(伍長)も与えられていた。実際の戦闘でも、ヴォイテクは部隊の一員として弾薬を運んだという。
「ええと、よろしいですかぁ?」
もう一人、カーネリアンの知っている顔があった。
「佐野 ルーシェリア(さの・るーしぇりあ)ですぅ」
「覚えている」
ルーシェリアこそ、シリウスたちと共にラズィーヤにカーネリアンを連れていった四人のうち最後の一人だった。
一瞬、険しい目をしたカーネリアンだが、ルーシェリアはまるで恐れない。彼女を怖がる理由なんてない、とでも言いたげな顔をしている。
「ラズィーヤさんからお願いされてカーネリアンさんと一緒に行動することになったですぅ」
ぺこっとルーシェリアは頭を下げた。蜜の河のようなブロンドがさやさやと揺れた。
「お聞き及びかと思いますけどぉ、ラズィーヤさんからは、場合によってはあなたを攻撃することも許可されてるですぅ。けれどそんなことはしたくないですぅ」
「おい、随分と……」
はっきりと言うんだな――驚いたのはシリウスのほうだった。
「でも、私はカーネリアンさんを信じてますよぅ」
にっこりと、屈託ない表情を彼女は見せたのだ。雲間からのぞく太陽のように。
「人を信じやすい性格は損をするぞ」
まるで経験でもあるかのように、カーネリアンはそんなことを言う。
「そうですねぇ……私も夫の天然女たらしなところにはよく……って、そんな話をしたかったんじゃないですよぅ」
と、ルーシェリアはまた笑うのである。
「それでも、私は損をしてきたなんて、思わないですぅ」
まぶしいほどの笑顔だった。
カーネリアン・パークスは小さく息を吐き出した。
鼻で笑ったように見えたかもしれない。
あるいは、安堵の吐息をもらしたように見えたかもしれない。
「気が変わった。もらうぞ」
カーネリアンはシリウスのチョコレートをひとつ手にして、口に運んだ。
「佐野も食べるといい」
「……色々と、複雑な子のようだ」
桐生 円(きりゅう・まどか)は直接カーネリアンに話しかけに行かずに、やや離れた場所から観察をしていた。
冷淡なようで、変に義理堅いところがある。
冷静なようで、意外と感情的だ。
計算しているようで、じつは出たとこで勝負しているようなところが多々あった。
ある程度見たところで、円はカーネリアンに近づいて言った。
「さて、カーネリアンくん、よろしくね。百合園の桐生です」
円は手をさしだしたのだが、カーネは不思議そうな顔をしただけだった。
そういう習慣はないのだろう。構わず円は言う。
「ラズィーヤさんに言われてると思うけど、協力させてね。最初に忠告しとくけど、キミ変身能力失ってるんだって? いつからなくなってるかは知らないけど、勝手が違うと思うし、一人で前に出過ぎないようにね」
そのことはあまり触れられたくないらしい。カーネは刺々しい視線で円を見て、
「わかっている」
とだけ言った。
「あれ? 怒った?」
「怒っていない」
「本当に?」
「本当に、だ!」
声を荒げる。
――怒ってるじゃない。
でもそれを指摘するとなお怒りそうなので、円は触れずにおくことにした。
やっぱり、短気だ。
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