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●会合前(3)

 会合が行われるのは最上階の特設会場だ。普段はパーティなどに使われる多目的空間だが、本日限定で会議場として設営されているという。
 レジーヌ・ベルナディス(れじーぬ・べるなでぃす)の頭には、すでにその見取り図が入っていた。
 屋上へ到達するルート、非常口などの配置も手に取るようにわかっている。
「だんだん人が増えてきたねー」
 エリーズ・バスティード(えりーず・ばすてぃーど)が銃型HCの画面を眺めながら言った。表示されているデータは会合出席者の名簿だ。かなりの数がある。この中から不審人物を炙り出すというのは、藁の山で針を探すに近いものがあるといえよう。
 二人は教導団員として巡回警備を行っていた。ぽつりぽつりだが会合の出席者も到着しつつある。さすがというべきか、政財界の大物の姿も少なくはなかった。
「はい、こちらです」
 レジーヌは必要に応じて案内も行っている。
 さすがはレジーヌだ。教導団の制服をぱりっと着こなしているが高圧的なところはない。客人に不安を与えないよう、武器を見えないように装備するなど、細やかな配慮も忘れていなかった。
「真下のホールではチェロの演奏会か行われるんだよね」
「ええ、それが少し、困りもの……」
 レジーヌは困惑げに言うのである。
 ただでさえ人出があるのに加え、下の階でもそのようなイベントがあるというのだ。会を間違えてここに足を踏み入れる者も少なくないだろう。
 そうなると、いささか厄介なことになるのは目に見えていた。
 されどそれは仕方ないことと、受け入れる意志だった。
 会合がはじまれば、レジーヌの持ち場は正面ドアとなる。仮に武装集団が突入しようと、会場内には入れさせないよう見張りたい。
 額に触れるか触れないかの軽い敬礼、レジーヌの横をかすめて日比谷 皐月(ひびや・さつき)は足早に往く。
「良く聞こえる。そちらの状況は?」
 トランシーバーに向かって皐月が声を上げると、マルクス・アウレリウス(まるくす・あうれりうす)
からの声が帰ってきた。マルクスは同じホテルの一室に陣取り、情報集積を行っている。
「ああ、感度良好だ」
「ヒソヒソ話には向かないくらい良好か?」
「そういった類の話は好まん」
「たとえ話だ、たとえ。どーなんだよ」
「その比喩が適切かは知らんが、そんなところだ」
 それはいいとして、と前置きしてマルクスは告げた。
「周辺施設への調査は完了した。大規模な劇団・劇団の来訪は、例のチェロ奏者以外にもぽつぽつと見られる。うちひとつの劇団はずいぶん大がかりだ」
「よし、機晶犬を向かわせてくれ」
「もう済ませた」
「手際がいいなー、相変わらず」
 少女の声が割り込んできた。如月 夜空(きさらぎ・よぞら)だ。
「でさー、そいつら『クロ』だったらあたしの出番ってワケさね?」
「おう、お中元の季節だからな、そろそろ」
 楽しげな皐月の口調だ。
「暑気払いの贈り物ってか。いいねいいねー」
 無線機の向こうでは、夜空もけらけら笑っているのが聞こえる。
「速やかな処理を願おう」
 されどマルクスはあくまで冷静である。
 マルクスが探しているのは武器だ。テロリストが突入時に派手に展開するシロモノである。
 ホテルのチェリスト(イーシャ・ワレノフ)とそのバック楽団一行はなかなか尻尾を出さない。それゆえ彼らはイーシャたちを警戒しつつ、周辺に武装集団が偽装潜入していないか調べているのである。
 武器弾薬がみつかれば、『お中元』と称して夜空が彼らの武器にテロルチョコおもちを詰め込んでおく手筈である。いきなり攻撃するのではなく、連中が動いたときに発動させる狙いだ。そのほうが、一網打尽を狙うには的確、との判断だった。
「ま、どっちにしろオレは、ブラッディ・ディバイン残党くんたちが動き出すまでは待機ってワケだ」
「そゆこと」夜空は即答した。
「その通りだ」ほぼ同時にマルクスも言う。
「せいぜい英気を養っておくんだねー」
「どうやってだよ、堅ッ苦しい場でリラックスしようがねーぞ」
「可愛い女の子でも探して愛でてればいいじゃん?」
「あいにくとそういうキャラじゃねーの、オレは」
 通信終わるぞ、と告げて皐月はトランシーバーを切った。
 まったく、と溜息した。どうも夜空と組むと、任務にも緊張感がなくていけない。
 けれど皐月にはわかっている。それくらいのほうが気楽だし、なんといっても動きやすい。きっと夜空もわかっているんだろう。言語化された知識としてではなく、本能で。

 ――おっかねぇ。
 というのが柊 恭也(ひいらぎ・きょうや)が、久々にリュシュトマ少佐を見たときの印象だった。
 恭也とて少佐のことを見知ってはいたが、久しく葦原に出ていたこともあって、直接見るのはいつ以来かわからないほどになる。
「持ち場を死守せよ」
 軍服姿の恭也を確認すると、リシュトマは一言、告げた。
 顔面半分が鬼の形相の軍人、髪は半ば以上灰色で、シベリアの狼みたいな眼をしている。その隻眼で睨まれると、腹の底を見透かされているような気がした。
 恭也は真面目に敬礼する。うなずくとリュシュトマは背を向けた。
「きついよな……まさか俺が駆り出されるとか思ってもみなかっただけに特にな」
 肝を冷やしたように溜息がこぼれた。
 ――ま、ああして声をかけてくれたわけだから、丸っきり戦力外と考えているわけじゃないようだが。 
 戦力外どころか――恭也は密かに期している――葦原でも色々やってたから腕は落ちてないつもりだ。仕事ならきっちり務めさせてもらう。
 巡回しながら彼は、頭上にピーピングビーを羽ばたかせる。己を中心にした円上に、周囲を見張れるように。
「ピーピングビー、複数使うと広域をカバーできるから楽だよなぁ」
 天井があるとはいえ最上階のせいか頭上は高い、ビーの存在は一般客にはまず気取られまい。
「できれば何事も無く終わってほしいが無理だろうな、経験上……」
 久々に袖を通した教導団の制服が、なんとなくきついように恭也は感じていた。

 リュシュトマの軍靴が、ユマ・ユウヅキ(ゆま・ゆうづき)の眼前で止まった。
「異常、ありません」
 ユマは反射的に直立し敬礼した。
 顔は正面、胸を大きく張って息を止める。
「そのままでいい」
 少佐の声は平静となんら変わりがなかった。軽く手を振って敬礼をやめさせた。
 それは日常の光景……少なくとも、教導団の任務中の一コマとすればごく当たり前の場面に見える。
 けれど、ユマと並んで立つ琳 鳳明(りん・ほうめい)は知っている。
 ユマに流れる緊張感を。
 なぜなら彼女にとって、正規の教導団員としての任務はこれが初めてになるのだ。
 機械的にユマを『捕虜』として扱い、後に彼女の目付役として厳しい軍事教練を課したのはリュシュトマであった。
 一度、少佐がユマを激しく打擲したことがある(参照)。今から考えれば、あのときはあれが最善の行動だったと鳳明も思うが、当時は少佐に冷酷さばかりを感じたものだ。
 少佐にとって、ユマはどんな風に見えているんだろう。
 ただの『生徒』なのだろうか。つまり、捕虜の身から、一人の軍人へと成長した教え子だというのだろうか。
 それとも――。
 少佐には妻と娘がいたと、聞いたことがある。
 その表現が『いた』と過去形なのは、すでに二人ともこの世には亡いから。
 詳しいことは知らないが、少佐の妻子はテロの巻き添えになったという風の噂だ。
 だから、もしかしたら――と鳳明は思わないでもない。
 リュシュトマは刹那、左しかない眼でユマを見た。
「期待している。ユマ」
 短くそう告げると彼は、そのまま立ち去った。
「は……はいっ!」
 ユマの右手が再度激しく跳ね上げられた。
 彼女はそのまま、少佐の姿が見えなくなるまで敬礼の姿勢を崩さなかった。
 ユマの顔はやはり緊張していた。緊張で、色白なのがますます白い。
 でもその眼が、なにか潤んでいるように鳳明には見えた。
「ユマさん、これでいよいよ、任務デビューだよね」
 鳳明は、つとめて明るく話しかけた。
「え? はい」ユマは、夢から覚めたような顔をして、「そうです。私が、『クランジ』ではなく『ユマ・ユウヅキ』として任をいただくのはこれが初です」
「腕の武装は戻りましたか?」
 セラフィーナ・メルファ(せらふぃーな・めるふぁ)も鳳明の横で直立していたのだが、腰から何かを外してユマに近づいた。
「いえ、もうあの頃の武装は戻さないようにお願いしています」
「でも、任務を遂行するには武器が必要すよね」
 付近に招待客のないことを確認してセラフィーナは、ユマの手に何かを手渡した。
 ずしっ、とした黒いものだった。
「ないようなら、これを使って下さい。支給品ですが性能としては十分なはずです」
 冷たい感触である。見た目がそれほど大きくないだけに、鉄の塊としての重さには異様なものがあった。
 拳銃、である。
「……重く感じますか? その重みは命の重さと言う人もいらっしゃいますね。撃つ相手の…更にはその銃で守る人の命。
 その重さを、忘れないで下さい。そうすれば、アナタがクランジに戻る事は二度とないですよ」
 ユマはこくりとうなずいた。
「忘れません」
「その意気です」
 鳳明は笑顔を見せた。空気を重くすることが目的ではない。
「武器は持つ人によって凶器にもなれば、大切なモノを守る盾にもなるんだよ。今のユマさんなら自分の、そして私やクローラさん……皆を守るために正しく使えるって私には判るよ。
 今日の任務は、地球とパラミタ両方を故郷とする私達契約者のセカイを守るための大切な任務だから………一緒に頑張ろう!」
「ええ、鳳明さん。セラフィーナさん、ありがとうございます」
「おや、噂をすれば影、と申しますか」
 セラフィーナは何やらニヤニヤしながら言うのである。
「王子様のご登場のようです」
「王子……?」
 と鳳明はセラフィーナの視線を追って、ははーん、と得心顔になった。
「じゃ、後でね」
 ユマに手を振って自身の持ち場に戻っていく。
 ただし鳳明は忘れなかった。
 すれ違いざま、小声で、
「ユマさんに万が一があったらタダじゃおかないよ?」
 ユマに向かうクローラ・テレスコピウム(くろーら・てれすこぴうむ)に悪戯っぽく告げることを。
「ええと」
 クローラは足を止めて、言葉を探すように視線を泳がせた。
 彼と彼女が、正式な交際を始めてそろそろ一ヶ月。
「公私は混同したくない」
 空咳してクローラは告げた。背後からゆっくりと近づいてくるセリオス・ヒューレー(せりおす・ひゅーれー)が、笑いをこらえるような顔をしているのは容易に想像がついたが、そのことはあえて思念の外へ追いやる。
「だけど、この短い時間だけはただのクローラとして言わせてくれ」
 近くで見ると今でも胸が高鳴ってしまう。任務中は許されまいが、今だけは……という眼でクローラはユマを見た。
「はい」
 ユマは彼を見上げ、花も恥じらうような笑みを見せた。
「新たな気持ちでユマと共に任務に従事できる。喜ばしく、またこそばゆい想いだ。ユマの存在が俺に力を与えてくれると感じている。願わくば……」
 彼女はクローラに最後まで言わせなかった。
「私も、同じ気持ちです。クローラさんの存在が、私に力をくれます」
 細く長い指で、ユマはクローラの手を握った。
 ずっとずっと控えめな握り方だ。かすかに触れている程度の。
 もちろん、指を絡めたりなんてしない。
 けれどそれだけでも、ユマの基準からすればとても大胆な行動であったし、クローラにしても、驚くに十分だった。
 ――ああ、ユマ!
 クローラも、男である。
 しかもまだ若い。熱い血潮の流れる青年だ。なんで堪ろう。
 抱きしめたい。その細い肩に腕を回したい。彼が一瞬、そんな衝動に駆られたのは自然のことだった。
 けれどそれを自制できるのも、クローラ・テレスコピウムなのである。
「ああ」
 ぐっとその手を握り返して無言になる。二秒ほど。
「健闘を期待している」
 手を放したとき、すでにクローラは沈着なる少尉に戻っていた。
「ユマは会場の警備だったね。一緒に行けないのは残念だけど、僕らは僕らの仕事があるから」
 仕方ないよね、とセリオスは告げて、クローラに行こうとうながした。
 彼らはホテル従業員、とりわけフロントの浜皆子に話を聞くという。