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無人島物語

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無人島物語

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結局……。
 リナ・グレイは翌日、港町の病院を退院してカナンの実家に戻ることになった。
 フェイミィが一日付き合っていたが、リナに他の見舞い客や訪問客は現れなかった。
『ダイパニック号』から避難した一般人たちは、それぞれに自分の家へと帰って行った。
 カナンへと婚約者に会いに行っていたリネンが、またあの港町まで迎えに来てくれた。リナを乗せると、再びカナンへと逆戻りする。何往復も大変なことだが、リネンは特に気にしていなかった。もっと重大なことがあったからだ。
「私のためにわざわざありがとうございます」
 礼を言うリナをリネンはしばらく見つめていた。昨日カナンへ行ってわかったことがあった。大変な異変が起こっていたのだ。
 それを知らせねばならないが、まだ早い。
「お帰りなさい、リナさん。大変な目に合われましたね」
 自分の屋敷に帰ってきたリナを、すぐに訪問してきた者がいた。
 保険調査員として海難事故の調査に当たっていたローザマリア・クライツァール(ろーざまりあ・くらいつぁーる)だった。
「初めまして、私『ジツザイ労組損害保険』のローザマリア・クライツァールと申します。お帰りになった直後で申し訳ありませんが、お話お聞かせ願えないでしょうか?」
 ローザマリアは、今回の海難事件の調査に乗り出していた。
 ローザマリアは、葦原明倫館隠密科で培った特殊メイク技術で作ったフェイスマスク『スパイマスクα』を装着して軽く化粧を施し、顔を赤毛で垂れ目ながら優しげで知的そうな眼鏡をかけた色白の女性へと姿を変えていた。
 なんと社員証は本物だった。根回しがよく効いたらしい。某労組系の保険会社が、ローザマリアの在籍を証明してくれると言うのだ。
  そしてもう一人、ローザマリアのパートナーエシク・ジョーザ・ボルチェ(えしくじょーざ・ぼるちぇ)。彼女は、変装していない。ローザマリアの随行員として付き添いらしく黙っている。
 その二人を、リナは応接室へと通す。
 それぞれがソファーにこしかけると、一通りの挨拶が交わされた。
「それで、何のお話でしょうか?」
 リナは聞いた。覇気を感じさせない元気の無い声だった。
「もちろん、保険金のお話ですよ、リナさん。……実は、私ども少々困っておりまして。弊社は労組系の保険会社なのですが、今回事故に巻き込まれた船員たちの労災にもかかわってくる話なのです。これが全員合わせると相当な額になりましてね」
 ローザマリアが、本当の保険調査員として言った。これはちょっと調べればすぐわかる。客だけでなく、船で働く船員たちも保険をかけているのだった。突っ込んで聞いても怪しまれにくい。
「それで?」
 とリナ。
「今回の事故について弊社が保険加入者たちに保険金を支払わなくてもいい場合は、一つだけなんです。それは即ち、船員たちが故意に船を沈めた場合、です」
「……まあ、そうでしょうね」
「いかがでしょうか、リナさん。その可能性はあるのでしょうか? もしそうなら、私どもは非常に助かるのですが」
「私にはよくわかりません」
「彼らの操船の腕前はいかがでしたか? 明らかに技量不足の船員や勤務態度に問題のある船員はいませんでしたか?」
「問題なく運用されていたと考えています」
「船舶の機体や機器類は正常だったのでしょうか? 明らかに耐久年数を過ぎた機器類や故障を修理せずに放置しておいた装置などはありませんでしたか?」
「『ダイパニック号』の装備類は、全て彼らに管理を任せておりました」
 リナは無表情で答えていく。
 なるほど、とローザマリア。こうなることは予め知っていて、答えはある程度準備はできているらしい。
「……」
 ローザマリアとリナが会話をしている間に、エシクはゆっくりと部屋を観察して回っていた。
「……これは、ご両親さんですか?」
 エシクは、棚の上に倒してあった写真スタンドを立てながら微笑んだ。世間話の口調で聞いているが、その手はサイコメトリをしている。
「……ええ、もう亡くなりましたけど」
 リナは無表情で答えた。
(!!?)
 エノクは、一瞬眉をピクリと動かしそうになった。
(両親は二人とも事故死……。同じ交通事故で二人同時に亡くなっている)
「他にご質問は?」
 リナは言う。ローザマリアも続けた。
「しかし、リナさん。少々無責任ではありませんか? 船舶であれば水上探知のレーダーは必ず付いている筈です。なぜ事前に『ダイパニック号』を沈める程の巨大な氷山を探知出来ずに沈没したのでしょうか?」
「私にはよくわかりません。機械類に疎いものですから。操作は船員たちに任せてありました」
「しかし、船員の操作ミスにしろ機器類の故障にしろ、それは管理不行き届きと言うことになりますね。ましてや、未装備の場合はオーナー会社に責任が生じる可能性が生じてきます。マスコミも黙ってないでしょう。社会的責任を追及されるのは必至かと思われますけど」
「……そうなりますね」
 リナはため息をつきながら言った。落ち着いたものだった。
「もし、賠償を求められた場合はどうされるおつもりですか?」
 ローザマリアはストレートにたずねる。
「もちろん、お支払いいたしますわ」
「無理でしょう」
 ローザマリアは即座に言った。封筒から、菊が集めてきた資料を取り出す。
「失礼ですが、リナさん。調べさせてもらいました。……あなた、もう破産寸前じゃないですか。このお屋敷も担保に入ってる。……この状態でどうやってお支払いするつもりだったんですか?」
「……」
 リナは、数秒驚いたようにローザマリアを見つめていたが、やがてすぐ表情を戻し首を小さく横に振る。
「さすが、プロの保険屋さんですね。それぐらいは簡単に調べられると言うことですね」
「……あなたの、触れてほしくないところに触れてしまって申し訳ありません。しかし、こちらも仕事ですから」
「そうでしょう。ならば、あの沈没した『ダイパニック号』にどれだけの保険金が掛かっていたかご存知でしょう?」
「……」
 ローザマリアは、一瞬黙った。リナのほうから切り出してくるとは思わなかったからだ。
「……莫大な、金額ですね。あなたの借金を返済しても、まだある程度余裕があるほど」
「借金さえ返せば、賠償については、原告が根負けするまで裁判でダラダラと戦おうと考えています」
 リナはしれっと言ってのけた。
 ローザマリアは続ける。
「あなたは、実は相当な借金があることを認めました。『ダイパニック号』に莫大な保険金が掛かっています。故意にダイパニックを事故に見せかけ沈めたりする場合の動機になりますね」
「そうなりますね」
「じゃあ、認めるんですね?」
「なにをですか?」
「……あなたが保険金ほしさに『ダイパニック号』を沈めたと言うことです」
 ローザマリアはリナの目を見つめながら言った。
「……」
 彼女は、しばらくローザマリアを見つめ返していたが、笑顔になり、ふふふふふ……、と笑い出した。
「あなた、可笑しい人ですね。動機があったら犯人なのですか?」
「極めて濃厚だと確信しています」
「その理屈が通用するのでしたら、町行く人はほとんどが犯人ですし、ミステリー作家は廃業です。言わんとすることくらいわかりますよね?」
「……証拠を見せろ、ですか?」
「あなた、そこまでおっしゃるからには、確固たる証拠をお持ちなんでしょうね。それをぜひお聞かせ願えないでしょうか?」
 リナは落ち着いた口調で言った。
「『ダイパニック号』は氷山に激突して沈没したのです。船員たちもそう証言しています。機器類が壊れていたかどうか、船員たちが船でなにをしていたか、私はわかりません。動機はあります。でも証拠はありません。保険金は下りるでしょう。責任問題や賠償問題については、法に則って裁判でダラダラ戦います。それで……」
 リナは聞く。
「私は、何の罪になるのでしょう?」
「……証拠は、ありません」
 ローザマリアは言った。
「あなた、やはりただの保険調査員じゃありませんね。何者なのですか?」
「……」
 ローザマリアは、どうしようか考えた。さすがに時間がなさすぎた。細かい証拠まで集め切れていない。
『ダイパニック号』は、恐らく内部から爆発物などにより破壊されたのだろう。だが、それをリナがやったと言う証拠は? 船は今海の中だ。
「リナって婚約者がいたのね」
 不意に、それまで黙っていたリネンが言った。黙っていたのには理由があった。
 カナンへ一足先にやってきて、彼女なりに調べていた。とても重大な事柄がわかったのだが、伝えにくかったのだ。だが、隠しておくわけにはいかない。いずれ知れることだ。
「彼もずいぶんと資産家だったのね。大豪邸訪問して驚いちゃったわ。ハンサムだし、おしゃれでさわやかで教養もあって、普通の女性ならそりゃ惚れるわよね。私はこれっぽっちも興味ないけど」
 リネンは、一旦区切ってから言った。
「その婚約者さん、今度結婚するそうよ。別の女性と」
「……えっ!?」
 リナは明らかに動揺した。先ほどまでの落ち着きは完全に失い、うろたえ始めた。
「え、えっ……、どうして……?」
「今度結婚する予定の別の女性も、上流階級で美人だったわね。そういう者同士が惹かれ合うものなのかしらね」
「……」
 リナは無言でぶるぶる震えていた。
 泣いているというより、怒りと嫉妬と激しい後悔のような感情が織り交じって見える。
「ああ、やっぱりそういうことでしたの?」
 黙って様子を見ていたエシクが言った。
「私、不思議に思っていたのですよ。なぜ、ローザマリアとやりとりで極めて平静で自信満々だったのか。……あなた、保険金の受け取り人をその婚約者さんにしていたんじゃないですか? 自分が受け取ったらさすがに自分が怪しまれます。ですが、保険金の受取人が、婚約者さんなら、あなたへの疑いもうすくなる。結婚したら財布は同じになるんですものね。あなたが受け取っても、婚約者さんが受け取っても半ば同じこと、ですが……」
「うわああああああああああああああああああああああああああああああああっっ!」
 リナは、頭を抱えて叫んでいた。ややあって。
 ガタリ……。彼女はソファーに虚脱状態で座り込む。
「そんなことだろうと思っていました」
 ローザマリアは、顔につけていたスパイマスクの顎の縁に手を掛けべりべりとスパイマスクαを剥した。その下には更に『イナンナなりきりセット』を着ており、マスクの下から現れるのは素顔ではなくイナンナそっくりに造形されたイナンナ・ワルプルギスと言う演出だ。
 よく知っている人が見るとすぐばれるが、今の精神状態のリナにはどうか。
「もういいでしょう。なにがあったのか、話していただけませんか?」
 ローザマリアは、イナンナの顔で言った。以下、イナンナ(ロ)と記す。
「イナンナ様は今回の事件に心を痛められ、こうして行幸なさったのですよ」
 エシクは、もっともらしい説明をする。
「何も無いわ……。婚約者が詐欺師だった。ただそれだけのことよ……」
 リナはポツリと言った。
「両親が同時に交通事故で亡くなったとき、私はあの船と財産を引き継いだの。そんな頃、あの彼と出会ったのよ。結婚を約束したわ。まだ未成年でお金の使い方も知らなかった私に管財人を紹介してくれたの。気がついたら、両親が残してくれた財産は全て無くなっていて管財人も行方不明になって、借金だけが残っていたわ。それでも、彼は私を見捨てなかったわ。だから結婚できると思っていたの。ちょっと怖い筋からの借金だったので、返すことにした。でも返せるお金ももうない。私に残っていたのは、あの船だけだった。売ったとしても、中古って安いのよ。二束三文よ、ずいぶん年季ものだったし。だから、最もお金になる方法でスクラップにしただけのことなのよ。借金を返したら、結婚できると思っていた……。だから、保険金の受け取り名義を彼にして……。
 あの日。爆破したの……」
「……」
 イナンナ(ロ)は黙って聞いていた。リナはもう気力も無いのか、途切れ途切れに話す。
「上手くいくはずよ。船員たちも事情を知っていたの。いいえ、船員たちも彼の仲間だったの。私、ためらったわ。『ダイパニック号』は自分に残された最後の財産だったんだもの。でも、やらなきゃ、事故に見せかけて海に叩き落されていた。みんな仲間だったんだもの。だから黙っていたし口裏を合わせたの。自分たちだって、保険金を受け取れるんだから……。もっといい働き口だってあるんだから……。
 契約者をたくさんパーティーに呼んだのは、沈没しても死なないと思ったから……。私がかけていた保険は、船が無人で沈んでもたいしたお金にならないの。ただの器物だけだもの。たくさん人が乗っていて沈んでこそ最高額が支払われる。でも、誰も死なせたくなかった。だから……、必要な人数分契約者を集めたの……」
 リナは、区切るとリネンに視線を向けた。
「ねえ、契約者さんたちは誰も死んでいないって、本当……?」
「本当よ。無人島で遊んでるわ。中には暴れてんのもいるみたいだけど」
「そう……。よかった……」
 リナは、告白が終わるとソファーにぐったりともたれこみ、目を閉じた。
「……わかってる。少し休ませて。さすがに疲れたわ……。警察が来たらいくから……」
「……いやあの、警察って」
 イナンナ(ロ)は、みなと顔を見合わせた。
「今のせりふ聞きました、皆さん? 殺意は無かった。誰も死んでほしくなかった。この事件、殺人未遂にすらなりませんね。誰も怪我していませんし」
 エシクも頷く。
「船を破損させましたけど器物損壊かと思いきや、あの船は自分の持ち物ですしね。自分の持ち物を壊して海に捨てただけです」
「不法投棄ね。なんて悪いやつなの」
 リネンが言う。
「保険金詐欺? なんですかそれ? 受取人、本人じゃないんですけど。受取人は、婚約破棄して完全に他人なんですけど」
 イナンナ(ロ)は、腕を組んで悩む。
「不法投棄ったって、証拠ないですしね。これどうしましょう。完全犯罪ですよ」
 船は海の底だ。不法投棄を立件するのに引き上げ費用何億を税金で使っていいものか……。
「これは、私としたことが、立件できない事件を騒ぎ立ててしまったようです。恥ずかしいので帰りましょう……」
 イナンナ(ロ)たちはリナの家をそそくさと退出することにした。
「すーすー……]
 よほど疲れていたのか、リナはソファーで眠っていた。
「いい夢見てね。目が覚めたら、きっと事件は解決しているよ」
 リネンは微笑む。
「今度会ったら友達になろうぜ」
 フェイミィは毛布をかけて行った。
「帰る前に、その婚約者の家、もういっぺんみんなで遊びに行ってみないか?」
「そうね。船員たちも全員集めてパーティーしたくなってきたわ」
 イナンナ(ロ)たちは仲良く寄り道して行く。