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【一 薄明の中で】

 軍港ケーランスの朝は早い。
 夜明け前の暗い時間帯から、桟橋や倉庫などでは多くの働き手達が忙しそうに走り回っている。
 特にこの日は、いつもの慌ただしさに加えて、二隻の特別な艦が出航するということで、港全体を覆う喧騒は常時の二倍以上はあったかも知れない。
 総督府の豪奢な建物の一角から、港の様子を眺め下ろしている影がひとつ。
 ケーランス総督デルコ・ウィシャワー中将そのひとであった。
 ウィシャワー中将は、ケーランスに駐留する海軍の他、陸軍の統轄をも兼ねている。その為、こと海軍に関していえば彼以上に詳しい提督クラスの管理者が必要となるのだが、現時点ではケーランスでの提督任務に就いているのは、アーノルド・ブロワーズ少将であった。
 ブロワーズ少将は現在、行方不明となっているロサンゼルス級攻撃型潜水艦バッキンガム捜索の総司令官として、捜索用巡洋艦ノイシュヴァンシュタインへの乗艦準備に忙しい。
 ウィシャワー中将は、自室の窓から幾分複雑そうな面持ちで、港湾区の喧騒を眺めている。
 と、その時、彼の背後で扉をノックする音が響いた。
「入れ」
「失礼致します」
 入室してきたのは、ルカルカ・ルー(るかるか・るー)少佐と叶 白竜(よう・ぱいろん)少佐の両名であった。
 ふたりの敬礼に答礼を返しながら、ウィシャワー中将は楽にするようにと椅子を勧める。
 ルカルカと白竜は指示されるままに、軍帽を脱ぎながら、与えられた椅子に腰を下ろした。
「今回の捜索任務では、ヴェルサイユに乗艦し、捜索協力員として参加するコントラクター達の統轄を、君達に任せる。ノイシュヴァンシュタイン側は、ブロワーズ提督の方で別途人選を進めている」
 ここまでは然程に深い内容は無く、極々普通の説明内容であり、特筆するものは何もない。
 ルカルカと白竜が幾分緊張の色をその面に乗せるようになったのは、この後であった。
「ところで貴官らは、何故コントラクターが捜索協力要員として集められたのか、その理由を考えたことはあるか?」
「……バッキンガムにも、コントラクターが乗艦しているから、でありますか?」
 ウィシャワー中将の真意が掴めず、取り敢えず当たり障りのないところから答えてみたルカルカだったが、しかしウィシャワー中将は、ルカルカが慎重に言葉を選んでいることを即座に見抜いたのか、何ともいえぬ表情で僅かに苦笑を浮かべた。
「それも理由のひとつだ……しかし、実は最も根本的な理由が、別に存在する」
 いいながらウィシャワー中将は、室内に控えていた秘書役の下士官に命じて、ある資料を一部ずつ、ルカルカと白竜に与えた。
 そこに記されている情報を目にした瞬間、ルカルカも白竜も、信じられないといった表情で一瞬言葉を失い、次いでウィシャワー中将の微妙な感情が浮かぶ面に視線を戻した。
「これは……恐らく公開を許されぬ、極秘情報ということで宜しいでしょうか?」
 白竜の問いかけに、ウィシャワー中将は黙って頷いた。
 その意味するところは、今回、捜索協力員として参加するコントラクターはおろか、ヴェルサイユやノイシュヴァンシュタインの乗員に対しても秘匿するように、というところであった。
「真相が判明し、これが関与しているということが分かれば、公表しても構わない。だがそれ以外のケースでは絶対に、口外してはならない。これは極秘中の極秘であることを、よくよく心得ておくように」
 ウィシャワー中将にこうまで釘を刺されてしまっては、ルカルカも白竜も、黙って従うしかない。
 勿論、事態が急を告げれば公表も許されるのだが、そうでない場合は、絶対に漏らしてはならない情報であった。
 ルカルカと白竜だけにこれらの情報が与えられたのは、彼らに関連する経験があり、且つ、外部から参加するコントラクターの中では最も階級が高いからに他ならなかった。
 ウィシャワー中将の室を辞してから、ルカルカと白竜は互いに表情を強張らせて、未だに信じられないといった視線を互いに投げかけた。
「まさか……とは思ったけど、でも、疑いようのない事実なんだよね」
「私も一瞬、目を疑いましたが……上が決めたことなのであれば、そういうことなのでしょう。そして自分達は軍人である以上、従うしかありませんね」
 薄暗い廊下を進むふたりの間で、深い溜息が何度も漏れた。


     * * *


 一方、既に洋上にあるノイシュヴァンシュタインの艦上では、大型飛空船が大勢のコントラクターを乗せて、降下したばかりであった。
 ハッチが開き、乗降用タラップが下ろされると、ローザマリア・クライツァール(ろーざまりあ・くらいつぁーる)大尉と水原 ゆかり(みずはら・ゆかり)大尉の両名が、最初に甲板へと降り立った。
 出迎えたのは、大勢の水兵を従える頑健な体躯の人物――ブロワーズ少将(ここでは提督、と呼ばれることの方が多い為、以後は提督で統一する)本人であった。
 ローザマリアやゆかりからすれば、雲の上の存在ともいうべき人物が直接出迎えに出てきてくれたということは、ある種の感動を覚えさせるに十分の効果を発揮した。
 しかしながら、このブロワーズ提督は中々に気さくな人物であるらしく、緊張で全身ががちがちになっているローザマリアとゆかりに対し、ふたりの敬礼に対する答礼を返した後、その大きな掌で両名の肩を軽くぽんぽんと叩いてやった。
「力が入り過ぎておるぞ。提督とはいってもな、要は50を過ぎた、ただのおっさんだ」
 そうはいうものの、当然ながらローザマリアとゆかりの視点からすれば、矢張り将官クラスのお偉いさんという現実は変わらない。
 緊張するな、という方が無理な話であった。
 尤も、緊張しているのはこのふたりが教導団員だからというのも大きな要因であり、そういう意味では、今回の捜索に協力する非教導団員のコントラクターにとっては、ブロワーズ提督は話し易い好人物、という程度の認識しかなかったかも知れない。
 ザカコ・グーメル(ざかこ・ぐーめる)エース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)、そして天貴 彩羽(あまむち・あやは)の三人は、ローザマリアとゆかりから少し遅れて甲板に降り立ったのだが、ブロワーズ提督の渋みのあるにこやかな笑顔につられて、ついつい笑みを浮かべて握手に応じていた。
「君達が、今回の捜索に協力してくれるコントラクター達だな。若さ溢れる、実に活発なエネルギーを感じる。是非私も君達の活力に、あやかりたいものだ」
「恐れ入ります、閣下」
 ザカコが、半ば代表する形で提督に応じる。
 ひと通りの挨拶を終えたところで、コントラクター達はブリーフィングルームに於いて、今後の捜索活動に関する説明を受ける為に、下士官に案内されて続々とデッキ下の階段へと歩を進めてゆく。
 その途中で、ブロワーズ提督はローザマリアだけを呼び止め、他の者には先に行くようにと指示を出した。
「貴官に、知らせておかなければならない情報がある」
 この時ブロワーズ提督が伝えた内容は、ケーランスでウィシャワー中将がルカルカと白竜に伝えた内容と全く同一であった。
 正直なところ、ローザマリアはブロワーズ提督の口から、まさかこのような内容を告げられることになろうとは、予想だにしていなかった。
「まさか……そんなことが……でも、漸く合点がいきました。何故、今回の捜索にわざわざコントラクターが協力要員として掻き集められたのか……つまりは、そういうことだったのですね」
 ローザマリアの納得気味の声に、ブロワーズ提督は重々しく、そしてゆっくりと頷いた。
 同時に、彼女がこの場で得た情報は、特に捜索範囲解析の面に於いては極めて重要な意味を持っていた。
「ですが、これで自分もある程度、目星がついたと確信しております。これからブリーフィングの際に確認しますが、バッキンガムはほぼ十中八九、連絡途絶直後から動いていないと想定出来ます」
「断定は出来ないが、その可能性は極めて高いと考えて良いだろうな」
 と、そこへ他のコントラクター達を先んじてブリーフィングルームへと案内していた下士官が、訝しげな面持ちでふたりを呼びに来た。
 ついつい長話になってしまった提督とローザマリアは済まないと謝りつつ、迎えに来た下士官の後に続く。
「何か、面白い話題でもあったの?」
 遅れてブリーフィングルームに入室したローザマリアに、彩羽が若干不思議そうな面持ちで問いかけるも、提督から箝口令を敷かれてしまったローザマリアは、適当に言葉を濁して誤魔化すしかなかった。
「……ちょっと引っかかるけど、まぁ良いわ。もうすぐ、説明が始まるわよ」
 訝しげに小首を傾げつつも、彩羽は早々にローザマリアへの興味を抑え込んで、前方ひな壇に立つ説明担当の士官に目線を転じた。