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リアクション
4/地下迷宮にて
朱鷺は──東 朱鷺は、走っていた。
静かな、暗い通路の只中を。セレンと麗を従え、まっすぐに駆け抜ける。
不自然なくらい、地下迷宮とでもいうべきこの複雑な通路は静まり返っている。こちらの潜入に気付いていないはずなど、ないのに。
未だ、警備兵も。トラップも一切現れも出くわしもしていないのだから。見つけたのは無数のセンサーとカメラだけ。……なにかが、おかしい。その意識は一歩を踏み出すごとに大きく、膨れ上がっていく。
「まだ、走るのかよ? ……めんどくせぇなあ」
「情報管制室でも見つかれば、ハッキングして見取り図のひとつもつくれるんですけれど……」
そんな、うしろのふたりのやりとりを耳にしながら。ずっと、走り続ける。
「!」
だから。その姿を前方の暗がりの中に見た瞬間感じたのは、警戒とともに安心の感情だったのかもしれなかった。
自身の疑念の答えが、目の前にあちらからやってきてくれたのだから。
「あれは──」
速度を落とし、足を止める朱鷺にセレンたちも続く。
前方に立ちはだかるのは、ひとりの男。
「そろそろ、大人しゅうなってもらおうかい」
「……だったら、もう少し早く迎え撃ちにやってくるというのが礼儀ではないですか?」
長身の、サングラスをかけたオールバックの男。及川 猛(おいかわ・たける)が、口許の煙草に火を点ける。
こちらは三人、あちらはひとりだというのに、随分と余裕なものだ。
「お仲間を呼んだらいかがです? 多勢に無勢ですよ?」
「いらん。とっととかかってこんかい」
煙草の煙を一息吐いて、吸い出したばかりのそれを靴底で踏み消す。
ちょいちょい、と人差し指を動かして、かかってこいと長髪をしてみせるサングラスの男。
あー。もったいねー。彼が煙草を捨てたその様子に、やはり同じう煙草を咥えたセレンが、そう漏らした。
「こっちがひとりやからって、甘く見んほうがええで」
「!」
言って、猛はなにかをこちらに向かい投げる。
朱鷺たちの足元に転がる、式神の術を施し先行させておいた偶像。とうに術が解けたそれは、もとのただの像に戻っている。
「……なるほど、探知能力と狩猟能力は高いようですね」
「全部ひっくるめて、腕っぷしが強いんや」
言った男は、自らの拳を掲げて見せた。
なるほど、一筋縄ではいかなそうだ──朱鷺は彼とやり合う意志を固め、身構える。
「ならば、全力で相手をしましょう」
「おう、とっととこいや」
向かい合った四人のその様を、壁面に隠し埋め込まれた無数の小型カメラが捉え、記録し続けていた。
*
「さて、ご老公。猛のやつもそろそろ、おっぱじめるようだ」
向かい合う、猛と朱鷺たちの様子を青白く光るモニターで、神崎 荒神(かんざき・こうじん)は老人とともに見守っていた。
車いすに乗った、老いさらばえたその人物の名は、シュラ・カローナ。地上の闘技場、そしてこの地下の設備を建造した張本人であり、トーナメントの主催者たるその財団の首魁と呼ぶべき人物。
荒神は財団出資者のひとりとして、彼とともに事の推移を見守っている。
モニターはひとつではない。猛たちを映すもの以外にも、試合会場や通路に配置されたありとあらゆるカメラからの映像がこの部屋に送られてきている。
リング上で繰り広げられる激戦。
警備兵や、雇った用心棒と、侵入者たちとの攻防。それらひとつひとつが、過剰なまでに配置されたカメラによってつぶさに記録されている。
──さて。一体、なにが目的だ?
一体なんのために、データをとっているのか。出資者のひとりである荒神にも老人はそれを明かしてはいない。
「そろそろ、このトーナメントの真意を教えてくれてもいいんじゃないか? ご老公」
「……」
あわよくば、この財団『ミス・クリエイション』を乗っ取るために出資もしている。老人の道楽にも付き合っているのだ。
いい加減、もう少し情報が欲しい。口に出してなど、無論言えはしないが。
荒神の問いにもしかし、老人は無言だった。
枯れ木のようなやせ細った両腕を組んで、じっとモニターの映像と、その周囲に表示された数値とを見入っている。
……無視か。よほど、事の推移が気になる、と。
まあ、いいだろう。
「いざとなったら俺も出る。まあ、心配せずトーナメントの行方を堪能するがいいさ」
どうせ、老い先短い身なんだからな。皮肉は、口にしなかった。
*
やっぱりどうしても、直接的な戦闘力はまだまだ一枚落ちる……か。
「す、すいません……っ」
コハクの一撃に救われた彩夜は、ふらつきながら立ち上がり、小さく頭を下げた。
「いや、気にしないで。美羽が守りたい相手は、僕にとっても同じ存在だから」
少しずつ、トラップや敵との遭遇頻度が増えてきている。このルートでもやはり、首魁の居場所が近いということか。
そのぶん、実力に劣る後輩の彼女には生傷が絶えないけれど。いや──彼女だってけっして、弱いわけじゃないのだが。
「彩夜ちゃん、怪我は?」
「大丈夫です。ありがとうございます、加夜先輩」
気遣う加夜に笑い返す彩夜。
まだ、無理をしているというほどではないにせよ──そろそろ、無茶をしているといったところ。
大きな落とし穴が待っていないと、いいのだけれど。
「それにしても、広いよね。ここって」
やはり先ほどのこともあってか壁が気になるのか、しきりにその構造材を触って確認しつつ美羽が言う。
そんな彼女に、彩夜が返す。
「太古の鏖殺寺院の施設から、時折見られる建造様式だと思います。うちの書庫にある資料でいくつか、見た覚えもありますから」
「そっか。──彩夜、伏せてっ!」
自身の持ちうる鏖殺寺院の知識で解説をしてみせた彩夜を、一瞬の後美羽は地面に押し倒し、伏せさせる。直後、彼女の頭があった場所を通過する光弾。掠めていったそれが床を焦がし、コハクと加夜とが天井に向かい武器を突き出す。
「伏兵!」
「逃がしませんっ!」
降るように眼前へと並び立つ、黒づくめたち。一体もう、これで何度目か。
それを、前衛のふたりが蹴散らしていく。
雑兵たちはコハクに叩き伏せられ、加夜の冷気に凍らされてその数をいとも簡単に減らす。
容易すぎる。──加夜もコハクも、感じることはそこに共通していた。やっぱり、まるで丁度いいサンドバッグが用意されているような、そんな感覚。
一体、なんのために。
思いながらも、彼女たちは降りかかる火の粉を払わねばならなかった。
「──……?」
そして、加夜は気付いた。壁面の、不自然な輝きに。
一瞬気を取られ、それが何であるかを呑み込んだ。また、隠しカメラ。こんなところにまで──思っていると、三方向から同時に黒服が飛びかかってくる。
「加夜先輩っ!」
「この程度で……やられませんっ!!」
三つの殺気は、既に察知している。とっさの彩夜の援護がひとりを撃ち落とせば、残るふたりを同時撃破するなど、造作もないこと。
地面にもんどりうって落下する黒い連中は、直後白く凍りつく。
「大丈夫?」
「ええ。彩夜ちゃんがひとり、倒してくれましたし」
それで、ひとまずこの場の戦いは終わりだった。
先ほど見つけたはずの、カメラのレンズがあった位置をそして、加夜は睨む。
「?」
だがそこに、見たはずの輝きは既にない。
「どうか、しましたか?」
手を伸ばし、石造りの壁面を撫でる加夜に怪訝そうに、ベアトリーチェが首を傾げる。
「なんでも、ありません」
──気のせい、だったのだろうか。それとも、記録する場合のみ、カメラが表面までせり出してくる仕掛けだったのか。
加夜にも残念ながら、その点に判断はつきかねた。
「先を急ぎましょう。彩夜ちゃんは、怪我は?」
「だいじょーぶ。ちゃんと守ったから。ね、彩夜」
「はいっ」
壁を破壊してほじくり出すことも考えたけれど、改めてそうするだけの時間が、今は惜しい。
トーナメントもそろそろ、佳境に入ろうかとしているはず。
そちらに参加し、時間を稼いでくれている面々のためにも、急がなくては。