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八月の金星(後)

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八月の金星(後)

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【四 本当の意味での予想外】

 再び、ノイシュヴァンシュタイン艦上。
 シルヴィア・セレーネ・マキャヴェリ(しるう゛ぃあせれーね・まきゃう゛ぇり)は、艦載用対潜ミサイル(アスロック)ランチャーで二種類の弾頭の調整に専念しているホレーショ・ネルソン(ほれーしょ・ねるそん)エシク・ジョーザ・ボルチェ(えしくじょーざ・ぼるちぇ)の真剣な面持ちを時折見やりながら、手にした分厚い資料に記されている情報を、必死に頭の中に叩き込んでいる。
(バッキンガムの弾庫容量は533mm魚雷換算で、24基分……ロサンゼルス級より、少し多いんだね。使用魚雷はPMk48。米軍のMk48をベースにしてるから、基本スペックは同じかぁ)
 発射管内に装填済みの4基を合わせると、合計28基の魚雷を搭載していることになる。
 ただ、同じ魚雷でもバッキンガムの場合はオーガストヴィーナスという『目』がある為、その命中精度はほとんど百発百中といって良い。
 つまり、28隻の艦を沈める攻撃力を持っているに等しい。
 一方ノイシュヴァンシュタイン側はというと、ホレーショが提案した二種類のアスロックで、バッキンガムを追い込みながらスクリューシャフトを狙うという戦術を採用している。
 但しこちらは、命中精度に於いてはバッキンガムの足元にも及ばないばかりか、オーガストヴィーナスが射出する映像体による迎撃で、どこまで効果が発揮出来るのかが分からないという不安要素があった。
「さて、取り敢えずはこんなものか……」
 ホレーショが汗を拭いながら、ランチャーに立てかけた脚立から甲板に降り立った。
 同じくエシクも、タオルで額の汗を拭きとりつつ、シルヴィアの傍らにゆっくりと降りてきた。
「ところで……バッキンガムのVLSに、ノーブルレディがいつの間にか搭載されていた……なんてオチはありませんよね?」
 シルヴィアから受け取った冷水入りのカップの中身に口を付けながら、エシクが冗談めかして問いかけた。
 これに対してシルヴィアは、幾分自信の無さそうな顔つきで曖昧に頷く。
「多分、それはない、と思う……バッキンガムのVLSはトマホーク仕様だから、弾頭径の異なるノーブルレディは基本的には、運用出来ない筈なんだよね」
「であれば、後は純粋に魚雷の撃ち合いという訳か」
 ホレーショも難しげな顔で眉間に皺を寄せ、自身が考案した追い込み戦術がどこまで有効なのかを、改めて思案した。
 相手が普通の潜水艦であれば、ヴェルサイユとの連携も併せて、確実に追い込むことが出来るだろう。
 しかしバッキンガムは本来の意味での、潜水艦の常識を完全に逸脱している。
 他の潜水艦と同じ条件なのは水圧を受け、航行速度も然程には変わらないという部分だけであり、それ以外の面ではあらゆる追随を寄せ付けない。
 中でも矢張り厄介なのは、オーガストヴィーナスであった。
 このシステムから射出される物理接触点を持つ映像体は、単純に『目』としての役割だけではなく、水中迎撃にも威力を発揮する為、バッキンガムの艦体に迫る魚雷を早い段階で迎撃することが可能であった。
「こうなってくると……矢張り、DSRVで乗り込む連中の働きが全てを決する、といっても過言ではないようだな」
 いいながらホレーショは、事前のブリーフィングで配布されたDSRV乗員名簿を取り出して、そこに視線を落とす。
 彼が聞いている限りでは、佐那が艦内からスクリューシャフトの破壊に動くということぐらいで、それ以外の面々に関しては、誰がどのように動くのかについて、あまり詳しくは聞かされていなかった。
「一応、佐那には電気配線情報をひと通り送ってはありますけど……これも、本当に役に立つのかどうか」
 エシクが心配しているのは、佐那の技量ではない。敵が電気配線以外のものを使い、艦内ネットワークを自在に構成し得るのではないか、という部分であった。
「聞けば、謎の敵は物質と非物質を自在に使い分ける能力も持っているようです。もしそうなら、こちらが幾ら電気回路を物理的に破壊してみせたところで、敵はその都度、粒子を物質化させて新たな回路を作り出すことも可能、という話になります」
「つまり、相手はほぼ無限に近しい回復手段を持っているという訳か……それも、そのエネルギー諸元は機晶エンジンときている。艦全体を破壊でもしない限り、いたちごっこに終わるということだな」
 考えれば考える程、厄介は話であった。
 アスロックによる外部からのスクリューシャフト破壊、或いは内部から佐那の手による攻撃も、一時的にはバッキンガムの動きを止めることにはなるのだろうが、それもすぐに回復されてしまうのが目に見えている、ということになる。
「バッキンガムの中央管制システムとオーガストヴィーナスが繋がっていることばかりに目を向けていたけど、敵の能力がどういう効果を発揮するのかについてまでは、ほとんど誰も考えてなかったもんね」
 シルヴィアが渋い表情で、奥歯を噛み締めた。
 彼女が思うに、コントラクターという存在は技術的な面では確かに優れているが、発想の柔軟性という部分では幾らか欠落していると認めなくてはならなかった。

 ノイシュヴァンシュタインの艦内デッキでは、クマラ カールッティケーヤ(くまら・かーるってぃけーや)がホエールアヴァターラ・クラフトの起動準備を進めている。
 クマラはホエールアヴァターラ・クラフトにメシエ・ヒューヴェリアル(めしえ・ひゅーう゛ぇりある)を乗せて、囮と索敵を兼ねた洋上航行に出る算段を立てていた。
 ホエールアヴァターラ・クラフトの本来の長所を発揮する為には、矢張りある程度の潜水は必要である。
 しかし敵の攻撃が海上付近にまで達するようであれば、即座の離脱も必要となるから、ということで、クマラとメシエには潜水装備一式が貸し出されていた。
 もしクマラのホエールアヴァターラ・クラフトが撃沈されるようであれば、すぐに身ひとつで洋上に離脱しなければならない。
 その際には、或いは海中での離脱も必要となる。
 与えられた潜水装備は、いわばふたりにとっては命綱的な役割を果たすことになるだろう。
「しかし、クマラにしては珍しいね。借りた装備を、普通に装着しているとは」
 メシエが傍らで装備を身に着けているクマラに視線を飛ばし、変な苦笑を浮かべた。
「オイラそんなことはしないのにゃ。こういうことには、シビアなのにゅん」
 心外な、とでもいわんばかりの勢いで、クマラが胸を張る。
 無論出来て当然の話なのだが、クマラの性格を考えると、メシエが珍しいというのも無理は無い。
「オイラだって、古代王国時代には従軍経験があるんだぞー」
 いつも以上に自慢げな様子で胸を張るクマラを、メシエは依然として苦笑を浮かべたまま眺めている。
 と、そこへセリオス・ヒューレー(せりおす・ひゅーれー)が幾分慌てた様子で、艦内デッキを横切ろうとしていた。
「おーい、何かあったのにゃ?」
 クマラが興味本位で呼び止めると、セリオスは相変わらず慌てた様子のままであったが、クマラとメシエの為に足を止め、わざわざ歩を寄せてきた。
「丁度良かった。君達にも知らせておかなければならないことがある」
 思わぬ対応を受けて、クマラとメシエは互いに顔を見合わせた。
 しかしセリオスはそんなふたりの様子などまるでお構い無しに、言葉を続ける。
「この艦の進路上に、島があるんだ」
「……そりゃあ、島ぐらいあるだろう。ここはパラミタ内海なんだから」
 一体何をそんなに慌てる必要があるのかと訝しんだメシエだが、次にセリオスが放ったひと言は意外を通り越して、驚きに近しい感情を彼らに与えた。
「この海域では既に、何年も前に正確な海図作成が終わっている。そのことを踏まえていうけど……今、この艦の進路上に現れた島っていうのは海図には載ってない島なんだよ」
 だから慌てている、とセリオスはいう。
 海図に乗っていない島が忽然と現れる――そんな馬鹿な話があるものか、とメシエは小首を傾げた。
「では、この艦が進路を誤った、もしくは海図を見間違えたという可能性は?」
 セリオスはその可能性は低いと、かぶりを振った。
 というのも、ヴェルサイユ側でも確認に確認を重ねており、ノイシュヴァンシュタイン同様、進路に誤りはないとの判断が出ているとのことであった。
 そうなると、海図に載っていない島が忽然と現れた、ということになる。
「幾ら何でもそれは……といいたいところだけど、パラミタでは常識なんてものは、あって無いようなものだからね。島がいきなり誕生したとしても決して驚かないよ」
「それは、コントラクターだからそう思えるのであって、一般シャンバラ人の国軍兵には、そこまで開き直るのは無理な話さ」
 セリオスの言葉にも、一理あった。
 それにしても、とセリオスは困った様子でかぶりを振った。
 彼にしろ他のコントラクター達にしろ、バッキンガム相手での不測の事態にはそれなりに心構えが出来ていたから、何が起きても動じないだけの覚悟は出来ていた。
 しかしよもや、無い筈の島が突然現れるなどという事態が起きようとは全く想定していなかったものだから、その混乱はすぐには収まりそうにもない。
 流石にブロワーズ提督は動揺するには至っていないものの、今後の作戦に大きな支障が出る可能性も考え、早速に情報収集を展開させていた。
「とにかく、前方に島があるということは、手元にある海図もどこまで信用出来るか分かったものじゃない。最悪、目に見えるものだけを信じて行動しなくてはならなくなる可能性もある。ふたりも、その点をしっかり頭に叩き込んでおいて欲しい」
 それだけいい残すと、セリオスは他のコントラクター達にも事情を説明する為、慌てて艦内デッキを走り去っていった。