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【九 海中戦】

「魚雷が来るぞ! 全員、衝撃に備えろ!」
 ルカルカからの連絡を受けて、カルキノスが周囲のコントラクター達に警鐘を鳴らした。
 バッキンガムに乗り込んでいた面々は、まさか自分達が魚雷の標的にされようなどとは夢にも思っていなかった。
 直後、バッキンガム艦体が左右に激しく揺さぶられ、そこかしこで怒号や悲鳴が響き渡った。
 直撃は免れたらしいが、それでも艦内に走った衝撃は凄まじいものがあった。
「ダリルさん、大丈夫!? 集中出来てる!?」
 中央管制システムへのハッキングを試みていたダリルのサポートについている蓮華が、手近の制御盤にしがみついた格好のままで問いかけた。
 ダリルも同じように、司令室の中央管制システムへの簡易制御用インタフェースである操作盤に張りついたまま、しかしその表情は集中力を切らしている様子は無く、ただ静かに頷いた。
 だが、この時ダリルが放った台詞は、蓮華の予想を覆すものであった。
「オーガストヴィーナスが、協力を申し出てきている」
「えっ……それは一体、どういうことなのだ!?」
 淵が驚いて、問い返してきた。
 否、淵だけではなく、その場に居た全員が、ダリルの放ったひと言の意味を理解出来ていなかっただろう。
 そんな彼らに対し、ダリルは尚も淡々と言葉を続けた。
「ハッキングして、初めて分かった。彼らは……オーガストヴィーナスは、最初から暴走はしていなかったし、狂ってもいなかった。あらかじめプログラムされていた通りに、動いていたのだ」
 艦内放送を通じて語られたダリルの説明は、DSRVで突入してきた全てのコントラクター達に、強い衝撃を与えた。
 勿論ダリル自身も、オーガストヴィーナスに対する接続を介して、驚きの念を抱かなかった訳ではない。
 しかし今は、大方の事情を理解するに至っている。ここで他のメンバーと同じように動揺した姿を見せてしまっては、自身の言葉の信憑性が失われることを十二分に理解していた。
 ダリルの補助でサブハッキングに入っていたスティンガーも、ダリルと同じように努めて冷静に振る舞っている。少なくとも蓮華や淵などよりは、余程ダリルに近しい表情を見せていた。
「バッキンガムの真の目的……それは、シベルファーの渡り島を誘い出し、その実体を世間の明るみに出すことだったんだ」
 スティンガーの説明は、蓮華と淵には今ひとつ、ぴんと来なかった。
 そもそもシベルファーの渡り島とは何なのか、そこがまず、理解出来ない。
 だが今は、接近してくる謎の敵を迎撃することに専念しなければならなかった。
「詳しい説明は後だ。これからオーガストヴィーナスが、乗員モードで艦内に出現する。彼らの指示に従ってバッキンガムを操作しなければならない」
 ダリルの艦内放送で、バッキンガム艦内に展開するコントラクター達の間に、軽い動揺と混乱が走った。
 が、時間は彼らを待ってくれない。
 そうこうするうちに、艦内の各所に映像体が姿を現したのだが、その全てが、神隠しに遭った筈のバッキンガム乗員達であった。
 彼らには、表情が一切ない。まるで機械のように冷たい能面を見せており、その存在自体が、偽りのものであるかのような感覚をコントラクター達に与えた。
「彼らはもともと、この世には存在しなかった……つまり、最初から映像体だったのだ。神隠しに遭ったというのは単なる演出に過ぎなかったという訳だ」
 しかし、バッキンガム乗員の全員が全員、映像体だった訳ではない。
 実際、前回の救出劇でDSRVに搭乗して脱出した乗員は、間違いなく普通の人間だった。映像体だったのは操艦に必要な最低限の人員に限定されていたのである。
「現在彼らは、シベルファーの渡り島から出現した機械生物の電磁波動放射の影響を受けて、中央管制システムを利用してのバッキンガム操作が不可能になっている。そこで俺達コントラクターに操作指示を出そうという協力案を申し出てきた訳だ」
 即ち――現在バッキンガムに乗り込んでいるコントラクター達自身が、バッキンガム操艦を担当しなければならないという訳である。
「各員、どこでも良い。手近の配置に就け。操作自体は、オーガストヴィーナスが艦内に出現させた映像体の乗員が教えてくれる」
 最早、四の五のいっていられる状況ではない。
 謎の巨影が次なる魚雷を放ってきているという連絡が、カルキノスを通じて艦内にもたらされていた。
 コントラクター達は慌ててそれぞれの配置に就き、バッキンガム操艦へと突入した。

「皮肉な話だぜ。こちとらオーガストヴィーナスを破壊しに来たってぇのに、逆に助けられるなんてな」
「やっぱり、ボク達は掌の上で踊っていただけ、ってことになるね」
 ソナー手の配置に就きながらもぼやくシリウスに、サビクが苦笑を返した。
 だが、いつまでもぶつくさいっている訳にはいかない。シリウスの鼓膜には、接近してくる魚雷の反応音が確かに響いているのである。
「魚雷、接近! 二時の方向! 距離、3080!」
 シリウスはすぐさま気持ちを切り替え、ソナー手としての役目を果たす。
 彼女の報告はすぐさまダリルへと伝えられ、ダリルからオーガストヴィーナスを経由して、コントラクター達へと伝達される。
 全く門外漢のジェライザ・ローズは、何故か航海士のポジションに就いていた。
 幾らオーガストヴィーナスの補助があるとはいっても、これは中々に厳しい作業であった。が、泣き言をいっている暇はない。
 シリウスからの報告を受けたジェライザ・ローズは、魚雷回避の移動コースを即座に割り出さなければならないのである。頭の回転が速くなければこの役目は務まらず、そういう意味では、医師として即座の判断力を鍛えいていた彼女は、適任であるともいえた。
「回避運動! 取り舵一杯!」
 迫り来る魚雷とすれ違い、爆発到達点を後方に逸らそうというのが、ジェライザ・ローズの狙いであった。
 操舵手の位置に就いている淵が、操舵桿を右に廻す。艦体が急速に右側へと倒れ始めた。
 機関室では、理沙とセレスティアが機関士の役割に就いていた。
 淵の操舵に応じて、機関部の出力を調整しなければならないのである。
「乗組員の皆さんを助けに来た筈なのに、逆に私達の方が助けられるなんて、本末転倒な話よねぇ」
「理沙、ぼやくのは後で良いから、とにかく今は任務に集中しましょう」
 しかし、機関出力の割には、バッキンガムの速度は思った程には出ない。
 それもその筈で、艦内からは佐那が、そして海上からはホレーショ達のアスロックがスクリューシャフトに打撃を与えてしまっていたのである。
 その為、回転速度が著しく鈍っており、速度が出ないのも当然といえば当然であった。
「このままじゃあ、撃沈されるのも時間の問題かもねぇ」
「もう、理沙ったら……そういう縁起でもないことを、さらっといわないの」
 機関室内での理沙とセレスティアのやや諦観めいたやり取りを、ダリルはオーガストヴィーナスの艦内ネットワークを通じて漏らさず聞き取っており、思わずその口元に苦笑が浮かぶ。
 だが、その表情はすぐに厳しい色へと転じた。
 シリウスが、更なる魚雷接近の報告をあげてきたからだ。
「これは、かわしきれないか……バラスト排水! 急浮上して、魚雷をかわす! 操舵、面舵!」
 ジェライザ・ローズの指示に従い、淵は慌てて操舵桿を逆に廻した。
 これだけ激しく艦体を上下左右に揺らしているのだから、艦内のコントラクター達も、如何に優秀な肉体を持っているとはいえ、中々にその衝撃は厳しいものがあった。
 特に船酔い体質の強い鈴などは、もう地獄の中に放り出されたようなものであった。
(ひとまず……バッキンガムが最初から国軍の監視下にあった、ということが分かったのは良かったけど……ちょっとこれは、どうしようもないかも)
 鈴自身、諸々の思惑を持ってバッキンガム突入班に参加していた訳だが、彼女の『相手』となるべき者が目の前に居ない為、本当にただ船酔いで酷い目に遭うだけという、あまり嬉しくな事態に陥っていた。
 しかし、こういつまでも逃げ回っているだけでは、何の解決にもならないのではないか。
 船酔いに苦しみながらも、その旨をダリルに伝えてみたが、ダリルは渋い表情でかぶりを振った。
「反撃したいのはやまやまだが……肝心の魚雷発射管が、使用不能に陥っている」
 鈴は思わず、天を仰いだ。
 そういえば敬一と淋が、魚雷発射管を使用不能にするといっていたのを、今更ながら思い出した。
 よもやオーガストヴィーナスが味方に廻るなどとは想像だにしていなかった為、自分で自分の首を絞める結果となってしまったのである。
 そういう意味では、電装系を破壊して廻っていたアルや吹雪の破壊活動も、今となっては大きな痛手となっていた。
 彼らの行動は全て、裏目に出てしまったのか――いや、実のところをいえば、これら破壊活動も、必要な措置であるというのが、ダリルの見解だった。
「この艦は、撃沈されることも目的のひとつに含まれている。つまり、これまで行われた破壊活動は予定内の作戦行動としてカウントされる訳だ」
 ダリルの説明に、シリウスの傍らでソナー警戒の補助に廻っていたサビクが、怪訝な表情を浮かべた。
「沈められることが目的って……そもそも、この艦は予算を大量投入して建艦された機密なんじゃないの?」
「勿論そうだ……だがそれ以上に、ウィシャワー提督は本来の目的を果たす為なら、バッキンガム撃沈すら予定内だと考えているようだ」
 バッキンガムは、悲劇的な運命を背負うことそのものを、任務として与えられている、とダリルはいう。
 であれば、最終的には全員がDSRVで脱出を果たし、バッキンガムを見捨てなければならない。
 その決断には、誰もが逡巡の思いを抱かざるを得ないだろう。