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【逢魔ヶ丘】かたくなな戦場

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第6章 休憩、そして予兆


 クルシイ クルシイ

 ココハイヤダ タエラレナイ


「お前、誰だ……コクビャクか?」
 小屋に満ちた苦しげな唸り声の合間に、自分たちへ向けられたと思われる誰何の声を聞きつけ、綾瀬は答えた。
「違いますわ。言うなれば、通りすがりの契約者ですわね……
 お話しするのも苦しいのでしたら無理にお答えにならなくても結構ですが、こちらにいらっしゃるのはパクセルム島の方々かしら?」
 シーツ代わりの布にくるまり、体を折って床にへばりつくように横たわる守護天使の男は、目だけを布の上から出して綾瀬の方を見て、頷いた。






 会議は一旦休憩ということになった。
 途中退出したザイキはまだ戻ってこない。ザイキ以外の代表団メンバーも部屋を退出した。残ったのは契約者たちだけだ。捜査官たちは、空京の警察本部に連絡を取るべく、停泊する飛空艇に向かった。
「私の言葉で……怒っちゃった……?」
 ザイキが、明らかに不審なタイミングで出ていったことを気にするネーブルを、気遣うように画太郎がぽんと腕を叩く。
「うん……だいじょうぶだよ、がぁちゃん……
 でも……これから、どうなるんだろ、会議は……」
 
 突然、扉が開いた。
 入ってきたのは、例の若い自警団の班長3人組――ムセ、ガーテア、リオシスである。
「貴方がたは……」
 エヴァルトが声をかけるより早く、ムセがしっ、というように唇に指を当てた。どうやら、外にいる長老たちとは別の意志で、契約者たちの前にやって来たらしい。察した一同は、静かに一つのテーブルの周りに集まった。3人の守護天使はそのテーブルの前に腰かけた。
「あの……俺らも、こんなこと話していいかどうか、分からないんすけど」
 ガーテアが口を開く。会議の場よりは幾分砕けた喋り方だ。
「ザイキ自警団長のことは、気にしないでください。あの人、ちょっと……その、事故みたいなものにあってから、その」
「ガーテア」
 リオシスが口を挟んだ。諦念を含んだ、澄んだ目で仲間2人を見据える。
「この人たちにはごまかしは無駄だと思う。ありのままに話そう」
 その言葉に、ガーテアは固く頷いて、言った。
「団長は、コクビャクの侵入者と戦って、何かバイオ兵器みたいなものを喰らってから、精神的に不安定なんです。
 貴方がたに腹を立てて出ていったわけじゃないんです」
「バイオ兵器!?」
 一瞬、全員がぎょっとして声を上げた。
「あ、いや、バイオ兵器と決まったわけじゃないんですけど……
 何か分からない、灰みたいに細かな粉のようなものを撒き散らされて、団長や何人かの自警団員がそれを浴びてから、体調を崩しているんです」

 今度は全員が、息を詰めた表情で互いに顔を見合わせた。
 それは、コクビャクが持つ『黒白の灰』に違いない――非魔族を魔族化させるという。

「団長はそれから、血を見ると酷く精神が昂ったり、残酷な言葉を聞くと我を忘れたりするようになって……
 団長の中で何が起こっているのか分からないけど、自分で自分を抑えようとして苦労しているみたいです」
 ムセが憂鬱そうな口調で呟くように言った。
 ――守護天使たちは、黒白の灰というものの実態を、その使用目的を知らないのだ。
 魔族化。


 ――目を潰して鼓膜を破って喉を潰しても……いいから――

 ネーブルのあの時の、惨い光景をも連想させる表現は、彼女にとっては、事に向かう自身の覚悟を示すための言葉だった。
 だが、それを聞いたザイキの中の、芽吹きかけた魔族の「原本能」は、その言葉で何か違う化学反応を起こしたのだ。
 魔族の中には、血や闘争を本能的に好む者もあるという。それが、バルレヴェギエ学派のいう「原本能」に含まれるものだとしたら。
 自分の中に芽生える魔的な感情に抗おうと、ザイキは苦しげな声を上げて、衝動的に部屋を飛び出していったらしかった。


「団長は多分、『小島の小屋』でしばらく休憩して、落ち着いたら戻ってくると思います。……けど」
 ムセはそこまで言って、困ったように口をごもった。後を引き受けるような格好で、言葉を継いだのはリオシスだった。

「正直俺たち、さっきの話し合いで、実際には自分たち自身のことを何も理解してないんじゃないかって気付いたんです。
 一族の栄光、恥、今抱えている闘争の意味、この島と一族の歴史……すべては漠然と、穢い部分はぼかしながら、前の世代から聞かされ受け取ってきたものばかりで。
 貴方がたの言う『大変なこと』も、ここに来るまでは、島民だけで解決できると信じていた。でも、今は……

 ……この島と仲間たちを守るために、俺たちはどうするべきなのか、何が正しいのか。分からなくなってしまって」

 青年たちの顔には、迷いと苦悩の影があった。


「……空京警察は、貴方がたと共闘する準備があります。だからこそ、この島の方々の意志を尊重して、この話し合いの場に着いたんですから」
 エヴァルトが口を切った。
 灰の被害者が出ているとなると、より一層、事は急がれなくてはならない。
「さっきも申しあげたとおり、貴方がたの誇りに傷をつけることはしたくない。
 でも、誇りだけでは、守れないものがあります。誇りのために死ぬことを止めはしません、ですが、その誇りもろとも滅びることは、望むことではないのでしょう?
 仲間のために戦う貴方がたには、十分分かると思います。
 今回だけで構わない、我々を信じていただきたい。そのために貴方がたからも、長老様たちに働きかけてはもらえないでしょうか」
 3人はエヴァルトを、そして契約者たちを見る。もう、バカにするような薄ら笑いはない。 





「……つまり、コクビャクとの戦いで散布された“粉のようなもの”を浴びて、体調を崩した自警団員の方々なのですね、ここにいらっしゃる皆様は」
 綾瀬はそう呟き、床を埋める病人の群れをざっと見渡した。
「隔離されているということは、感染する病なのでしょうか?」
 えっ、と、ベリアルが後ずさりしそうになるより早く、
「違う。隔離されてるわけじゃない」
 先程から綾瀬に説明している、病人の一人がそう言った。息は苦しそうだが、話せるところを見ると、他の者たちよりは体力に余裕があるらしい。
「よくは分からんが、あの“粉”で、俺たちは何か、内側から変質しているんだ」
「どういう意味ですの?」
「島に働く、侵入者に負荷をかけて動きを封じるための結界は、本来島民には効かない。
 なのに、粉を浴びた者たちは、結界の力に苦しめられるようになった。体が変わってしまったんだ。
 だから、島を出てここにいる。
 ただ、島から近いから、結界の力はまだ少し作用している。それでみんな、苦しくて横になっているんだ」
「……でしたら、影響の届かない、もっと遠い場所に小屋を作ればよろしかったのに」
 実際、小島は周辺に幾つでもある。小屋を建てられそうな立地のものだって、別に少なくはない。
 綾瀬のもっともな疑問に、病人は鋭い一瞥を向けて吐き捨てた。
「島からあんまり離れたら、あいつらがまた来た時、どんなことになるか……!」
 そう言うと、もう堪えられなくなったのか、ごろりと寝返りを打った。
「どんなこと、とは」
「ねーねー綾瀬、もしかして、ボクらの体がここにきて重くなったのって、その結界って奴の影響かなー?」
 べリアスが呑気に尋ねる。
 そうかもしれませんわね、そう答えようとした時、急に扉が開いた。

「奴らが来るぞ、気を付けろ!!」
 入ってきた、フードをかぶった守護天使の男が、肩で息をしながら大声で叫んだ。