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【逢魔ヶ丘】かたくなな戦場

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【逢魔ヶ丘】かたくなな戦場

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第2章 上と下


 キオネ・ラクナゲン(きおね・らくなげん)は、ほとんど千年ぶりに、故郷の空にいた。
 薄く、冷たく、喉にひりひりするような厳しさを感じる空気。
 ――再びあの島を目にする日が来るとは思わなかった。


 パクセルム島のはるか上空は、気流の流れが強く、風が湧いては流れ、吹き散らされてはまた湧く。
 ルカルカ・ルー(るかるか・るー)の操縦する『高速飛空艇ホーク』は、この気流の中を、しかし流されもせずしっかりと飛行する。
「風は強いけど、まだ乱気流ではないわね」
 機内でもごうごうという音が聞こえそうなこの気流の中を飛ぶことに、ルカルカは全く臆してはいない。むしろ、難局を前に燃えている。
「もうすぐ島の真上まで行けそう。そっちはどう?」
 HCでパートナーのダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)に連絡すると、
『こっちもちょうどいい場所を見つけた。もういつでもデータを受け取れるぞ』
 淡々とした調子で応えがあった。
 ダリルはこの飛空艇よりもずっと低い場所、パクセルム島のある島しょ群の中のいずれかの適切な島の上で『小型飛空艇アラウダ』を静止させ、ルカルカがパクセルム島上空から送ってくる予定のデータを待ち受ける格好だ。それらを解析して、必要な情報を、周辺調査に出ている空京警察やデータ受信の準備のある契約者たちに送信する。情報基地の役目を自任していた。
 ルカルカの高速飛空艇ホークは、ダリルによって電子的迷彩になるよう“迷彩塗装”されていた。他にも二本の『聖槍ジャガーナート』による速力強化、【強化装甲】による耐久力向上など、この困難な飛行を支えるべく様々な備えを施している。
「キオネ、もうじき島の上空に到達するわ」
 ルカルカは、機内にいるキオネに声をかけた。
 ――島の俯瞰図を見たいと考えていたキオネに「自分の眼で確かめたかったら、一緒に乗る?」と声をかけ、一緒に乗せてきたのだった。
「……そうか。驚くほど速いんだね、この艇」
 座席にちんまりと座ったキオネはそう感嘆して、ごくごく薄い笑みを返した。
 この飛空艇に乗ってからずっと、キオネがどこかぼんやりと、物思いに耽る様子であることに、ルカルカも気付いていた。
 綾遠 卯雪が攫われてから、ずっと気落ちしているとは聞いていた。それとはまた別に、パクセルム島は彼の故郷ではあるが、単純に懐かしいと感傷に浸ることはできない思い出に満ち、そして今となってはもう二度とそこに上陸することは叶わないと彼自身が諦めている場所である。
 複雑なさまざまな思いに胸が塞がっていたとしても不思議ではない。
「島の地理を知りたいから、いろいろ教えてね」
 そのような複雑な事柄に頼まれもせぬのに踏み込むのはどうかと思われ、ルカルカはわざと明るく、そう声をかけた。
「千年以上前の記憶だからなぁ……俺にも全く分からなくなるくらい、あんまり変わりすぎてたらどうしよう」
 キオネはそう言って、さっきよりはほんのぽっちり、明るさを増した笑いを見せた。
 

 クリストファー・モーガン(くりすとふぁー・もーがん)クリスティー・モーガン(くりすてぃー・もーがん)もまた、島の上空調査を始めようとしていた。
「結界の上限が見てはっきり分かるといいんだけどな」
 『水雷龍ハイドロルクスブレードドラゴン』に騎乗するなどドラグーンとしての装備を整え、遥かな高みを目指しながら、クリストファーはひとりごちた。そうすれば、保てばいい高度も分かる。
「映像を解析すれば分かるかもね」
 【小型飛空艇オイレ】に乗るクリスティーは、クリストファーより低い高度で、結界に当たらぬよう島の上空を少し逸れ気味に飛行している。そこまで高く飛べないと思っているので、クリストファーが通信で送る映像をコンピュータにデータとして蓄積する係に徹するつもりだった。
 冷たい、薄い空気は相当な勢いで流れていく。太刀打ちできそうにない強烈な乱気流に出会うことに注意しながら、クリストファーはドラゴンを駆る。強すぎる気流を感じたら、(結界に当たらないだろうと目算を付けられる範囲で)高度を下げ、島の上空へと天翔けていく。
 雲海の中、明度は目まぐるしく変わる。流れる雲に視界は埋まり、また開ける。ドラグーンにクラスチェンジして、前よりもドラゴンでの飛行は上達したと信じたい。そう考えながら、状況を判断するために出来るだけ冷静さを保ちつつ。
 ドラゴンはまるで自身が気流の一つであるかのように堂々と、雲海を貫いて翔けていく。
 ふと、足元の雲が、ふっと晴れた。

 島の影が、遥か下に見えてくる。

「……」
 よく目を凝らしてみていると、ある地点から、流れていく雲の動きが少しだけ違うことに気付く。何もない虚空で、まるで何かにぶつかったかのように、それまでの風の流れとは違う方向に散っていくのだ。風も、その地点で跳ね返されたように、別方向にそれていくのが分かる。
「もしかしたらあの辺りが、結界の切れ目かも」
 目には移らなくても、空気が遮断され、風が跳ね返されるのを見れば、結界の上限を見極められるかもしれない。クリストファーはクリスティーに『銃型HC』でそれを伝え、「画像を送るから」と告げた。
(……もしかして、あの辺りまで、上から下りていけば、結界に乗っかる事ができるのだろうか)
 ふと、そんなことを考えてしまった。
(結界の上を歩けたら、空中歩行みたいでちょっと面白そうだけど……結界の切れ目があったら落っこちるしなぁ……)
 そんなことを考えながら子供のようにちょっと心がむずむずしているのを、送られてきた映像をせっせとコンピュータに取り込んでいるクリスティーは知らない。




「上空からの調査をされる方は他にいらっしゃるようですし」
 と呟いて、中願寺 綾瀬(ちゅうがんじ・あやせ)は、敢えてパクセルム島の「下」、その周辺を調査することを選んだ。
 常のように漆黒の ドレス(しっこくの・どれす)を身に纏い、魔王 ベリアル(まおう・べりある)を連れて、『パーソナルスラスターパック』を着用して島の下方の外壁を沿うように飛ぶ。切り立った崖に似た島の土肌には、人の手によるものらしい施設の影はおろか、自生植物の一つもない。
 上空ほどではないだろうが、パクセルム島自体がかなりの高度に位置するためだろう、気温はそれなりに低い。
「思ったより肌寒いですこと。ベリアル、ドレス、大丈夫ですか?」
「心配ないわ」
「へっちゃらだよー」
 風がごうごうと吹きつける中、一行は、島のほぼ真下に到達しようとしていた。
 ちょうど下方へ突き出た形の島の最下部の下に、幾つもの小さな島、とも呼べない小島――十人くらいがその上に立てばもう身動きが取れなくなりそうな、そんな欠片のような小さな島がある。まるで島の真下から土がしたたり落ち、その雫が空中に留まり残っているかのようだった。
「一度、あそこに降りましょうか」
 その中の一つを綾瀬が指差し、一同はそこに降り立った。綾瀬のパーソナルスラスターパックにせよベリアルの『魔黒翼』にせよ、その気になれば相当な速度で飛行することが可能だが、何かを探している、という場合、速度に任せた移動では見落とす可能性がある。一度立ち止まり、調査する方向を定めてから再び飛び立とうと考えたのだった。
 真下から島を見上げると、剣のように下に突き出した最下部からの奥行きが凄かった。その光景そのもので充分なのだが、それを超えて伝わってくる圧迫感は、この島全体を覆っている、余所者排除のための結界なのかもしれない。
 しかし綾瀬は平然として、【ディメンションサイト】を使って周囲の地形や点在する小島の様子を注意深く観察する。
 ――結界の「穴」。
 キオネの話を聞いて、綾瀬が最も不思議に思ったのは、何故魔族である魔鎧職人のヒエロ・ギネリアンが、厳重な結界に覆われた島内に入れたのかということだった。島民は彼を排除しようとはしなかったのだろうか? キオネの記憶は、ところどころは鮮明でヒエロの出現、自分とエズネルをザナドゥに連れ帰ったということははっきりしていたが、ぼんやりしていて曖昧な点も多い。何のためにヒエロがその島に行ったのかは知らない、聞かされていないという。
(もしかしたらヒエロ様はこの島の住民に招かれていた存在かもしれない?)
 そんな風にも考えられるが、調査に出る前にキオネに聞いた話では、島内でヒエロを見たのはその時一度きりで、その後彼の手で魔鎧となって生活を共にするようになってから、ヒエロがこの島に出向いたという様子はなかったというので、我ながらあまり自信がある説だとは言えない。もっともキオネの記憶が正確であるという保証はないし、この島にいたのはまだずいぶん若い時だったので見えなかったものもあるだろうが。
 とにかく、厳重に閉ざされたこの島に空いている「穴」が見つかれば、そこから新たに見えてくるものもあるだろう。

 一方ドレスも、彼女なりに推測するところがあった。
(『丘』と言うか……何かを隠したがると言うことは、現在進行形でその場所において何かが起きている状態だと予想する事ができるわね)
 綾瀬とともに、彼女もまた、様々な話を聞いている。それらを頭の中で纏め、自分なりの予想を立ててみる。
(もしかして……魔鎧を着た暴走状態のヒエロって人がそこに居るのかしらね?
 手に負えないなら、ただ独り野放しに好き勝手やらせてれば良いって事なのかしら)
 しかしそれもまた、今はただ見えぬ事実を前にした憶測に過ぎない。この探索が真実につながる断片を見つけさせてくれることを信じるばかりだ。
 それにしても。
「ベリアル、」
 ドレスは傍らに立るベリアルに声をかける。ベリアルは、綾瀬が何か違和感を感じたり結界が弱いと感じ足りした個所があれば、突破できるか全力で突撃をして試してみるつもりで、脇に立って綾瀬と一緒に島の下部を見つめている。呼ばれてドレスの方を――綾瀬が纏っているのだから同時に綾瀬の方にも――向いた。
「何?」
「『ヒエロ』って、昔、何処かで聞いたような気がするんだけど……
 ベリアル、あなたは何か記憶にない?」

 その名前が何か、脳裏に引っかかる。茫洋とした記憶の果ての何かに。
 同じ一つの魂から分かたれた間柄のベリアルには、もしかしたら自分以上の何か記憶があるのではないかと思い、訊ねると。

「……あ〜、ヒエロ……ね」
 ベリアルは二、三度、眼をぱちぱちとさせ、それから表情は変えずに一度大きくふうっと息を吐いた。
「どちらかと言えば僕よりドレス、キミの方が関係は持っているはずだよ?
 僕は分けられ、それを見ていたに過ぎないけど――キミはその姿になったんじゃないか。
 つまり、僕達が知っているヒエロとは『そういう存在』なんだよ」

 ドレスからの応えはなかった。
 まぁ、今となってはどうでもいい事だけどね? ベリアルは目をくりくりさせて、そんな風に事もなげに結んだ。
 風が急にごうごうと強く吹き抜け、ドレスの裾も、ベリアルの髪もせわしなくたなびいた。
 誰が何を言っても風音にかき消されそうな時間が、数秒たった、のち。

「――あれは、何かしらね?」
 口を切ったのは、ある場所を指差し示す綾瀬だった。



 剣のように突き出た島の最下部、先端の近く。
 そこにこっそり寄り添うように在る小さな島の岩陰にあるのは、どうみても「小屋」だった。