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第四章


 ドクター・ハデス(どくたー・はです)は空京銀行の隠し口座から、オリュンポスの活動資金を引き出して、カジノで一儲けして、秘密結社の活動資金を稼ごうと考えていた。
「ククク、ポーカーというものは、要は記憶術によるカウンティングを元に、
博識にもとづき確率計算をおこない、相手の手を行動予測して、
危険であれば【戦略的撤退】をするだけのことであろう」
 そう言って、自信満々に座ったテーブルの先にはディーラーをしている葛城 沙狗夜(かつらぎ・さくや)の姿があった。
「それではポーカーで勝負だ!」
「よろしくお願いします」
 ハデスは確率や記憶術で勝利をもぎ取れると確信しているようだったが、それは相手がイカサマをしないことが前提の話である。イカサマをされてしまえば確率などというものはあっさりと吹き飛んでしまいものだ。
 三度連続は勝たせず、負け四度連続はしないという勝敗まで完璧にコントロールしてしまった沙狗夜のディーラースキルを前にハデスも焦りの色を見せる。
「……くっ、確率論的には、そろそろこちらが勝てるはずなのだ! レイズだ!」
「それでは、勝負です」
 数時間後、そこには自慢の白衣とパンツだけを身にまとったハデスの姿があった。
「お客様、いかがなされますか? もう、ベットするお金も無いようにお見受けしますが」
 沙狗夜がそう語りかけると、
「兄さん!」
 高天原 咲耶(たかまがはら・さくや)がハデスに飛びついた。
「ようやく追いついたわ! なに勝手に、我が家の家計費を引き出してるんですかっ! ただでさえ、今月は家計が苦しいんですから、早くお金を返してください!」
「そんなことを言われても全て取られてしまったぞ」
「……は?」
「丁度良い、今度はお前を賭の対象としてギャンブルをしようとしていたところだ」
「え? え?」
「よろしいのですか?」
「うむ、次の勝負に俺の妹を賭けよう」
「ちょっと兄さん!」
「グッド!」
「よくありませんよ! なんであなたもあっさりと了承しているんですか!」
 二人は賭け金となった咲耶の言葉を無視して、自身の手札に目をやった。
 ハデスの手札は──何の役も成立していないブタだった。
「……」
 それでもハデスは感情を表に出さず、必死に確率や相手の手札を予測した。
 思い沈黙が流れ、ハデスはしばらく静止し、咲耶は顔を真っ青にしたまま勝負の行方を見守った。


 そんなボロ負けをしているハデスを横目に綾原 さゆみ(あやはら・さゆみ)アデリーヌ・シャントルイユ(あでりーぬ・しゃんとるいゆ)も動き始めた。
「さゆみはなんのギャンブルをするつもりなんですか?」
「どれもするつもりはないわ。イカサマが横行しているカジノであれば、最初から同元が勝つ仕組みになっているのは明白だもの、だからオリジナルギャンブルで勝負に出るわ」
 さゆみはそう言うと、ディーラーがいるテーブルの上に6×6、合計36マスで仕切られた小さなボードを四つ展開させた。
「今からルールを説明するわ。このギャンブルで勝負よ」
 さゆみは?ラビリンスゲーム?の説明を始めた。
 ルールは至ってシンプルなものだった。
1,各プレイヤーは6×6のマスに15の壁を配置し、迷宮を作る。
2,スタートとゴールが壁によって分断されていてはいけない。かならずゴールできるように壁は最低一つ、開けておく。
3,迷宮が完成したら、相手にスタートとゴールの位置を提示し、先攻後攻を決める。
4、現在居る位置(最初はスタート)に隣接するマスを指定し移動を宣言する。壁がなければ移動は成功し、続けて移動を宣言できる。壁があった場合移動は失敗し、相手の番になる。
5、先にゴールにたどり着いた方が勝者となる。
 ディーラーもこのギャンブルに同意し、ディーラー二人とさゆみ、アデリーヌで二対二のギャンブルが行われた。
 さゆみと相対するディーラーはさゆみが作った迷宮を見て、目を丸くする。
 一番右上の角のスタート地点の下のマス、ようするに隣にゴールが設置されていたのだ。
 ディーラーは考える。勿論、すぐにそちらに向かえば文句なく勝てる。が、間違いなくこの間には壁があることだろう。
 しかし、だ。あえてここだけ壁が無く、他の場所に壁を設置していることも考えられる。
 もし仮定が事実であれば、ここを無視することは敗北に繋がりかねない。
 ディーラーは悩んだ。単純なゲームではあるが、だからこそイカサマをする余地は無く、莫大な金がかかっている今の勝負では壁に一回当たるリスクは大きすぎる。
「ぐ。……う」
 が、それでもディーラーはあえて下に進んだ。
案の定、そこには壁があり、ディーラの侵入を拒む。十中八九あることは知っていたが、不安から逃れることは出来ない。人は安心を求める動物なのだ。
 結局一歩も進めずにディーラーのターンは終了し、さゆみは快調にゴールへと向かっていく。
それはディーラーにしか分からないことだが、焦燥は押さえがたく、足下から凍り付いていくような感覚があった。
この勝負、イカサマを挟む余地は皆無。だが、勝利するための心得は存在する。勝負の正中線、鉄則だ。
ディーラーは最初に壁にぶつかったことを無駄な行動をしたと後悔しているが、それは間違いである。
自分に都合のいいルートをあえて選択し、壁にぶつかることで可能性を潰していく。そして、その間に相手にゴールされるかもしれないという焦燥を押さえて進むこと。これがこのゲームの肝だ。
が、ディーラーはすでに自分を見失い狂ったように壁に激突しまくり、中々前に進めない。いや、そもそもこの前進でさえゴールへの一歩となっているか分からない。全ては霧の中、ディーラーはの心にも濃い霧がかかる。
 一方のさゆみも心境は同じである。足の指先が凍てつき、可能性を潰して前進する。決して確実に勝てる勝負では無い。それでも、さゆみの心は揺れない。初志貫徹。病的なまでに初心を貫く。
 そして、そんな揺れない心が実を結ぶ。
「……ゴール。私の勝ちね」
 さゆみは笑みを浮かべると、ディーラーは歯を食いしばりながら歯の間から息を漏らして膝から崩れ落ちる。
 さゆみはアデリーヌの方を見る。
 どうやら、アデリーヌ側のディーラーはまだ出来る人間らしいとさゆみは思った。
 スタート地点が中央部分にあった。これで三方を壁で遮られてしまうと、最悪三回壁に激突してターンを無駄に消費してしまう。
 だが、それでもアデリーヌはゴールへと進み、ディーラーとの勝負はかなりの接戦になっていた。
 ただ、アデリーヌは揺れない。どこをどう行くか冷静に読み切り、相手の思考を呼んでゴールへと到達し、ディーラーを打ち負かした。
「やりました!」
「うん、お疲れ様」
 緊張が解けてパッと表情を明るくするアデリーヌにさゆみは笑顔で応えた。


 あまりにもカジノ側が負け続け、いよいよ資金の半分以上を客側に持って行かれて九条もフロアに顔を出した。
「くそ……! 一体なにをやっているんだ……! このままでは、私のカジノが……」
「おい、九条。私とポーカーで勝負しな」
 そう言って彼を呼び止めたのは九条 ジェライザ・ローズ(くじょう・じぇらいざろーず)だった。
 それを聞いて、冬月 学人(ふゆつき・がくと)がジェライザの肩を掴む。
「正気かロゼ!? 相手はここのオーナーだぞ! それにポーカーなんてイカサマしようと思えばいくらでも……」
「それだよ、イカサマ。つまり、バレなければこっちもしていいんだ。だから……勝てる。確実に」
 九条はジェライザの言葉を聞いて、眉をピクリと動かした。
「面白い。それでは、やってもらおうじゃありませんか」
 テーブルにつき、九条はカードを配る。
 学人もイカサマをしていないが目を凝らすが、そもそもこのタイミングでイカサマをしている確証も無いため、カードはただただジェライザと九条の元に配られている。
 九条はカードを広い整えると手札を確認した。
 ただ、ジェライザはカードを取ろうとしない。
「いかがなさいましたか? 早くカードを手に取ってください」
 九条が催促すると、ジェライザは堪えきれなくなったように笑い声を上げた。
「……くっ、くくく……あはははは! これで勝負ッ! 私はこの手札に一切触れずに勝負ッ!」
「なっ……ナニィ!?」
 九条が声を上げ、学人はジェライザの肩を揺さぶった。
「何を考えてるんだ! なぜカードも見ようとしないで勝負なんて言えるんだ!」
「そうだったな……一つ、賭け金をどうするか決めていなかった」
 学人を押し退けて、ジェライザは九条を睨むように見つめる。
「なるほど、それで……どれほどベットなさるおつもりですか?」
「全てだ」
「は?」
「私の身柄と実家の財産を賭ける!」
「なに……? ……いや、良いでしょう。ですが、私もレイズさせていただきますよ」
 九条は眉をピクピクと動かしながらもレイズを宣言する。
 それに一番慌てたのは学人だった。
「ま、待ってくれ! こっちはすでにロゼの全財産と身柄を賭けているんだ。上乗せされても賭けるものが……」
「君がいるじゃないか。君の身柄を上乗せ分の賭け金にすればいい」
「いいだろう。学人の身柄も賭けよう」
 ジェライザは学人を黙って見つめると学人は何も言わずに黙って頷く。学人が了承したのを見て、九条が勝負に出ようとする。
「よし、ならばカードをオープン……」
「待ちな! まだこっちのレイズが終わってないぜ!」
「なんだと!?」
 九条はさすがに狼狽し始める。
「私は! 私と契約している者達の全財産と身柄を上乗せするッ! ……学人、ペンを持ってたら貸してくれ」
 学人は不審に思いながらジェライザにペンを渡すと──ジェライザは躊躇無く自信の小指にペンを突き立てた。
「き、貴様! 何をしている!? 気は確かか!?」
 九条は叫ぶがジェライザは声を荒げずに淡々とした口調で言葉を続ける。
「さらに、私は自身の指をレイズする。……九条ッ! あんたも私と同程度のものを賭けてもらうッ! もしあんたが負ければカジノの売り上げと……その指を貰おうか」
「ッ!?」
 九条の表情がここに来て初めて曇る。金もそうだが、自分の指までかかってしまえば誰だって顔色の一つくらい変わるというものだ。
 最初に確実に勝つと言ってから今までのジェライザの態度には一点の曇りもない。自信に満ち溢れていると言ってもいい。
「さあ! どうするッ! 賭けるのか降りるのかッ! 決めろぉーッ!!
 ジェライザは叫び、九条は苦悶の表情を浮かべると、
「……くだらねえ」
 そう言って、退屈そうに顔を歪めた。
 ジェライザは怪訝な顔をする。
「くだらないとは……どういう意味だ」
「こんな賭けに必要がないってことだよ。さっきから聞いていれば目茶苦茶言いやがって……指を賭けろ? 賭けれるかそんなもの。お前たちはここで終わりだ。イカサマは明らかなんだ今日の勝ち分の金は全て置いていけ……命が惜しければな! やれ! お前たち!」
 九条は叫ぶと周囲を囲んでいた警備たちが一斉に銃を抜いて構えた。
「こんなことになると思ったんだ」
「ま、追い詰められた悪党のすることなんて限られているしな」
 そう言って銃声と共に飛びだしてきたのは日比谷 皐月(ひびや・さつき)紫月 唯斗(しづき・ゆいと)だった。二人は銃撃を弾くと、流れ弾がスロットや電飾に直撃し火花が飛び散る。
 その騒動に乗じるようにマリエッタ・シュヴァール(まりえった・しゅばーる)水原 ゆかり(みずはら・ゆかり)はスロットやディーラーテーブルを相手に暴れまくった。
「ブラック企業は死ねー!」
 そんな叫びとともにマリエッタは椅子を持ち上げてスロットを次々と破壊していき、金属がぶつかって壊れる不吉な音が響き渡った。
 それを見た客達が悲鳴をあげてエレベータの方へと慌てて逃げていく。
「皆さん、慌てないで! ほら、あなたたちもこの隙に逃げてください」
 それに続いて、強制労働させられていた人たちも雨宮 七日(あめみや・なのか)の手引きで一斉に逃げ出す。
「しかし……なんで七日までバニースーツなんだ?」
「こいつは雅羅と関係ないところで負けただけだ。気にするな」
「あー、まぁ何でもいいや。似合ってるしな。ナイスバニー!」
 唯斗は真面目に褒めたつもりだが、七日の表情はそれはそれは微妙なものだった。表情をあまり崩さない涼しげな雰囲気があるが、体のラインがピッタリと出てしまうバニースーツが相まって怪しい色気をかもし出していた。
「あんまり見ないでください。視線が不愉快です」
 だが、如何せんあまりにも口が悪く容姿から生まれる幻想を打ち砕く。実際、店側にも喋るなと指示が出たほどである。
「おふざけはそこまでだ。さっさとここを片づけて巻き上げられた金を回収しよう」
「ああ、任せてくれ」
 二人が言葉を交わすのと同時に警備たちが皐月に照準を向けるが、唯斗はアトラスの拳気を容赦なく振り回し警備たちが壁に向かって叩き付けられる。
 その隙をついて、皐月は金庫のある部屋へと一直線に向かった。
 それに一番不快感を示したのは九条だった。
「くそ! くそ! ふざけやがって! おいセフィー! こいつらを殺せ!」
「お断りするわ」
「なっ……なにィ!?」
 九条は声を上げながらセフィーを睨みつけるが、銃口を向けられて怒りの炎は鎮火し思わず息を呑んだ。
「我々はなによりも義を重んじる。あんた、負けを認めずにこんなことをしといて人がついてくると思うの? ……噛み殺すわよ?」
 セフィーは目を細める。瞳の奥に光るのは野生の目、義を忘れ、私情に走った男に対する憤怒の目だ。
「ひいっ!」
 九条は悲鳴に近い声を上げて、セフィーたちから離れる。
「もう、あんたに荷担する理由は無くなった。あたしは雅羅に説教してから帰るから、後は勝手にすればいいわ」
 そう言ってセフィーはオルフィナと沙狗夜を連れてどこかへと消えてしまう。
「ぐ……! くそ! お前ら! なにしてる! ここにいる奴らを殺せ! 金はいくらでもくれてやる! ここから全員生かして帰すな!」
九条は半狂乱になって警備達に撃つように命令する。警備たちは少しためらいながら銃を構えるが、自分の保身を考えてからの行動ではあまりにも遅すぎる。
唯斗は警備たちの横を通り過ぎるのと同時に高速で拳を叩き込み、警備たちは何が起きたのかも分からずに地面に倒れこんだ。
そして、そのまま唯斗は九条の前に立つ。
「ひっ……! く、来るなっ!」
 九条は咄嗟に拳銃を構えるが、唯斗は動じず笑みを浮かべる。
「オーナー。ちょっと雇用の件で話したいことがあるって言う子がいるんで、大人しく話しだけ聞いてもらえますか?」
 そう言うと唯斗は極力手加減しながら正中一閃突きを放つ。
「がっ……!?」
 目にも止まらない速さの突きが九条の体を貫く。口は酸素をもとめて大きく開き、銃はポトリと地面へ落ちた。まぶたも半分以上落ちかけて完全なグロッキー状態である。
 そこに近づいてくる一人の影があった。
 雅羅である。
 スタスタとバニースーツ姿の雅羅は九条へと歩み寄るとペコリと一礼して、
「オーナー、今日限りで辞めさせていただきます!」
 オーバーアクションから九条の顔目がけて拳を振り抜いた。
「……っ!」
 九条の口から言葉にならない悲鳴が漏れ、拳の衝撃に逆らわず九条の体はスロットへと激突した。
 瞬間、スロットは誤作動を起こしたのかコインの排出口から大量のコインを吐き出し九条の顔に大量のコインが降り注ぐ。
 止むことの無い黄金の雨。
 やがて九条の体は大金の海へと埋もれていった。