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【真相に至る深層】――前奏

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【真相に至る深層】――前奏

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2:穏やかな日々と時間と


 それは「あなた」が遺跡へと足を踏み入れる、数日程前の事だ。

 クローディス・ルレンシア(くろーでぃす・るれんしあ)の率いる“ソフィアの瞳”調査団と、彼女達の護衛を受け持つ教導団の氏無、スカーレッドの両名は、シャンバラの小さな町トゥーゲドアを訪れていた。
 今は観光地としてちらほら名前が聞かれるようになってはきていても、一見しては何の変哲の無い町である。そんな場所を出発の拠点としたのには訳がある。ひとつには、その場所がクローディスらにとって縁の浅からぬ場所であることと、調査へ向かう遺跡の年代の生き証人とも言える者達がいるからだ。
「とは言っても……私達は街から出ることは殆ど有りませんでしたから、当時の事で語れることは余り無いのですよ」
 申し訳無さそうに言ったのは、アニューリス・ルレンシアだ。今はこの街の遺跡で観光客向けの巫女を勤める彼女は、一万年に渡る永い眠りから覚めた、当時の生き証人の一人だ。
「ただ聞く限り、確かにこの街や……私達の住んでいた街に似た構造ですね」
「別に珍しいものじゃない。魔術的都市構造は、規模や用途の違いはあるが、当時から多くの都市で採用されていた」
 夢の舞台が本当に予測の通り一万年前かつ、魔法大国であるエリュシオン帝国の領内なら、時代を同じくする魔術的構造が似通っていても不思議はない。そう言ったのは、同じく一万年前を生きた人間であるディミトリアス・ディオン(でぃみとりあす・でぃおん)だ。ただしこちらは一度死んでいるため、その身体は契約者達の力添えによって手に入れた、仮初のものではあるが。
 今はイルミンスールの教師をしているという彼に、はい、と小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)が生徒のノリで手を挙げた。
「構造が似てるってことは、役割が近かったりするのかな?」
 その問いに、ディミトリアスは「可能性はあるが、断定は出来ない」と首を振った。
「夢だからか、どの情報も断片的ではっきりしない。要素が違えば見た目が同じでも用途が真逆になる場合があるからな」その言葉に「要するに」とコハク・ソーロッド(こはく・そーろっど)が難しい顔をした。
「……実際に見てみないと判らないってことだね」
「そうだ」
 頷くディミトリアスに皆が小さく息をついた。
「考えても仕方がない。今はな」
「そうそう、今は準備の方が大事! だよね」
 クローディスがそんな空気を切るように言うのに、頷いたのは村主 蛇々(すぐり・じゃじゃ)だ。遺跡はまだ遠いからといって、油断は出来ない、と蛇々は準備に余念がない。勿論それには理由もある。それは、主に自分自身に、だ。蛇々は周りの人と違って怖じ気付いたり、足手まといになる可能性に自覚的なのである。
(だ、だって遺跡ってきっと薄暗いんでしょう?!)
 お化けや怪物、そういったものが出てくるんじゃないか、と今から既にびくびくしている有様だ。それを誤魔化し、同時に払拭するために調査団や参加者の面々との打ち合わせにメモを取り、準備に勤しむ蛇々に「熱心ですね」と赤嶺 霜月(あかみね・そうげつ)が表情を和らげた。エリュシオンでの仕事を終えた後、そのまま帰るのも、と思っていたところに夢のことや遺跡のことを聞いて、次の仕事先として調査団へと合流したのだ。今回は任務として訪れている氏無達教導団員とも打ち合わせをしながら、仕事の話を詰めていく霜月に対して、同じように護衛として仕事で合流したとはいえ辿楼院 刹那(てんろういん・せつな)はそれらの輪に積極的に加わるでもなく、調査団の中にひっそりとその身を置いていた。彼女――正確には、彼女の依頼主の思惑は、彼らとは相容れないところにあるためだ。
「どうした?」
 そんな、それぞれの思惑の行き交う中、打ち合わせをしていた教導団員内の一人の様子に、クローディスが心配げに声をかけた。
「さっきから、調子が悪そうだが」
「……少し、夢見が悪くて」
 そう言って、重たげに頭を振ったのは源 鉄心(みなもと・てっしん)だ。例の夢か、とクローディスは眉を寄せた。同じ夢を見ているクローディスやディバイスは今の所そこまで影響がないため、個人差はあるようだが、連日のように、見たこともない都市の生活、そして訪れる死に至るまでの記憶が出てくるらしく、シャンバラ側ではまだあまり聞かれてはいないが、エリュシオン側では寝込むものすら出ていると言う。クローディスはパン、と手を叩いて一同を見回した。
「一旦休憩を取ろう。まだ時間もあるから、焦っても仕方がない」
「それでは……俺も少し、出かけてきますね」
 そう言って、ツライッツ・ディクス(つらいっつ・でぃくす)が愛用のバイクに跨って、大人しそうな見た目に反した轟音と共にその場を後にするのを合図に、まだ作業を続ける蛇々やそれを手伝うコンナンドら数人を残して、皆が思い思いに休憩を取る中、ささっと鉄心に近付いたのはティー・ティー(てぃー・てぃー)イコナ・ユア・クックブック(いこな・ゆあくっくぶっく)だ。折りしもホワイトデーということで、お返しを要求しに来たらしい。ただし、ティーは返してもらう前にあげていない、というのはツッコミを入れてはいけない部分だ。
「…………」
 鉄心の方も微妙な顔で、休憩となった途端襲ってきた眠気のままにスープ・ストーン(すーぷ・すとーん)をひょいっとティーの広げる手の中へと落とした。ホワイトデーの贈り物、のつもり……らしい。
「わ……私の分は?」
 かなり適当なお返しにも関わらず、納得いかない、と言う顔をしたのはイコナだ。実際の所、チョコレートを作ったのは殆どイコナの方なので、その主張はもっともなものだったのだが、鉄心は何を思ったか、その頬をむに、っと引っ張った。
「…………違うか」
 どうやら夢で見ていた誰かが、イコナに似ていた、らしい。眠い頭が思わずそうした程度のことだったのだが、イコナにしてみればその突然の行動に納得できる筈もない。お返しはもらえないわ、鉄心から頬を引っ張られるわの散々さに、思わず涙目になったイコナに、流石に少々慌てて鉄心はティーの手の上で眠っているスープを示した。
「じゃあ……仲良く半分こしなさい」
「!?」
 鉄心の方は割と適当な発言だったが、言われた方はたまったものではない。早速とばかりに取り合いとなって、二人の小さな手が、スープの体をぐにいっと引っ張り始めたのだ。とてもではないが寝ている場合ではない。
(「この展開……手を離したほうが本当に想っている何とか……という奴でござるが……」)
 幸い、軟体な体のため千切れんばかりに二人がひっぱっていても、びよいんと伸びるばかりで今の所は痛さはない。ただし、今の所は、だ。そして案の定。
「「あ」」
 二人分の声と共に、つるりと小さな手から滑った身体はゴムの縮力で一気に元へ戻り……
(「うぎゃんッ! やっぱりこうなるでござるか……!」)
 ばちーん! という景気のいい音と共に、自身の伸縮力によって弾かれたスープは宙を舞い、ぽてっと一回り大きい程度の大きさをした、ミニサイズ超獣姿のアルケリウス・ディオンの上へと見事に着地したのだった。
「うう……拙者、ついていく人を間違えたのでござろうか……それともこれは試練でござろうか」
「それを何故、俺に聞く……」
 唐突な人生相談に、アルケリウスが微妙な声で呟くように返した、その時だ。
「あーっ! さんちゃんが居るうさ……!!」
 その姿に目を輝かせたのはティーだ。さんちゃん、というのはこの超獣の姿をしている時に契約者がつけた愛称のようなものだ。興奮のままにがっしとその手(?)を掴むとむにむにと引っ張って笑いかけた。その衝撃でスープが落っこちていき、アルケリウスがちょっと憐れみの目を向けていたのは余談である。
「お元気そうだうさー?」
「……問題ない」
 相変わらず返答はぶっきらぼうだが、無視しない程度には丸くなったと言うべきか。その反応に嬉しげにティーが笑みを深め、その手が更にアルケリウスをむにむにとやっていたのだが、そのゼリーのようなぷにぷにとした柔らかな感触が心地よかったのだろうか。そういえば、実体と言うよりエネルギーの塊なのだと思い出したティーの中にむくりと好奇心が湧き上がった。
「……マシュマロみたいに千切れたりしないうさ?」
「!?」
 冗談なのだろうか、と考える暇もなく、その手が好奇心のままに手、のような触手を引っ張るのに、アルケリウスはうろたえた。スープと違って伸縮性はないが、同時に痛覚のようなものがあるわけではないので、痛みもないし、ただぶにっと形が歪む程度なのだが、そういった扱いに慣れていないアルケリウスである。これが敵意ならば敵意で返す所だが、親しみが篭っているだけに反応に困りつつ、実害もないため止めろとも言い出せぬまま、されるがままとなって数秒。
「はい、そこまでにしてあげてねー」
 そう言って、ひょいっとティーの手からアルケリウスを取り上げたのはトーヴァ・スヴェンソン(とーゔぁ・すゔぇんそん)だ。もしかしたらディミトリアスを追う形で遺跡へ向かうかもしれない、とアルケリウスが告げたところ、共に行く、とついて来たのである。
 見た目では判りにくいが、恋人の手助けにほっとした様子のアルケリウスにくすくすと笑い、そのまま胸の間に挟もうと、したのは流石に嫌がられたので、肩に乗せててしてし、と軽く叩くとアルケリウスは今度こそ溜息を吐き出した。
「優しく触ってあげてね」
 まるで子供に犬や猫への接し方を教えるような彼女に、アルケリウスは一瞬むっとしたように口元を歪めたが、何しろ超獣の姿なのでその仕草はなんだか少し可愛いものにしかならない。拗ねているようで、彼女の態度のわけも判っているし、口には絶対に出そうとはしないものの、彼女等契約者達への感謝もあって黙り込んでしまったアルケリウスのその頬を、トーヴァがぷにぷにと触る。そんな風に彼女にされるがまま、敵として出会った当初よりも随分穏やかな空気を纏ったアルケリウスの様子に「そういえば」と思い出したようにティーは首を傾げた。
「バレンタインのお返しはあげたのですうさ?」
 その言葉に、アルケリウスとトーヴァは一瞬顔を見合わせる。
「お返しも何も」
 とトーヴァが頬を僅かに染めている間にアルケリウスのほうが口を開いた。
「渡したのは俺だ。お返し、と言うのは余り考えていなかったな」
 アルケリウスの簡素な答えに続いて、トーヴァがどんなものをどんな風にプレゼントされたのか――少し恥ずかしそうに――教えてくれた。
 どうやらアルケリウスのほうは、弟の方と違って幅広いバレンタイン知識を仕入れたようで、男性側からバレンタインにプレゼントをする方だったらしい。ティーはその答えにほっと息をついた。
「忘れてたりしたら、怖いことになってたかも知れないうさ……」
 その言葉に、はた、と思い出してティーは今度はディミトリアスの方を見上げた。すると案の定。ディミトリアスが微妙な顔で視線を彷徨わせていた。
「……ホワイトデー、というものを知らなかった」
 さもありなん、と一同が苦笑したその時だ。
「駄目ですよ、それじゃあ! バレンタインに勇気を振り絞った女の子は、ホワイトデーのお返しを心待ちにしているものです!」
 と遠野 歌菜(とおの・かな)がずい、とディミトリアスに凄むように前へ出た。思わず数歩あとずさったディミトリアスに構わず、歌菜は続ける。バレンタインデーで、アニューリスが彼にチョコレートを渡した筈だが、生まれた時代のズレの為……だけでもなさそうな、天然な所があるディミトリアスだ。ホワイトデーの存在を知らないのではないか、と心配していたのだが、案の定だ。呆れ顔をしなかったのは歌菜の優しさのなせる業だろう。そのまま、微妙な顔をしたままのディミトリアスに向かって、歌菜は懇切丁寧に、ホワイトデーの解説をはじめた。ある程度の基本情報と共に、その指先がとんとん、とディミトリアスの胸辺りを指し示す。
「俗に三倍返しとか言いますが、それは関係ないです。大事なのはハートですね、ハート」
「ハート……」
 鸚鵡返しに呟くディミトリアスに、そうです、と歌菜は力強く頷く。
「単にプレゼントを渡すだけじゃなくって、少しのサプライズと真心があれば……女の子は幸せなのです♪」
 その具体的な方法を小声で伝授する恋人の姿を見ながら、月崎 羽純(つきざき・はすみ)は思わず苦笑した。絵面だけなら、恋人が他の男と内緒話、といったところだが、会話の内容は女の子同士の相談ごとのようだから、笑ってはいけないとは思っても、その可笑しさに思わず口元が緩む。
 何のかんのと真剣に歌菜のアドバイスに耳を傾けている様子のディミトリアスに、羽純は今度は同じ男からの助言として、ぽん、とその肩を叩きながら「アニューリス相手に小細工は通用しないだろ」と声をかけた。
「そのままの自分で接すればいい。ディミトリアスなら、問題はないと思うがな」
「……そうか」
 答えるディミトリアスの反応は素直で、悪いとは思いつつも羽純も歌菜も、微笑ましさに顔を見合わせて口元を緩めたのだった。