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リアクション
【外周にて】
パッセルが蒼族の長、ビディリードの一族の末席に名を連ねてから数年が経った。
生活に不自由は無いし、巫女としても才能を開花させて順風満帆、と言いたい所だが、その育ち故に馴染むことは出来ず、猫を被りながらも苛立つ日々の続いていた中、道中共にしていたルスキニアと別れたパッセルは、あれ以来帰っていない「外周」の自宅を訪ねていた。
だがそこに彼女の「ジジィ」の姿は無く、最後に見た光景そのままに、薄暗く狭い、懐かしい間取りがそのままだ。
「チッ。あの老いぼれ、見たら半殺しにしてやるつもりだったのに……」
悪態をついたが、声に力は無い。周囲の噂ではパッセルを売った金で出て行っただとか言われているが、ジジィが大事にしていたものもそのまま残されたままだ。その違和感に首を傾げつつも、本人が居ないのではどうしようもない、と踵を返そうとした、その時だ。
「なんだガキ……いや、お嬢ちゃん? こんな所に何の用だい」
いつの間に近づいていたのか、いかにも外周育ちといった柄の悪い男達が、出口を塞ぐように立っていた。不味い、とパッセルは顔色を変える。この狭い部屋に逃げ場などないし、入り口の細さは男達の身体で完全に塞がれていて、小柄なパッセルといえどその隙間を抜けることは出来ない。こういった行為に男達が慣れているのは明らかだ。
(違う……油断しすぎたんだ)
ここ暫く治安の良い場所で過ごしたから、忘れていたのだ。この場所は、こういう場所だ。きり、とパッセルは唇を噛んだ。そんなパッセルに向かって、男達は下卑た目で笑う。
「この空き家を漁っても無駄だぜ。何年か前に、強盗にやられたらしいからな」
「……え」
パッセルがその言葉を問い質そうとした、その時だ。ひゅ、と短く空気を切る音がして、後ろに居たほうの男が唐突に吹き飛ばされた。
「な、なんだ!?」
男達がうろたえたが、その一瞬の間に一人、また一人とその体が飛び、最後、パッセルの前に立った男の後ろで「下衆が」と短い声が聞こえたかと思うと、ドン、という鈍い音がすると共に、男の体が崩れ落ちた。ずるずると床に倒れこむ男の代わりに、パッセルの視界に入ったのはビディリードだ。その後ろには、ビディシエとリディアの姿も見える。どうやら男たちを吹き飛ばしたのは彼等のようだ。ビディリードは控えた二人に「見失っていないな」と声をかけた。
「大丈夫ですよ、ちゃんと見てます」
そういうビディシエの目は、どこか遠くを眺めているようだ。どうやら、何かを追いかける途中だったらしい。突然のことに目を瞬かせるパッセルに、ビディリードは僅かに表情を緩めると、困ったように息をついた。
「……このようなところに、一人で来るものではない」
だが、その言葉を聞きながらも、パッセルは先程の男の言葉や、こうしてビディリードに助けられた状況やらがこんがらがって上手く言葉に出せない。そんなパッセルの頭を苦笑がちに撫で、自身の方へ来るように肩を軽く引き寄せたビディリードは、視線をビディシエ達の方へと戻した。
その視線の先に居たのは、目深なローブを被っているため一見しては判り辛いが、オーレリアと、彼女付きの騎士であるラルゥだ。とてもこのような場所で見かけるような二人ではないが、どうやらお忍びで訪れているらしい。視線に気付いたふうもなく、二人は外周の更に奥まった所へと足を踏み入れていく。
「この辺りは危険です。戻りましょう」
どんどんと周囲で不穏な気配を増していくのに、ラルゥは潜めた声で言ったが、オーレリアの方は構う風もない。何か妙に思いつめたような横顔は、それ以上の言葉を飲み込ませた。
(一体、このような場所に何の用が……)
思えば、その左手に見慣れぬ指輪を嵌めるようになってから、オーレリアの態度は少しずつ可笑しくなっていったように思う。どこが、と言うと判りにくいのだが、龍に対抗する手段への拘り方が、執着に近いといえるほどの気迫を感じるようになった。勿論、都市を預かる長として、街の崩壊の危険を誰より意識する立場にあるのだから、可笑しくは無い、筈なのだが、こんな所に来なければならない理由としては、弱い。
落ち着かないラルゥの心を余所に、オーレリアは目的の場所を見つけたのか、その足を止めた。
通路の隙間にあるその入り口は奥まり、幾重にも隠すように布がかかっている。周囲に溶け込んでいるようで、違和感を覚えるような、そんな曰くのありげな佇まいだ。近寄りがたい気配に気圧されそうなラルゥを余所に、オーレリアは「おるのであろ」とその奥へと声を投げた。
「……お待ちしておりました」
「あれは、息災であったかの?」
「はい」
応じて奥から現れた、しわがれた声をした灰色のローブを着た人物と、オーレリアはどうやら面識があるらしい。体をすっかり覆ってしまっているため男女の区別がつかないが、少なくとも背中のすっかり曲がった老人であることは察せられた。
「そろそろ、お出でになる頃かと思っておりました」
老人の声は酷くざらついていて、ラルゥは背筋を這うなんとも言えない感覚に思わず眉根を寄せた。まるで蛇の長い舌が這っていったような感触だ。説明を求めるようにオーレリアを見ると、くすりとその紅の口元が笑う。
「案ずるでない。この魔女めは妾の古馴染みよ」
どうやら、オーレリアが影に表に持つ手駒の内の一つ、といった所らしい。その「毒の貴婦人」の二つ名に相応しく、そういった者を幾つも抱えていることは知っていたが、配下の中でもまだ年若いラルゥはこの老人の存在は知らなかったのだ。老人はちらりとそんな戸惑い深いラルゥをちらりと見ると深く頭を下げて見せた。
「ここからは、供の方はご遠慮ください」
そう言い残して老人がくるりと奥へと戻るのに、オーレリアは後に続こうとする。咄嗟に前へ踏み出しかけたラルゥの足を「ここで待ちや」と声が止めた。
「しかし……」
こんな不気味な場所に主を一人行かせて良いのだろうか。そんな不安げなラルゥを余所に、オーレリアの足はよどみなく奥へ進んで、布の向こうへと消えて行ってしまった。
「…………オーレリア様」
呟き、待つこと暫く。
夕焼けの色が殆ど紺色へ変じて行こうとして行く中、不意にぞわりと肌の粟立つのを感じて、ラルゥは思わず剣に手をかけそうになりながら、入り口を振り仰いだ。何が聞こえたわけではない。何が見えたわけでもない。だが、何かが這いずっていったかのような悪寒が纏わり付く。
「オーレリア様……!」
思わず駆け出しかかったラルゥだったが、その声に応じるように「どうした、騒々しいの」と主の声と共に、その姿は布の隙間から滑り出た。無事だったか、と一瞬安堵したラルゥだったが、次の瞬間には先ほど感じたのと同じ、冷たい何かがとぐろを巻いているような気配を今度はオーレリアに感じて、びくりと肩が強張るのが判った。
(何が……どこが?)
可笑しい、が、それがどこかは判らない。その立ち振る舞いも、特に何が変わったわけではないのだ。よく見れば、左手の指輪の宝石が、気のせいかその赤みを増しているように思えるが、その程度だ。だが、心のどこかが強い警戒を発している。
「……お望みのものは、手に入ったのですか?」
「ふふ……手に入れるのは、これからよ」
ラルゥが思わず口に出した問いに、オーレリアは口元を歪めるようにして笑ったのだった。
「……一体、何してたんだろうね、ありゃあ」
そんな二人が遠ざかっていくのを見送り、ビディシエは息をつくと、身を隠していた暗がりから離れて自宅のある蒼族が治める第三地区への帰路へとついた。後は、パッセルを送りがてらビディリードが命じたマヤール……手駒が追うことだろう。その横顔を見ながら、同行していたリディアはからかうように「苦労が絶えないわね」とからかうように口にした。
「全くねぇ。皆揃って、あれやこれや、後ろ暗いことばっかりだよ……こんな狭い世界でさ」
肩を竦める仕草はおどけてはいるが、その目がうんざり、といった色をしているのにリディアは笑う。
「そういうビディシエも、大概後ろ暗いことばっかりしてるじゃない」
「ボクは兄上のご指示通りに動いてるだけさ」
幼馴染と言う気安さゆえか、ビディシエの声は何時もの飄々としたものよりも更にもう一段砕けたものだ。
「兄上はそういうの、ちょっと苦手だしねぇ。必然ボクが動かざるを得な……ん?」
言いながら、ビディシエはその足を止め、リディアがほんの僅かに前に出た。警戒も顕な二人の視線の先では、影から滑り出たのではないか、と言うような黒尽くめの覆面の男が、慇懃に頭を下げた。リディアは警戒を深めたが、ビディシエのほうは思い当たる人物がいるのか、軽く面倒くさそうに眉を寄せると、とん、とリディアに下がるように肩を叩いた。
「何の用だい、赤いの」
「我が主より、ビディシエ殿に書簡を預かって参りました」
普段より些かトーンの落ちる声にも怯む素振りもなく、覆面の男はすっと足音も立てずに近付くと、ビディシエへと小さな封書を手渡して頭を下げた。その仕草もいちいち慇懃なのに、ビディシエは僅かに目を細めた。
「……確かに受け取ったよ。キミのご主人に、話があるなら直に言えって伝えておくれ」
「承知いたしました」
口に込めた皮肉に気づかないわけでもないだろうに、覆面の男は淡々と応えると、現れたのと同じようにすっとその体を影に紛らせて遠ざかって行った。
「……何、その手紙」
そのやり取りを見届けて、大剣にかけていた手を離すと、リディアが首を傾げた。早速書簡を開きながら、面倒くさそうに「赤のお偉いさんからのラブレターだよ」と冗談めかしながらも、ビディシエは眉を寄せた。
「龍をただ倒せばどうなるか……か、牽制のつもりかい、これは」
あの女狐、と珍しく舌打ちする幼馴染の横顔に、リディアはほんの少し眉を寄せた。その目の剣呑さは普段は押し隠しているビディシエの本性の片鱗だ。どうやらオーレリアから直々に、龍を倒そうとする彼等兄弟へ横槍を入れてきたらしい。くしゃりと紙を握りつぶす横顔から、苛立ちが僅かに抜けていくのを待って、リディアは「ねえ」と声をかけた。
「私たちはさ……藍色の騎士団はさ、龍を倒すのよね?」
「何を今更?」
首を傾げるビディシエに、リディアは続ける。
「ビディシエは……何で龍を倒そうと思ってるのか、そういえばちゃんと聞いたことがなかったな、って」
その言葉に、そうだったかな、と呟いてビディシエは近くの壁にもたれかかると、不意に空を見上げた。空、と言っても、月も星も見えるわけではない、ただの真っ暗な空気の層だ。
「この都市はさ、鳥籠みたいだろう。龍の加護に守られてる、だなんて嘘っぱちなんだ。この都市は、巫女が帰ってくる、そのためだけに作られて、そのためだけに整えられた箱庭なんだよ」
そう言って、ビディシエは中空に向かって手を伸ばすと、眉を寄せて遠くを睨む。
「閉じ込められてるんだ、ボクらは。逃げることも許されないで、生かされているだけ……そんなのは、生きてるって言うのかな。ボクはこの都市が嫌いじゃないし、守られていることも、この景色が嫌いなわけじゃない。ただ……飼われるのだけは、我慢できない」
そのままぐっと力強く握り締められた拳に、リディアは飄々とするこの青年の内側にある熱を知る。同じ壁に寄り添って眺めるその横顔は、普段よりも心なしか幼い物に見えた。
「だから、龍を倒す。龍を倒して……そうして初めて、ボクらは自分たちで生きていると言えるんじゃないか……って、まぁ、そんなことをだね」
そこまで言って我に返ったのか、こほん、と咳き込むふりで誤魔化そうとしたが、リディアはそんなビディシエにくすくすと笑った。
「久しぶりに聞いたわね。ビディシエの真面目なセリフ」
「ボクはいつだって真面目だよ?」
もう何時もの調子でへらっと首を傾げるビディシエに、べしんと裏手を入れてツッコミを入れながらも、リディアは笑みを浮かべたまま「しょうがない」と大袈裟に溜息をついてみせた。
「私は、付き合うわよ。本気で龍を倒そうと思っているようなバカを放っておけないものね」
言葉は軽いが、意気込みは本当だ。ビディシエの思いも、信念も、共に行くと思えるぐらいには強さがある。軽口めかしたが、これは一種の誓いだ。だから。
「惚れた?」
と、おどけて調子に乗るその頭へは、ゴチン、と拳骨を食らわせておいたのだった。
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