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【逢魔ヶ丘】戦嵐、彼方よりつながるもの:前編

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【逢魔ヶ丘】戦嵐、彼方よりつながるもの:前編

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第6章 眠れる少女、天使の剣戟


 戦線で戦う酒杜 陽一(さかもり・よういち)は、微妙な戦局の変化に気付いていた。
(コクビャク兵が向かっていく流れが変わっている)
 契約者の身ならぬ守護天使や警察の人員たちの負担を少しでも減じるべく前線に立ち、『ソード・オブ・リコ』の巨大光剣で一人で多勢を相手に回して立ち回っている陽一は、流れを何とはなしに感じていた。湧いてくるコクビャク勢は、様々なルートを取りながらも結局『丘』を遠く離れることはなく、小屋の方へと向かおうとした。小屋の傍には守護天使の陣営があるので、あるいはそちらが目的かも知れないが……
 だが、今はその流れがやや細っていると感じる。
(新手を出すほどの兵力がなくなったのか、それとも)
 だが、『丘』周辺の戦場の人波は、さほど変わったようには見えない。
「矛先が変わった……?」
 ――狂戦士は魔鎧職人ヒエロ・ギネリアンである。装着者の戦意を際限なく煽り立てるという魔鎧ペコラ・ネーラの力のせいで正気を失い暴走しているという。
 そのことが、「不時着した飛空艇に乗っていた男」の証言から事実として守護天使、空京警察合同本部に伝わったのはほんの少し前のこと。
(もしかしたらコクビャクにもその情報が入り、兵の何割かは彼の捕獲に回され始めたのでは?)
 陽一はソード・オブ・リコを握り直し、地を足で掴んでしっかと立つ。
 ヒエロの身柄を確保するため、カーリアを初めてとして向かっている人たちがいる。小屋では卯雪を守っている人たちがいる。どちらに対しても助けとなるべく、ここで雑魚の戦力を削ってきた。
「どちらもコクビャクの手に渡すわけにはいかない……!」
 向かってくる敵の波が途絶えた時、その向こうに一団となって進んでいくコクビャク兵を見た。陽一は『荒馬のブーツ』で強化された速力で駆けより、巨大光剣を叩きつけ、これを一撃のもとに散らす。『ナノ強化装置』で強力化した攻撃は、少々の距離をものともしない。
 その時、背後で声がした。
「うわっ、とまれ、うわぁぁ!」
「やめろルード、正気に戻ってくれ、お前を斬りたくない……!」
 どうやら、黒白の灰によって洗脳した守護天使たちが斬り込んできたらしかった。
 彼らがそのまま進めば、それは小屋のある方向だ。
(より守護天使の多い場所に元仲間を送り込んで、心理的に揺さぶりをかけることで奥部に進むつもりか)
 その狡猾な企みに嫌悪するより早く、体が動いた。陽一は踵を返し、ラヴェイジャーの機動力をフル活用して洗脳された兵士たちに速攻を仕掛ける。
 彼らを殺すわけにはいかない。剣の平で打ち倒した。続いてやって来た者を、大きく変化させて握り込んだ『漆黒の翼』で殴り、失神させた。



 小屋の中は、奇妙に静まり返っていた。
 キオネ・ラクナゲン(きおね・らくなげん)は、綾遠 卯雪(あやとお・うゆき)の横たわる寝台の傍らの椅子に腰かけていた。
 ベッドを挟んで反対側にはクリストファー・モーガン(くりすとふぁー・もーがん)クリスティー・モーガン(くりすてぃー・もーがん)が佇み、ベッドの足側の方に置かれた椅子には中願寺 綾瀬(ちゅうがんじ・あやせ)が、いつものように漆黒の ドレス(しっこくの・どれす)を纏って座っていた。
 今のところ、小屋に大きな異変は起きていない。
 ただ、戸外からは絶えず物騒な物音が聞こえてくる。怒号や雄叫びも。
「なかなか騒々しいね」
 凄まじい物音が窓枠を震わせて静まると、キオネは苦笑して、誰にともなく言う。
「ひどく、木の枝が揺れておりますわ」
 綾瀬が窓の外を見ながら、呼応したともなく呟いた。この窓からは、『丘』の上の例の、半分に折れた大樹がよく見える。上半分が折れたというのに、大樹は折れる前と変わらぬ瑞々しい生命力を保ったまま、たわわに伸びた枝はその大きさには不釣り合いにしなやかに、風に揺れる。
 この距離からだと、それは小さな小屋に迫ってくるようにも見え、威圧感すらある。綾瀬はうっすらと、この大樹の奇妙な存在感を何か異様なもののように感じた。
 別の窓からは、ひっきりなしに武装した人間が出入りする陣営の天幕が見える。クリスティーはその窓辺に寄り掛かるように立って、静かな声で歌を歌っていた。
 森の中を思わせるような、深い、それでいて一端の爽やかさを含む声。ゆったりとした和やかな旋律。
 それはクリストファーとクリスティー2人が、キオネやこの小屋の中の空気を程よく緩ませ、少しでもリラックスさせようとして行っていることだった。場違いかもしれないが、流れる旋律のもたらす優雅なゆとりの一片は、小屋の中にいる者たちから不要な肩の力を抜かせ、落ち着かせていた。
 先程までは2人で合唱していたが、クリストファーはキオネと話をしようとしているので、現在はクリスティーの独唱が響いている。
「もし、セッション準備用生体システムを破壊すれば、杭を打たれている状態は解除されるのだろうけど、」
 クリストファーはキオネにそう切り出した。
「その杭から解き放たれたからといって、悠長に構えるわけにはいかないんじゃないかな」
 幾つもの不安定な要因の上に、卯雪の命が繋がっているなら、
「エズネルの欠片はいずれ、タイミングを見計らって取り除く必要があるんじゃないかな、と……思うんだけど。
 それは多分、システムが破壊された直後に」
 キオネはクリストファーを見た。
「それが望ましいとは思っている。
 けど……俺一人の技量ではそれは出来ない。グラフィティ:B.Bの知識の力を借りなくては……
 上手くそのタイミングで彼が助けに来てくれるかどうか……そこが鍵かな」
 そう言って、やや力なく笑った。
「……どちらにしても、いずれその時には石化を解除しなくてはならないわけだよね」
「卯雪様の石化を解除する準備は、ドレスがしておりますわ」
 おもむろに綾瀬が口を挟み、保証するようにおっとりと微笑んだ。
「石化は私が施したものです。責任を持って解除まで行わせていただきます」
 変わらぬ魔鎧状態のまま、ドレスもきっぱりと言いきる。
「そう、か……」
 もしもの場合は自分とクリスティーとででも解除を請け負うつもりだったクリストファーは、その言質にひとまず、息を吐いた。

 剣戟の音は、室内に響く歌声の隙間から聞こえてくる。
 クリストファーは、時折手持ちの機械で卯雪の生体波の強さを確かめるキオネの、乾いたような目を横からじっと見ていた。
「……。歌くらいでは、なかなかリラックスできないかな」
「え?」
「いずれその時が来たら、エズネルの欠片を取り出すために気力も体力も必要とされることになるだろうから。
 今、根を詰め過ぎて疲れていてはその時十分な力が出ないんじゃないかな」
 少し力を抜いて休むよう勧めているのだと気付いて、キオネは緩く微笑んだ。
「ありがとう。
 ……何だか、もどかしくてね。自分にもっと力があれば、と」
 キオネはそう言いながら、目を閉じた卯雪の顔を見た。
「――彼女はちょっとせっかちで、じっと待つことが苦手な人だから。
 こんなもどかしい状況、彼女だったら耐えられないだろうなぁ。自分から何か行動を起こすか、俺に当たったりするだろうなって。
 ……当たってほしかったりもするんだよね。……もうずっと、声を聞いていないから」
 彼女のバイト先で、時には辛辣にあしらわれたりしながらも言葉を交わしていた日が、ひどく遠い、懐かしいもののように思われるのだった。
「あ、ごめん。なんだか、益体もない話で」
「いや」
 クリストファーは、ぽん、とキオネの肩を叩いた。
「――大丈夫だ、きっと」
 そう言って、クリスティーにもう一度二重唱を歌おうと声をかけるのだった。




 小屋や陣営にむかう方向に、コクビャクの兵がかなり歩を進めていた。
 そこを守るべく配置されたはずの若い自警団員たちが、操られて敵対する元仲間の姿に動揺して打ち負けたり、いたたまれなくなってその場から逃げたりしているからだ。
 彼らに代わって立ちはだかったのは、清泉 北都(いずみ・ほくと)クナイ・アヤシ(くない・あやし)である。
(平静を保てなくなるのは当たり前だよね……)
 味方だった者に、敵に操られているとはいえ、割り切って刃を向けられる者などそうはいまい。
「あの人たちは私が止めます」
 クナイはそう言って、翼を広げた。敵を前にしても冷静な口調だが、端に怒りが滲んでいるのが北都には分かる。
(同じ守護天使として、許せないんだね)
 洗脳して操り、かつての味方にぶつけて相手を揺さぶるという、卑劣な手段だ。
 この島の守護天使たちにはいろいろと複雑な歴史がある。今までの関わりでそれを北都は知っている。コクビャクのブレーンであるタァが、この島に怒りを向ける源も知った。
(だからと言って、コクビャクのしようとしている事を許すわけにはいかない)
 卯雪の眠る小屋のある方を背に、決して彼らを小屋には近付けまいと、強く心に誓う。

 空から見ると分かる。元自警団員を前衛に据えて、後からコクビャクの兵が続いてくる。かつての味方を傷つけられない天使たちの心理にかこつけて、完全に彼らを盾としているのだ。
(あの人たちは傷つけない。けれど、)
 クナイは上空から、一気に回り込むように急降下し、【我は射す光の閃刃】を放った。
 魔族なら光系が有効かもしれない。という判断で放ったその閃光は一瞬、操られた天使たちの視界を白く塗りつぶし、急に飛び込んできたクナイにとっさに対応も出来ない。光に射られた手が震え、武器を次々に取り落とす。そこへすかさず、剣の柄で懐を突き、気絶させる。あっという間に2人の身柄を確保した。
 北都は、彼らの後ろから近付きつつあったコクビャク兵に【ホワイトアウト】を放った。目を潰すほどの閃光に続き、視界を覆い尽くす冷気の煌めきがコクビャク兵の足を完全に止めた。
「ここから先には進ませない……!」
 自分の視覚が奪われた分は【超感覚】で補いながら、『アルテミスボウ』で狙い撃つ。総崩れになる敵の中から、飛び出してくる者もいる。だが、単騎で飛び出したところで、向かう方向は分かっている。【行動予測】で余裕を持って狙いを定め、北都は弓を引き絞った。


 天使たちの陣営に、クナイは2人を引き渡した。
「今、気絶させた状態でやはり数人確保しています」
 若い自警団員はクナイにそう説明した。
「この人たちを安全に隔離は出来るんですか? すぐに洗脳を解くのは無理でしょう」
「もし目を覚ましてまだ暴れるようなら、催眠魔方陣を使って眠らせておこうと、今、術師たちが準備しています」

「だ、団長っ!!!」

 その時、負傷者看護用の天幕内で、大声が起こった。
 若者とクナイが様子を見に行くと、中はざわめきに満ちていた。天幕の中には、羽の折れ曲がった天使の男が一人、意識のない様子でうつぶせに寝かされている。その傍らには、彼を『幼き神獣の子』に乗せて森から運んできたエドゥアルトがいた。
「戦闘中に島から大陸に落下して行方不明だったザイキ団長が、生きて帰ってきた……!」
 その報で、天使たちの陣営は湧き返っているのだった。
 ――ただ、よくよく見るまでもなく、手放しで喜べるような状態にはないが……
「灰に侵され、洗脳されかかっているといって、暴れそうになるのを抑えられず苦しんでたから、今は気絶させているよ」
 エドゥアルトはそう説明した。
 喜ぶべきか否か、判別がつきかねている状態で、それでも感慨を抑えられないらしく立ち尽くす若い自警団員を残して、クナイは戦場に戻った。


 彼らは……操られた天使たちは、傷つけない。けど――
 戦場にひしめき合う兵たちをクナイは見据える。北都のホワイトアウトの効果が時間の経過で薄れ始め、敵の輪郭も露わになってくる。
(あの人たちは傷つけない。けど……!)
 『魔剣ディルヴィング』を握り直し、戦場に一瞬、きつい眼差しを光線のように走らせる。
(悪人たちには遠慮はしません)
 本気の【煉獄斬】が、怒りを込めた炎でコクビャク兵を薙ぎ払った。