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【逢魔ヶ丘】戦嵐、彼方よりつながるもの:後編

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【逢魔ヶ丘】戦嵐、彼方よりつながるもの:後編

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第6章 魔鎧の見た夢


「じゃ、ちょっくら本気出していってきますか」
 仮設ラボの前で、紫月 唯斗(しづき・ゆいと)はパートナーのプラチナム・アイゼンシルト(ぷらちなむ・あいぜんしると)にそう言って、『丘』の方に向かおうとしていた。
「分かりました、行ってらっしゃいませマスター」
 いつもながらプラチナムはクールなものだ。
 魔鎧しか抗体を作れないらしいからラボの手伝いに参加してくれと言われた時も、そのために自分は唯斗と共に戦場には出られないことを理解した時も、「分かりました」とごく落ち着いて、何の心配もなさげに受け止め、承諾したプラチナムである。実際、唯斗が一人で戦場に出ることにも大した心配はしていない。
「マスターなら無傷での帰還も可能でしょう」
 その言葉に、唯斗もまた事もなげに頷く。
「おう、頑張ってくるわ」
 魔鎧にしか作れない抗体は、敵の持つ生物兵器に対抗する貴重な手段となる。
 そのために頑張る彼女たちのためにも、自分もやってやらないわけにはいかない。
(俺も良いトコ見せねぇとな)
 クールなプラチナムに手を軽く一度振って、唯斗は飄然と、しかし決然とした目で走り出した。






 揺蕩う精神の荒野、現実の自我の地平が遠のき、その向こうから湧き上がってくる実体のないヴィジョン。
 体の中を巡る何かが心を体から浮遊させ、非現実の雲に吸い込まれていく。




 モーベット・ヴァイナスは夢を見ていた。

 ――――

 長い黒髪、翡翠色の瞳。――自分と同じ色彩。
 それは血縁がもたらす色だったか。
(あぁ、そうだ)
 あれは本家の娘――ただ一度だけ会ったことがある。
 昔は本家が貴族として、分家がそれを守る騎士の役割を担う家系であったと聞いていた。自分の家は騎士の末裔。既に本家とも分家の主流ともかけ離れてはいたが……
 自分と同じ翡翠色の瞳を不機嫌そうに、何かに反抗的に歪めていた。
(婚約話)
 意にそぐわぬ縁談だと。高貴と言われるその血を絶やさぬ為、周囲が勝手に推し進める結婚話に辟易していたようだった。
 自分にはもはや伝聞でようやく知る程度の、血縁の価値。それに縛られ、言葉よりも瞳の奥に不服の色を燃やして唇を微かに尖らせて。
 何か……そう、何か少しだけ、感じるものがあって。
(あぁ…)
 もしかしたら……そうもしかしたら。
(それももう、昔の事)

 胸の奥で冷静な声がしたような気がして、次の瞬間幻覚のヴィジョンは、風に吹き散らされる薄雲のように消えた。
 気が付けばモーベットの自我は、常と変らぬ、紫銀の鎧の中に在った。
 たった一度会っただけ、記憶の底にほとんど埋もれていた人の面影。
(我が攫われて魔鎧にされなければ)
 もっと近くで共に歩む未来へと進んでいたかもしれない。
 それも、しかし遠い昔の「もしも」の話。現実は今ここに在る。





 漆黒の ドレスは夢を見ていた。

 ――――

 ゆらり、ゆらりと視界が揺れている。
 体には確かに、尋常でない昂揚の後の、寂莫とした鎮静がある。
 浮遊感と共に、いつもと違う体を感じる。その体を拘束するものの存在も。鎖に繋がれ、捉えられていた。
(幾つもの街を滅ぼし、暴れまわった末に捕まった)
 記憶の奥底から湧いて上ってくる泡が弾けて、ごく冷静な、客観視する呟きが耳の奥に響く。
 そこにいる自分と、それを見ている自分。

 目の前には一人の若い男の悪魔がいる。
 囚われた「自分」は、その男と言葉を交わす。
 その男の表情の硬さは、囚われる前の自分の悪評を反映する。
 ――ただ、必ずしも恐怖だけという表情ではない。

 具体的な言葉は、聞こえてこない。
 それでもその話で、自分の作品も作った事の無い魔鎧職人の下っ端らしいと知った。

(ふん……半人前にも程遠い様な輩の手で魔鎧にする事で屈辱を与えるつもりか……)
 捕えられ、二度と暴れまわることのないよう、魔鎧に身を落とされる「刑罰」なのだと、「自分」は理解している。
 その執行を、経験不足どころかゼロに等しい若者の手に委ねられた、それにより与えられる「貶め」も、罰の一部なのだと。
 囚われたことによる絶望はとっくに通り越し、自虐に開き直った感すらある。
 今は自嘲の感情ですら高笑いできる。
「お前、名前を何という?」
 誰何された男は、硬い表情のまま、しかし惑いはなく答える。硬さのもとは緊張のようだ。
 世慣れも、魔鎧作りへの熟練の腕もない男。
 それでも真っ直ぐに前を向いた顔に、まだ形になる前の「気概」が見えたようにも思える。

 ――製作者と素材それぞれに「格」というものがあるのなら、私とあなたの格はまるで釣り合っていないだろうとは分かる。
 ――だが、貴方はせせら笑うだろうが、私の魂はあなたの魂を前に躍る。
 ――ずっと思っていた。そんな風に私の魂を突き動かす魂で鎧を作っていきたいと。
 ――経験もない若輩者が何をと、嗤っても構わない。嗤われることには慣れている。
 彼は、そう話したようだった。


「……そうか」
 「自分」の口元に、嘲笑だけではない笑いの歪みが浮かんだようだった。

「私の事はどう扱っても構わない、だが、お前が一人前の職人となった時、魂を込めてお前自身が愛せるような魔鎧を作り、周りを魅了しろ」

「今、嗤う奴ら等どうでもいい。いずれ名も無き下っ端から、最高の魔鎧職人になって見せろ!」

「私の魂を扱うんだ、当然だろ?」

「良いな? ……ヒエロ・ギネリアン」

 ――――



 プラチナム・アイゼンシルトは夢を見ていた。

 ――――

 はっきりとは見えない。金色と黄昏の茜色が入り混じって、世界がぼやけている。
 薄い雲が切れ切れに飛んでいる空だ。
 自分の金色の鱗と皮が、風景にまでその色彩を滲ませているのだ。
 瞼を閉じ、そして開ける。
 竜の瞳に映るのは少女の姿。

 魔族の少女は、楽しそうに鼻歌を口ずさんでいる様子だった。
 地平の果てに夕陽。
 その茜色は、だんだん紅の色を増していき、赤が強くなっていく。
 猫のように目をくりっと丸く瞠って、少女は楽しげにその夕景を見ているらしかった。

 何が楽しい?

 少女はくるっと振り返る。笑みを浮かべたままで。

 貴方の金色と、夕陽の紅。どちらが最後まで残るか、見比べているの。

 少女の目は、竜の金色を反射してキラキラと光る。

 愛らしい様子に、金色の竜は一瞬、微笑ましげに細められる。
 赤は、重なっていくとだんだん黒に近付く。夕景は濃さを増して重くなりながら、だんだん夜へと落ちていく。
 けれど、この夕暮れの色は、金色の竜の輝くような色彩と渡り合って均衡を保ちながら、いつまでたっても暮れていかないようで。

 紅と金を見比べながら小さく歌を歌う少女の、少しだけ寂しげな背中で時を止めている。

 帰る場所を見失ったような、魔族の少女と金の竜。
 いつまでもこのまま、日と夜とのあわいのこの時間が続けばいいと思いながら佇んでいた。

 ゆるゆると、まどろむように止まった黄昏の時間の中。



 眠りと目覚めとの狭間にも気付かないような、穏やかな穏やかな幻覚だった。