天御柱学院へ

なし

校長室

蒼空学園へ

【蒼空に架ける橋】幕間 願いは星降る夜に

リアクション公開中!

【蒼空に架ける橋】幕間 願いは星降る夜に

リアクション

 いよいよ野外パーティーのクライマックス、天燈流しが行われようとしていた。
 自分の願い事を書いた天燈を持って打ち上げの合図を待つ人たちで集合場所は混雑している。360度、どこに目を向けても人の背中しか見えない。
 ぎゅうぎゅう詰め一歩手前のような状態で、そのとき、何の前触れもなくカッと一瞬炎が走って消えた。
「このアホったれがあああああああああ!! ひとがせっかく見直しかけていたというにーーーーッ!!」
 ルシェイメア・フローズン(るしぇいめあ・ふろーずん)の激怒した叫びが炎の上がった辺りから響いてくる。
 直後。
「あっつーーーーいっ!! やだっ、燃えるっ、燃えちゃうっっ。
 ヒドーイ、ワタシ関係ないデショー!?」
 先のルシェイメアの声に勝るとも劣らないボリュームでアリス・ドロワーズ(ありす・どろわーず)の悲鳴と混乱しきった声が起きた。
「す、すまん。まさかアキラの懐で寝ておるとは気づかなかったのじゃ……」
 ――今度は一体何をした、アキラ。
 しかし肝心のアキラ・セイルーン(あきら・せいるーん)はどうやらルシェイメアによる最初の焔のフラワシ攻撃でコゲコゲになったらしく、弁明する声は一切聞こえてこなかった。
「一体あそこでは何が起きてやがるんだ……」
 ごくり。唾を飲み込んで、ちょっぴり恐怖の表情でそちらを見つめる高柳 陣(たかやなぎ・じん)の元に、ティエン・シア(てぃえん・しあ)が駆け戻ってきた。
「お待たせー。
 はい、みんなの分」
 ティエンはもらってきた天燈を陣と木曽 義仲(きそ・よしなか)にそれぞれ手渡し終わると、ヒノ・コにも渡した。
「それでこれがおじいちゃんの分」
「わたしの分もかい? ありがとう」
「ペンで願い事、書いてね。
 義仲くん、何書いてるの?」
「うん? 俺に特に願いはないが、この天の燈火が、スク・ナの家族はじめ、雲海に散った多くの魂の慰めになればよいと思ってな。魔物たちもまた、心安らえよ」
 義仲は胸のなかで祈るように、一時黙りこむ。
「で、おまえは何を書いたのだ?」
「僕のお願いはね、アナトお姉ちゃんの赤ちゃんが元気に産まれてきますように。あと、なかの短冊には、おじいちゃんが悲しい顔をしないですむようになりますように」
 口にしたあと、ちょっと恥ずかしくなってティエンはヒノ・コの方を振り返った。見上げてくるティエンに、ヒノ・コが何か言おうと口を開く。しかしそのとき、彼はつんつんとひじのあたりを後ろから引っ張る力を感じて、そちらを向いた。
 そこに立っていたのはティア・ユースティ(てぃあ・ゆーすてぃ)だった。
「ヒノ・コのおじーさん」
 名前までは知らなかったが、巽のとなりに座っていた少女だと、すぐ気づいた。
「ああ、きみか。なんだい?」
「あのとき、なんだか訊きそびれちゃって……タツミがあんなだったし。
 あのね、おじーさんは長生きなんだよね? こういう光条兵器に見覚えとか、何か知ってたりすること、なぁい?」
 ティアは自分の光条兵器、剣身1メートルほどの十握剣を取り出してヒノ・コに見せたが、彼が知らないのは表情を見るだけで分かった。
「……ごめんね」
 ティアの表情が曇るのを見て、ヒノ・コは申し訳なさそうに言う。ティアは首を振った。
「ううん。おじーちゃんのせいじゃないから。
 まぁ、7000年前に外界と遮断してるって話だし、駄目元みたいな確認だしねぇ。ほんと、僕の故郷はどこなんだか……」
 ため息をつくティアの頭をなぐさめるようにたたいて、ヒノ・コは自分の持つ天燈を差し出した。
「これをあげる。まだ願い事をしてない天燈だよ」
「え? でもこれ、おじーちゃんが願い事をするための物じゃ……」
 ヒノ・コは何も言わず、ただほほ笑んで、受け取るように促した。
 天燈を持ってきたのはティエンだったが、彼らのやりとりを見て、ティエンは何も口を挟まず、むしろ受け取るようにうなずいて見せる。
 それを見て、おずおずとティアはそれを受け取った。
「さあ願い事を書いて。そして空へ飛ばして祈ろう。きみがいつか故郷を見つけて、戻る日が来ますように」



 天燈流しは第1陣は地上から、遅れて第2陣が上空の漁船からとなる。
「内側に油をそそいだ小皿を設置しましたら、こよりに火をつけてください。そして、手を伸ばして体からできるだけ離して水平に持ちます。このとき、無理に飛ばそうとしないでください。炎で内部の空気が熱せられたら自然と天燈は浮かびあがりますから、そうなったらゆっくりと手を下ろしてください」
 草原のあちこちで、サク・ヤの説明に従って天燈に火が入れられた。
 真っ暗な夜空へふわりふわりと浮かびあがっていく天燈。
 地上から上がってくる青や緑、赤といった光を漁船の縁から見下ろして、及川 翠(おいかわ・みどり)は歓声を上げる。
「きたのー!」
「あっ、危ない!」
 身を乗り出して天燈に触ろうとする翠の背中に、あわててミリア・アンドレッティ(みりあ・あんどれってぃ)が飛びついた。
「無茶しないで! 触れるわけないでしょ!? あれはそう見えるだけで、実際は距離がすっごく離れてるのよ」
 本当に転げ落ちそうだった翠を船に引っ張り込んで、ミリアは「めっ!」と翠を叱るが、翠は ???? だ。そしてミリアの後ろをゆらゆら上っていく天燈にまたも表情を輝かせると、きゃーーーーっと声を上げて船首に向かって走り出した。
「翠! 動いてる船の上を走っちゃ駄目!」
 しかし翠の暴走は止まらない。よいしょと舳先についた飾りに上ってまで天燈を追おうとする姿に、ミリアは声も出ないほど驚き、顔から血の気を引かせた。
「……しかたないですねぇ〜」
 恋人のミリアとロマンチックデートができると思っていたスノゥ・ホワイトノート(すのぅ・ほわいとのーと)はため息をつき、ひとまずそれは脇に置いておくことにして、翠をなだめに向かう。
「翠ちゃん〜、追うのはそこまでにして、まず自分の天燈を飛ばしませんかぁ?」
「えっ? でもー……」
「飛ばして〜、船長さんにお願いして〜、それを追える限り追ってもらう、っていうのはどうです〜?」
 未練たらたらだった翠だが、スノゥの提案にパッと表情を輝かせ、舳先から戻ってきた。
「ほんとに追いかけてもらえるの?」
「それはこれからお願いしないと分かりませんけど〜、一生懸命お願いしてみましょうね〜」
「うんっ」
 翠の手を引いて、スノゥはミリアの元へ戻る。
 すぐ後ろを通り過ぎていった彼らのやりとりがまったく耳に入らないほど、リカイン・フェルマータ(りかいん・ふぇるまーた)は自分の考えに没入していた。
 両手で持った天燈を無言で見つめていながら、その実彼女の目に映っていたのは天燈でなく、ヒノ・コである。彼女はヒノ・コとのやりとりを思い出していた。
『質問があります。よろしいでしょうか』
 ほとんどの人が退室した室内で、リカインは席を立ってドアに向かおうとしている彼を呼び止めた。
『うん、いいよ。なに?』
『マフツノカガミが……いいえ、カガミ全部がそれぞれの島を魔物の脅威から守護している状態だった、ということは「今でも仕事を果たしている状態」と言えるでしょう。だとしたら、それを求める者がその状態のカガミを使って果たそうとすることは、何なのでしょうか?』
 慎重に出されたこの質問に、ヒノ・コはそれまでと少し違う、とてもうれしそうな表情で笑んだ。
『はっきり言っていいんだよ、カガミを求めているのはクク・ノ・チだってね。もちろん証拠は何ひとつないけどねえ。
 それで、彼の目的だけど。ごめんね、これはわたしにもまだよく分からない。推測はついてるけど、それをするためには課題があって、彼がそれをどうクリアするつもりなのかまでは見当がつかないんだよねえ。
 それに、今それを話したって、きみたちが信じるとも思えないし』
『そんなことは――』
『だってきみたち、わたしのこと信用してないでしょ?』
 ずばり切り込まれ、ぐっとのどを詰まらせたリカインを見て、ヒノ・コは笑顔が消えないまま、少しだけ首を傾げる。
『ああ、気にしないで。わたしは何とも思ってない。それはべつにいいんだ。それで当然だと思う。なんたってわたしは数万人の罪のない人々を殺してしまった大罪人だし、それに、みんなとは今日会ったばかりだものね。
 ただね、その状態でわたしの推論を聞いたところで、きみたちはよけい混乱するだけだと思うんだ。何も証拠はない。真偽の判断がつかず、わたしが話す言葉の裏にある意図は何か探ろうとしたりね。だからわたしは、きみたちが自分の力でわたしと同じ結論に達すればいいなと思ってる。
 今わたしから言えるのはね、きみの考えてる方向は正しいと思う、ってことかな。相手が何をしたいのかについて考えるのは、いつだって役に立つ。きみはカガミについて考えているし、あとは……そう、浮遊島がどういう場所なのかということや、彼について知ろうとすれば、おのずとわたしと同じところにたどり着くかもしれないねえ』
(この子がいてくれたら、もう少し分かったかしら)
 ちら、ととなりに腰かけた禁書写本 河馬吸虎(きんしょしゃほん・かうますうとら)に視線を流した。あのとき河馬吸虎は、真剣な話し合いの場にこの子がいると、集中力が削がれて気が散りかねないとの判断から、かなり強引に天燈づくり教室の方に放り込んであった。
 しかし今思えば、河馬吸虎の探知系スキルや小動物並の神経の細やかさによる観察眼で、何か分かったかもしれない……。
 それとも、ますますヒノ・コを警戒させて、口を重くさせてしまっただろうか?
 そのとき、ようやく勇気をため込むことに成功したのか、河馬吸虎がおっかなびっくりの手つきで漁船の手すりに近づいて、そこから天燈を流そうとした。
「下を覗き込んじゃ駄目よ」
 リカインの言葉に、ビクン! と肩をそびやかして、傍目にもあきらかなほど飛び跳ねた。
「………………っ」
 ぱくぱく、ぱくぱく。夜店の金魚みたいに口をぱくぱくさせている。
「あ、驚かせてごめん。
 あと、小皿に油は入れた? こよりはつくった? 短冊のままじゃ駄目よ?」
 こくこくっとうなずいて、それでも確認するように、河馬吸虎はそーっと下から中を覗き込んだ。短冊はしっかりこより状になっていて緩んでおらず、『このまま戻りませんように』との文字は読めない。
「じゃあ一緒に流しましょ」
 河馬吸虎は笑顔でうなずいて、リカインと並んで手を漁船から外に出した。軽く添えているだけの手から、ふわりと離れて飛んでいく。
(あのバカも外へ出ることを覚えたら、こんな光景が見られるのに)
 あのバカ、とはリカインのもう1人のパートナー、悪魔のウェイン・エヴァーアージェ(うぇいん・えう゛ぁーあーじぇ)のことだ。今も絶賛ナラカの自宅で引きこもり中だろう。
(あのバカのことだから、「生涯引きこもる」とか願い事しそうね……いや、それすらもしないでそのへんの草むらにでも寝っ転がっているかな)
 たとえそれでも、この空へ舞い上がっていく天燈の幻想的な光景が彼の目にも映ったかもしれない――。
 そう考えると、やっぱり呼んであげた方がよかったかも、と思ったりもしたが、すぐに悟れた。
 相手はあの筋金入りニート。きっと頭を着地させた瞬間に朝まで熟睡していたに違いないと。
 また、反対側のデッキでは、遠野 歌菜(とおの・かな)月崎 羽純(つきざき・はすみ)と並んで立ち、こよりにした短冊へ火を灯していた。
 天燈のなかでゆらゆら揺れる炎を見守っていると、やがてふわりと手を離れて天燈がひとりでに空へ浮かんでいく。2人の天燈はふわふわと空に上がりながら風に流れて、すぐに固まって飛ぶほかのたくさんの天燈たちの元に合流した。
 まるで仲間たちとともに飛ぶのがうれしいかのように。
「もう見えなくなっちゃった」
 肩を抱き寄せてくれた羽純の胸に手を添えて、歌菜はため息のようにつぶやく。
「いや、分かる」
「え?」
「あれが俺たちの天燈だ」
「どれ?」
 伸ばされた羽純の手を追って、もっとよく見ようと羽純へと身を寄せる。その手をとり、羽純は順々に左右の指に口づけた。
「羽純くん?」
「とうとう短冊の方は見せてくれなかったな。何を願ったんだ?」
 両腕を後ろへ引いて、背中に回すように促した。
 空いた手がほおに添えられ、だんだんと顔が近づいてくる。
「だめ。教えない」
「どうしても?」
 彼が声を発するたび、熱い息を唇に感じる。
「どうしても……」
 唇がふさがれ、さらに抱き寄せる腕の力が強まった。それに応えるように歌菜もまた、羽純の背中に回した両腕に力を込める。
「……羽純、くんは……何を、書いた、の……?」
 キスの余韻にひたり、ほうっと息を吐く歌菜のほおに、羽のような軽さで羽純の唇が振れる。
「おまえが教えないなら俺も内緒だ。
 それより、見ろ歌菜」
 羽純に促され、歌菜は羽純の胸にうずめていた顔を上げて夜空を向く。そこに広がっていたのは、数百の天燈たちだった。
「きれい……。ねっ? 羽純くん。まるで私たち、光の川の真ん中にいるみたいね」
 手を伸ばせば届きそうな距離で、いくつもの天燈が光を放ちながら空へ上がっていく。
 もっとよく見ようと身を起こした歌菜は天燈に照らされ――羽純の目には、まるで光の精霊のようにまぶしく映った。
「そうだな」
「こんなすてきなことに誘ってくれたこの島の人たちに、感謝しなくちゃ!」
「ああ。感謝しよう」
 こんなにも美しい歌菜を見せてくれたことを――。
 羽純は胸のなかでそっと思うと、歌菜を包み込むように後ろから抱き締めた。


 ルシェイメアは、アホな男の欲望丸出しにした天燈を抱き締めた格好で丸焼けになって動かないアキラを背に、『アキラがもうちょっと落ち着きますように』と、切実な思いが感じられる文字の書かれた天燈を飛ばし、南條 託(なんじょう・たく)は『大切なもの全てを守る』と書かれた赤い天燈を飛ばす。
「琴乃……妻や、これから生まれてくる子どものためにも、これだけは譲れないからね」
 それぞれがそれぞれに真剣な願いを込めて、空高く飛んでいくそれを祈りとともに見守る。
 高く、高く、上がって、この島を閉じ込める壁のごとき雲海を越えて、自由に、広い空をどこまでも飛んでいくことを願って。



 やがて船はゆっくりと動きだした。
 翠の願いをきいて、天燈を追えるだけ追うことにしたのだろう。
 風を受け、ゆらりゆらゆらと雲海へ流される天燈を避けながら、船は低速で行く。
 それは、地上からはまるで流れる光の川をゆっくりとさかのぼっているかのように見えていた――――。