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リアクション
●序
黒い綿のように雲が、空を覆い尽くしている。時刻は真昼だが夜のように昏い。
されどその空よりもずっと暗鬱、そして異様なのは、空の下の世界であろう。
彼の地、シャンバラ東方。『アトラスの傷跡』付近に存在する山岳帯。
そこに存在するのはイコン製造プラント、東シャンバラ及び鏖殺寺院が設立した建造物であった。
……その筈だった。
しかしその姿はもうない。
開発工房(プラント)はナラカと化していたのである。
地上に見える建造物は消滅し、濃い紫色した虚空の穴が、地下へと伸びているばかりだ。
「……これは、思ったよりもひどい状況でありますね」
魔物の口のごとき穴を眼下に見やり、金住 健勝(かなずみ・けんしょう)は呟いた。
風の音に入り交じり、何か呻き声のようなものが伝わってくる。肌を撫でる感覚も、人骨を焚いて用意したサウナとでもいうかのように、やけに湿っぽく生温かく、不気味だ。だがそれ以上におぞましいのは、遅効性の毒が髪の一本一本まで染みこんでくるような、これまで感じたことのない種類の恐怖心である。獣(けもの)が火を恐れるのに似た、本能的な怖れがあった。決して薄くないパワードスーツを身につけているというのに、恐怖心は直接、健勝に触れてくる。背筋が凍り付きそうだ。
だが健勝は恐怖に負けたりしない。むしろ恐怖こそ、自身を含むすべての探索者が生き残るために必要なものだと思う。そしてまた、まだ安全な場所にいる自分たちの数倍、いや数十倍の恐怖を感じているであろう生存者のことを考えて心を痛めた。
「こんな風になる危険を冒してでもイコンを手に入れたいなんて。今は力がすべてなんでしょうか……」
パワードスーツ越しにやはりスーツのグローブで、レジーナ・アラトリウス(れじーな・あらとりうす)が健勝の肩に手を置いた。
「……」
健勝はしばし口を閉ざしていたが、ややあって、
「そう考えている人々も、いるはずであります。しかし自分は、そうは思わないであります」
振り返り、パワードスーツのバイザーから真っ直ぐにレジーナを見つめた。澱みのない涼やかな黒目だった。
日常生活をそつなくこなすのが苦手で、普段は色々ずれている健勝、しかし一度戦場に赴くや、彼はこの上なく頼もしく、眩しく、そんな彼の傍にいられることがレジーナは素直に嬉しい。
「はい。私も、同じ気持ちです」
再度二人は、ナラカの入口に向き合う。
もうじき作戦が開始される。魔物の口は、彼らを呑み込まんとするかのように大きく開け放たれていた。
汚染されし工房――ナラカと化したこの地で使命を果たし、帰還することで、彼らは何を得て、どのような成長を遂げることができるだろうか。
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