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●第二幕 第四節

「……さん」
 誰かが呼ぶ声がする。
「……真口さん……」
 間違いない。その声の主は……。
「良かった……目が覚めたんだね……!」
 真口 悠希(まぐち・ゆき)は目を開いた。そして自分が、白いベッドの上に寝かされていることを知る。今の悠希はパワードスーツはおろか、百合園女学院の制服すら着ていなかった。白一色の簡素な服である。まるで病院の入院着のような……。
 いや、まさしくここは、その病院に違いない。
 明るい陽光が窓から差し込み、ベッドの周囲は白いカーテンで囲まれている。枕元にはお見舞い品だろうか、クマのぬいぐるみが置かれており、どこからか消毒液や薬剤の香りがほんのりと漂ってきていた。
 嬉しい、と悠希の首を抱く人があった。
「静香……さま?」
 誰あろう、それは悠希の想い人、百合園女学院校長・桜井静香なのである。ベッド脇の椅子から、ずっと悠希に呼びかけていた声は彼女のものだった。
「覚えてる? ナラカ化した工房での大惨事から、真口さんは救出されたんだよ。爆発があって、そこにいたほとんどの人は死んじゃったんだって……。真口さんは奇跡的に無傷で救出されたけど、それからずっと、意識を取り戻さなかった……」
「待って、じゃあ、ボクは」
「眠りっぱなしだったんだ。一週間ずっと……何度も危篤状態に陥って、僕、真口さんはもう助からないんじゃないか、って思って……」
 静香の目に涙が光っていた。あふれるものを拭おうともせず、彼女は悠希の顔を見上げる。
「亡くなった人たちには気の毒だけど、僕……真口さんが発見されたとの報告を聞いて心底嬉しかった。それなのに全然意識が戻らなくて、どれほど心配したことか……」
「静香さま、ボクにそんな言葉、もったいないです」
「そんなことないよ。だって僕……」
 静香は首を振った。清らかな涙が頬を伝う。
 透き通るような青い瞳で、彼を見つめながら静香は告げた。
「だって僕……気づいたんだ。僕は真口……いや、悠希さんのことを愛していたんだ、って」
「えっ」
「好きだよ。愛してる、悠希さん。悠希さんには僕の、すべてを捧げたいと思ってる……」
「ボクも嬉しいんですけど、事態がまだ飲み込めなくて……それより、プラント探索に行ったみんなは……?」
 誰が助かり、誰が亡くなったのか、探索の結果はどうなったのか、悠希には知りたいことがたくさんあった。しかし身を起こした悠希を見て、静香はさめざめと涙を零したのである。
「僕のこと、信じてくれないんだね。一時の気の迷いだと思ってるんだ」
「ち、違いますよ。そんなこと断じてありません、事故のことについて知りたいだけで……」
「信じてくれないなら信じさせてあげるよ……僕の本気……」
 静香は立つと、トレードマークでもあるヘアバンドを外してベッドに置いた。そればかりではない。するりとワンピースの肩をずらし、真珠色の肌をあらわにする。
 次の瞬間には、服は病院のフロアに滑り落ちていた。
 わずかに足首にかかった布を手で払い落とすと、静香に残るのはレースの下着だけとなった。夢見るような桃色、緻密な装飾の下着は上下揃いだ。それを悠希が目の当たりにしたときには、もう彼女はブラの肩紐をずらしはじめている。ふるっと身震いするかのように、双つの膨らみが揺れた。
 彼女は悠希の頬に両手を添え、唇を近づけてくる……。
「待って……下さい」
 顔を紅潮させ、視線を足元に向けながら悠希は告げた。静香の手を止めている。
「わかってくれたの?」
「わかりました……貴方は、静香さまじゃない
「どうしたの? なぜそんな怖い声をだすの……僕は……?」
静香さまじゃないっ……!
 知らず声が大きくなっている。手を放すと静香は、あられもない格好で背から床に転倒した。
「……これまでボクは……静香さまの優しさに甘えていました。静香さまだけの幸せを……いえボクと二人だけの幸せを願ってしまっていて……」
 シーツをはねのけてベッドから降りると、悠希は床下の存在を見向きもせずカーテンを取り除いた。
「けど……甘えて依存してちゃダメだって、本物の静香さまは教えてくれたんです。二人の事だけを考えてても、誰も幸せにできないって……そんな静香さまが、『亡くなった人たちには気の毒だけど』なんて一言で事故を片付けるはずがないんです……!」
 床下の存在はとうに静香ではなくなっていた。火に炙った蝋細工のようにドロドロと融解し、やがて桃色の染みのようになって消えている。
「周囲の皆の励ましを受けてやっと気付くことができました」
 カーテンの向こうは、紫色の外壁が収縮を繰り返す世界――ナラカであった。
 そして悠希も入院着ではなく、パワードスーツ姿に復している。幻覚を見せられていたのだ。
「ボクは……もう静香さまだけじゃない。周囲にいる全ての方……皆に幸せになって欲しい……って思います……っ!」
 ベッドがぽつんと残っていること以外、ここで寸前まで起こっていたことを証明するものはなかった。この場所はどこだろう。皆はどこにいるのだろう。まさか、偽物が言っていたように、大半が戦死したということはないと信じたい。
 悠希は駆け出した。
「皆、無事なはずです……必ず見つけ出し、合流します……っ!」

 ふぅ、と水心子 緋雨(すいしんし・ひさめ)は溜息をついた。屍龍の来訪と周囲の消失、突風……一連の出来事からどれくらいの時間がすぎただろう。つい数分前と言われればそんな気もするし、もう数時間が経過したと言われても納得しそうだ。一団になって進んでいた連隊メンバーはことごとく姿を消している。散り散りになってしまったのだろうか。
 銃型HCは意味不明な記号の羅列しか表示せず、ここがどこかすらわからない。(ナラカ化したプラントのどこかであるのは確実だが)
「プラントの内部地図は紙で用意してきたけど、ナラカ化してぐっちゃぐちゃになってるから何の役にも立たないし……」
 この世界では地上の常識は通用しないのだ。仮にプラントが原形を保っていた場合、緋雨はこの地の中核部分をすぐに割り出していただろう。しかし現状ではまず不可能である。
 けれども緋雨は心細くはなかった。パートナーの天津 麻羅(あまつ・まら)が一緒だったからだ。二人きりとはいえ、これほど心強い道連れもない。どうやら連隊は四散したものの、パートナーとは精神的なつながりが大きいゆえか、離れず同じ場所に着地できたようだ。ちなみに両名ともデスプルーフリングを用意しパワードスーツを使用していないものの、怪我一つ無くこの場所にたどり着いていた。
「ふむ、仮にプラントが元の姿のままだったとしても、同じ事であったろうて」
 赤と青、左右二色の瞳で麻羅は緋雨を見上げた。
「同じ、って?」
「緋雨が先を歩いておれば、遅かれ早かれ道に迷っておったはずじゃからのう」
 にやりとする麻羅に、緋雨がむくれてみせる。
「べ、別に私は方向音痴ってわけじゃないんだからねっ! ただ、地図の読み方と方位の見当のつけかたが下手なだけ!」
「それを世間では『方向音痴』と呼ぶのじゃろうが」
 まあ良い、と両手を打ち鳴らし、麻羅は周囲を見回す。
 二人が着地した場所は、広大な砂漠だった。といってもその砂の一つ一つが黄金……すなわち砂金なのである。薄暗い月明かり(地下なのに!)の下、キラキラと輝いている。これが本物だとすれば一財産だが、
「かどわかしじゃ。こんなもの持ち帰ればロクな目をみんぞ」
 と麻羅は目もくれない。惜しい気もしたが、緋雨も砂を手にするのはやめておく。得体の知れぬ畏怖を感じたからである。
「で、道に迷ったとしたらどうするつもりだったのよ?」
「昔ながらの方法に頼るまでじゃ」
 麻羅は歩き出す。
「昔ながら……って、どうするの麻羅っ!?」
「データでは表せない経験や勘じゃよ。神経を研ぎ澄ませればおのずと見えてくる」
 ナラカゆえ猟犬を連れてくるのはかなわなかったが、実際、麻羅の持つ野生の勘は犬をも上回る。本能が命じる方角に麻羅は歩み続けた。