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●第二幕 第十節 

 屍龍のブレスはこれで三度目、パワードスーツ越しゆえ毒のダメージこそないものの、大久保 泰輔(おおくぼ・たいすけ)は徐々に、装甲が剥げて来ていることを実感していた。
(「あちゃー、こりゃ、腐食性の酸が装甲を侵蝕しとるな。もう一度ブレスにさらされたら穴が開きかねんのとちゃうか……?」)
 それでも、パワードスーツを着ての行動に熟達している泰輔はまだましだ。レイチェル・ロートランド(れいちぇる・ろーとらんと)も同様にパワードスーツ慣れしているから、まだしばらくは戦えるだろう。問題はこの鎧に不慣れなパートナーたち……フランツ・シューベルト(ふらんつ・しゅーべると)讃岐院 顕仁(さぬきいん・あきひと)だろう。彼らの場合、次を喰らえば『穴が開く』どころか即死する危険性すらあった。
 味方の総反撃を受け、屍龍がやや後退した隙に、泰輔は三人に頭を下げた。
「みんな……ごめんな。こんなとこ連れてきてしもて……」
「泰輔さん、何をおっしゃいます。私は、あなたが望むならどんな場所にも同行します。むしろこのような危険地域に同行させてくれたこと、泰輔さんから私への信頼の現れと思って感謝しているくらいです」
 レイチェルが口を開くと、パワードスーツ越しでも清らかな風が吹くように感じられる。 
「あはは、僕はナラカ還りだけどね、恨んだりしていないよ。実際、ナラカにいたころの記憶はそんなに残ってないし……つまり、僕にとっては思い出す必要もない世界だってこと。もちろん、『この世の人』にとっても不要だよね」
 さすが歌曲の王、フランツ・シューベルトの語り口は音楽的で、彼が意識せずとも聞く者を魅了する。
「だから僕は、ナラカをこの世に顕現なんかさせたくない。全力で防いで、死の世界の拡大を止めたいんだ。この作戦の一員になれて嬉しいと思っているよ……まあ、このパワードスーツがもっと快適ならもっとよかったんだけど」
 泰輔は仲間たちに頷き、多少大袈裟に、涙を拭うポーズをとって続けた。
「そう言ってもらえて助かるわ。ほんま、感謝しとる。それじゃみんな、あと一頑張りやからな! 地質などのサンプルも十分集まった。これを失うわけにもいかんし、絶対全員で帰還しよ! 危うくなったら僕が守るから!」
「ちょっと待て泰輔ーっ!」
 そこに顕仁が噛み付いた。
「良い場面だけに黙って見ておったが、なぜにいきなり『まとめ』に入りおるか!? 普通、次は我が『この命、泰輔に預けた……』とかなんとか発言して、それからおもむろにそなたの『みんな、あと一頑張りやからな!』宣言という流れじゃろうが!」
「なんや、顕仁も何か決意の言葉を言いたいん?」
「言いたいに決まっておろうがーっ! 祟るぞ!」
「あの……どうぞ」
 さりげなくレイチェルが両者の間に入り、誘導してくれる。
「あー、こほん。覚えておくが良い。一度死んだことがあるからといって、死にそーな目に遭うのが平気になるわけでもなんでもないぞ、怖いものは、怖いのじゃからなっ! しかし他でもない泰輔の頼みじゃ。我が協力してやるから、そなたのやりようにやるがよい」
「長い」
 泰輔の感想は短い。
「長さはともかくとして、言葉と音があまり合っていないですね。もう少し抑揚の付け方を工夫されたほうが……」
 フランツの感想は短くないが厳しい。
「そこな二人っ、誰が批評をしろと言ったか! 大体そなたら、年長者への敬意というものをじゃなあ……」
 ふて腐れかける顕仁なのだが――ぱちぱちぱち、レイチェルは拍手をした。
「私は、良いと思います。顕仁さんらしくて」
「お、そうか……などとやってるうちに退去命令じゃと!?」
 爆弾の設置が終わったのだ。これで、これ以上屍龍と戦う必要もなくなった。
「じゃあ、頼んだで!」
 泰輔とレイチェル、フランツは出口方向へ走り、敵を蹴散らしながら道を作る。
「おう、手はず通りにな!」
 ところが逆に、顕仁は滅紫の柱へと転じたのである。これが『他でもない泰輔の頼み』だというわけだ。
 去り際、泰輔がつぶやいた言葉を顕仁は聞き逃さなかった。
 泰輔は、「信じてるからな」と言ったのである。言わずもがなだが、これが正直な心情だ。
 しばし憎まれ口を叩き合ってはみたものの、やはり命を預けられる相手は泰輔しかいない……そう思う顕仁である。

 最後の爆弾を設置しに行ったのは小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)だった。
 指にリング、背にはロイヤルガードのマントを帯び、彼女はゴーストイコンを目指す。
 イコンをすべて破壊されればナラカそのものが存在できない、そう知っているからだろうか、怪物たちは赫怒し、美羽を必死で妨害せんとしていた。
 しかし必死さを言うなら、美羽のほうが上だ。彼女を突き動かしているのは義務や使命感ではなく、悲しみだったから。しばしば悲しみは、怒りを超えて行動の源となる。
(「シャンバラ王国を守り、そこに住む仲間や友達を守るためエリュシオン帝国や鏖殺寺院と戦う……それだけを理由に行動できた頃がもう、遠い昔のことみたいに感じるよ……」)
 彼女がその想いを口にすることはない。語ってしまえばそれが、ただの愚痴へと堕すように美羽は感じていた。
(「だけど……シャンバラ王国は東西に分かれてしまった。そのうち東シャンバラは、エリュシオン帝国の指示を受けながら、鏖殺寺院と手を組んでイコン製造プラントを設立、それだけでも悲しいのに、そのイコン製造プラントがシャンバラの地でナラカ化するなんて……」)
 浮遊大陸パラミタに初めて足を踏み入れたあの日、このように複雑化、それも、悲しむべき方向に複雑化した未来が待っているなんて、とてもではないが美羽には想像できなかった。
 しかしこれは現実、そして、西シャンバラ・ロイヤルガードたる美羽は、逃げずにこの現実と向き合わなければならない。
(「だから私は吹っ飛ばすの! この、忌まわしいプラントとナラカに繋がるすべてを!」)
 美羽を守るのはベアトリーチェ・アイブリンガー(べあとりーちぇ・あいぶりんがー)だ。パートナーゆえ、美羽の抱えている悲しみを、ベアトリーチェは痛いほど理解していた。どんな言葉をかけたところで、その悲しみを和らげることはできないだろう。
(「だから私は……行動で美羽さんの悲しみを癒します!」)
 誓いを新たにし、ベアトリーチェはバニッシュを放って美羽の作業を守るのだった。美羽の心そのもののように清らかで純粋、されど神々しく強い光が、混沌に巣くう魔を消し去ってゆく。
 ついに最後の爆弾が、設置を完了した。
「美羽さん、合図は味方に展開しました。私たちが最後の爆弾設置者です……これよりプラントから撤退します!」
 ベアトリーチェは美羽を抱くようにして、パワードスーツのブースターを吹かす。

 ナラカの敵を斬り伏せ、血路を開いてゲートのそばまで来たものの、草刈子幸は無念の涙を呑んだ。
「近くで見ても同じでありました……やはり『ゲート』はエネルギー体であります! いくら光条兵器でも、エネルギー体の一部を切り取って持ち帰るのはできないでありますな……!」
 ところが鉄草朱曉は腕組みし、剛胆にもからからと笑って言う。
「さっちゃん、いきなり諦めんと、いっぺん斬ってみればええよ。斬れんかったら斬れんかったゆうことじゃけぇ」
 ところがこれに草薙莫邪は反発するのだ。
「こらバカツキィッ! 無茶言うんじゃねぇ! うかつに触らせ……」
 莫邪は言葉を最後まで言うことはできなかった。なんと子幸が、その試みを実戦したからである。
 ……やはり斬ることはできず、三人は急いでその場を離れた。

 一方、子幸らとは違って、東園寺雄軒はゲートに触れることもなく撤退せざるを得なくなっている。
 屍龍を含む敵の集団を誘導するのには成功したものの、それ以後の混乱があまりに酷く、また、自分たちを『探して捕縛する』と捜索をはじめた一部教導団メンバーのこともあって近寄るに近寄れなかったのだ。そうこうしているうちに時間切れ、ここに残っていれば爆発に巻き込まれかねない。
「知識が……」
 名残は尽きないが仕方がない。加速ブースターを点火したバルト・ロドリクスに、猫の子のように抱き抱えられ雄軒は運ばれていく。
 ところが彼は、この状況下でもゲートに向かっていく人影を目にした。
 讃岐院顕仁である。顕仁は単身、ゲートに迫っていた。
「知識のために命すら捨てるというのですか……」
 まさか自分を超える知識探求者がいたとは――――ゲートの知識を得られなかったことと併せ、雄軒は深く敗北感を味わっていた。