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【蒼フロ3周年記念】蒼空・零 ~1946年~

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【蒼フロ3周年記念】蒼空・零 ~1946年~

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 地面に座り込んだ子どもが大声で泣いている。
 歳はせいぜい三つ、それに満たないくらいかもしれない。
 見方によっては平和な光景といえようか。戦時中、子どもはあまり大声で泣かなかった。空腹でそれほど無く元気がなかったということもあろう。夜な夜な防空壕にこもり、空襲が過ぎ去るのをずっと待っていた頃、押し潰されるような感覚があって泣くに泣けなかったということもあろう。
 いずれにせよ、なんだか大声上げて泣くのがはばかれるような、そんな時代であった。
 こうやって、人目をはばからず泣きわめくことができるのは、考えようによっては幸せな証拠かもしれない。
 母親とはぐれたのだろうか、わんわんと泣きわめいていたその子どもは、やってくるものを見てぴたりと泣きやんだ。しかも立ち上がり、だっと駆けだしていく。
「おかあさん、おかあさん、ごはん! ごはん持った人たちが来るよ!」
 知らせに行ったのである。
 ぎっしりと、小山のように食料品を担いでくる人影に。しかもそれが一人ではないのだ。
「ごはん、ね……」
 運び手は苦笑した。
 自分の体重ほどもありそうな背嚢には、大量の米・小豆・ザラメ糖・塩などの袋がパンパンに詰め込まれている。両手に提げた包みからも、小麦と思わしき袋が顔を出していた。
 ひっつめにした黒髪、着物の袖を短くした上っ張り、足も靴ではなく草履だ。この服装にこの髪の彼女を、誰がルカルカ・ルー(るかるか・るー)だと気づくだろうか。
「石原さんの姿は知っているけど、それって2022年の話だもんね。今見てすぐ判るかな……?」
「判ったとしても、『私たちが護衛します』なんて言ってすぐ信じてもらえるかはちょっと不安だね」
 髪を黒に染め、和服の下を包んだモンペ姿の遠野 歌菜(とおの・かな)が返答する。
 二人ともカラーコンタクトで瞳の色を黒にしていた。この服装にこの顔であれば、そうそう悪目立ちすることはないのではないか。なおルカは、『伏見流香(ふしみ・るか)』を名乗りに用いている。
「それはそうと」
 ルカルカと歌菜よりもさらに大きい背嚢を運びながら、月崎 羽純(つきざき・はすみ)が言った。
「ダリル……その髪のことだが」
「髪がどうかしたか?」
 ダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)はごく平然と答えた。確かに、これまでのダリルを知る者であれば一言いわなければ気が収まらないだろう。彼はトレードマークでもあった長い髪をバッサリと切り、青みがかった毛色も黒く染めていたのである。名刀工の銘を組み合わせ『一文字長光(いちもんじながみつ)』と名乗っている。
 切らなくても変装する方法はあっただろうに、と羽純は言うものの、ダリルは実にシンプルに返答した。
「終戦直後に長髪はおかしいだろう」
「しかし、貧乏で伸ばしっぱなし、みたいなヤツもいるようだが」
「そうだな。それは計算間違いだった」
「えっ、すんなりミスを認めるんだ……?」
「計算間違いをしないようなら、『有機コンピューター』ではなくただのコンピューターだ」
 と言うダリルの口元には、ほんの幽かな微笑が浮かんでいるのだった。
 ――ダリルは変わりつつある。羽純もそう思わざるを得ない。
 けど、と、改めて短髪になったダリルを見ながら羽純は言った。
「勿体ない……あんなに綺麗だったのに」
「また伸びるから問題ない」
「でも、あれだけ伸ばして手入れするのは大変だったろうに」
「楽ではなかったが、その分短髪も楽しんでいる。そもそも、俺は常に短髪だったわけではない」
 それは初耳だ、羽純はそろそろ闇市だということも忘れ熱心に問うた。 
「そういえば、どうして伸ばすようになったんだ?」
「遥か昔に似合うと言ってくれた人がいて、以来伸ばす癖になっているんだ」
 思わず羽純は言葉を失ってしまった。こういうロマンティックな発言とは、無縁の男がダリルだと思っていたからだ。本当に、変わりつつあるのだろう。
「……帰還後また伸ばす」
 と、ダリルが簡単に言い括ったところを見ると、『誰に』どう『似合う』と言われたのかまでは言いたくないようだ。それならそれでいい、
「けど、短髪も似合ってると思う。しばらくはそれでも良いんじゃないかな」
「どうも」
 照れ隠しか元々の淡泊さゆえか、ダリルは軽く肩をすくめただけだった。ところが、
「羽純のその髪型は好きだな。実は今回、少し真似た」
 さりっとそんなことも言うダリルなのだ。
 言うだけ言って、あとは反応も見ずにさっさと歩んでいる。
 ところが言われた羽純のほうが大変だった。一瞬、カチカチに固まってしまったのだから。
 俺の髪型が好きだって? 真似た? 本当に?
 いや、ダリルのことだ、喜ばせようとか驚かせようとか、そういう意味で言ったのではないだろう。ただ思ったことを口に出しただけだ。たまたまこのヘアスタイルが好きなだけで、俺そのものを褒めたわけじゃない――と 羽純は強いて考えることにして、軽く流すことにした。
「なんだよおい俺を真似た? よせよ冗談は……」
 けれどその声は、わずかに上ずっているのである。
 ところで、
「ダリルが短髪になったことばかり言われてる気がする」
 ぶすっとしているのは、同行者の夏侯 淵(かこう・えん)であった。
「実際には俺のほうが酷いことされているのだが……」
「ああ、それは、夏侯淵さんを自然な気持ちでいさせるためでしょう」
 小坂 巡(こざか めぐる)と名乗るザカコ・グーメル(ざかこ・ぐーめる)が言った。ザカコも地味な扮装に身を包み、髪は仲間と同様のカムフラージュ策を取っていた。
「なんといっても夏侯淵さんは……」
「女装、だからな」
 心底むくれた口調で夏侯淵本人が言った。
 黒髪黒目。
 三編みオサゲ。
 女子服
 この恐怖の三点セットで、当時の女学生へと変身していたのである。なるほど確かに、純情可憐な女子に見えてしまう今の夏侯淵なのだ。
 これを聞きつけ、ルカルカと歌菜が振り向いた。
「だって、その方が違和感が無いんだもん」
「うんっ、可愛いよ♪」
「くっ、現地入りする前ならば聞き捨てならぬ発言だ。本気でここまでやらされるとはな……」
 怒って暴れたいところだが、ここでそんな暴挙に出ればたちまち目立ってしまうだろう。最悪、女装がばれるという死にたくなるような展開もあるかもしれない……。
「まぁ、エリザベート校長を探し出すことも自分たちの使命。仮にそうなった場合、少女姿のほうがなにかと都合が良いというものです」
 優しく言いきかせるザカコである。ともすれば『効率を考えれば』と理論的に説くダリルや、『可愛いしイイじゃん』で済ましがちなルカルカ、『やってみれば楽しいと思います!』と言い切る歌菜とは違い、ザカコは利と情、その両方に訴えた。
「むしろ夏侯淵さんの責任は重大。場合によってはエリザベート校長を一番お近くで守ることになるんですから。それを考えれば、少々の変装など気にしていてはいけませんよね? それに、旅の恥はかき捨て、ではありませんが、2022年に戻ればごく少数の者しかこのことを覚えていませんよ」
 その理をあきらかにした上で懇々と説く彼の言葉に、
「そうか……それなら……」
 となんとなく夏侯淵も機嫌を直し……かけたのだが、ぶほっ、と噴き出す声にたちまち顔をしかめた。
「すまねえ、笑うつもりじゃなかったんだ。なんていうか、昔見たこの時代を舞台にしたアニメ映画を思い出してな。それに出てくる子っぽいというか……」
 声はすれども姿は見えず、それは確かに強盗 ヘル(ごうとう・へる)の笑い声だったのである。狼の頭部ゆえヘルは姿を見せられない。闇市のように人が多い場所で出現すれば騒ぎになってしまうだろう。それゆえ、光学迷彩で隠れているのだ。
「笑ったな! 笑いおったな! そこへ直れっ!」
 夏侯淵はもう、剣があれば抜刀しそうな勢いだ。見えないヘルの姿を求めて右左へと殺気の籠もった視線を飛ばす。
「悪ぃ悪ぃ、ちなみにそのアニメ映画は、ナントカの墓って作品な……」
「そんな予感がしてたわー! あの作品の少女は四歳だろうがーー!」
 これによりますますジタバタする夏侯淵を、
「まあまあ、それくらいよく変装できてる、ってことだから」
 となんとかルカが押さえて、かくて彼ら『ごはん持った人たち』は渋谷闇市に入り込んでいった。