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【蒼フロ3周年記念】蒼空・零 ~1946年~

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【蒼フロ3周年記念】蒼空・零 ~1946年~

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 奮戦する者たちはなにも、戦場にのみいるのではなかった。
 現在、戦場には、戦いに無関係の人の姿はないのだが、それはなぜかと考えてみるといい。
 清泉北都、そしてそのパートナーたちは一般市民を誘導し、戦いに巻き込まれないよう尽力していたのだ。闇市で情報収集した結果、北都は1946年当時の渋谷界隈の地図をほぼ完璧に頭に叩き込んでいる。したがってその誘導に迷いや間違いはない。
「近づいちゃだめ。危ないよ……うん、こっちだ」
 禁猟区スキルを発動させ、北都は地元住民らを遠ざけるのだ。疑問を抱く人には、暴力団同士の抗争が始まっているのだと説明していた。
 狼姿の白銀昶は、耳を澄ませて戦場の様子を窺う。随分派手なことになっているようだ。彼は狼の身ですいすいと北都の手伝いを行う。
 逃げる際転んだ老人を、優しくリオン・ヴォルカンが助け起こした。
「大丈夫ですか? 怪我はありませんか?」
 問いかけながら彼は、さりげなくスキルを使って老人を癒していたりもする。急に痛みが引いたことに、老人はやたら不思議そうな顔をしていた。
 渋谷署が襲われ、警察が事実上機能不全に陥っている現段階である。このとき、住人を誘導できる者などなかったのだ。夜で人通りが少ないとはいえ、北都らがいなければ、どれだけの人々がこの戦いの巻き添えになったかは計り知れない。決して目立つ行動ではなくとも、北都たちの行動は大きく称揚されて然るべきだろう。

 エメ・シェンノートもこのとき、闇市周辺で人々を鎮めるべく行動を起こしていた。
 なにしろ、多少の時間差はあれ渋谷警察署を中心に、警察署裏の孤児院、石原拳闘倶楽部周辺と、同時に三箇所で次々と抗争が発生したのだ。狭い渋谷の住民が浮き足立つのは仕方がない。しかし彼はできるだけほうぼうを巡って、「安心してください、外に出なければ大丈夫です」と伝えて回った。慣れぬ時代に戸惑いながら三日間、学問を指導して、最後の夜にもこのような活動をした。へとへとになってもおかしくないがエメはまるで疲れを見せなかった。実際、疲れを感じてもいなかっただろう。
 やがてエメは、学問所にしていた空き家に戻ってきた。
「ご苦労様。本当は、僕が行きたかったのだけど……」
 ありがとう、と、暗い部屋で立ち上がったのは、杖を手にした観世院公彦だったのだ。
 やつれている、とエメは思った。明らかに公彦は疲れている。
「どうしたしまして。私には、これくらいしかできませんから」
 エメは彼を座らせ、自分もベンチに腰を下ろした。
 がらんとした部屋であった。
 かつては街の集会所に使われていた建物だ。戦争が終わってからは使うあてもなく放置されていたのを、今回、エメが手をまわして使用した。三日間、あれだけ賑わっていたのが嘘のようである。
 少し前、帰り支度をしていたエメの元に、公彦が血相を変えて現れたのだ。彼は、「今頼れるのは君だけだ」と告げて、周辺の人々の沈静化をエメに依頼したのである。
 それは、今終わった。
 ようやくここで軽く疲労感をおぼえ、背をベンチに預けながらエメは言った。
「……今頃、激しい戦いが行われているでしょう。どちらが勝つでしょうか……石原さんか、新竜会か」
「肥満だよ」公彦は即答した。
「どうしてそう思われます?」
「本当はわからない。ただ、そうあってほしいと思ってるんだ。……こんな時代、希望は大切にしなければね」
 エメは少し頬を緩めた。そして彼は、公彦に言ったのである。
「私はもう帰らないといけませんが、再びお逢いできたなら、あなたの夢を是非手伝わせてください」
 話しながらエメは遠い目をしている。公彦に顔を向けながら、公彦を見ていないかのように。
「もし『あなた』にお逢いする事は叶わなくても、あなたを継ぐ方が現れると信じておりますので……」
 エメの眼が、もう一度公彦を捉えた。
「私の名はエメといいます。『Aime』は英語では『Love』ですが、漱石という方が『I Love you』を『月が綺麗ですね』と和訳なさったそうですね。私は日本人のその感性を美しいと思います……どうかその美しさを失わない、日本人らしい学び舎を……あなたの夢が美しい花を咲かせる日を楽しみにしております」
 そうして彼は公彦の手をとり、その甲に口づけたのだった。
 観世院公彦は静かに笑っていた。
「忘れないよ、エメ。君のその言葉を、僕は胸に抱いて、希望を実現しよう」
 そのときわずかに彼の頬には、赤みがさしているようにエメには見えたのである。