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2月14日。

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2月14日。
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20


 今日は、リース・アルフィン(りーす・あるふぃん)篠宮 悠(しのみや・ゆう)の恋人になってから初めてのバレンタインだ。
 悠はいつもと同じく、今日もマホロバの旗本篠宮家屋敷で仕事をしている。帰ってくるのは夕方過ぎるだろう。とあらば、準備する時間はだいぶある。
 帰ってくるまでに、気合を込めてプレゼントを用意しよう。
 リースはぐっと拳を握った。
 ――でも、何がいいかな?
 チョコレートだろうか。定番ではあるけれど、前にあげている。違うレシピのものを覚えたならそれでもいいけれど、そうではないし。
 だとすると去年と変わり映えなく同じことをするよりも、何か趣向を凝らしたいと思うわけで。
 ――あ、そうだ。
 この間、悠がお酒の席で言っていたことを思い出した。
 『リースの裸エプロンが見てみたい』。
 そんなこと、言ってくれればいつでも見せるのに……と思いながら聞いていた言葉だ。
 ――はっ、これは、それを見せるチャンス……!?
 そうに違いないと確信した。
 プレゼントは私。
 それをやってみせようじゃないか。


 2月14日だろうがなんだろうが、365日のうちの1日には変わりない。
 つまりは今日も幕府でのお勤めがありまして。
「ようやく終了、っと」
 日が暮れて、仕事から解放された悠はそう呟いた。家までの帰り道を歩きながら、出がけに言われた台詞を思い出す。
 『今日は、帰ってきたら私の部屋に来てください』。
 ――何かあるのかねぇ。
 ――バレンタインか? 普通に考えて。何か用意してるとしたら……まったく可愛い奥様だ。
 口元が緩むのを隠しもせずに、家まで軽い足取りで向かい、靴を脱いでリースの部屋に行ってみると。
「あ、ゆ、悠さーん!!」
 裸エプロン姿のリースが床に転がっていた。
 それも、リボンで結ばれ……いや、縛られて、身動きが取れない状態で。
 ――…………。
 硬直。
 困ったような、恥ずかしそうな、そんなリースの目と視線が合わさった。
 その瞬間、
「何してるんデスカ!!?」
 悠は吠えた。
 ――チョコか何か用意されてると思えばこれかよ!
 ――『プレゼントは私♪』とか、マジであるのかよ現実すげえ!!
「っていうかどうしてこうなった!?」
「だ、だってぇ! 悠さん私の裸エプロンが見たいって言うから!」
「そんなこと俺が」
 言うわけない、と言いかけたところで、言った事実を思い出した。
 ――言ってたよこの前酒飲みながら! 酔っ払いって怖ぇえ!!
 しどろもどろな悠を尻目に、リースは説明を続けていた。
「だから裸になってエプロン着けて、リボンで縛ったのー。でもなんか、縛り方に悩んでるうちにどうやって解けばいいのかわからなくなっちゃって……!」
 そして、動くこともままならなくなった、らしい。
 健気と取るべきか、天然と取るべきか。
 悩んでいるところ、
「昼間からずっとこの格好で……恥ずかしかったんだよぉ?」
 涙交じりのリースの声。
「だから……ね? 早くほどいてほしいな……」
 見られているのが恥ずかしいらしく、目に涙が溜まっている。頬も林檎のように真っ赤になっている。
「ったくもう……!」
 思わずそのまま抱き締めたくなる衝動をこらえ、床に膝をついてリボンに手を掛ける。
 ――つーか何だこれ。
 間近で見て、呆れ半分だったものが驚嘆に変わる。
 縛らせたら右に出る人間はそうそう居ないのではないかと思わせる、複雑なリボンの這い方。
 長時間この体勢だったせいで負担が掛かったらしく、汗で濡れた肌。
 纏うものはエプロンだけ。
 ――……堪らんな……!
 健気でも天然でもない、これは据膳と取るべきではなかろうか。
 それに気付いて悠はリースを抱きあげた。
「ふぇ? 悠さん? あの、リボンほどけてないですよ?」
「まあ気にするな」
 足は奥の部屋に向かう。
「え? え? 何で奥の部屋に行くんですか?」
「聞くな! もう耐えられん。困ったような目で俺を見るのも禁止!」
 この先何人たりとて立ち入り禁止。
 そうとでも言うように、ぴしゃりと襖を閉めた。
 二人が部屋から出てくることは、翌朝までなかった。


*...***...*


 緋桜 ケイ(ひおう・けい)が、イナテミスに居ると聞いて。
 ――いつから会ってないかしら?
 メニエス・レイン(めにえす・れいん)は考える。
 正確には覚えていないけれど、最後の記憶は近いものではなかった。
 ――暇つぶしに遭うのもいいわねぇ。
 それに、と唇を舐める。
 ――血も、吸いたいし。
 思いたったら即行動。
 ケイが泊まる部屋を調べ上げ、部屋に侵入して彼を待つ。


 そんなこととはつゆ知らず。
 ケイは部屋に帰ってきた。
 空はもう暗いし、気温も低い。
 各地に済む親しい友人たちにチョコを配って回っていたら、こんな時間になってしまっていた。
 友達に会うのは、楽しいし満たされるけれど、さすがに一日中動きまわっていたら疲れる。
 ――早く帰って、休もう。
 だからそう思って、早足に部屋に戻ってきた。鍵を開け、ドアを開ける。
「ただいま」
 返事なんてあるはずないのに、ついその言葉を口にすると、
「おかえり」
 相槌が返ってきた。
「!?」
 施錠してあった部屋なのに、侵入された形跡はなかったのに。
 驚き、構え、電気をつける。と、ソファに座っていたのは見知った顔。
 かつての先輩であり、憧れの魔法使いである、メニエスの顔。
 彼女は驚くケイを前に、涼しい顔のまま微笑んだ。
「遅かったのね。待ちくたびれたわ」
「本気で驚いたじゃないか……何しに来たんだ?」
 ……また悪事を行うつもりなのだろうか。
 メニエスは、イルミンスールを止めた後、鏖殺寺院として暗黒道を突き進んでいた。
 そんな彼女を、またこっちへ引き戻したいと思っている。
「違うわよ」
 だから肯定の言葉が出なくて、安心。
 あからさまにほっとしているとメニエスが歩み寄ってきた。
「久しぶりに会いたいと思ってねぇ」
 一歩。
 二歩。
 三歩。
 ゆっくりとした足取りで、焦らすように。
 そしてケイの目の前まで来たところで、嫣然と笑う。
「わざわざ会いに来てあげたのよ」
 腰に手を回されたところで、
「……そういえば今日は、バレンタインか」
 思い至った。メニエスの手が止まる。
 今さっきまで自分だってチョコを配っていた。
 そう、今日はそういう日。
「メニエスも誰かにチョコをあげたりしたのか?」
「バレンタイン? チョコ? なにそれ。そんな日知らないし、興味ないわ」
「バレンタインは、簡単に言えば大切な人にチョコを渡す日のことだよ」
「ふうん……」
 大切な人。そうだ、メニエスは紛れもなく自分の大切な人。
 チョコを渡したい、と思った。だけど、昨日のうちに作ってあった分は全て配り終えている。
 ならばどうするか。
「……そうだ! よかったら俺と一緒にチョコを作ってみないか?」
 提案に、メニエスは思案げな顔をした。どうするかかんがえているようだ。
「……いいわ、付き合ってあげる」
 しばらく後で、そう言った。
「そういう余興も、たまにはいいでしょ」


 メニエスは、料理経験ならともかくチョコ作り経験は皆無である。
 だけどセンスがないわけではないから、
「チョコを刻んで、沸騰寸前の生クリームを入れて溶かして……」
「こうね」
「そうそう。上手いよ」
 教わればできる。
 ほどなくして、トリュフは完成した。ケイが余っていたラッピング用品をくれたから、適当に包んでみる。
 それから、
「はい」
 渡した。
「……え?」
「バレンタインとやらは、こういう事するんでしょう?」
 素っ気なく、普段通りに。
 しばらくチョコを見ていたケイが、満面の笑みを浮かべた。
「ありがとな!」
 その笑みにちょっと嬉しくなったりしつつも、名を取るより実を取れ。
 ケイをその場に押し倒した。
「わわっ!?」
 固まっていなかったチョコがケイにかかった。頬から、首筋から、鎖骨から、チョコまみれである。
「メニエス……?」
 じっと見ていることに気付いたらしい。不安そうな、普段とは少し違う声音。
「あたしから物を貰ったんだから、それなりの代価を払ってもらわなきゃねぇ」
 丁度良くケイがチョコまみれになってくれたことだし。
 これをバレンタインのチョコとして、受け取ろうか。
 そう勝手に結論付けて、首筋に噛みついた。


*...***...*


 蒼空の花園は、噂通り美しい花々が咲き乱れていた。
 そこで他愛もない話を笑ってしてから、
「……あの、これ」
 キリエ・エレイソン(きりえ・えれいそん)は手作りのチョコをセラータ・エルシディオン(せらーた・えるしでぃおん)に手渡した。
 周りに居る、甘い雰囲気の恋人たちに混じって。
 自分たちもと。
「受け取っていいんですか?」
 セラータの問いに、こくり、頷く。ぎこちないなと自分でも思う。でも、こういうことは初めてなのだ。
「嬉しいです」
 そんなキリエとは対照的なセラータが、自然な動作でキリエを抱き締めた。驚いて顔を赤くしている間に、ちゅっと額にキスされる。されるがままなのがなんだか悔しくて、それ以上にくっつけたのが嬉しいのもあって、ぎゅっと抱き返した。それから同じ場所にキスをした。
「今日を思い出にしたいから、なにか変わったことをしてみたいですね」
「なら、星空を散歩しましょう」
 花園ではペガサスの貸し出しをしていて、空中散歩ができる。
 そして今は日が暮れて、夜。星も出ている。
 こんな綺麗な空を飛べたら、それはさぞや楽しいことだろう。素敵なことだろう。
「いいですね、それ。……でも、ちょっと怖いなぁ……」
 空を飛ぶなんて初めてのことだから。
 いいなと期待に胸を膨らませても、不安はあるのだ。
「俺が前に乗りましょうか?」
 ペガサスの、手綱部分を指差してセラータが言う。キリエは首をふるふると横に振った。
「私が手綱を持ちたい」
「そうですか」
 ふっと笑って、セラータがキリエの後ろに行った。手綱を握ると、ペガサスが首を持ち上げた。キリエと目が合う。
「よろしくね」
 言って、首筋を撫でるとペガサスは飛び上がった。
 ――うわ、うわ……!
 心の準備もまだなのに。そう思いはしたものの、どうやらこのペガサスはかなり利口らしい。悠々と空を歩いてくれている。
「キリエ、下」
「え?」
 言われるがままに下を見てみた。
 花園が遠くに見える。遠いのに、綺麗だと思う花々。風景。
「綺麗ですね」
 そう言うセラータの銀色の髪が、風に揺れた。銀色の絹糸。そんなふうに見えた。触りたいと思って手を伸ばす。その時、また風が吹いた。強い風にペガサスが揺れる。
「あ、」
 片手を伸ばしたせいか、キリエのバランスも崩れた。
 ――落ちる。
 そう思った時には、セラータに引き寄せられていた。腰を抱くようにして、ぎゅっと。
「……大丈夫ですか?」
「うん。……ありがとう」
 風がおさまって、抱き締めていた手が離れていって、淋しさを感じた。
 なので再び手を伸ばす。セラータの指に自分の指を絡めて、手を繋ぐ。
「今日は寒いと思っていましたが」
 もっと着こんでくれば良かったと思うくらいに、寒いと感じていたけれど。
「こうしていると、寒くないですね」
 言って、笑う。セラータも笑った。
「君が傍に居れば、寒いのなんて大した問題じゃないです。それにキリエの体温でとても温かい」
 繋いだ指から伝わる熱が、こんなにも心地良いなんて。
「花園も綺麗だけれど……空も綺麗だね」
 星が輝いて、瞬いて。
 どれほどの時間が経っただろう。
 ふと気付けば、繋いだ手を強く握りしめていた。
「セラータ」
 想いを言葉にしたくなって、キリエは口を開く。
「貴方が私の傍で笑っていてくれることが、私の願いです」
「キリエ、」
「……私と契約してくれてありがとう……」
 言葉を受けたセラータが、嬉し泣きのような表情になった。
「ありがとうなんて、俺が言う台詞ですよ。
 ……ありがとう、キリエ。俺を見付けてくれて、俺を選んでくれて……君の笑顔が、俺の一番大切な宝です」
 ――ああ、もしかしたら、今私は世界で一番幸せなんじゃないだろうか。
 そんなことはないのだけれど、今までのどの瞬間よりも嬉しくて温かなこの時間がもっと続けばいいと、心から思った。