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Zanna Bianca――ザナ・ビアンカ

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Zanna Bianca――ザナ・ビアンカ

リアクション


●9

 パワードスーツには長所と短所が存在した。
 長所、それは、生身を遥かに超える能力だ。スーツ自体の防護力であり、ヘルメット内側に表示されるデータによる情報処理能力であり、射撃の際あらわれるターゲットロックオンによる標的把握能力であった。
 短所、それは、機動力の低下だ。装甲の有する重量が、雪に沈み足取りを悪化させ、俊敏さにも制限をかけることになった。鉛を着て歩いているようなものだ。敵の機敏な攻撃には対処が遅れがちになった。
 長所短所その両面を意識しながら、パワードスーツを着用しグロリア・クレイン(ぐろりあ・くれいん)は戦っていた。雪で作った落とし穴に向け、パワードレーザーを最大火力で発射する。罠にかかった蜘蛛機械は這い出そうとしてまともにこれを受けた。何度も攻撃し弱らせていた蜘蛛の脚が、蝋細工のようにレーザーで溶けて落ちた。だが同時にグロリアは横合いより、別の蜘蛛から打撃を受けよろめいた。
(「倒れるわけにはいかない――」)
 教導団としての矜持、そして、鍛え上げた足腰が、グロリアの転倒を防いだ。レビテートの発動、さらにはパワードスーツも姿勢制御機能を発揮し、彼女は宙返りして体勢を取り戻すという離れ業をやってのけた。
 場所は村の西部、敵は、避難する村民に追いすがる蜘蛛二体。敵は強い。しかしこちらとて、国軍の名は飾りではない。
(「有事には先頭に立って戦うことこそ、軍人として志願したものの務めです!」)
 この声はグロリアだ。しかしそれは頭の中に谺する声に過ぎない。グロリアの口から出る言葉はもっとストレートで衝動的だった。
「ははっ、機械の蜘蛛といったところで所詮は地蜘蛛、そうやって這いつくばっているのがお似合いですな!」
 今、グロリアはグロリアであってグロリアではなかった。奈落人テオドラ・メルヴィル(ておどら・めるう゛ぃる)が表に出て、グロリアの体の主導権を握っていたのだ。現在の状態の彼女は、グロリア自身の能力に加え、テオドラの能力(ちから)も使いこなすことができる。
「村人は国民、国民を守るのが国軍たる我々です!」
 この声は、同じくパワードスーツを着用したレイラ・リンジー(れいら・りんじー)だ。レイラは斬り込み隊長的役割となる前衛を努め、チームの要たるグロリアの指示に従っていた。レイラは抜刀し四方八方切り結ぶ。執拗に彼女らの防衛戦を突破し、怯える村人を狩ろうとする蜘蛛も、レイラに抑えこまれ目的を遂行できなかった。
 グロリアたちの後方では、アンジェリカ・スターク(あんじぇりか・すたーく)が治療を担当していた。
「怪我をしている人は?」
 呼びかけながらアンジェリカは走った。いくら防衛戦が強固でも、逃げる過程で足を挫く者、恐慌を来す者、立ち尽くし動けなくなる者など、ケアすべき村人は後を絶たない。軍医としての使命を、彼女は命懸けで果たす所存だった。

「……なんだよアレは」
 暫時、七枷陣は立ち尽くしてしまった。信じがたい光景、出現した悪夢機械に、我を忘れた。
「あの蜘蛛型ロボが…Ξ……だと……」
 自分の認識の甘さに反吐が出る――陣は激しく自分を責めた。気を取り直し彼は戦場を馳せた。だが次々と出現する蜘蛛機械の攻撃を逃れ、あるいは反撃しながらも、心はその思いに囚われていた。
(「また相対すると思ってた……修復された『元の身体』として。けど実際はどうだ?」)
 かつて、陣が緑の神殿で交戦したクランジΞ(クシー)、ファイスの死の原因となったあの機晶姫が、蜘蛛型機械を手下のように操り、多くの契約者を相手にして暴れていた。しかしその姿は、陣の記憶と同一ではなかった。冗談というにも残酷すぎよう。彼女は機械仕掛けの合成獣(キメラ)に堕していた。
 その首は確かにクシーだった。シャギーを入れ綺麗なピンクに染めていた髪が伸び、おそらく地毛と思わしき黒と入り混じって酷い蓬髪になってはいたが、整った顔立ちなのは同じだ。しかし首から下はまるで違っていた。蜘蛛機械だったのだ。長い脚を持つ鋼鉄のマシンと一体化していたのである。
「R U Ready レディ、レディー、レディーーーー! アハハハハハ」
 絶えず言葉を発し続けているのがまた不気味だった。ほとんど発作に近い。吐き出す声に意味などまるでなく、ヒステリックな叫びは肝を寒からしめこそすれ、言葉を交わそうという気持ちをかき消すものだった。
 しかし陣は彼女の狂態を見るにつれ、胸を締めつけられるような感覚に襲われていた。
(「蜘蛛の機械に縫いつけられ、狂気も以前より酷い……」)
 限界だ。陣の怒りは頂点に達していた。
「ふざけるな」
 意識せず口を飛び出した言葉は、
「巫山戯るな」
 いつしか叫びに変化していた。
「フザケルナ!」
「でも、陣くん、クシーに怒ったって……」
 龍骨の剣をふるい、蜘蛛機械の侵攻を押し返しながらリーズが言ったが、
「クシーに怒ってるんじゃない」陣は首を振った。「あんなクソッタレロボを造りクシーと合体させた寺院の技師共が許せないんだ!」
(「クシー様にあの様な仕打ち……」)普段、たしなめることはあっても滅多に怒気を表にしない小尾田 真奈(おびた・まな)が、このときばかりは目に憤りを露わにしていた。(「兵器だから、どう扱っても構わないとでも言うのですか? 私は運用される事の無かった元兵器ですが……認めない……認めたく、ありません!」)
 クシーの登場が戦闘バランスを一気に傾けた。ただでさえ強敵の蜘蛛機械のなかにあっても、クシーの強さは桁違いだ。多くの契約者がほとんど鎧袖一触、挑もうとするたび弾き飛ばされる。しかし力の差を見せられようが、決して諦めないのが彼らだ。はたき落とされようと傷を得ようと、また立ち上がって挑んでいった。いわば意地、この意地が、村を窮地から救っていた。
「あの蜘蛛、かなり高い機動性を持ってると見える」
 仲瀬 磁楠(なかせ・じなん)は距離を取り、姿勢で魔弓を連射した。一鼓動の間に弓を引き、絞って放つ高速連射だが、そのほとんどは絶妙に回避されていた。矢の軌道を空気の流れで感じるとでもいうのか、顔を向けずともクシーはこれを成した。
(「まともに戦ってどうにかできる相手ではない、か……」)
 ならばあの小僧(陣)はどう出るか、磁楠は異世界の自分に視線を流した。

 クレア・シュミット指揮の下、避難する村人を誘導していたレジーヌ・ベルナディスは、そのとき信じがたいものを目にした。
「いけません!」思わず大声を出していた。
「ちょ……あの子ったら、もー!」エリーズ・バスティードも仰天した。逃げる村人こそあれ、まさか蜘蛛機械に接近しようとする者がいようなどと、想像だにつかなかったのだ。
「やめなさい! コヤタ! 危ない!」
 エリーズは大声を上げながら追った。老ハンターの唯一の身内、コヤタが猟銃を手にクシー目がけて走っていたのだ。子どもの手にはアンバランスに大きすぎる銃だが、コヤタはこれをお守りのように胸に抱いていた。コヤタはクシーの前で膝を立て射撃姿勢に入ると、
「喰らえ! 化け物!」
 引き金を引いた。それも何度も。
 これまで、いくらエリーズが心を砕こうと親しい様子を示してくれなかった寡黙な少年が、今は取り憑かれたように銃を連射していた。
「アハハハハハ、ナニソレ、ナニソレ? So, fxxking what?」
 しかし旧式の銃の鉛玉など、クシーにとっては蚊に刺されたに等しい。少年の恐怖の匂いを嗅いだのか、機晶姫はゲラゲラと笑っていた。
「あいつ……!」追いついたレジーヌの手を振り払ってコヤタは叫んでいた。「あいつ、爺ちゃんの仇だ!」後半は、涙が混じって声が割れていた。
「仇……」レジーヌは少年の視線の先を追った。そして見た。脚の一本に、貫かれた布がはためいているのを。まるで指輪のように、布は脚の付けの部分に通されていた。すでにボロ布と化してはいるが、よく見ると古ぼけた革のジャケットのようだ。
「爺ちゃんは死んだんだ。俺、わかるもん……! あいつみたいな化け物じゃないと、爺ちゃんみたいな凄腕のハンターを殺したりできない……!」
「だめです!」と言いながらレジーヌは、なにが『だめ』なのか自分でも理解していないことに気づいていた。この無謀な攻撃を禁じたいのか、少年が祖父を死んだとみなしていることを否定したいのか、それとも彼が、憎しみに身を委ねていることを拒否したいのか。
 レジーヌがコヤタを、半ば無理矢理に近い形で避難路に連れ去るのを把握すると、エリーズはクシーをクシーに顔を向け、からかうようにして両手を挙げ舌を出した。
「ほらほら蜘蛛さん、こっちだよー」
 針山の上でつま先立ちするような危険な仕草であるのはわかっていた。わかっていてエリーズは、精一杯おどけてみせた。
「キヒヒッ!」
 エリーズに向かいチェシャ猫さながらの笑みを浮かべたクシーであるが、立て続けに光弾を浴びて反転した。今度の弾丸は、十分に効果があった。
 曙光銃エルドリッジから、弾丸を立て続けに放つ。他の蜘蛛機械からの攻撃を、右に、左にかわしながら、グレン・アディール(ぐれん・あでぃーる)はひたすら、機晶姫の首が付いた機械を狙った。レジーヌと少年、それにエリーズが退避したのを確認すると、その動きは倍加した。
(「……随分と派手な機晶姫だな……そして言動は…最悪だな……」)このような敵を相手にするのは気持ちのよいものではなかった。(「……アイツの行動は自分の意思によるものなのか……それとも誰かに無理矢理させられているのか…気になる…が……」)
 少なくとも手加減できる相手ではないだろう。それだけは確実だ。雪交じりの地を転がって攻撃を避けるとグレンは機晶姫に急迫、斜め下の位置から銃口を彼女の首に向けた。そのとき、
「あの敵……!」
 ソニア・アディール(そにあ・あでぃーる)が声にならない声を上げたのがわかった。グレンは咄嗟の判断で、引き金にかけた指を止め敵から離れた。ソニアの声色は尋常ではなかった。そしてグレンも、知った。
「……! 知っている顔……」
 肌が粟立つ。(「本人に会った事がないから断言は出来ないが……」)しかし紛れもない。蜘蛛にとりつけられた機晶姫の首は、グレンが識る人物と似すぎていた。
 クランジΟ(オミクロン)、彼女とグレンは空京大学で偶然知り合った。オミクロンはあのときグレンに語ったのだ。
「事情も知らぬ身で勝手な決めつけをするな!」そう叫んだ彼女の目には、確かに涙が光っていた。「我らタイプIIには意志も感情もある。あるからこそ苦しい。瀕死の我が妹、Ξ(クシー)の命を助けるためには、今日の任務は失敗できなかった」
 オミクロンとクシーは双子の姉妹だという。だとすれば、あそこにいるのは、
(「まさか……オミクロンの妹……クランジ……クシー………?」)
 離れたと思いきや、グレンのいた場所にクシーの、蜘蛛脚が叩きつけられていた。今度は逃れ損ね、グレンは右腕に裂傷を受けた。グレンは反撃した。しかし彼の銃はもうクシーの首を狙おうとはしなかった。脚だけを狙った。
「チッ、グレンめ、殺気が消えたぞ」
 目に見え、手で触れられそうだったグレンの士気が、急速に萎むのを李 ナタは感じて顔を上げた。
 自分が直感的に抱いた疑念が、グレンの行動で真実だとソニアは察した。(「やはりあの首は……機晶姫の首は……」)あの機晶姫は間違いなく心身共に殺戮機械、ソニアはその事実からは目を逸らさない。しかしグレンの考えを支持したく思うのも事実だった。
 それは救出――。
 ソニアは火術と氷術を尽くした。自らの命が削れるほどに激しく放射した。まともに命中はせずとも、これが蜘蛛の脚を弱めることになると信じた。
「温度差の大きな攻撃を連発して金属を脆くするって算段かい……見た目も性格も悪趣味なあんなやつ、気にせずぶっ壊したっていいのによ……」ソニアの援護に合わせるようにして、龍鱗化を発動しナタは前に出る。自分が炎や氷にまかれるのは気にしない。もともと彼女には、無傷で帰るつもりなど毛頭無かった。「ま、俺としてはそれも面白そうではあるがな!」
 ナタは、飛んだ。火炎帯びる槍を両手に一つずつ、交差させ仕掛けた。
「八本も脚があンだろ? 俺が二三本もらってもいいよなァ!!」
 捨て身の吶喊だった。真っ直ぐに伸びた蜘蛛脚がナタの肩に突き立ち、鱗化した硬い皮膚を、まるでそれがボール紙でできているかのように貫通した。反面、全力で巡らせたナタの槍は、その脚一本を付け根のあたりで砕くのが精一杯だった。ナタは両膝を折り、突き刺された肩をかばうようにして前のめりに倒れた。
 そのときすでにグレンは、武器を捨てて蜘蛛の胴に抱きついていた。
「クシー……俺は……!」ありったけの握力でしがみつく。
「R U」バタバタと風に躍る桃色と黒の髪の間から、狂気に踊る両眼がグレンを捉えた。
「……俺は……お前を助けたい……!」
「R U Crazy?」
 グレンが奈落の鉄鎖を発動するより先に、機晶姫の頭を持つ蜘蛛は、天地逆になって彼を振り落としていた。地面に叩きつけられたグレン目がけ、七本になった脚の大半を逆間接に曲げて次々と突き立てた。
 グレンが一命を取り留めたのは、致命傷を受ける寸前、飛来した黒い影が彼をかばったからだ。
 影は大鴉(RAVEN)のように飛び、強引に彼の身を抱きかかえ狂気の槍から救った。しかしグレンは軽傷では済まなかった。彼は脚と腰に傷を受けていた。なかでも腰に受けた傷は深く、焼きゴテを押しつけられるに似た痛みが走り意識が飛びそうになる。電波の入りの悪いテレビのように、途切れ途切れになったグレンの意識に一言、静かに語りかける声があった。
「……借りは返した」
 黒いコート、黒い三角棒、これに比して肌は雪より白い。
 クランジΟは黒目がちな瞳でグレンの呼吸を確認し、その身をそっとソニアに渡した。受け取ったソニアもやはり、グレンを救うべく飛び込み、少なくない被害を受けていた。
「ありがとうございます」とオミクロンに告げたソニアは、彼女が何をしようとしているか知っていた。「ご無事で」
 オミクロンはその言葉を聞き流し、ただ一言、「行け」と言った。
「すみません、グレン………」
 ソニアは彼を背負うと、続ける言葉を見失って目を伏せた。そして彼女は驚くべき力で、ナタも抱きかかえると後退したのだった。
 クシーの首持つ蜘蛛は着地すると、オミクロンを見て舌なめずりした。
「妹よ」オミクロン、又の名を大黒澪(おぐろ・みお)は左手に右手を添え、一気に義手を外した。すらりとした金属音。寒気がするほど鋭い刃が、左腕のあった場所から現れた。
「その狂気、苦しみ……すべて終わらせてやる。私が」