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リアクション
●1
(「厳しい環境だな。あるいはこの吹雪、この気候こそが『ザナ・ビアンカ』と呼ぶに相応しいか」)
獰猛な雪、それに風だ。噛み付いてくるようにも感じる。そしてこの環境は凶暴なばかりではなく冷酷でもあった。動かずにいるあらゆるものを、たちまちにして凍らせることだろう。寒さは天然のハンターなのだ。
ヒラニプラ山中、村の近郊。クレア・シュミット(くれあ・しゅみっと)は餌食にならぬよう、四肢の感覚を気遣いながら哨戒任務を受け持っていた。随伴はするはハンス・ティーレマン(はんす・てぃーれまん)、彼も背の翼を、折りたたんで上着にしまっていた。
「地形の把握は、大体終わりましたね。村人からの聞き取り通り、特にこの辺りは雪崩が起きやすい地形ではあると思います」
ハンスは報告しつつ、吹雪の間に明滅する村を見つめていた。
「下手をすると村ごと一呑み……という危険性もあるかと」
「例の機械怪物が出現するとしたら、『ザナ・ビアンカ』……いや、この地形を利用するという手もある」
墨色の瞳をまばたきし、ふとクレアは呟いていた。
「ザナ・ビアンカ?」
「いや、何でもない」
クレアは短く返答して、ふと足元に異変を感じた。「揺れている……?」
「あれを」
囁くようにハンスは告げた。
収まりつつある吹雪の中、一面の白がひろがる世界に、ただ一点、黒い異物が見えた。爪の先よりも小さく見えるのは、それだけ遠くに存在するということに過ぎない。クレアの目測が誤っていなければ、かなりの大きさということになるだろう。蠢くその姿はまるで生物的ではないのだが、それでいて奇妙に、ある生物を模しているようでもあった。
「蜘蛛……か?」
村に戻らねばなるまい。それも大至急に。
幸い吹雪は多少凪いではきたが、それでも突然、表情を変えるのが山という場所の常、いつまたあの猛然たる雪と風が、訪れ荒れ狂うかわからない。それを思うだけで秋月 葵(あきづき・あおい)は絶望的な気分になるのだった。
「どうしよう……」
ここはヒラニプラ山脈、そのどこか。現在地がまったく判らないというシンプルにして凶悪なその事実が、葵の絶望気分に拍車をかけていた。空は鉛色、四方はいずれも無情なまでに雪、そんな場所にぽつねんと一人、投げ出されるようにして彼女は置かれている。
……いや、一人ではなかった。
「雪〜雪冷たいにゃ〜♪」
彼女はパートナーのイングリット・ローゼンベルグ(いんぐりっと・ろーぜんべるぐ)はと二人ぼっちなのだった。といってもイングリットは、葵とは180度対称的に、遊び感覚たっぷりわくわくと、雪でなにやら作っているようだ。
「ああもうグリちゃんは気楽でいいよね〜」脱力気味な笑いとともに葵は言う。「私たち、遭難してるんだけど……なんだろ? この緊張感のなさ……」
二人は飛行機が墜落して見事に山中、遭難していた。視界が極端に悪い中、飛行機で山に接近したのは懸命な手段ではなかったようだ。無人探査機に激突し、葵とイングリットは山中に不時着したのである。ザナ・ビアンカを調べるという目的はどうも果たせそうにない。いや、それどころか生きて帰還できるかも……。
ちゃんと防寒袋に入った尻尾を振り振り、イングリットが作り上げたのは、
「もしかして、これ、かまくら?」
「サバイバルならイングリットにお任せにゃー!」
というわけで、たしかにかまくら(らしい)小さな避難所なのであった。かたちはいびつだし、なぜかネコミミっぽいものがついているのが謎ではあるが。
「まあ、サバイバルしなきゃならないのは事実よね」
「え? なんて言ったかニャー!?」
風が強くなってきた。大声を出さなければ会話できなくなりつつある。大急ぎで氷術を用い、葵はかまくらのかたちを調整して中に入った。
中は狭いので二人、身を寄せ合うようにして座る。
(「パートナーと二人きりかー。でも相手がグリちゃんじゃ、ロマンスはないよね〜」)
懐からドーナツを取り出して葵は口にした。イングリットも好物、スカイフィッシュの干物をぱりぱりと火術で炙ったりしている。
それから、イングリットがまぶたを、トロんと半分閉じるまで長い時間はかからなかった。
「イングリットね〜お腹いっぱいになったから寝るにゃ。吹雪が晴れたら起こしてにゃ〜」
「ちょっとグリちゃん、寝たらダメだよ。寝たら死ぬとか言うじゃない、おーい……」
ダメだった。イングリットはあっというまにすやすやと寝息を立て始めたのだった。
「ま、あたしが起きてればいいか……」
葵は溜息して、外の吹雪に眼をやった。
遭難といえば、
(「なにやら嫌な予感はしていたんです」)
ナナ・ノルデン(なな・のるでん)一行も絶賛遭難中なのであった。ズィーベン・ズューデン(ずぃーべん・ずゅーでん)、ルース・リー(るーす・りー)と三人、仲良く(?)トラブルの真っ最中となっている。風雪により自分たちの居場所はおろか、東西南北すらよくわからない。
光る箒にまたがり、ここまで来たものの空からの探索はすぐに不可能になった。着地して動き出したところ、前後不覚になるほど雪と風が襲いかかってきたのだ。なんとか岩陰に逃れているものの、下手をすると岩ごと雪に埋もれそうな状況である。
「心頭を滅却すれば、吹雪もまたあつ……ぶぇっくしょい!!」
ルースが巨大なクシャミをする。寒かろう。なにせ彼、雪山なんてチョロイぜ〜などと宣言して、防寒具を着用せずここに来たのだから。
「ど、どうしてこうなった!?」
「……馬鹿だろ?」
半月型にした眼で、ズィーベンは彼を冷ややかに見ていた。
「馬鹿とはなんだ! 俺だって……」
「じゃあ、足でまどい」
「ますますもって違う!」甘く見るなよ、と叫びざま、寒いのを我慢してルースは飛び退き自分の頭を指さした。「伊達や酔狂でこんな格好してるんじゃねえんだ。見やがれこの頭を! 俺のモヒカンは実はアンテナだったのだ! なにかを感じ取ったらすぐに伝えるぜ」
「そのアンテナ、凍り付いてるけど?」
「え!? あ、いや、これは……だな……」
ごしごしとモヒカンを両手で解凍しようとして「ぎゃー、手がー!」と余りの冷たさに転げ回るルース、それをケラケラと笑いながら見ているズィーベンという、ある意味実に日常的な展開となった。
「二人とも、レクリエーションはそれくらいにしましょうね。あまり転がるとよけい冷たいですよ……」
ナナがほどよく声をかけるも、
「まあ、何とかは風邪引かないっていうし、それにご自慢の鱗が環境適応してくれるんじゃないの?」
ズィーベンは意地悪っぽく、ケケと声を上げるのだった。
それはそうとして戻れるのだろうか……ナナは不安であった。雪がやんだら、できるだけ進もう。
「そんなザマで戦えるのかよ? 相手は謎の移動体だぜ? 一説では蜘蛛みたいな姿の機械だとか」
ズィーベンが挑発気味に告げると、「任せろ!」とルースは立ち上がり雄叫びした。
「蜘蛛機械、どっからでもかかってきやがれー!」
教導団の作戦とその意図は、聞いた。
(「簡単な依頼をこなしにきただけのはずだったんですが……まあ、仕方ないですかね」)
彼、志位 大地(しい・だいち)が村を訪れたのは、本来まったく別の目的のためだった。高山地域にのみ生息する植物の調査と標本採取、それだけの用事だった。最初は大地以外、ほとんど契約者はいなかったはずだ。ところが数日間逗留してみれば、続々と教導団員や他の契約者が集まり、ものものしい警戒線を引いている。
(「クランジとかいう機晶姫に、謎の移動体ですか……」)
眼鏡の弦を人差し指で上げ、静かな山を見やる。あの山は魔の山、吹雪吹き荒れ、ザナ・ビアンカと呼ばれる魔物も生息するという。それはわかってはいるのだが、壮麗な銀色の景色に胸打たれるのは事実だ。三方を山々に囲まれ、日々の生活を送るというのはどういう気分なのだろうか――。
しかし大地の想いはここで途切れた。
「何か動いた……!」
反射的に腰の剣に手が伸びた。
見間違いではない。多足の昆虫型……いや、脚長蜘蛛によく似た、大人四人分ほどの大きさがあるものが山の一部を滑り降りてくるのが見えた。色は黒、しかしそのほうぼうに桃色のラインが走っている。恐らくは機械だ。生命あるものにしては動きが正確すぎる。
知らせなくては、と駆け出した大地は、すぐにその足を止めざるを得なくなった。
一体ではない。大地はその事実に愕然とする。
銀の山を舐めるように、桃色混じりの黒蜘蛛が、何体も何体も出現した。雪中に埋もれていたのだろうか。雪を隆起させたかと思いきや、ほうぼうから飛び出してくるのだ。
蜘蛛の子を散らすよう、という表現がある。あれは大勢の蜘蛛が散り散りに逃げていく様子を用いた喩えだが、この場合はちょうど逆のようだ。
無数の黒蜘蛛はいずれも、この村を目指し結集しようとしていた。
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