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なし

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この場所で逢いましょう。 この場所で逢いましょう。 この場所で逢いましょう。

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6


 芦原 郁乃(あはら・いくの)の十歩ほど先には、二人の男女が立っていた。
 鍛え上げられた大きな身体を持った男性と、対照的に小柄な女性。
 男性の瞳は暖かい光に溢れていて、また女性の表情は情感こもっていて。
「あ、あの……わたし……」
 郁乃は、期待と不安で張り裂けそうな胸を押さえながら一歩足を踏み出した。
「お父さん……お母さん……わかりますか? わたし……郁乃です」
 十二年前、郁乃が五歳の時に亡くなってしまった両親へと。
 父は、母は、自分を娘だとわかってくれるだろうか。
 わかってくれる、はずだと思う。
 ――だって、わたしを見る目がこんなに。
 優しくて、情愛に溢れているのだもの。
「……久しぶりだよね? わかるかな、わたしが郁乃だって。わたし、大きくなったから……あまり、ぴんとこないかもしれないけど」
「そんなことないわよ」
 女性が笑った。小さな花が芽吹いたような、そんな笑みだった。
「あなたが郁乃ちゃんだって、私たちすぐにわかった。ね、義高さん」
 笑顔のまま、隣の男性――芦原 義高へと言い。
「もちろんだ」
 義高も、笑顔で頷く。
 溢れそうになっていた涙が堪え切れずに一筋伝った。母が――芦原 彩菜が近付いてきて、郁乃をぎゅっと抱き締めた。ひどく安心する。
 ――ああ、お母さんだ。
 実感を伴いながら、愛を感じた。ぎゅっと抱き締め返す。
「……あれ? お母さんって、こんなに小さかったっけ?」
 ふと覚えた違和感を問うと、彩菜が郁乃の抱擁を解いて、
「背のことは言わないの。前は郁乃ちゃんが小さかったのよ」
 メッ、と人差し指を突きつけてきた。少女のように頬を膨らませて。
「あ……そっか。大きくなって当たり前だよね。さっき自分でもそう言ったのになぁ」
 照れ笑いを浮かべて頭を掻いた。彩菜がまた笑う。
「あの郁乃ちゃんも十七歳だもの。大きくもなるわよね」
「ああ。大きく……大きく、なったな?」
 彩菜の言葉を受けて、義高も言い……よどんだので、思わず郁乃は口を尖らせた。
「……ムリして言わなくていいよ、お父さん。どうせ小学生の時から変わってないもん」
「まぁ彩菜の娘だからな。仕方ないんだよな」
 笑いを含んだ声で義高が言い、大きな身体に見合った大きな手を伸ばしてきた。手は、郁乃と彩菜の頭にぽすりと置かれる。そのままわしゃわしゃと撫でられ、
「お父さんっ」
「義高さんっ」
 彩菜と同時に声を上げた。
「「頭おさえるなぁ! 背が縮むぅ〜!!」」
「ふむ。反応も同じだなぁ」
 それどころかタイミングまで同じだった。感心したような義高の声。「「むぅ」」というむくれるところまで一緒で、口を尖らせるのも一緒。義高はというと二人の抗議にも堪えた様子はなく、変わらず頭を撫で続けていた。
 縮むと言っても、なんだかんだその感触は嫌いじゃなくて、無意識に身体の力を抜いてしまう。ふと見た彩菜も郁乃と同じように身を委ねていて、嬉しいような恥ずかしいような気持ちを感じて視線を落とした。たぶん、こうしているのも同じだろうと思いながら。
「そういえば、郁乃ちゃん」
「うん?」
「今の生活はどうなの?」
 問われて、そういえばまだ何も話していないことに思い至った。十二年分の想いも、何も。
「えっとね。一緒に過ごす仲間が出来たよ。……好きな人、も」
「恋人もできたのよね」
「知ってるの?」
「ええ。ちゃ〜んと見守っていたんだから」
 なんとも恥ずかしい気持ちになりながら、郁乃ははにかんで頷いた。
「……えと。なら知ってるかもしれないけど、相手はね、女の人なんだけどね……」
 さすがに少し口ごもる。だって、親ならやっぱり孫の顔を見たいと思うかもしれないし。母親であることの幸せだって教えたいだろうし。周りと違う恋愛観は、やはり明かしがたい。
「いいじゃない。同性だって、その人のことを真剣に好きなんでしょう? お母さんは応援するわよ」
 それでも彩菜はにこにこ笑顔のまま頷いて。
「今度会うときはちゃんと紹介するんだぞ」
 義高も、悪戯っぽい笑みを郁乃に向けた。
 認めてもらえたことが純粋に嬉しい。感極まって何も言葉が浮かばなくて、ただ小さく首肯した。


「それでね、……」
 話は別れの時まで止まることなく続いた。むしろ、時を忘れていた。義高が郁乃の頭を撫でて、彩菜が時計を指したことで初めて気付いた。
「……いやだよ」
 だって、まだ全然話したりない。
 もっと色々な話をしたい。
 色々なことをしたい。
 溢れて止まらない涙を、彩菜がハンカチで拭った。
「残りの話は来年だな」
「ええ。楽しみは後にとっておかなくちゃ」
 義高や彩菜の言葉に頷けないでいる。
 ――だめだな、わたし。
 ――頷かないと、お父さんもお母さんも困っちゃうのに。
 わかっているのに、わかりたくない。
「来年は恋人さんも連れてきてね?」
 ああ、そうだ。
 今日帰って、彼女に報告をして、来年の約束をしなきゃいけない。
「……うん」
 前向きに考えて、やっと頷けた。それでも二人の顔を真っ直ぐ見るとまた涙が溢れてきて、それを誤魔化すように二人にぎゅっと抱きついた。
「またね」
 さよならじゃなくて、また、と。
「ああ」
「またね」
 手を振って、二人が離れていく。
 不意に義高が振り返り、戻ってきた。なんだろう、と首を傾げる郁乃へと、
「来年はな、恋人の料理持ってきてくれないか?」
 小さな声で、耳打ち。
「へ?」
「いや、彩菜な……郁乃と同じで料理がな、ヘタなんだよ」
 言い逃げするように彩菜の隣に戻る義高に、 
「なんで、わたしが料理下手なのしってるの〜ぉ!! ……って、そうじゃなくてぇ〜!!」
 きぃ、と声高く叫ぶ。
 郁乃の一言で、察しの良い彩菜は気付いたらしい。ふふっ、と低く笑ってから、
「義高さん。後でゆっくり話し合いましょうね」
 そう言うのが聞こえた。
 少し父に申し訳なく思いつつも、口は災いの元、と思って謝らなかった。
 ――来年までに、少しは上達したいなぁ。
 でもやっぱり、見返したくは思うから。
 帰ったら料理を教えてもらおうかな、なんて。