校長室
年の初めの『……』(カギカッコ)
リアクション公開中!
●パーティ開宴! さらに時間はさかのぼる。 カーテンの網目より洩れ入る光に、雪住 六花(ゆきすみ・ろっか)は眼を細めた。 2022年は好天から始まった。それは素直に嬉しい。 とはいえ光の具合に眼を細めている時間はなさそうだ。そろそろ出発の時間だから。 メイクと着替えは終わり存分にめかしこんだ六花ではあるものの、まだ最後の選択に頭を悩ませていた。 イヤリングのことだ。苦労して候補を二つに絞り込んだものの、どちらも捨てがたい。一つを手に取るともう一つが気になり、もう一つを耳に持っていくと、最初の一つが輝いて見えるといった次第だ。 ついに心を決めてもう一つを箱に隠し、鏡を見ながら耳に留めたところでノックの音がした。 「六花、入っても良いですか」 どうぞと返すと、扉が開きウィラル・ランカスター(うぃらる・らんかすたー)が入ってきた。 普段から二枚目の彼ではあるが、今日はまた、一段と凛々しい。 朱子織の黒いスーツに身を包み、シャツもアスコットタイもすべて黒だ。 幾重にも重ねられた黒は、彼の端正な顔立ちとプラチナブロンドを引き立てていた。 六花は思わず息を呑んだ。だから、 「似合ってる。とても素敵ね!」 これだけ言うのが精一杯だった。それでも、素直な感想であることに間違いはない。 ところがウィラルは片眉を上げて応じた。 「ありがとうございます。ただ、あまり気安く男性を褒めるものではありません」 優男風な容貌ではあれ、ウィラル自身は大変に身持ちが堅い。 「はぁい」 彼とのこういったやりとりは慣れっこだ。苦笑しつつ六花がケープを羽織ろうとしたところをウィラルが制する。 「パーティ会場では、ケープを外すのですよね」 「ええ、クロークに預けるつもりだけど……どうして?」 「六花。白い肌にドレスの深い紫が映えて、今日のあなたはまるで花のような美しさです」言いにくそうに続ける。「しかし……、少々胸元が開きすぎでは?」 コホン、と空咳してウィラルは目線を外した。この間に直せということらしい。 六花は鏡の自分に目をむけた。 「いくらなんでも褒めすぎだし、それにほら、そんなに開いてないわ。ウィラルは過保護ね」 くすくす笑うと、彼は形の良い眉を顰めた。顔を戻し、納得できぬとその目で告げた。 「まったく……視線は、正面からのみ向けられるわけではないのですよ」 「視線……? ああ、ウィラル、あなた勘違いしているわ。そういうのは全部、私じゃなくてあなたに向けられてるんだから」 六花は肩をすぼめた。 彼の隣にいるとよくわかる……どこにいても、この美しい男性は周囲の人々の目を奪うのだ。ウィラルとある限り自分は壁の花だ。さもなくば、せいぜい添え物。そのことに不満はない。 しかし貴相の青年は、困ったように小さくため息をついた。 「……あなたはもう少し、警戒心を持った方が良い」 「警戒心?」 何に対する警戒心なのかわからず、六花は首をかしげるばかりだ。 「私のそばを離れないように、と言っているんです」 これ以上の問答は無意味と思ったか、彼は小さく笑んで手を差し出した。 「お手をどうぞ」 会場であるホテルに向かう道すがら、他愛もない話に花を咲かせる。 あの空京ロイヤルホテルでのパーティだと考えると、どうしても胸は弾んだ。 空京ロイヤルホテルは、空京の高層建築物の中でもひときわ目立つ高さを有している。その特徴は高さだけではない、壮麗、といえばいいのか、あたかも現代の宮殿のような気品を放っていた。当然のように値段も最高級で、なかなか一般の宿泊客には手が出せない。いわゆる『五つ星ホテル』なのだ。政界の大物や世界的人気歌手などが利用すると言われている。 しかしそうした大物の名と比べても、御神楽 環菜(みかぐら・かんな)ならば勝るとも劣らない。ホテルにとっても彼女は上得意の一人である。その環菜がパーティを開くと言うのであれば、と、二つ返事でフロア一つを貸し切りにしてくれたという。 ロイヤルホテルならば無粋な酔客も少ないだろう……とは思えど、ウィラルはどうしても心配だった。彼女の艶姿を、下卑た視線に晒すことが。 「パーティ、楽しみね」 六花は無邪気にはしゃいでいる。ウィラルは内心の不安を隠し、穏やかな笑みで応じた。 「そうですね」 彼女の笑顔に応じるのは彼の喜びだ。不安はあれど本心の笑みである。 「六花の好きな、鴨のコンフィがあると良いのですが」 「そんな、私を食いしん坊みたいに言わないで」 彼女は、むっとしたように彼を見上げた。 「失礼」 それにしても――ウィラルは思う。どんな表情であろうと彼女は魅力的だ。自分に少々呆れつつ、晴れた空を仰いだ。 (「おそらく今年も、この想いを告げることはないのだろう」) ホテルの裾に到着したとき、二人の前に一台の高級車が停車した。見れば、最愛の夫御神楽 陽太(みかぐら・ようた)にエスコートされ、環菜が会場入りしたのであった。 六花を見て環菜は微笑した。 「お先に失礼させてもらうわね。最上階で会いましょう」 軽く一礼して彼女は、やはり正装の陽太の腕を取って歩み去る。 さすがは、とウィラルも舌を巻いた。六花とはタイプが違うが、環菜も周囲に華を振りまくタイプだ。歩くだけでその通り道が黄金色に光るようにも見えた。 ロビーを横切りエレベーターへ向かうと、御神楽夫妻に気づいた来場客が次々と祝賀と招待の礼を述べに来た。名にし負う政財界の有名人の姿も少なくない。 一気に空気が変わったように陽太は感じた。環菜の来場とともににわかに色めいたかのように。二人が歩けば次々と人々は場所をあけてくれた。しかもそれを、当然のことのように環菜は受けるのである。 「ようこそ皆さん。明けましておめでとう」 環菜の美しさ、淑女にふさわしい物腰はこの場にふさわしいものであった。 「皆さん歓迎してくれてますね」 そんな妻をエスコートできることに多少の誇らしさと、それに数倍する緊張を感じながら陽太が言った。 「嬉しいわね。けれど陽太、あなたも歓迎されているということを忘れないで」 などと環菜が言うので、ますます陽太は緊張気味に背を伸ばす。 三十人は優に入りそうなエレベーターだが、戸が閉まると、中は操作係のホテルマンと夫妻だけとなっていた。 「人払いしたわ。気づいて?」 「なんとなく、そんな気はしてました」 そっと、環菜は彼の耳に唇を近づけて告げた。 「それはそうとして陽太、根回しをありがとう」 「なんの話です?」 「もう! 今日の料理一覧、朝方にメール連絡があったのを見てびっくりしたわよ。予算は随分かけたつもりだけど、どう見ても予算内では収まらない食材までリストアップされていたわ。陽太が仕入れてくれたんでしょう?」 「そ、それは……ホテル側と調整したり市場を朝から回って集めただけのことです。高級食材でも上手くやれば、相場より安く手に入るんです。新春でしか食べられないような豪華な食事を、皆で和気藹藹と楽しめる新年会を目指したくて」 「その気持ちだけでも嬉しいわ。陽太、ちょっと屈んで?」 「こうですか?」 「声、出しちゃ駄目よ」 エレベーターの操作盤を向いたままのホテルマンの目を盗むように、陽太を壁に押しつけると、 「ご褒美」 と、環菜は彼に熱烈なキスを与えた。膝を彼の脚の間に割り込ませ、音を出さないようにして擦りつける。 陽太は恐る恐る手を伸ばし、妻の背を抱いた。 何秒、そうしていたことか。 ぷはっ、と離れたところで環菜はハンカチを手渡した。 「唇拭っておいてね。口紅、ついてるから」 大胆なことをした割に、彼女自身、かっかと頬が紅潮していた。 ほんの少し前まで、こんなことができる環菜ではなかったはずだ。自分との結婚が、彼女のなかにあった色々な要素を目覚めさせているのだろうか。そう思うと、動悸が速くなってしまう。怖いような楽しみなような……。 「は……はい!」 慌てて陽太が唇を拭き終えたところで、さっとエレベーターが開いた。 御神楽夫妻の来場とともに開宴となった。 簡単に環菜から挨拶が済むと、すぐにパーティが始まる。 ビッフェ方式。広い会場のあちこちで、閉じられたままだった料理の蓋が取りのけられた。湯が、そして芳りが、参加者をくすぐってやまない。 超の上に超がつくような高級料理の数々である。フランス料理はもちろん、イタリアンに和食、中華、その他エスニックなものも揃えられるだけ揃えてあった。一品ずつ一口ずつに絞っても、すべて食べ終わるまえに満腹になりそうだ。焼き菓子を中心とするデザートも大変に種類豊富であり、やろうと思えば菓子類だけで存分に一食済ませられよう。同時に、制服姿のホテルマンたちが、忙しくドリンクを注いで回り始めた。 「お久しぶり御神楽さん。参加できて嬉しいよ」 リア・レオニス(りあ・れおにす)が、進み出て環菜に年賀を述べる。 「ルドルフ校長、アイシャは出席できず残念だったと思う。本年もよろしく願う」 アイシャのことを想うと、どんなときであれリアは身が引き締まる気がするのだった。彼こそは彼女を、公私ともに守るべき立場なのだから。 「ええ、よろしくね」 続けてリアは環菜に、シャンバラレールウェイズ最初の路線の開通祝いも述べるのだった。 「まだ始まったばかりだけど、今後の発展が楽しみだね。各地の距離が時間的に近くなると国内の移動が楽になるし、経済効果も期待できる素晴しい事業だと思う……タシガンが地続きじゃないのが残念だ。ま、最寄の駅まで飛空挺で行ってから使わせてもらうよ」 「ありがとう。いずれまた、あなたたちに協力を願うことがあるかもしれないわ。そのときはお願いね」 「俺でよければ、喜んで」 と、話すリアと環菜たちを、リアのパートナーたるレムテネル・オービス(れむてねる・おーびす)とザイン・ミネラウバ(ざいん・みねらうば)は、少し遠くから見守っている。彼らも、失礼にならぬ程度の簡単な挨拶を最初に御神楽夫妻と交わした。あとはリアに任せ(正確には『任せてくれ』と彼に事前に言われており)、パーティを楽しんでいるのだった。 切り分けた鴨のロース、それにロブスターを味わいつつザインが言う。 「これは地元のじゃないな……もしかして地中海産?」 「正解のようです。プレートの下に小さく産地が書いてありますね」 いきなり肉類に行ったザインとは対称的に、レムテネルの皿はすべてサラダだった。彼の性格をあらわすように、サラダは実に綺麗に載せられており、この皿だけで料理本の写真に使えそうなほどである。レムの言葉を聞き、ザインはちょっと胸を張った。 「ほほう。オレの舌も、ちょっとしたものだろ?」 「素直に称賛させてもらいます。無双の食いしん坊さんとお呼び致しましょう」 「どんなもんだい、と言いたいがそれ褒め言葉か……?」 ザインがぎょっとした顔をするが、レムテネルは謎めいた笑みを浮かべるだけだった。 「ところで一旦、デザートのコーナーに移動させてもらっていいですか」 「え? もう終了なのかレム?」 「さすがにそれはありませんよ。可能なら、少し持ち帰り用に包ませてもらおうと思って」 ザインは首を伸ばしてリアを見た。彼はワルプルギス親子に礼をして、彼女らの招待について環菜を遠回しに称えているようだ。校長を退いたとはいえ、まだ環菜は重要人物。他校との交流に前向きなのは評価に値しよう。 ザインは合点がいったように、口にロースの残りを詰め込んでうなずいた。 「あの調子じゃリア、あちこちの要人に挨拶に回って、食べるのもままならないだろうからな。取っておいてやると喜ぶだろう」 「彼の分もありますが、どちらかと言えば……」 「ああ、アイシャの分な。確かにそうだ。リアならきっと『アイシャに持って帰りたい!』って言うだろうし」 「そういうことです。良ければ、可愛い菓子を選ぶ手伝いをしてもらえますか?」 「もちろんだ。ついでに味見も楽しむぜ」 「頼りにしていますよ」 レムテネルは小さく笑むとザインともども、まだ人の少ないデザートコーナーへ移動した。