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リアクション
4
夢を、見ていた。
夢の中では、恋人がレイス・アデレイド(れいす・あでれいど)の名を呼び、微笑みかけてくる。
レイスも彼女に微笑み返し、近付こうとして、阻まれた。
何故か、動けない。
足掻いている間に、彼女の傍に知らない男が現れた。
彼女の細い顎を掴み、桜色の唇に強引な口付けを交わし。
拒絶した彼女が相手を突き飛ばし、レイスの方へ駆け寄った。レイスも彼女の手を取ろうと、懸命に手を伸ばす。
が、手と手が触れ合う直前に、彼女は例の男に斬られた。無防備な背中を、ざっくりと。
彼女が、倒れてくる。ようやく動けるようになったレイスが、彼女を受け止めた。
どくどくと流れる真っ赤な血が、あたりを染めていく。
声にならない声で、何かを叫んだ。
「――ッ!!」
目が覚めた。
心臓が、気持ち悪いくらいに跳ねている。呼吸が乱れ、身体は汗でじっとりと湿っている。
なんとか息を整えて、ふらつく足でベッドから降りた。
風邪を引いていて、熱があって、今も寒気がするけれど。
不安で、不安で、仕様がないから。
神楽坂 翡翠(かぐらざか・ひすい)の傍へと、レイスは歩く。
翡翠は、レイスが悪夢を見る直前まで彼の看病をしていた。
滅多に体調を崩さない彼が珍しい、と甲斐甲斐しく世話をし、何時間でも傍にいた。
そして、落ち着いてきたことを確認すると同時に、外の雪に気付いて席を立ったのだ。
物珍しさからベランダに出て、ぼーっと雪が降るのを眺める。
肩に、頭に、身体のあちこちに雪が積もり、体温を奪っていっても気付かず、気にせず、時間を忘れて雪を見る。
静かな世界に、飲み込まれるように。
ふと、視線を感じて振り返った。そこにはレイスが立っていて、
「レイ、」
身体の具合はどうかと問うより先に、抱きつかれた。
「おはようございます、レイス。どうしたんですか?」
「もう、どこにも行くなよ」
うわごとのような、声。目を離していた間に、何かあったのだろうか。翡翠は、どうすることもできずにただ、されるがままに抱きしめられる。
「大丈夫です。いなくなりませんから、あの……重いんですけど」
「どこにも行かせねえ。離さねえからな」
抗議の声は、熱っぽい声にかき消された。不意の告白に顔が赤くなるのを感じる。
「あー……お前、冷たくて気持ち良いな」
と、甘えるような声を出した後、急にレイスの力が抜けて。
押し倒されるような格好で、翡翠はレイスの下敷きになった。
「ちょっ……何をしているんですか」
ややして、山南 桂(やまなみ・けい)の声が響く。買い物から帰ってきたらしかった。
「部屋に居ないと思ったら……この寒空の下、そんな薄着で出ていては風邪をこじらせますよ。ほら、早く室内へ」
ため息を吐く彼と共に、レイスをベッドに寝かせる。熱が上がっているらしく、少し辛そうだ。
「主殿も。すっかり身体を冷やして……」
「すみません。雪、見ていたら時間を忘れてしまって」
「見るのは構いません。けれど、せめて暖かい姿で眺めてくださいよ」
それでなくとも、すぐに無理して倒れるのですから。
お小言を絶やすことのない桂に苦笑していると、
「どうぞ」
ほわり、湯気と上品な香りの立ち上る紅茶を手渡された。
「これで少しは温まるでしょう。主殿は、どうかご自愛を」
「善処しますね」
「善処ではなく。……まったく、この人は」
呆れたような、桂の声。
「自分が、ちょっとした無理無茶をしてしまうのは、桂たちが居るからなんですよ」
「そんなことを言っても、ほだされませんよ」
「そんなつもりではないですよ。いつも、感謝しています」
のんびりと、笑顔を浮かべて紅茶を飲む。
温かくて、ほんのり甘くて、ひどく気分が落ち着いた。
余談だが。
あの日抱きつかれたためか、翡翠はレイスから風邪をもらってしまい。
数日間寝込むこととなったという。
桂は、静かに怒ったという。
*...***...*
朝起きて、窓の外が一面の銀世界だったことにマリア・伊礼(まりあ・いらい)は目を輝かせた。
「雪だー!」
歓声を上げ、窓辺をぱたぱた走り回る。
「おねーちゃん! すっごい降ってるよ! 雪だよ!!」
マリアは、伊礼 悠(いらい・ゆう)に向き直る。悠はマリアに微笑みかける。見守られている感じがわかって、なんとなく照れくさくなった。
照れるマリアへ、悠は優しい笑顔を向けて、
「外へ出ましょうか」
と、提案してくれた。願ってもない言葉だ。マリアは、外に出て雪遊びをしたいと思っていたから。もしかしたら、悠はマリアのこんな気持ちくらいお見通しなのかもしれない。
動きを阻害しない程度に防寒具を身につけて、マリアは外に躍り出る。
一歩足を踏み出すと、まっさらな白い大地に足跡がくっきりと残った。それだけなのに、なんだか楽しい。
さくっ、さくっ、と音を響かせ、マリアは新雪に足跡をつけて回る。けらけら笑いながら歩いていると、悠やディートハルト・ゾルガー(でぃーとはると・ぞるがー)、著者不明 『或る争いの記録』(ちょしゃふめい・あるあらそいのきろく)――通称ルアラ――も外に出てきた。
ディートハルトは、当たり前のように悠の隣に居る。
「…………」
静かに、表情を変えることなく、佇んで。
それがなんだか気に食わなかったので、マリアはしゃがんで雪球を作った。
「えやっ!!」
振りかぶり、ディートハルトの頭に向かって全力投球。
ばすん、と音を立て、雪球は見事彼の頭に命中した。悠が、「こ、こら! マリアちゃん!?」と慌てたような声を上げる。それから、はらはらとした様子でディートハルトを見た。
一方でディートハルトは崩れた雪を払い、マリアを見。
マリアは、その目を真っ向から見返してべっ、と舌を出した。
「ふーんだ、悔しかったら捕まえて雪球のひとつでも当ててみろー!」
そして、言うが早いか走り出す。
ディートハルトは追いかけてくるだろうか。
来たら、言ってやりたいことがあるんだ。
しばらく走ったマリアは、悠やルアラから離れたのを確認してから立ち止まる。
ややして、ディートハルトが追いついてきた。
「ディートさんとマリアちゃんは、仲がいいってわけじゃなさそうで……見ていて、少し不安になるんです」
離れていく二人の背を心配そうに見つめながら、悠が言った。
「確かに、あの二人は一見すると『仲が良い』とは見えないかもしれませんね」
ルアラは、悠の呟きに肯定してやる。と、悠の顔色が変わる。
「でもね。きっと、マリアさんはマリアさんなりに、ディートハルトさんのことを理解しようとしているんだと思いますよ」
マリアがディートハルトにつんけんした態度を取るのも、嫌いと言ってみせるのも。
本当に、『嫌い』という感情から来るものではないのだと、ルアラは思う。
ただ少し、伝え方が下手で。それゆえ剣呑に見えてしまうけれど。
相手がディートハルトなら、受け止めてくれるはずだ。
「だから、大丈夫です」
きっぱりと言い切り、笑みを浮かべる。と、悠も微笑んだ。
「ルアラさんは凄いですね……みんなこと、ちゃんと見ていて」
答えず、ルアラはマリアとディートハルトが消えていった方向を見遣る。
ルアラにできることは、見守ることだ。
見守ることで、いざという時適切な行動を取れるように。
相手の気持ちを汲めるように。
――私は、みんなに幸せになって欲しい。
ただそれだけの願いを持って、ルアラはここに居る。
一方で。
「私は、マリア殿の気に障ることでもしたのだろうか」
ディートハルトの問いかけに、マリアは沈黙で返した。
「……黙られてしまうと、どうすればいいのかわからなくなる」
マリアは。
自分自身が生まれた理由を、理解している。
悠が願ったから。
だから、生まれた。
なので、悠が何を望んでいるのか、願っているのか、それも理解している。
「オッサンの想いってさ、アタシにバレバレなんだよね」
「……な、」
「気付いてるよ。色々ね」
彼のことが気に食わないことが、幼稚なわがままであることも。
意地を張っているだけだということも。
だって、ディートハルトは悠のことを理解できるだろうから。
だって、ディートハルトなら、悠のことを幸せにしてくれるかもしれないから。
それは、マリアでは力不足なのだから。
「オッサン、おねーちゃんのこと好きなんだよね」
「な、にを」
「ほら、あからさまに動揺してるし。ほんっと、バレバレ」
マリアが呆れたように鼻を鳴らすと、ディートハルトはその無表情に困惑の色を浮かべた。
「……アタシ。オッサンだったら、おねーちゃんのこと……」
上手く、言葉を繋げなかった。
思うだけならできたのに、口にするのは、なんだか、やっぱり、悔しい。
ディートハルトが、マリアの傍へと歩み寄り。
「ありがとう」
礼を言ってきた。
きっと、言葉にせずとも伝わったのだろう。マリアの頭を撫でる手は、大きくて、暖かくて、心地良い。
――ああ、本当。
――……悔しいなあ。
嫌いなのに、ムカつくくらい、かっこいい。
だから、マリアはディートハルトの背中を叩いた。
「そういうのはおねーちゃんにだけやってあげてよ! バカじゃないの!」
「む……すまない」
「ていうか! おねーちゃん泣かせたらぶっ飛ばすからね!」
「ああ。絶対に、しない」
「……ふん」
彼の言葉に、嘘はない。
それがわかったから、マリアはもう何か言うのを、やめた。
任せてみよう。
それで、彼だけではどうしようもなくなったら、アタシも全力で頑張ろう。
――だって、おねーちゃんのことが大好きだもん。
「じゃ! オッサン、帰るよ! それでみんなで雪遊びするんだからね!」
「ああ。楽しもう」
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