天御柱学院へ

なし

校長室

蒼空学園へ

シルバーソーン(第1回/全2回)

リアクション公開中!

シルバーソーン(第1回/全2回)

リアクション


8 地下3階(1)

●地下3階

 地下2階でグールの襲撃を受け、戦闘が繰り広げられていたころ。地下3階でも同様の戦いが起きていた。
 地下2階ほどの数ではないが、こちらもグールの挟み撃ちにあっている。場は廊下ではなく、会議室のように少し広めの室内で、暴れるのにはうってつけではあったが、かわりに逃げ場がほぼない。2か所あるドアは両方ともグールたちの後ろだった。
 室内へなだれ込むグールに油断なく視線を走らせつつ、前衛者は後衛を内側に自然と円陣を組む。闇にまぎれた暗殺者からの襲撃を警戒し、光精の指輪を持つ夏侯 淵(かこう・えん)たちが人工精霊を呼び出して天井付近へ浮かせた。
 ここには棚や机、衝立といった障害物があり、ひしめき合うグールたちの生み出す影も死角となったが、それでも全くの闇よりマシだ。
「いよいよね…」
 リリアソード・オブ・リリアを鞘走らせる。かまえをとろうとする彼女の前に、となりのメシエが手を伸ばした。
(……何よ? 後ろへ下がってろと言いたいの?)
 上の階でのやりとりを思い出して、むっとくる。手を避けて、わざとらしく一歩前に出た。
「リリア」
 いら立ちのこもった呼び声。リリアは気を損ねていたが、それでもエースとメシエに向けてパワーブレスをかけた。エースにはやさしく、メシエにはぶつけるように、ちょっとだけ乱暴に。
(メシエはメシエ、私は私)
 呪文のように胸のなかで唱えつつ、ディフェンスシフトとオートガードもかける。その間に、護国の聖域やイナンナの加護といった防御魔法を展開しつつ、エオリア・リュケイオン(えおりあ・りゅけいおん)がチャスタティソードを手に彼女の左へついた。
 右には飛竜の槍を持ったエースが。2人は彼女と同じ前衛に立ち、彼女が危険なめに合わないようさりげなくカバーすることを前もって打ち合わせていた。
 それを見て、メシエは歯がゆさを感じずにはいられなかったが、自らに納得させるようそっと息を吐くと、意識して足を後退させる。
「来るぞ。皆用心せい」
 グールたちのかわす視線や仕草でそれと察した淵が光明剣クラウソナスを抜き放ち、強い光輝でグールを威圧する。直後、最後方にいる一番立派な体格を持つグールが吼えた。
「グオオオオオオーーーッ!」
 耳をつんざくような雄叫びがあがり、それに応えるようにほかのグールたちが咆哮をあげ始める。
 剣を、槍を、棍棒を振り上げ、一団となって襲いかかってくるグール。先頭の3匹が持つ得物は、ともに淵を目指していた。
「……ふん。俺が一番小さくて、屈しやすいとみたか」
 普段であればその侮りを不愉快に思い、腹を立てるところだが、今日ばかりは違っていた。
「来たければ来い。いくらでも相手になってやろう」
 大上段から振り下ろされる剣を混沌の楯で受け、お返しとばかりに疾風突きを連続して繰り出す。かつて別の世で猛将と謳われた、その片鱗を見せる堂々とした戦いぶりだった。
 とはいえ、三方からの同時攻撃をすべて彼の力によって防げたわけではなかった。しっかりカルキノス・シュトロエンデ(かるきのす・しゅとろえんで)が後方から曙光銃エルドリッジで援護射撃を行い、グールの持つ剣を砕き、肩を撃ち抜いて威力を半減させていたことも大きい。
「なんだよ?」
 肩越しにじーっと責めるように見てくる淵を、じろりと見返す。
「べつに」
 淵とて今の己の有利不利は心得ている。ただちょっと、ひっかかるだけで。
「なら前を向け。次が来るぞ」
「分かっている」
 いつまでもかかずらっているときではない。すぐさま剣を握り直し、刃と刃を噛み合わせて切り結ぶ。
 カルキノスの援護の光弾が飛ぶなか、肩を貫かれ、肉をえぐられようとも全くひるむ様子を見せず、グールは一直線に向かってくる。それを、赤嶺 霜月(あかみね・そうげつ)狐月【龍】で受けた。
 敵の存在に呼応するかのように刀身が銀色の発光を強める。
「――ふっ」
 詰めていた息を軽く吐き出す。そのひと息で彼の剣は剛から柔へと変化した。
 押し切ろうとしてくる力を横へすり流す動きのままくるりと回転し、遠心力とともに敵の背を斬り裂く。そのまま動きを止めず、次の敵へと斬り上げ、手のなかから剣をからめ取る一瞬剣にこめる力を増す。はじけ飛んだ剣が天井深く突き刺さるのを思わず目で追ったグールは、焼けつくような痛みを感じるとともに地に沈んだ。
「深優を置いてきて正解だったわね」
 夫・霜月とともに戦い、食らいつこうとしてくるグールたちを引き裂きながらクコ・赤嶺(くこ・あかみね)がつぶやく。
 赤嶺 深優(あかみね・みゆ)は2人の娘だ。戦友であるバァルの結婚式に家族そろって参列し、惨劇を目の当たりにした2人は戦艦島行きを即座に決意したが、まだ生後1年に満たない娘を連れて来るわけにはいかないと、城の召使いに預けて来たのだった。
「正しいことも、そうでないことも。どんなことからも目をそらさない子に育ってほしいとはいえ、こんな光景を見せるなんて教育上悪いもの」
「そうですね」
 霜月もうなずく。
 そして自分たちもまた、あの子がいるからこそ、どんなことからも目をそむけずに立ち向かえる。どのような状況であろうとも。胸のなかのあの子のまっすぐな瞳から目をそらさない自分でいるために。それが誇り。そして剣を握る力となる。
 倒しても倒してもその後ろから現れる新たなグール。横からきた剣を退くことなくかがんでかわし、ふところに入り込むや一気に革の胸甲ごと斬り裂く。
「はあっ!」
 グールの剛腕から繰り出される攻撃を受け止め、退け、追撃をかけながらも2人は常に後方で戦っている紫紺の鎧が視界に入るように努め、周囲で戦っている仲間たちが自然と作り出した輪からも突出しないよう心掛けていた。
 そんな霜月の横を抜いて、ワイヤークローが空を切ってグールに向かい飛ぶ。操り手であるジュノ・シェンノート(じゅの・しぇんのーと)の巧みな捌きによってヘビのごとく身をくねらせたワイヤークローはグールの持つ剣と腕にからみついた。
「今です!」
 ジュノの言葉に呼応するようにうす闇のなかを矢が飛び、動きの止まったグールを射抜く。ウォーレン・アルベルタ(うぉーれん・あるべるた)と連携をとり、2人は確実に、無駄なく順々にグールを仕留めていった。
 なかでも最も激しく、最も苛烈な攻撃を繰り出していたのがウルフアヴァターラ・アーマーをまとったルカルカ・ルー(るかるか・るー)である。
「んもう! くさいったらありゃしない! ルカに近付かないでよ、うつったらどうするの!」
 どこか冗談めいた口調でぷんぷん怒りながら大剣ウルフアヴァターラ・ソードを操り、自分よりはるかに大きなグールを一刀に斬り捨てる。ぐらりと揺れて、自分の方へ倒れ込んできた体を背後のグールごと蹴り飛ばした。
 2体のグールはゆうに200キロは超えているだろうに、床から足を浮かせて壁まで吹き飛び、ガアーンと鉄をへこませてその場に崩れ落ちる。
「……うわお」
「さすがルカ」
「なによー、その目は」
 思わず漏れた淵とカルキノスのつぶやきをしっかり聞きとがめるルカルカに、ダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)がつぶやいた。
「いいから戦闘に集中しろ」
 その短い言葉にも声にも、いつもの彼を思わせるものが微塵もない。あるのは、触れれば切れそうなほど冴え冴えとした意思のみ。しかもそれはどこかあせりを含んでいるようにも思える。
 ピタッと口を止め、3人はそろってダリルの横顔をまじまじと見た。
「ダリル? どうしたの?」
「ルカ……念のため、周囲にも注意を払え」
「うん。見てるわよ? 襲撃があると大変だから」
「そうじゃない。何か、不自然な物がないか、だ。ここにいるはずのない物…」
 ――例えばイナゴとか。
 ダリルはその言葉をそっと胸に落とし、目を伏せる。まだ口には出せない。何の証拠もないことで、ほかの者を悩ませる必要はない。名前を耳にしただけで、過度な反応を示す者もなかにはいるかもしれない…。
 だが彼には確信があった。
(モレクが使った毒を解毒するにはただ1つの薬しかない。セテカやアナトが受けた直後、偶然その薬の情報が出て、偶然それが戦艦島にあることが分かり、偶然魔物に襲われている状態だった)
 あまりにできすぎている。
(偶然が3度重なれば、それは故意だ。モレクは消滅した。つまりは主犯はやつではなく「モレク以外のだれかが裏にいる」となる。
 モレクに捨て石になることを命令できる者……たとえばアバドン…)
 まさか、と思う。アバドンは北カナンで死んだ。あれだけの攻撃を受けて、大量の血を流し、1人では立つこともできない状態だった。――そうじゃないか?
「1人では立つこともできない……何者かが助けない限り」
 考えを言葉にすることで明確化しようとしてか、ぽつり、つぶやいたとき。
 カツン、とウォーレンが弓を落とす音がして、ラスターボウがダリルの足元まで転がってきた。
「……ちッ。すまん」
 思わず悪態をつき、急いで拾い上げようとする。てっきり握り方が悪くて落としてしまったと思ったのだが。ラスターボウに伸ばした自分の指先が震えているのを見て、ウォーレンは目を瞠った。感覚もなんだかおかしい気がする。遠近感が狂っているのか、床のラスターボウを拾い上げることもできない。
「これは…」
 不調なのは彼だけではなかった。
 前衛で戦っていた霜月の手から剣がはじけ飛ぶ。虚をつかれたわけでもなく、それほど強い一撃というわけでもないのに、と霜月自身驚きに一瞬硬直してしまう。
「霜月!」
 クコが間に割り入って、CODE・9で殴りつけた。爆音とともに打ち出された杭がグールをかまえた槍ごと貫く。
「どうしたの!?」
「……分かりません。急に力が抜けて…」
 困惑しつつ、震える指を見る。
 その『声』に真っ先に気付いたのは清 時尭(せい・ときあき)だった。
 目に見えるグールとの戦いはほかの者たちに任せ、闇にまぎれて襲撃してくる者はいないか、警戒することに集中していた時尭の耳に、かすかに声が聞こえる。
 あるかなきかの声。
 周囲で繰り広げられる死闘の剣げきと皆の発する気合いの声にかき消され、吹き飛んでしまいそうなほどにか細く、ひっそりと、控えめな声だったが、そこに込められた力と悪意は真闇よりもどす黒い。
「そこだ!」
 叫ぶと同時に時尭はグールの背後、重なり合った闇の一角へサバイバルナイフを投擲した。ライトニングウェポンで帯電したナイフは壁に突き刺さると同時に青白い雷電をうす闇に散らす。そこに浮かび上がったのは、羊角とコウモリ羽を持つ女キメラだった。
 顔のすぐ横に突き刺さったサバイバルナイフに「きゃっ」と声を上げて飛び退く。グールの影から出たところをすかさずジュノのバニッシュが斬り裂いた。
 ぎゃあ! とひび割れた悲鳴を上げつつ闇に倒れ込む。するとまるで小鳥かコウモリが一斉に飛び立つように、影から何体ものエンプサが宙に舞い上がった。
「いつの間にこれだけ……厄介ですね」
 彼らを見下ろし、ククク、クククとさざめくように笑うエンプサたち。闇のなかで金の双眸が残忍な光をはじいている。やがて申し合わせたように口を開き、呪歌が始まった。
「うっ…」
 視界がくらりと揺れ、だれもが顔をおおう。
 それは先のような控えめさとは全く無縁の、さながら声の暴力だった。彼らの鳥の足のような鉤爪でわし掴みにされ、脳を直接揺さぶられているかのような衝撃。これは歌という形をとった彼らの力。波動は両手で耳をふさいでも、皮膚を貫いて体内へ染み入ってくるかのように感じられる。
 実際、そうだったのだろう。立っておれず、次々と膝を折っていく――耳栓をした時尭以外は。彼は、他人のしゃべっている言葉も、自分が発している言葉すら聞こえない状態だった。
「メシエ!」
 その光景を目にした一瞬、エースは自分の苦痛も忘れて愕然とメシエを見た。
 あのメシエが両手をつき、うなだれてしまっている。表情はかぶさった前髪でほとんど見えないが、唇が強く噛み締められているのが分かった。顔色も悪く、血の気がひいてしまっているようだ。
「メシエ…?」
 リリアもまたメシエの状態に気付くが、己をとらえた虚脱感に抵抗することに必死で、そちらへ近付く余裕はない。唯一距離の近かったエオリアが、なかば半身を引きずるようにして彼の横につき、気遣いの手を背中へ伸ばす。しかしメシエはぴくりとも反応せず、周囲の様子に全く気付いていないように見えた。
 彼らの反応にエンプサはますます調子づき、さらには時尭に呪歌の集中砲火を浴びせようとする。
 ウォーレンのかすむ視界に、淵の背中へ向かって今しも振り下ろされようとしているグールの剣が入った。
「……させるかよ!」
 彼は己の腕に矢を突き刺し、集中力を取り戻すや宙のエンプサに向け毒虫の群れを放った。それはもしものとき用にと道中ひそかに集めていた毒虫たちだった。
「きゃあーっ」
「いやっ! 何これっ!」
「気持ちわるーーい」
「取って! だれか取ってってば〜っ」
 雲霞のごとく飛来して、頭部をおおった毒虫たちにエンプサが悲鳴を上げて頭をおおう。手をばたばた振って、虫たちを追い払おうとするのに必死で歌は二の次。歌が途切れることはなかったが、すっかり音階の狂ったお粗末なものになり下がってしまっていた。
 再び動けるようになったカルキノスが淵を狙ったグールを蜂の巣にする。活力を取り戻し、今のうちにと室内に残った数匹のグールの掃討に入ったエースや淵たちを横目に、ウォーレンは膝に力を込めて立ち上がった。
「歌は集中力だぜ……歌い手さん。この程度で乱れるようじゃあ修業が足りないなぁ」
 そして歌には歌を。
 大きく息を吸い込み、己の体じゅうに散らばるキラキラとした光の欠片――魔法力を幸せの歌に変えて、のど奥から放出した。
 力強い、堂々とした歌声が室内だけでなく廊下じゅうに反響し、戦う者たちに力を与える。
 彼の意図に気付いたティエン・シア(てぃえん・しあ)ツァルト・ブルーメ(つぁると・ぶるーめ)が立ち上がり、ウォーレンに続いた。
(歌姫の名にかけて、この勝負だけは決して負けられません!)
 ツァルトは仲間をふるい立たせ、勝利へと導く歌、怒りの歌を高らかと歌う。
 歌は力。無防備なひとの心に深く作用し、ときには剣よりも深くひとを傷つけることがある。ツァルトは歌に生きる者として、そのことを知っている。おそらくは、大抵の者たちよりも。
 きっと、自分もそうすることができる。今できなくても、いつかはそんな呪歌を奏でることができるようになるだろう。歌に生きる者、歌姫として。
 けれど、あえてその道を選ばない者でいたい。
 この者たちのように、歌の持つ力を人を傷つけるために使いたくはない。
 そして……そのようなことに歌の力を使う者たちに、決して負けてなるものか!
「歌は、人を苦しめるためにあるのではありません!」
(うん。そうだよね)
 ツァルトの勇敢な宣言に、ティエンもまた胸のなかで大きくうなずいた。
 幸せの歌。幸せな気持ちを沸き起こすだけでなく、本当に、聞いた人すべてが幸福になるように、ありったけの祈りを込めて歌い上げる。
(バァルお兄ちゃん…)
 閉じたまぶたの闇にバァルの姿を思い描き、ティエンは心のなかで昨夜バァルとした会話を思い起こす。自分の結婚式を翌日に控えているというのにバァルは彼女の呼び出しに快く応じてくれ、手をつないで一緒に空中庭園を歩いた。
 なんということのない会話。離れていた間のお互いの日常を話し、ときに笑い、ときに真剣にうなずき合ったりして…。そうしてティエンは少しずつ勇気をためて、川を渡る橋の上で、言ったのだった。
『間違ってたらごめんなさいなんだけど、今まで僕を……亡くなった弟さんと重ねて見てた?』
『ティエン、それは――』
『お姉ちゃんがそう言ってたの。もしそうなら、ありがとう』
 ティエンはふんわりと、月光のような笑みを浮かべてバァルをあおぎ見た。
『だって、それって弟さんと同じくらい、僕を大切に見ててくれてたってことでしょう? バァルお兄ちゃんがどれだけ弟さんのことを想っていたか、僕知ってるから…。それって、とっても嬉しいことだもん』
 欄干を握るティエンの指に、ぎゅっと力がこもる。
『だから……だからね、あのね。えっと…。今度は……女の子のティエンを見ててくれる?』
 少し気恥ずかしい思いで、早口に言った。こんなこと、今まで思ったことも、だれかに言ったこともないから…。
 へへっとごまかすように笑って、不安に揺れる目でバァルをあおいだティエンだったが、バァルの浮かべた表情に、はっとなる。
 バァルは少しだけ困ったように、少しだけつらそうに……ティエンを見つめていた。欄干から手を離し、広げて、こぶしをつくる。
『きみはかわいらしい女の子だ。もう、そうとしか見えない。
 ティエン……抱き締めても、いいか…?』
『う、うん…』
 うなずくと、バァルはそっと、ティエンがまるで壊れやすい何かであるかのように抱き寄せ、すっぽりと両腕でおおった。
『ありがとう、ティエン』
 耳元深く、ほうっとため息をつくような言葉がささやかれる。規則正しい心臓の音、ぬくもり。それをティエンはバァルの胸に重ねた両手で感じとった。
 これが、淡い恋というものだったのかもしれない。バァルと別れて部屋へ帰ったあと、寝台で横になりながらティエンは思った。自分のことを女の子として見てほしい人なんて、初めてだった。こんなにも、心の底から幸せになってほしいと願う人も…。
(そのために必要なことなら何だってする。バァルお兄ちゃんの幸せにアナトさんが必要不可欠だっていうなら、絶対助ける!)
 ティエンの全身から高らかと歌がほとばしる。それは彼女の光でもあった。闇に侵された者であれば目をおおわずにいられないほどに輝かしい、光輝に満ちた音階。全霊を込めて放出される魂の波動。
 ティエンの歌声にこもる力がエンプサの歌の魔力を食い止め、押し返した。
「よくやった、ティエン」
 思ったようにいかないことにとまどっているエンプサたちを見上げて、高柳 陣(たかやなぎ・じん)はカーマインを握る力を強める。手近な1匹に奈落の鉄鎖を投げ、ぐらついたところを撃ち抜いた。
「よし、やれる」
 手に感覚が戻っていることを確認し、振り返った。
「反撃開始だ。やるぞ、義仲、ティエン」
「うむ」
 うずくまっていた木曽 義仲(きそ・よしなか)もまた、体に力が戻ってくるのを感じて大剣クレイモアを床に突き刺し、立ち上がる。
「アナト殿にはテセランの町で一宿一飯の義理がある。なにより己が身を犠牲にしても他者を護ろうとする、あれほどの勇敢さ、献身と美徳を兼ね備えた女性はそうはおらぬ。死なせてはならぬ御方だ。彼女のために、一刻も早く薬草を持っていかねば」
「うん。バァルお兄ちゃんのためにも!」
「……おまえら、セテカのこと忘れてやるなよ」
 かわいそうだろ?
「「あ!」」
 思いっきり目を丸くして口元に手をあてる。驚いた表情のなかに少し罪悪感が混じったような……全く同じ反応をした2人に、ああこいつら本気で忘れていたんだな、と悟って、陣は深々とため息をついた。