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リアクション
6
健康診断で採血検査をするにあたって、月音 詩歌(つきね・しいか)は上着を脱いだ。左袖をまくる。針の、ちくりとした痛み。
「はい、もういいですよ」
看護師に言われ、詩歌は頭を下げて立ち上がった。ちょっとだけ、くらっとする。
そのせいで順番待ちをしていた女の子にぶつかってしまった。ふんわりとした甘い匂い。柔らかな身体。
「大丈夫?」
「あ、はい。すみません」
謝って、一歩退く。
――胸、大きいなあ。
ちらり、自分の胸元に視線を落とす。ぺったんこだった。
「…………」
なんだか、負けた気がする。何にとか、そういうのはわからないけれど。
――成長期、くるもん。すぐにおっきくなるもん。
言い聞かせるようにして、上着を羽織った。待合室で名前を呼ばれるのを待つ。
ふと。
周りの人たちが言っていたことを思い出す。
自分の性別や、身体についての疑問。謎。
普段は気にしていないけれど、ちょうど今病院にいるのだし。
「調べて、もらおうかなぁ……」
興味がないわけじゃない。だって、自分の身体だもの。
「あの」
受付に行って相談を試みる。結果、詩歌は一日だけ入院することになった。
身体を調べる。それは簡単なことではなくて、まとまった時間を取らなければならない。精密検査も必要とあらば行うらしい。
急に、不安になった。
なんともないのか。
それとも、普通の人とは何か違うのか。
加えて入院となれば、パートナーとも離れ離れで過ごさなければいけなくなるし、少し悩んだ。
――やっぱり帰ろうかな。
そう思って、だけどそれじゃ何もわからないままだと思い直す。パートナーに会えないのは、今日だけ。一生会えないわけではない。加えて一人でもきちんと過ごせたなら、それは信頼に繋がるかもしれない。
「私だって、一人でも大丈夫なのです」
うん、と頷き、入院手続きを取る。
結果はどうなるのだろうか。
そのことを考えると、やっぱり不安だけれど。
ちょっとだけ、楽しみでもあった。
結論だけ言うと。
翌日、検査に使われるはずだった機械でトラブルが生じた。
さらに緊急外来が立て続けに入り、検査どころではなくなり。
「……もしかして、知らないほうが良いのでしょうか」
ベッドの上で、ぽつりと呟く。
そうかもね、と肯定するように、窓の外で鳥が鳴いた。
*...***...*
天気も、体調も気分も良い。今日は絶好の撮影日和だ。
鼻歌交じりに綾原 さゆみ(あやはら・さゆみ)は外に出た。
そう、気分が良かった。学校は春休みに入っていたし、やりたいことはたくさんあって。なんでもできちゃう気になって。
動画サイトに投稿するプロモーションビデオの撮影中、ちょっと高いところから飛び降りてみた。
カッコよく着地し、カメラに向かって笑顔をひとつ。
……という想像は、現実のものにならなかった。着地が甘かった。足は地面を踏みしめられず、バランスを失った身体が傾ぐ。
「い、ったぁ……」
「さゆみ!」
地面に倒れたまま呻くさゆみに、アデリーヌ・シャントルイユ(あでりーぬ・しゃんとるいゆ)が駆け寄ってきた。
「大丈夫ですの!? どこか怪我を……」
「ああ、大丈夫大丈、……いっ」
心配させまいと笑顔を浮かべる。が、足が異様に痛む。
――……まさか、折れた?
背中を冷たい汗が伝った。そして、不安な気持ちはたやすくアデリーヌに悟られる。
「病院へ」
「や、大袈裟――」
「何かあってからじゃ大変ですわ。さあ、わたくしの手に捕まって」
こうして、聖アトラーテ病院に連れて行かれて、今を迎えた。
診断結果は『捻挫』。しかし馬鹿にできないレベルのものらしく、入院をして様子見をするように言われた。
「はあ……」
気分が沈む。だって、十代最後の春休みなのに。楽しもうと色々考えていたのに。
「よりにもよって、入院生活で台無しになろうとはね……」
自業自得だ。だがそれゆえに悔やんでも悔やみきれない。
窓の外の木を見つめ、「この葉が全て散ってしまう頃には……」と気分を出して呟いてみるが、ノらない。ため息がこぼれる。
「あー、もう、最悪!」
嘆いて、ベッドの上に仰向けになる。白い天井。白すぎて、吸い込まれそうだな、と思った。
入院生活は、望ましいものではない。
けれど、実は初体験である。そのため好奇心が疼いていた。
病院食は噂に聞くほど不味くないし、同室の患者さんも普通の人ばかり。入院していて時間ばかり持て余し、動画サイトを見ている人もいた。その中にはさゆみの動画を見ている人も。
そんな人たちと話は盛り上がり、また色々と琴線に触れる話も聞けて。
――意外と、入院生活も悪くないな……。
そう思い始めた頃、アデリーヌが微笑んでいることに気付いた。
「何?」
「さゆみが楽しそうにしているから。少し安心したんです」
はっとした。怪我をした直後から、ここに運び込まれてずっと。アデリーヌは沈んだ表情をしていた。
ただの捻挫で、命に関わる怪我ではない。医師からそう説明を受けていたが、彼女はずっと不安に思っていたのだろう。心配で、心配で。
さゆみが調子に乗ったせいで起こしてしまった事故。そのせいで彼女にあんな顔をさせてしまったと思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「ごめんね」
「え?」
「こんなことになるなんて思ってなかった。旅行もキャンセルになっちゃったし」
「旅行のことは気になさらないで。さゆみが無事ならいつでも行けますわ」
「うん」
包帯の巻かれた足に、アデリーヌが触れた。
「痛みます?」
「薬が効いてるのかな。あんまり」
「痛くなったら仰ってくださいな。すぐに先生を呼んできますわ」
「大丈夫だって」
こうしていつもの調子で喋っていると、ここがどこでも変わらなく思えてくる。
不意に。
アデリーヌの目から、涙がこぼれた。
「えっ、何で」
「こうして一緒にいられることが、何よりも幸せで大切なものなんだなって……思いましたの」
「…………」
好きな人が傍にいてくれる幸せ。
好きな人の傍にいられる幸せ。
普段はそれが当たり前のようになっていて、なかなか気付けないけれど。
今、再認識した。
「ねえ、アディ」
身体を起こす。はい? と首を傾げる彼女の頬にキスをして、
「退院したら、お弁当持ってお花見に行こう」
微笑むと、アデリーヌも笑ってくれた。
*...***...*
任務に就いて、怪我をした。
決して、軽い怪我ではない。けれど、樹月 刀真(きづき・とうま)からすればこの怪我は「もう大丈夫」な具合で、だからつまり、病院に搬送され入院することになったのは災難だった。
「…………」
暇である。
何せ、ベッドの上で寝てるだけの生活だから。
――本当にもう、平気なんだけどな……。
だから、退院してもいいんじゃないか。そう思っていても言い出せないのは、漆髪 月夜(うるしがみ・つくよ)と封印の巫女 白花(ふういんのみこ・びゃっか)がじーっと刀真を見ているからだ。
目力というか、雰囲気というか……とにかく、言い出せる様子ではない。
なので、刀真は今日も大人しくしている。とにかく暇だけれど。月夜も暇なのか、鞄から本を取り出して読み耽り始めた。たまに視線が刀真に戻るが、その目が怖かった。怪我したことを責められている、気がする。
心配かけたことを、申し訳なかったと思っていた。怪我をした直後の月夜は、泣きそうな顔をしていたから。
月夜だけでなく、白花にも心配をかけた。が、白花は責めたりしなかった。それどころか、口元にはうっすらと笑みさえ浮かんでいる。林檎を剥く手付きも優雅なもので、なんというか。
「……白花? 楽しそうだな」
「えっ? ……あ」
ばれた、とばかりに白花が顔を赤くした。何が楽しいのだろう。刀真は首を傾げる。
「いえ、その。……どこにも行かず、大人しくベッドに寝ている刀真さんが新鮮で……」
だから楽しかったのだと、彼女は小声で言った。
「怪我をして入院なさっているのですから、不謹慎なのですけど」
「いや。笑ってもらえたほうが、いいよ」
言うと、白花がはにかんだ。うん。笑顔の方が、ずっといい。
「…………」
ふと、白花のことを見つめてしまい。
「刀真さん? どうかなさいましたか?」
問われた。
林檎を剥いている姿が、綺麗な手付きが、可愛いな、と思った。
「落ち着くというか、……なんか良いな」
ので、思ったことをそのまま口にしたが。
――……ん?
一拍後に、気付く。今俺は、ものすごく恥ずかしいことを口にしたのではないか。
――ヤバい……気が抜けてるな。
言葉が、口から零れ落ちるような感じだった。止めるものが何もなくて、ぽろりと。今なら何を訊かれても素直に答えてしまうかもしれない。危ない。
白花に視線を向けると、顔を真っ赤に染めていた。だけど、嬉しそうに微笑んでいる。
――……たまには素直でも、いい……のか?
「刀真さん。林檎が剥けましたよ」
微笑んだ白花が差し出してきた林檎を、受け入れる。「あーんして下さい」と言われたので、口を開けて食べさせてもらった。美味しかった。恥ずかしかったけれど。
「私も頂戴」
月夜が、白花に向けて口を開く。
「はい。どうぞ、あーん」
「あーん」
そうだ。この一部始終を、月夜に見られていたんだった。そう考えると、また恥ずかしくなった。
林檎を食べる月夜の目が、刀真のことをじっ、と見ていた。先ほどと同じ目。怪我したことを、責めているような目。
「……えっと。ほら、仕方がなかったんだよ?」
咄嗟に刀真は言い訳をする。
「足止めする人間が必要だったし、それに」
しかし、言葉を重ねるほどに月夜の視線は険しくなった。ああだめだ、素直に謝ろう。
「スミマセンデシタ」
「うん、わかればいい」
けど。
「……俺は、これからも同じようなことをすると思う」
また、心配をかける。迷惑をかける。苦労もさせるかもしれない。
「それに、これから先はとても危険だ。だからこれからは俺に付いてこなくても――」
全て言い終わる前に。
月夜の読んでいた本の角が頭に。
白花の指先が傷口そばをつねり。
いたたたた、と刀真は悲鳴を上げた。
「痛い、マジで痛い、そこ傷口。傷口だから!」
「刀真」
「刀真さん」
二人が同時に刀真の名を呼ぶ。それから、月夜が詰め寄ってきた。
「私は刀真の剣で花嫁でしょ。刀真が戦うところが剣としての私の居場所なの! 次変なこと言ったら撃つからね!」
そして、もう一度本の――今度は平面で――頭を叩かれた。
続いて白花が詰め寄った。
「刀真さんが言っていることは、私たちの気持ちを無視しています。
私は、刀真さんの物で、貴方のために在ります。だから、貴方が要らないというのなら私は」
「白花、」
「……そうですよ。反省してください」
ああ、本当に。
――気が抜けているだけじゃくて、弱くなっているなぁ。
案外、こうやって入院して休んで、良かったのかもしれない。
「ごめんな。気弱になってた。月夜、白花。これからもよろしく」
「うん、わかればいい」
月夜が頷く。
そう、わかった。彼女たちに、自分がいかに想われているか。
――言葉だけじゃなく、態度で返したくなるな。
退院したら、何かお返しをしよう。
何がいいかな、と考えるのは結構楽しくて、あとで売店へ行って雑誌を買おうと決めた。
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