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リアクション
■ 月の面も赤らむような ■
お月見用の小舟を借りて、早川 呼雪(はやかわ・こゆき)とヘル・ラージャ(へる・らーじゃ)はたいむちゃんから貰った餅と月見菓子、お茶の為の道具一式を積みこんだ。
「あ、それ……こんなところまで持ってきちゃって」
呼雪が持ってきたワインを見てヘルが笑う。先日誕生日祝いに親友から貰ったものだけれど、まだ呼雪は未成年。飲むのは来年までお預けだ。でも気分だけでもと呼雪はそれを大切そうに小舟に持ち込んだ。
「これでもう積むものはないかなー。はい、呼雪」
手を差し出したヘルに、呼雪は首を傾げる。
「何だ?」
「着物だとちょっと動きにくいからねー。転んで池にどぼんなんてことにならないように、ね」
「ああ、ありがとう……って、そもそもなんで俺だけ着物なんだ?」
ニルヴァーナに月見に行かないかと誘ったのは呼雪だが、乗り気になって服を用意したのはヘルだ。
ヘルの服装はシャツにジャケットとスラックスといういつもの恰好だが、呼雪用にと持ってきたのは黒地に紅葉が波紋を描き、錦鯉が泳いでいるという意匠の着物だった。それでもヘルの恰好の方が派手だったりするのだけれど。
「だってー、呼雪に着て欲しかったやつだしっ。それにほら、着物だといろいろ不安定だから、こうやって支えたりとか、さり気なーく密着できたりとかねー、ふふふうふふ」
「…………」
ヘルはこんな時でも相変わらずだ。
「でも着物にして正解だったよ。やっぱり呼雪、着物似合うよ。今日ならジェイダス理事長も怖くないよ、多分……」
「……苦手なんだな」
「う……」
言葉に詰まったヘルの手を取ると、呼雪は小舟に乗り込んだ。
「うさぎのお餅があったらあったら♪ 呼雪と僕とで半分こ〜♪」
小舟に乗ると早速、ヘルは上機嫌で歌いながら、月うさぎの餅を2つに分ける。
「はい、呼雪あーん」
「いや別に食べさせあう必要はなかったと思うが」
伝説は確か、半分にして食べれば良かったはずだと呼雪は言ったが、ヘルのいい笑顔は変わらない。
「はい、あーん☆」
こういう時ヘルが引かないことは良く知っているので、呼雪は諦めて餅に噛りついた。呼雪が食べ終わると、ヘルが大きく口を開く。
「俺もか……」
仕方がないなと呼雪はヘルの口に餅を入れてやった。
のんびりと温かいお茶を飲みながら、呼雪はニルヴァーナの月を見上げた。
「月が綺麗だな」
夜空に浮かぶ満月は本当に綺麗で、呼雪のその言葉は自然と出てきたものだ。けれど。
愛しているという言葉をどう訳すか、というあの話を思い出すとどうしても、隣にいるヘルを意識してしまう。
呼雪が殊更顔を月に向けていると、ぐいっとヘルの方を向かされた。
「僕はちゃんと、愛してるって言って欲しいな」
けれど改まって愛の言葉を請われると、気恥ずかしくて余計に口に出し辛い。
どうしようか……。
困ってヘルを見返せば、彼はじっと呼雪の瞳を覗き込んで待っている。
かなりの間迷った後、呼雪はそっとヘルの耳元に口を寄せ、それでも聞こえるか聞こえないかという小声で告げた。
これが呼雪にとっての精一杯。そのことが分かっているから、ヘルはわーいと大喜びして呼雪に抱きついた。
「僕も愛してるよ」
そんな風にさらっと言ってしまえるヘルを、時に羨ましく思う、いや、それとも。この羨ましいは、嬉しいと訳すべきなのかも知れない。あまり自身の感情を表に出さない呼雪がストレートに気持ちを伝えてくれるヘルに救われている部分は、少なからずあるのだから。
……けれどそれも程度問題というもので。
抱きつくだけでは終わらないヘルの手を、呼雪は軽く押しのける。
「もう少し、場所を考えろ」
「大丈夫、誰も見てないよ。2人っきりだよ?」
「……月が見てる」
呼雪がそう答えると、もう、とヘルは笑った。
「かーわいいこと言っちゃって――なら見せつけてやれば良いんだよ」
声のトーンを落として言うとヘルは更に密着し、呼雪の膝をくすぐるように撫でた。その悪戯な手を呼雪は両手で拘束する。
すっと伸びた指、形の良い爪。すぐに悪戯してくる困った手だけれど、呼雪はヘルのこの手が好きだ。そこに自分の指を絡め、呼雪は綺麗なヘルの指先に、キスをひとつ落とす。
くすっと笑うヘルの気配。
囚われた指が小さく動いて、呼雪の口唇をそっとなぞる。
ぐらり。
小舟が傾ぐ。
くらり。
眩暈を覚える時間の中で。