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太陽の天使たち、海辺の女神たち

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太陽の天使たち、海辺の女神たち
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●戦う、夏(2)

 砂浜ではない。ジャングルの多少、開けた地点。
 二本の脚でしっかりと、八神 誠一(やがみ・せいいち)は大地を踏みしめていた。
 誠一の目は虚空を見つめている。まるでその魂に、意思というものが存在しないかのように。
 だが彼は生ける屍ではない。多少でも武道の心得がある者であれば、彼に近づいたd家で肌が粟立つことだろう。
 ピリピリとした、殺気。
 温かみはまるでない。氷のような殺気。
 眼前にあるものすべてを斬り、命を奪う一振りの刃……そのように見えることだろう。
「こやつは以前からこう言っていたはずであろう、己は剣である、とな」
 猫科の肉食獣のように、眼を細めるのはオフィーリア・ペトレイアス(おふぃーりあ・ぺとれいあす)だ。
 誠一は口を閉じ、なにも語らない。オフィーリアだけが話した。
「これを仮に呪いと言うのであれば、その源となっておるのは、こやつら絆そのもの」
 彼女の真っ赤な唇は斜めに吊り上がる。
 愉しんでいるのだ。
 この状況を。運命を。
「心が深く繋がれば繋がるほどに、この娘の奥底にいた我と我が剣は繋がってゆき、その結果が今ということだ……」
 くっく、と喉の奥で嘲りを洩らして彼女は言った。
「こやつらを元に戻す術を教えてやろう。
 いずれかを殺す事だ。さすれば、繋がりが消え失せ、我は力を失い再び眠りにつく」
 少なくとも、我はこれ以外の方法を知らん……オフィーリアの姿をした者は、そう言葉を終えたのである。
「Howdy Partner?」
 誠一と向かい合う少年は、にこりともせずそう言った。
「元気してたか、クソッタレ」
 毒素を吐き出すように言い捨てた。眼は、誠一に合わせたまま一ミリも動かない。
 彼は日比谷 皐月(ひびや・さつき)、誠一は彼にとって兄弟のような存在だ。
 ただし誠一が、誠一であるのならば。
 目の前にいる男は、誠一の体こそ有しているが、別人だ。
 鼓動が早まるのがわかる。
 ――人間を道具扱いだの。気にくわねーんだよ。そういうの。
 皐月がまとう魔鎧……翌桧 卯月(あすなろ・うづき)に、その苛立ちは伝わっていった。物理的な変化はなにもないのだが、卯月は自分の内側に、錆びた鉄釘を押し込まれたような感覚に襲われている。血の色をして、血の味がする錆び釘の山。
 ――記憶と人格を取り出して魔導書に転記して、魂を抉り出して魔鎧を生み出し、戦うごとに体を無機物へと転化させて。
 卯月は心を鎮めるよう努力していた。
 ――それでも。自分は人だ、と笑うのね。
 今、皐月にこの言葉を話しかけようと、彼は相手にしないだろう。否定するだけかもしれない。いずれによせ、今は聞かせるべき言葉ではないのだ。今、言うべき言葉ではないのだ。
 きっとそれでいい――そう決めて、卯月は皐月に話しかけた。
 穏やかな、母親が胎内の子に話しかけるような声で。
「皐月も男の子だから。意地が有るのよ、多分ね。だったら――」
 皐月は答えない。だが、聞いているはずだ。
「――背中を押すのが、私の役目かしら」
 皐月の五感は、研ぎ澄まされている。スキルによって五体も強化され、髪も伸びている。
 ふん、と皐月は鼻で笑った。
 まばたきすらしない誠一を笑ったのか、
 一人悦に入り、話し続けたオフィーリアを笑ったのか、
 それとも、自分と卯月を笑ったのか、
 それはわからない。
「楽しい楽しい、喧嘩の時間だ」
 皐月は言いのけるや、左拳を前に、右足を引き気味にする構えをとった。
 最初に抜いたのは、誠一。
 刀が振り抜かれていた。音速に達する斬撃を繰り出す。上段から中段へ。
 皐月の左足が軽く上がる。踏む。
 ぱんっ、と足元の槍が跳ね上がった。穂先が孤を描く。速度では誠一に及ばないがリーチが違う。勢い、誠一はその切っ先をかわさねばならず体を捻った。
 皐月が槍の柄を握るのと誠一が刀を持ち替えるのが、同時。
 ガキッ、と冷たい音がした。白い光が炸裂したように見えた。二人の武器が空中で激突したのだ。触れれば切れるようなエネルギーのほとばしりが四散する。
 羅刹、そう表現するほかないほどの猛攻。
 優勢なのは皐月だった。
「意地が有んだよ! 負けられねェ!」
 突く、切る、払う、凪ぐ、押す、叩く、撲つ、刺す、あらゆる手法をつかって圧して圧して圧しまくった。攻め続ける。
 だが当たらない。掠めても、切れない。
 誠一は人形のような存在だが、しかしそれは戦闘する人形である。彼はこれまでの皐月との対戦経験を活かし、彼の攻撃の機動を読み回避し、あるいは弾き、すべてを防いだ。
 だが皐月は攻めの手を止められない。
 止めれば、隙があれば、カウンターが来るのがわかっているから。
 だから、無理が通れば道理引っ込むとばかりに、無謀なまでの全力攻撃を続けているのだ。
「そろそろ疲れてきたかと、思ってるだろ! ええ!?」
 皐月は牙を剥いて笑った。
「その通りだよ! 畜生め!」
 皐月の一撃は、防御を考えず身を投げ出すようなものだった。
 捨て身か。
 それとも策か。
 いずれか判読せず誠一は自動的に動いた。
 手にした鋼糸刀・華霞改が、現象発現能力を展開した。
 眼に見えない無数の斬線が、驟雨のように降り注ぐ。エンドゲーム。
 手応えはあった。それも、ひとつやふたつではない。無数に。
 皐月がバラバラになっていたところでオフィーリアは驚かなかっただろう。しかし、これにはあっと声を洩らした。
 刻まれたのは皐月が棄てた槍に過ぎない。
 皐月の体は瞬時に間合いを取っていた。突進すると見せかけて大きく後方に翔んだのだ。
 誠一の目が刹那、光った。
 ポイントシフトが発動された。コンマ一秒もあれば皐月においつける。
 けれどそのコンマ一秒より迅く、
「――響け――!」
 皐月の手にしたギター……彼の光条兵器……は、この戦場に流れる総ての音を編み上げ、歌に変えていた。
 踏み鳴らされる踵と、
 打ち鳴らされる剣を、
 かき鳴らす弦で纏め上げて、生み出したのは『幸福の歌』。
 ギターは光条兵器、ピックは投射刀。
 ――思い出させてやる。手前が、こんな下らない喧嘩を楽しむただの人間だってことをな。
 ――ああそうだ。
「人が、簡単に人以外になってたまるか!!」
 音の洪水が溢れだした。
 誠一は前のめりに地面に倒れた。運動神経が狂ったのだ。
 体の不調じゃない。心だ。心が足をもつれさせた。
「なんだこの多幸感は!」
 オフィーリアは歯を剥き出しにした。
 誠一も同じことだろう。彼の肉が踊りだしているのだ。このような攻撃、未だかつて誠一は受けたことがないはずだ。
 通常の人間であれば、闇への抵抗力がが強まる程度だろうが、武器そのものとなった誠一は、心を揺さぶられると常人の何倍も、何十倍も……効く。
 着地など考えずに翔んだから、皐月も肩から地に転がった。勢いが強すぎて側頭部を擦ってしまう。頬と唇、さらに額から出血してようやく止まった。
 まだ誠一は倒れている。地面に落ちた蓑虫のようにもがいている。
「分かってる……こうしなきゃいけねーほど、オレなんかより、ずっと八神は強い」
 皐月は槍を拾った。幸い、多少刃こぼれ柄も短くなったが、まだ使える。
 氷蒼白蓮の盾も拾い、握りをつかむ。
 そのまま唇の血すら拭わず、一歩一歩、皐月は誠一に近づいていく。
「なんの力も借りずに。良く鍛え上げたと、そう思う」
 ――尊敬するよ。心から。
 卯月は震えた。皐月の鎧ゆえ、心臓の鼓動を感じて震えたのだ。
 彼は哭いていた。涙を流してはいないが、哭いていた。
「だから、身を貶めるような真似は許せない。……ああ。我儘だよ。承知の上だ」
 槍を振り上げた。
 同時に、ぱっと誠一が立つのがわかった。運動神経が戻りつつある!
 誠一はくわと口を開いた。野獣のような吠え声を上げ彼は皐月に迫った。
「でも」
 皐月は氷蒼白蓮を振った。この盾に秘められた力が、氷塊を、そして氷壁を、さらに氷柱を、次々とこの場所に作り出した。
「だからこそ」
 氷塊が誠一を襲い、避けようとした誠一は氷壁に背をぶつけ、氷柱が誠一の攻撃を妨害する。 
「負ける訳には――――いかねェんだよおおおおおオオオオオオオ!!!!」
 皐月は猛然と奔った。もう止められない。大振りの一撃が氷柱もろとも、誠一の体を空に跳ね上げた。
 空中で回転しようとした誠一の頭上に、黒い影が差す。
 跳躍し彼を追い越した皐月の体だった。槍を、棒高跳びのバーのように使ったのだ。
 そこから皐月は渾身の力で、蹴りを……下そうとしたそのとき、まばゆい黄金の粒子が立ちこめた。
 オフィーリアだ。彼女は手を出さないと見せて、はじめて動いたのだ。
 これが誠一の体力を回復した。誠一はほんの少し、頭部をずらすことができた。
 直後、その肩口に、皐月の踵がハンマーのように落ちた。
 どっ、と誠一の体が地面に墜ちた。
 しかしその身は、オフィーリアに担ぎ上げられている。
「我もまた、力及ばぬ刀匠の願いの果てにすぎん。祖国を守る事を願い、己の技術では果たせぬ事を知った哀れな者の、な」
「待て……!」
 追わんとした皐月だが、それより早くオフィーリアの体は跳ねて、たちまち二人の姿は視界から消えた。

 そのころビーチでは、もう一つの戦いが静かに幕を開けようとしている。
 冬山 小夜子(ふゆやま・さよこ)イングリット・ネルソン(いんぐりっと・ねるそん)の。
 場所は砂浜、数キロ程度離れたところでは人々が、ビーチバレーをしたりスイカ割りをしたり、はたまた寝そべって肌を焼いていたりするだけに、二人に流れる緊張感というのは異様であった。
「以前正月に手合わせをするという約束をしてから、随分過ぎましたが」
 小夜子がまとうは崑崙旗袍、スリットから長い脚が覗いている。
 一方でイングリットも武道着、これは常に持参しているものだという。
「その約束、果たせそうですわね」
「望むところ、です」
 互いの手に武器はなかった。素手だ。
 常在戦場というのか、手合わせの話を持ちかけた途端、二つ返事で彼女は応じてくれた。そしてわざわざ、人目につきにくいこの場所を探してくれたのである。
「ルールは?」小夜子が訊いた。
「武器はなし。それだけでいいでしょう。決着はどうします?」イングリットは明鏡止水、落ち着いた口調である。
「決着がつくまで、と言いたいところですが、制限時間を決めておきましょう。あくまでこれは手合わせですから」
 タイマー付きの時計を取り出し、10分、と定めてうなずき合った。
 達人同士の戦いだとすれば、これでも長すぎるほどである。
 一対一なれば、もっと早く、それこそ瞬殺で決着がつくことも珍しくない。それをあえてこの時間にしたというのは、互いへの敬意の表れであるといっていい。
「されば」
「いざ」
 二人はまず、向かい合って一礼した。
 小夜子は微笑してしまう。
 イングリットも、釣られたか唇に笑みがあった。
 嬉しくて仕方がないのだ。
 格闘家が、自身に匹敵する者と渡り合うというのはそういうことだ。
 ある意味、愛し合う以上に、互いを知る手段としては有効である。
「参ります!」
 まず仕掛けたのはイングリット、甲高い声を発して正統派の正拳突き。
 ――力量を測るというの!?
 イングリットほどの者がこのような真正直な攻撃、
 小夜子は簡単に受け流した。もっと本気で来なさい、そう言うつもりで。
 ところがこれは彼女の仕掛けだった。
 伸びきった小夜子の腕をイングリットは両手で取った。
 ぐいと引いて体勢を崩す、
 ――投げられる!?
 いや、投げない。
 砂地での投げなどさしたるダメージにならないことをイングリットは知っている。ましてや、相手は自身に匹敵する小夜子である。このチャンスを逃したら次に、こちらが必殺の一撃を受けている可能性が高い。
「しゃ!」
 猿のように叫ぶとイングリットは両足で砂を蹴っていた。
 跳んだ。
 跳んで、小夜子の腕に両足をからめ巻き付いた。
 ――関節技!
 跳びつき式腕挫十字固の姿勢。
 バリツの神髄は変幻自在の攻めにあり。
 撲つと見せて撲たず、投げると見せて投げず、そして無から絞めを生むものなり。
 並の格闘家であればこれをふりほどこうとし、あるいはイングリットの背に、腰の入らない突きを入れて逃れようとするだろう。
 だが小夜子は並の者ではない。
 倒れた。
 あえて倒れた。イングリットに倒されるのではなく、自分から倒れた。
 ばさっと二人は砂にまみれた。それでも怯まない。
 わずか一メートル強とはいえ、思うに任せぬ落下は脳をゆさぶる。さしものイングリットの腕もわずかに緩んだ。
 そこに小夜子の脚が伸びた。絡まれたところから絡み返した。
 小夜子の足指の強さを、知っている者はあまりないだろう。彼女はその足を、手指のように巧みに、強く動かすことができるのだ。ことに、足の親指と人差し指でつねられようなら、大の男でも悲鳴を上げるに違いない。
 その指が、イングリットの喉に伸びた。するすると、蛇のように。
 イングリットは腱を絞めようとする。
 小夜子はそんな彼女の気道をふさごうとする。
 ――させない。
 求め合う二匹の牝獣のように、互いの弱点をとろうとする。
 もつれあった。何度も。
 一度は小夜子が彼女を組み敷いた。いける、と思ったがつかの間、今度はイングリットに倒されている。
 ぎちぎとと腕の腱が悲鳴を上げた。だが小夜子は歯を食いしばる。
 手を放せばこちらがやられるのだからイングリットも必死だ。何度も落とされそうになりながら堪えた。
 二人の体が激しく擦れあう。流れ出る汗が、互いの汗と混じって濃厚な女の香を放つ。
 そのとき、ベルが鳴った。
 時間が経ったのだ。
 引き分け。
 二人はそれぞれから離れて、着衣の乱れを直してから一礼した。
 イングリットの顔は上気している。汗で額はべとべとだ。髪も砂だらけでひどいことになっている。これは小夜子もほぼ同様の体だった。
 二人とも、いい笑顔になっていた。
「楽しかったですわ」
 イングリットのさしだした右手を小夜子はしっかりと握った。
「こちらこそ。イングリットさんもなかなか強かったですわ」
 ――時間無制限の戦いだったとしたらどうなっただろう。
 ふと夢想するのはイングリットである。
 小夜子も夢想した。少し、イングリットとは違った種類のものだったが。
 ――イングリットさん、素敵でしたわ……。
 格闘技という要素がイングリットを色っぽくするのだろうか。
 関節技のとき、イングリットのあの甘い香りに釣られてそうで危なかった。
 正直、あのまま続けていたら、快感のあまり気を失っていたのではないかと思う。あるいは、無我夢中でキスしてしまうとか、舌で彼女の汗を拭ってしまうとか、そのまま着衣を脱がせて、まだ乙女であろう彼女に、女性の体の秘密を手ほどきしてしまうとか……。いずれにせよ、恋人への操を(また?)破ってしまったかもしれない。
 コホンと空咳して小夜子は妄想を霧散させた。
「また機会があれば手合わせしましょうね」
「はい、喜んで!」
 ――そんなに悦んでもらえるなんて……。
 嬉しいような、悶々としてしまうような。