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第8章 幸せな時間

 12月27日。
 イルミンスールの森の南西部にある村に、魔法学校の契約者のカップルが訪れていた。
「この村といえば! 温泉だよね♪」
 うーんと、赤城 花音(あかぎ・かのん)は体を伸ばした。
 年末ということもあり、毎日とても忙しくしていた。本当に久しぶりの休日だ。
「そうですね」
 リュート・アコーディア(りゅーと・あこーでぃあ)が、花音の微笑みを向ける。
 花音とリューとは恋人という関係になって、初めてのクリスマスを迎えた。
 少し遅れてしまったけれど、年末のスケジュールに互いに隙間を作って、ようやく2人で泊まりで出かける事ができた。今日は2人にとって大切な、1日だ。
「それじゃ、あの温泉で、まったり……ゆっくり……のーんびりしよう」
 ゆっくり言いながら、花音は温泉へと歩いて行く。
「えー花音、一緒に入りませんか?」
「え?」
 リュートの言葉に、花音は驚きの目を彼に向けた。
「むぅ……男性として正直だね」
 苦笑する花音に、リュートはにこにこと笑みを向けている。
「でも、施設を締め切ると村の人に悪いよ」
「貸切の温泉を借りればいいのですよ」
「そ、それに……率直に恥ずかしい……」
 赤くなって花音が言うと、リュートはむぅ…と息を漏らした。
「此処は別れて入ろうね」
「残念です」
 しぶしぶリュートは了承して、日本酒と炙ったイカを持って、男湯に向かった。

 その温泉の男湯と女湯は繋がっていて、軽く木の板で仕切られているだけだった。
 木の板を背に湯船につかって、リュートは盆に入れて浮かせた酒とイカを楽しみながら「花音、いますか?」と語りかける。
「うん、後ろにいるよ」
 声はすぐに返ってきた。
 ゆっくり湯につかって温まりながら、リュートは花音に尋ねる。
「花音は一年を振り返ってどうでしたか?」
「ん……」
 花音は少し考えてて、思いだしながら答えていく。
「そうだね……音楽活動に危うさがあったのは確かだね。
 ……しんどい時はあった。
 でも、リュートが立て直してくれているよね?」
「そうですね……ソロの【『i』ドル】。
 ユニット企画『正統派ナチュラル』の形で、方向性は見えました……持ち直して来たと思います」
「うん、頼もしいよ!
 ユニット企画が始動するんだね。ソロとユニット……同じ音楽を演じても意味がない。奉公性が見えたのは良い事だね!」
 ちゃぷんと音が響いた。
 花音がより木の板――リュートの方に近づいた音だ。
「最強アイドルコンテストの結果は、残念な気持ちもあるけど……。
 他のアーティストさんの頑張りが、ボクは遥かに嬉しいんだ。まだまだ! ボクたちは頑張れる!」
「ええ」
 リュートは日本酒を飲んで、ふうと大きく息をついた。
 心地良い感覚が体中を巡っていく。
「来年はユニット企画を先行して、活動を続ける事で……頑張りましょう……と、云う事になりますね」
「うん!」
 耳に届いた花音の元気な声も、とっても心地良かった。

 温泉で温まってゆっくりしてから。
 2人は一緒に宿の部屋へと向かった。
「……え? 一部屋?」
 リュートが借りた部屋は1部屋だった。
 恋人同士なのだから、問題はない、のかもしれないけれど……。
 部屋の中を見て、花音は赤くなった。
「ダ、ダブルベッド……?」
 部屋に置かれているベッドは1台だけ、だった。
「えーと……えーと……」
 目を泳がせて迷っている花音の肩に、リュートの腕が回された。
「僕も一人の男ですよ?」
 言って、リュートは花音とベッドに歩いて行く。
「花音、僕の愛すると言った……想いを受け入れて頂き、嬉しかったですよ。
……ありがとうございます」
 耳元でそう囁くと、花音は真っ赤な顔でこくんと強く頷いた。
 俯いている花音を見つめて、リュートは微笑みかける。
「……キス……大丈夫……ですか?」
「うん、キスは……」
 返事をした途端、彼の手が花音の顎に当てられて。
 唇が、花音の唇の上に降ってきた。
 少しの間互いに目を閉じて、感覚だけで互いを感じあって。
 再び目を開き、同時に微笑んだ。
「……ファーストキスですね……ふふふ」
「ファーストキスが……リュートで良かった……」
 夢を見ているかのように、うっとりとした目で花音が言った。
「えー……ただ、この先の続きは……“無理”です。流石に……スケジュールが立て込んでますからね」
 今日もなんとか予定を開けただけで、2人ともハードな毎日を送っていた。
「花音、あなたに無理をさせる事もできません。
 クリスマスライブもお疲れ様でした。今日は、二人で…ゆっくりと眠る時間を大切にしましょう。まだ、年内にカウントダウンライブが残っています。朝には空京へとんぼ帰りですからね」
「うん、一年を締めて! 来年を迎えに行こう!
 多分、来年は……契約者にとって、正念場になると思う。ボクたちは、音楽を通じて…立ち向かって行くんだ!」
 きらきら目を輝かせる花音を、目を細めてリュートは見つめる。
「それじゃ、休もうか」
 と、ベッドに入った花音は……何もされない、とわかっていても、ドキドキしてしまい、顔を赤らめる。
「えっと……その……き、キスの……つ、続きは……。
 ……年が明ければ……お正月に入れば……アーティストは、落ち着ける時間が作れると思うから……。
 そ、その時で……だ、大丈夫だよ……」
 真っ赤になりながら言う彼女の隣に、リュートが入ってきた。
 花音の方に体を向けて、片手で彼女を抱きしめて。
「……来年の楽しみが増えました。
 花音、僕は幸せですよ」
「ボクも……リュートとの時間が、嬉しい」
「確かに……来年は契約者にとって、正念場でしょう。
 僕たちも出来るだけの行動は取りたいですね」
「うん、一緒に頑張ろうね」
 花音はリュートの手に自らの手を重ねた。
「今日の事を大切に……頑張りましょう」
 手を繋いで、頷き合って。
「おやすみなさい」
「おやすみなさい」
 同時に、目を閉じた。
 激しく深く愛し合うのは、来年に入ってから。
 今日は温かく優しい互いの体温と息を感じながら、一緒に深い眠りに落ちていった。