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リアクション
5
「それで、春の新作だから桜をイメージした服を着せたりしたいなって」
「服じゃなくて、人形でもいいかもな」
「桜をイメージした人形? ……あ、良さそう」
工房開店前に、茅野瀬 衿栖(ちのせ・えりす)がレオン・カシミール(れおん・かしみーる)に春の新作についての相談をしている時のことだった。
「衿栖ー。なんか、地球から手紙来てるよ」
茅野瀬 朱里(ちのせ・あかり)が持ってきた手紙が、すべての始まりとなった。
「地球から?」
朱里から手紙を受け取った衿栖は、真っ白な封筒をくるりと裏返した。そこにあった名前に、衿栖は思わずあっと声を上げる。
「工房からだ」
手紙は、衿栖が人形作りの修行を積んだ店――フランスにある、ブリュ工房からだったのだ。
「急にどうしたんだろう……?」
ペーパーナイフで丁寧に封を切り、便箋を取り出して内容に目を走らせる。
「……え、嘘。……?」
書いてあることが信じられず、最初から最後まで二度読んだ。
「どうした」
衿栖の尋常じゃない様子に気付いたレオンが声をかけてくれたが、返事ができない。さらにもう一度内容を読んで、一言一句目の錯覚ではなかったことを確認してから唾を飲み込んだ。
「……レオン」
「ああ」
「十二代目当主が倒れたって」
「……何?」
「倒れて、入院してるんだって」
「……それで、経過は」
「……あんまり良くない。むしろ、悪くなってるって……」
十二代目当主は、衿栖を可愛がってくれた師だ。皺の多い、よく笑う人だった。顔いっぱいをくしゃくしゃにして頭を撫でてくれた顔が頭に浮かんだ。
――エリス、よくできたな。その調子だ。
褒められた時の声も、言葉も、覚えている。大きな掌が温かかったことだって。
「それで? それだけではないだろう」
「うん……私に会いたがってるって。……いつ、容態が急変するかわからないから、お見舞いに来て欲しい、って……」
容態が急変する。書いてあったことを口にしたことで、一気に現実感が増した。嫌だ。嫌だ嫌だ。容態が急変って、何? 死? 死ぬってこと?
「嫌だぁ……」
「衿栖」
「……うん。わかってる。わかってるよ」
形あるものはいつかなくなる。師も、随分と老齢だった。こんな日が来ることは、何一つとしておかしくない。
「……わかってる」
言い聞かせるようにもう一度繰り返し、衿栖は立ち上がった。荷造りをしなくては。
「ちょっとフランス行ってくる。レオン、留守中の工房のこと、任せたからね」
「ああ」
「どれくらい悪いのかわからないし、パラミタにいつ戻ってこれるかわからないけど……」
「気にするな。しっかり守っておくさ」
「うん。よろしくね」
言うが早いか衿栖は工房を出て自室に駆け込む。旅行鞄をひったくるように掴んでベッドの上に置くと、適当に服や必需品を中に詰め込んだ。
あっという間に支度を済ませ、外出用のコートを羽織った時だった。
「衿栖」
開けっ放しの入り口に、心配そうな顔をした朱里が立っていた。……そういえば朱里は、手紙を渡す時から神妙な顔をしていた気がする。差出人を見て、いち早く不穏な様子を察知していたのかもしれない。
「朱里……」
「大丈夫?」
「……うん。……ううん。ちょっと、不安」
「だよね……」
「あのさ。……朱里も、ついてきてくれない? ひとりだと、なんか、怖くて」
「もちろんだよ。それ、言いに来たんだから」
朱里は既に小さめの旅行鞄を手にしていた。準備は万端らしい。行動が早くて頼りになる。自分が今いっぱいいっぱいだから、朱里やレオンのような存在には本当に助けられると思った。
「それじゃ、行こう」
階段を下りて、レオンに頭を下げてから工房を出る。
空港に直行しようとタクシーを捕まえかけて、ふとリンス・レイス(りんす・れいす)のことが浮かんだ。しばらく会えないのはわかりきっている。ならばその前に、一度会っておきたい。
「ごめん朱里、ちょっとだけ寄り道」
くるりと方向転換して、目的地とは反対のヴァイシャリー郊外へと走り出した。
衿栖が息せき切って駆け込んでくるのはそう珍しいことではない。
だからリンスは今日衿栖がそうであったことに驚きはしなかったが、家出さながらの大荷物には多少、びっくりした。
「どうしたの」
「ん……えっと」
「……何か飲む?」
「ううん。いらない。急いでるから」
急いでいると言うが、旅行か何かだろうか。こんなに血相を変えて? さすがに考えにくい。けれど他にどんな理由があるのか思いつかず、息を整える衿栖のことをじっと見ているしかできなかった。
ややして、衿栖が顔を上げた。どこか切羽詰っているように見える。なんだろう。この表情を見ていると、不安になる。
「……あのね。私――」
「うん」
「私、……ちょっと、長い間ヴァイシャリーを留守にすることになったから。その挨拶に」
「……そう」
長いって、どれくらい?
戻ってくるの?
訊きたいことはあったけど、上手く言葉に出来なかった。返答をもらえないのが恐ろしかった。
衿栖の顔を見ていられなくなって、顔を下げる。その時、衿栖の手が震えていることに気付いた。ぱっと顔を上げ、衿栖を見る。
衿栖は、はっとしたような顔をして、それから笑った。
笑った? 違う。笑えていない。無理やり笑顔を作っているだけだ。
「何があったの?」
「……落ち着いたら、話すよ。今は、ごめん」
「……わかった」
衿栖が一歩近付いた。リンスの胸に、頭を預ける。
「……ありがと」
衿栖は一言だけ言うと、すぐに離れていった。背中を撫でる間さえ与えず、ぱっと。
「またね! 連絡するから!」
そして、何も話さないまま、街へと駆けていったのだった。
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