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リアクション
2
忍野 ポチの助(おしの・ぽちのすけ)がフレンディス・ティラ(ふれんでぃす・てぃら)の家を飛び出し、シルフィア・レーン(しるふぃあ・れーん)の家に居候をするようになって早一ヶ月が経った。
アルクラント・ジェニアス(あるくらんと・じぇにあす)は、連絡を取りたがらないポチの助に代わりちょこちょことフレンディスに連絡を入れていたが、日に日にフレンディスの声音は沈んだものとなっていく。
「と言っても、ポチが飛び出した日ほどではないんだけどね」
「あの日と比べたら駄目でしょ」
「まあね」
フレンディスの心配も、ベルク・ウェルナート(べるく・うぇるなーと)の心労も、電話越しなのにはっきりと伝わってくるほどだ。当事者たちはアルクラントが想像している以上に辛いだろう。
一度会って、ポチの助の近況を伝えたりすれば、少しは不安が和らぐだろうか。そう考えたアルクラントは、早速フレンディスに連絡した。
フレンディスはアルクラントの申し出に一も二もなく了承し、こちらは今からでも大丈夫です、と答えた。では思い立ったが吉日で、と即断即決。訪問が決まり、早速出発の準備にかかった。
さて、話は変わるがポチの助がエメリアーヌ・エメラルダ(えめりあーぬ・えめらるだ)に勉強を教わっている部屋は、普段居間として使用しているこの部屋のすぐ隣にある。
つまり、この話の流れは彼に筒抜けだったということだ。アルクラントは襖を開け、机に向かっているポチの助に問いかける。
「というわけで、私たちはフレンディスの家へ行くけれど。ポチはどうする?」
「行きません」
ポチの助の答えは早かった。予想通りの結果に、けれどアルクラントは苦笑する。
家出して一ヶ月。会いたい気持ちはあるが、会って気持ちが揺らいでしまう恐怖なども同等にあるのだろう。だからこそ、自分からフレンディスに連絡はできないし、こうして頑なな態度でいる。
そんなポチの助の心情は容易く察せられた。だからこそ、アルクラントは提案する。
「きっと心配しているよ。ポチが行かないにしても、今どうしているか、くらいは教えてもいいんじゃないかな?」
ポチの助は、俯いたまま黙った。駄目かな、と思い始めた頃、「僕は」と口を開く。
「叶えたいことが、あります」
「うん」
「だから今、エメリー師匠の許で勉強に勤しんでいます」
「うん」
「毎日美味しいご飯も食べてるし、たくさん眠ってます。だから、……心配しないで欲しいのです。そう、お伝えください」
「わかった。伝えておくよ」
力強く頷いて、アルクラントはポチの助の頭を撫でた。
「それじゃあ、行ってくる」
そしてすっくと立ち上がり、家を出る。
目指すは葦原、フレンディスの長屋だ。
葦原へ向かう途中、シルフィアはケーキ屋に寄った。手土産を洋菓子にしたのは、和のものが多い葦原に住む相手には和菓子より洋菓子の方がいいだろうと思ってのことだった。
美味しそうなケーキをいくつか買って、極力揺らさないようそっと歩きながら、シルフィアはアルクラントに話しかける。
「それにしても、ポチ君もうちに慣れたよね。朝方私がアル君の部屋から出てくるのを見られた時はどうしようかと思ったけど……」
冗談交じりの明るい口調で言うと、アルクラントは噎せた。
「街中で言うようなことじゃないだろう」
「だーって。アル君、なんかすごい暗い顔してるからさ」
「……よくわかるね、きみは」
「わかるよ? アル君のことだからね。さ、何を思っていたのか話してごらん?」
「……良かれと思って、ポチをうちに置いたんだ。それが正解だったかどうかはまだ分からないな、ってね」
「そりゃそうだよ。まだ一ヶ月だもの」
「フレンディスもベルクも辛そうだ」
「そりゃそうだよ。もう一ヶ月だもの」
「シルフィア、言ってることが正反対なんだけど」
「感じ方は人それぞれってことだよ」
「わかるような、わからないような」
「ちなみに私は、いいと思ってるよ」
「へえ」
「だってペトラ、ポチ君が来てから毎日楽しそうだもん」
完全魔動人形 ペトラ(ぱーふぇくとえれめんとらべじゃー・ぺとら)は、ポチの助と一緒に暮らすようになってから笑うことが多くなった。元から明るく、笑顔を見せる子だったが、ポチの助と一緒にいる時の笑顔はまた違った種類のものに見えた。もっともそれは、シルフィアの先入観を通してだから、どこまで正しいかなんて本人たち以外わからないのだけれど。
ポチの助だって、思うところはあるようだが勉強に対する姿勢ややる気は本物で、また彼に教示しているエメリアーヌもポチの助のことを気に入り、本格的に腰を据えて教え始めたようだ。
そしてアルクラントも、一緒に暮らす人間が増えたことで料理を振舞う機会に恵まれ、どことなく楽しそうにしている。
だから後は、上手くフレンディスの心配を消してやることができれば。
「いい方向に転がるよ」
「そうなってくれるといいが」
「なるって。
……そういえばさ、私フレちゃんのところに行くの初めてなんだよね。楽しみだなー」
話の方向を変え、のんびりとした調子で会話を続けた。
葦原までは、あともう少しだ。
一方その頃、葦原の長屋では。
「ポチは……元気でしょうか……」
「フレイ。その暗いオーラを仕舞え、もうすぐアルクラントたちが来るから。わかるから」
「はい。……」
ベルクに指摘され、フレンディスはしゃきっと背筋を伸ばした。が、すぐにポチの助のことを考えて、俯いてしまう。二度目の指摘は、なかった。ベルクも、フレンディスの思うところはわかっているのだろう。
ポチの助が出て行ってから、一ヶ月。それを長いとするのか短いとするのか、フレンディスにはわからない。ただ自分にとっては、とても長い一ヶ月だったと思う。
最初の数日は、ポチの助の話題が出るたびに涙目になった。次いで、自己嫌悪に駆られた。
耐えられなくなったある日、自分からポチの助に電話をしてみた。ポチの助が電話に出ることはなかった。
忙しかったのかもしれないと思い、日を改めてかけてみた。やはり、ポチの助は電話に出なかった。
何度か繰り返しても折り返しすらなく、そこでようやく避けられているのだと気付いた。再び、自己嫌悪した。
フレンディスに代わってベルクがポチの助と連絡を取ってくれたが、電話を代わってくれることはなかった。そこで本格的に、自分は嫌われてしまったのではないか、と不安になった。
不安になり、気持ちが安定しなくなると、ベルクやジブリール・ティラ(じぶりーる・てぃら)、親友夫妻たちまでもが心配した。こんな自分のことを気遣わせてしまい、申し訳ない気持ちになって一層へこんだ。完璧に、悪循環だった。
そして落ちるところまで気持ちが落ちると、今度は立ち直った。いつまでもへこんでいてはみんなに悪い、何よりポチの助に申し訳ない、と自分なりに頑張ろうとしてみた。
が、駄目だった。
浮いては沈み、浮いては沈みを繰り返しているところに、アルクラントから訪問の提案があった。勿論フレンディスは了承した。願ってもないことだったからだ。それに何より一度きちんとお詫びとお礼がしたかった。
本来なら迷惑をかけているこちらが出向くのが筋だと思ったが、アルクラントは「疲れているだろうから」とフレンディスたちのことを気遣い、来てくれることとなり、今に至る。
さてこの状況、フレンディスも辛いが他にも辛く思っている人間がいる。
ベルクだ。
あの家出のおかげで同居話は結局保留となり、葦原郊外にあるマンションから長屋まで頻繁に通う生活となっていた。
頻繁に訪れる理由は上記の通りで、不安定なフレンディスを放っておけないからだった。
泣く。落ち込む。へこむ。無意味に自分を貶める。
大切な人がそんな状態にあって、辛くないはずがない。しかも、結局のところ自分では何もできないのだ。傍にいてあげることくらいしか、できない。解決はしてやれない。とにかく、歯がゆかった。
時折ジブリールの頼みで長屋に泊り込むことがあったが、勿論いい雰囲気になったことなど一度もない。これでは生殺しもいいところであり、別の意味でも辛かった。
しかも先日、気付いてしまったのだ。
自分はフレンディスと同居できていないのに、ポチの助はペトラと同居している、この事実に。
気付いた時、悲しいとか、悔しいとか、怒りとか、それら全ての感情を越えて、脱力した。その後少し妬みもしたが、犬に妬むなんて、と自己嫌悪して胃痛が悪化した。
なので今日、ポチの助の近況を聞けるとなって暗い喜びを覚えている。
ポチの助が少しでもアルクラントに迷惑をかけていたならば、すぐさま飛んでいって制裁を加えよう、と。
「……、……俺って……」
そこまで考えが至った時、あまりの性格の悪さに頭を抱えた。
こうして長屋にいる三人中二人が絶賛ドへこみ中となった今、ひとりだけ落ち着いているジブリールはもはや苦笑するほかない。
「アルクラントさーん、シルフィアさーん、はーやーくー」
途方に暮れて呟いてみると、なんともいいタイミングで長屋の扉が開かれた。
「このたびは私の甲斐なさで皆様方にご迷惑をおかけしてしまい大変申し訳御座いませんでした……」
深々と土下座するフレンディスに、アルクラントは「いやいやいや!」と慌てて手を振った。
「そんなことして欲しかったわけじゃないから! ほら、顔を上げて?」
「でも……あの」
「フレイちゃん、私ケーキ買ってきたんだよ。食べながらお話しよう?」
「手土産……!? もっ申し訳ございません、お呼び立てした上にそのようなものまで……!」
「あああ逆効果! 思ってた以上にひどいな、これ!」
思わず叫んでしまう状況だ。それでもなんとか落ち着かせ、みんなの前にケーキと紅茶を並べて一息つく。
「なんだかすっごく恐縮させてしまっているけどね。うちは、そんなに迷惑してないから」
そんなに、というところでフレンディスが顔を上げた。不安そうだ。失言に気付き、首を振る。
「間違えた。全然だ。ポチはいい子にしているし、彼がいるおかげでペトラも楽しそうにしているよ」
「そう、ですか……」
フレンディスの様子が、少し柔らかいものとなった。ほっとしているようだ。たったこれだけの情報で安堵できるなんて、よほど心配だったのだろう。
「ポチは、元気でやっておりますでしょうか……?」
「ああ。伝言も預かってるよ」
家を出る際ポチの助から聞いた彼の言葉を、一言一句違えずにフレンディスに伝える。するとフレンディスは、静かに目を閉じた。数秒して、ゆっくりと開く。
「心配するなというのは難しいですが……ポチが修行に励み頑張っているのに対し、飼い主たる私がこの体たらくでは合わせる顔もありませぬ」
しっかりとした声音には、決意の色が見て取れた。……もっとも、耳と尻尾はしょんぼりと垂れていたが。
「ポチに、お伝えください。精一杯、頑張るのですよ」
「うん。任せてくれ」
力強く頷くと、フレンディスが微笑んだ。
やっと、彼女の笑顔を見ることができた気がした。ベルクがあからさまにほっとしているのが、彼の心配の深さも窺わせる。
状況が軟化したことに対してアルクラントもほっと安堵すると、「もういいかな」という声が上がった。今まで静観していた、褐色の肌の少年だった。
「今更だけど、初めまして。オレが犬いわく生意気ターバンのジブリール」
彼がジブリールか、とアルクラントは頷いた。話には上がったことがあるが、会うのは確かに初めてだ。訪ねてすぐに本題に入ってしまったため、まだ挨拶すら交わしていない。
「初めまして。私はアルクラント。こっちが」
「シルフィアさんだね。初めまして」
簡単な挨拶を交わすと、ジブリールは居住まいを正した。つられてこちらも背筋を伸ばす。
「不躾な質問だけど、犬の彼女? なのかな? ――の、ペトラっていったいどんな子なのか教えてくれる?」
「お前、本当に不躾だな……」
「なんだよいいじゃない。この騒動の解決の糸口になるかなって思ったんだよ、ベルクさんだってこのままじゃ困るでしょ」
「お前の発言からは好奇心しか見て取れねぇ」
「えー」
ベルクとジブリールのやり取りに、アルクラントは思わず笑ってしまった。なんだか微笑ましかったからだ。
「いいよ、別に。好奇心でも。ペトラのことを知ろうとしてくれるのは、純粋に嬉しいしね。
どんな子、か。ペトラはね――」
自分の話が葦原で繰り広げられているとはつゆ知らず、ペトラは夢の中にいた。
ポチの助と遊んでいる夢だ。
夢が夢とは気付かないまま、ただただ楽しく笑い合う。
一方でポチの助は、黙々と勉強を続けていた。アルクラントたちが出かけてからも一心不乱に机に向かっている。
ポチの助の性格が真面目なこともあったが、それだけではない。考えないようにしたかったのだ。
少しでも気を抜くと、アルクラントやシルフィアがフレンディスと会っている、そのことに焦点を向けてしまうから。
フレンディスのことを考えてしまうから。
会いたいと、うっかり思ってしまいそうだから。
「頑張るのはいいけど、そろそろ休憩したら?」
エメリアーヌに声をかけられ、ポチの助は本をめくる手を止めた。
「お茶淹れたわ。ちょっと休みましょ」
手招きに誘われ、居間へ行く。居間のテーブルには緑茶と桜の羊羹が置いてあった。
いただきます、と手を合わせ、羊羹を食む。甘くて、美味しかった。
「エメリーさん」
「ん?」
「ペトラちゃんの暴走がいったいどんな風になるか、ご存知ですか?」
唐突にこんなことを聞いたのは、先ほど読んでいた本で暴走時の反動について触れていたからだった。
ペトラの暴走がどういったものか、ポチの助は知らない。ポチの助の前でフードを外しても、ペトラはいつものペトラと変わりなかったからだ。
性質次第で心身への負担、反動が変わってくると知り、彼女のそれはどうなのか、と思った。暴走時の記憶が欠けるようであらば、精神保護機能の効果だとしても負担、反動が大きいことが窺えるし、するといつかメンテナンスでは対応しきれなくなる危険性もあるのでは、と。
ここまで考えて、ふと、そういえばペトラのメンテナンスは誰が行っているのか、という疑問に辿り着いた。
「根本的なことを聞きそびれていました」
「ん? 今度は何?」
「ペトラちゃんのメンテは普段誰がなさってるのかな、と」
「私」
「えっ」
「私がやってる。アルクとシルフィアには教えてないけど」
「専門なんですか?」
「ううん、違う。けどやり方を知っていて、かつ機晶姫に対する正しい知識があればできると思うわ。つまり、ポチにだってできるってことよ」
「僕にも?」
思わず声が上ずった。自分にもできるのか。ペトラのメンテナンスが。彼女を知ることが。
「……できます、か?」
「教えたげよっか? あんたにはちょっと刺激が強いかもしれないけど」
「教えてください!」
がばっと頭を下げる。エメリアーヌは、ふふっ、と楽しそうに笑った。
「うわーんごめんねポチさーん! 寝すぎちゃったよー、おはようがおそようになっちゃったよー!」
大騒ぎでペトラが居間に駆け込んできたのは、その時だった。
「ペトラ、おはよう」
「おはようエメリー。勉強は?」
「これからしようとしてたところよ」
「これから? 良かったぁ」
「こっちとしても良かったわ、ペトラの協力が必要だったから」
「協力?」
鸚鵡返しにペトラが尋ねる。エメリアーヌは頷いて、「ポチにあなたのメンテの仕方を教えようと思って」と言った。ペトラが、きょとんとした表情を浮かべていることがポチの助にはわかった。なんだか急に恥ずかしいような気持ちになって、膝の上の掌をぎゅっと握る。
ペトラは、もじもじと身体を揺らしていた。「ええ」とか、「うにゃ」とか、言葉にならない言葉を発している。
「み……見せるの?」
「そうね。メンテの仕方を教えるなら、見てもらわないとね」
「マスターにも見せたことないのに?」
「あんたが嫌ならやめるわよ?」
「うーん……」
考え込む声に、ちらりとポチの助は視線を上げる。腕を組み、悩むペトラが視界に入った。ややしてペトラはポチの助の方を向き、唇を笑みの形に変えた。
「ま、いっか。ポチさんなら」
「本当ですか!?」
「うーん。……うーん。やっぱ駄目なような……」
「あっ、えっとっ。僕、ペトラちゃんが嫌なら、無理強いはしませんから……!」
「やっ、嫌っていうか……! ただ、あの、恥ずかしいだけで……」
メンテナンスとは、そんなに恥ずかしいことなのだろうか。わからないので、ただ首を傾げるしかできない。
頬を赤くさせたペトラは、小さな声で「いいよ」と言った。
「ポチさんなら……うん、やっぱり、いいよ。メンテ、してもらう」
「決まりね? じゃ、始めましょうか」
こうして、何も知らないまま、メンテナンスは始まった。
「まずはデータ類の接続をするの。接続箇所はへそのところね」
てきぱきとエメリアーヌが説明する。説明しながら、ペトラの服をはだけていった。思わず目を逸らしたが、いやらしいことをしているわけではない。勉強なのだ。見なくては、と思い、顕わになった白い肌を見つめた。
「あとは、腕とか脚に武器接続用の端子があるわ。機晶石は胸部中心にあるけど、どう扱えばいいかは私もわからないわね」
「なるほど……」
「なるほど、じゃないわよ。あんた、やってみなさい」
「えっ!?」
「当たり前でしょ。やってみた方がより理解できるんだから。まずはここを――」
教えられたとおりに、ポチの助は手を伸ばす。ペトラの肌は柔らかくすべすべで、なんだか胸がどきどきした。顔が、いや身体が熱くなり、鼓動も速くなっているのがわかる。そんなポチの助の様子を見たエメリアーヌが嫣然と笑った。
「ほら、刺激が強いでしょう?」
ポチの助は、無言で頷いた。けれども手は止めない。一度始めた以上、最後までやり遂げたかったからだ。何より、これで彼女に対してできることがひとつ増えるようになる、そのことが嬉しかった。
「続けるのね? よろしい。じゃあ、私が知っていることは全部教えるわ」
こうして、メンテナンスは続けられた。
メンテナンス終了後、帰宅したアルクラントとシルフィアが顔を赤らめているポチの助とペトラを見て「大人の階段昇る!?」「まだ早い!!」と騒ぎ立てることになるのだが、それはまだ先の話。
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