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そんな、一日。~三月、某日。~

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そんな、一日。~三月、某日。~

リアクション



7


 涼介・フォレスト(りょうすけ・ふぉれすと)には気がかりがあった。
 先月工房を訪れた時、どうにもリンスの様子がおかしかったからだ。最初は花粉症かと思い、身体に良さそうな料理を作って食べてもらった。そこまでは別に、大した違和もなかった。リンスにも言ったが、昔からよく春先はぼうっとしていたから。
 だが、単なる倦怠感ではないと、最後の最後で気が付いた。
 ――また、来る?
 リンスの言葉を思い出す。
 ――友人だろ。また来るよ。
 あの時はそう返したが、彼がああいうことを言うのは少しばかり気になった。昔に戻ってしまったような気がして怖かったのだ。
「……こうして家で考えていても仕方がない、か」
 ふう、と息を吐いて呟き、涼介は立ち上がる。
 そう、リンスのことを自分の家でひとり考えたところでわかるはずがない。当人と直接話をするのが一番いいに決まっている。
 また行くと約束もしたのだし、様子見を兼ねて言葉の真意を聞きにいこうか。
 ちらりと時計を見ると、そろそろお昼といった時間だった。丁度いい、料理を作って持っていこう。人は、満腹な時の方が口を開きやすい。
 涼介はキッチンに立ち、バゲットを使ってBLTサンドを作った。これだけでは物足りないだろうとベーコンエッグのオープンサンド、コーンスープも作って詰める。
 飲み物もないとな、とコーヒーを淹れたら準備万端だ。
「ちょっと出かけてくる」
 パートナーに声をかけ、家を出た。


「来たよ」
 と、涼介は言った。リンスは少し、目を丸くする。
「なんだいその顔は。きみがまた来る? って訊いたから来てみたのにさ」
 その一言にあ、と思った。そうだ、そんなことを言った。不安定な気分のまま、甘えた言葉を発していたのだ。
「ああ、気負うなよ。私が来たくて来たんだから。それよりリンス君、もうご飯は食べた? まだなら食べないか?」
 ほら、と涼介はバスケットを掲げて見せた。リンスはこくりと頷いて、涼介が座った席の正面に座る。
 BLTサンドを食む。涼介は、ベーコンエッグのオープンサンドを齧っていた。しばらく黙々と、食べる。
「なぁ」
 涼介が口を開いたのは、サンドイッチを平らげてコーンスープを飲んでいる時だった。
「私の前で強がらなくていいよ」
「……や、別に。強がってなんか」
「本当に?」
 ……どうなのだろうか。考えてみたが、わからない。強がるって、なんだろう。我慢するということだろうか。辛いことを我慢すること?
 ではこれは、辛いことの範疇に入るのだろうか? 誰もが普通に経験する別れを、子供が駄々をこねるように嫌だと言っているこれが?
 甘えるのは苦手だ。頼ることも得意じゃない。そこまで考えてからようやく、ああこれが強がっているということか、と思った。
「本郷は俺より俺のこと知ってるね」
「きみが自分のことをわかっていないだけじゃないか」
「耳が痛い」
「じゃあわかるための努力をしてごらん。胸のうちを明かすとかね」
 話すことはいいよ、と涼介は続けた。
「話すことで気持ちの整理もつく。疑問の答えが出てくることもある」
 促されて、リンスはそうだね、と頷いた。
 話してみよう。もう長い付き合いだ、こんなことで悩んでいたと知られても笑われることはないだろう。
「俺にとって大切な人が離れていくのが怖いんだよ」
 なので、春だから、というわけではない。ただ特別春は、別れが多い季節だからそう思ったのだ。
「今までは平気だったのに」
「いいことじゃないか」
「何が」
「別れが怖いなんて、今に満足していなきゃ思わないよ」
「そうなの?」
「じゃあきみ、イルミンスールにいた時、今みたいな気持ちになったことある?」
「…………」
「だろ? まあ、それで落ち込んでしまうのは辛いだろうけど。私はね、今のリンス君なら大丈夫だと思うんだ。きみは変われたから、たとえ誰かが去って環境が変わったとしても適応できる気がするよ」
「そうなるのも怖いよ」
 だってそれではまるで、去っていった人を忘れてしまうようで。
「でもねリンス君。別れのない人生なんて、ないんだよ」
「わかってる。だからこれがわがままなことっていうのも、わかってる」
「あとね。きみが築いてきたものって、ちょっと離れただけで崩れてしまうものなのかい」
「……?」
「たとえば私が――そうだね、研究が忙しくなって、ここに来れなくなったとする。でも電話はできるし、研究が終われば会いにくることもできる。きみに時間があればきみから会いに来てもいい。そうだろ? ずっと会えないわけじゃないんだ。同じ空の下で生きている。そう思えば、少しは気が楽にならないか?」
 言われて、窓の外に目をやった。青い空が広がっている。抜けるような青だ。
「この空を、きみの大事な人も見ている。それってなんだか、離れていても傍にいるような気になるよね」
「本郷は、先生になれるよ」
「なんだよ急に」
「楽になった」
「そうか。なら良かったよ」
 ふっと笑って、涼介は席を立った。もう帰るということだろう。もしかしたら、心配して忙しいにも関わらず来てくれたのかもしれない。
「本郷」
「ん?」
「今度はこっちから会いに行くよ」
「初めてだな、そんなこと言うの」
「そうだね」
「待ってるよ」
「うん」
 玄関先でやり取りを交わし、去っていく背中に手を振った。
 もう一度見上げた空は、やはり青く広かった。