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一会→十会 —雌雄分かつ時—

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【エリュシオン帝国・2】


 とても戦場ど真ん中とは思えない、そんな話が行われている横では、こちらもまた随分とのんびりとした会話が展開されている最中だった。

「ねえ、ベルクさん」
 自分への呼びかけにベルクが視線をやると、ジブリールは一瞬その視界を戦場からそらして上を向き、小首を傾げた。
「オレ、アレクさんの妹としてお兄ちゃんと呼んでいいのなら、ジゼルさんやハインツさん達をお姉ちゃんお兄ちゃんと呼んでもいいと思う?」
 途端、かくん、と肩を落としたベルクは、ため息と共に視線を戦場へと戻しながら首を振る。
「お前アレクの妹と弟かどっちになるのも止めねぇが、奴の変態が付け上がるだけだぞ?」
 その姿を想像したのだろうか、軽い渋面を浮かべて再び深いため息を吐き出した。勿論ベルクは、そんな質問をしてくるジブリールが見た目ほど冷静でも、落ち着いてもいないことは判ってはいた。友人のシェリーが誘拐されたことへ対する不快感は拭えないものであるし、舞花達が向かっていると聞いて焦燥感こそ薄れたものの、気にしないわけにはいかないだろう。
 故に、ベルクはそんな時ではないと跳ね除けるでもなく、肩だけを竦めるに留める。
「ま、ジゼル達には直接訊いてみろや」
「うん、そうする……まあ今邪魔するわけにはいかないから、これが終わったらね」
 そんな気遣いに気付いているのかいないのか、頷いたジブリールがふふ、と笑ったのに、ベルクは僅かに表情を緩める。
 ただし、そんな彼もひとつだけ、無意識の内だったことがある。それは、その一連の会話の様子はどうしても、「敵に対して余裕を見せ付けている」というようにしか捕らえられない、ということだ。
 果たして。

「何のんびりくっちゃべってやがんだ! 馬鹿にしてんのかッ!?」

 ただでさえ、契約者達の思った以上の抵抗ぶりに苛立ちの募っていたところにこの光景だ。わなわなと拳を震わせて、ピオは喚き散らすと、怒りに任せて上空から一気に距離を詰めると、その『喚ぶ』声を、戦闘外要員――明らかに何かをしようとしていると見えた為だ――のツライッツへ向け、ようとした次の瞬間。
「させませんよ!!」
 熾天使化した歌菜がその間へと飛び込み、ほぼ同時に飛び出したハインリヒの歌声が重なって、重厚さを増した歌の描く無数の槍が、ポチの助のショックウェーブと合わさって、ピオへ向かって襲い掛かる。咄嗟に風を巻き上げて自身への直撃を逸らしたが、そのために動きが止まる一瞬へ向けて、【翔ける者】の力を持つ美羽がその速度をそのまま乗せた蹴りの一撃をピオへ向かって放った、が。
「……ッ、かに、すんな!!」
 吼えるような声と共に、吹き荒れる風が空気の壁のようになってそれを阻み、空気を震わす声は美羽の精神へと直接叩きつけられて、支配は及ばないもののその足を鈍らせる。その間に、ピオは苛立ちを深めたまま再び上空へと距離を取った。
「お前ら、あいつだ。あいつらを狙え!!」
 そうして、今まで全体へ散らせていた軍勢の方向を一点に絞らせながら、ピオはぎりぎりと苛立ちと、芽生える焦りに爪を噛む。無限とも言える亜人たちの群れは、確かに脅威ではあるが彼ら契約者や龍騎士達の前ではその物量で圧す以外に無く、決定打に欠けているのは明らかだ。本来ならそれを補う手駒が、今この場で居ないことへ、自分で命じていることを忘れたかのように「あの女、あの女、あの女……!」とぶつぶつとピオの唇が呻いた。 
 
[ねえピオ君、今日はファラ・ダエイは居ないの?]

 唐突に、空気を読まない明るい声が耳に飛び込み、ピオの表情が凍った。それが戦いが始まる時に自分を子供扱いし、馬鹿にしてきたあの金髪の軍人のものだと思い出すと、固まった顔にみるみる怒りの色が溢れてくる。だが相手の方はそんなピオの様子も気に掛けず、一方的に話しを続けた。
 そもそも互いに顔も見えない距離なのだ。舞踏会で使った術と似たものをヴァルデマールにかけられてきた自分は兎も角、あの軍人に此方の事が分かる訳はない。と、ピオは思っていた。
[随分苛立ってるみたいだね。我が侭を聞いてくれる優しいお姉さんが居なくて、寂しくなっちゃったかな?]
 間が空くのは数十秒も無い。ハインリヒはピオ・サピーコを見て、聞いているメルダースの通信を受けながら内容を変えて喋り続けているのだ。これは意図された口撃だった。ジブリールが無邪気にお膳立てをしてくれたから、自分は止めをさすだけで良い。
[ん、ん、んー……ご免ね、今の言い方は適切じゃあない、そうだね? と、すると……ああ! ファラは君の恋人かい?]
 ピオが反応を隠しきれず顔に出してしまっているのを知っているかのように、ハインリヒの声は同情的な響きを帯びてくる。
[そうだね、恋人が傍に居ないのは心配だ。まして彼女が向かったのは戦場だろう。命令を出したのはヴァルデマール。それとも……もしかして君かな? 
 何か大事な任務を与えて、此処へ戻らせる予定だった……違うかい? いや、当たりだね。“オレが足を運ぶなんて冗談じゃない。お前が行って来い!”とでも言ったんだろう。まるで奴隷に命令を与えるみたいに。僕の予想は大体当たってるんじゃないかな。だって君ってなんていうか……支配的……否違うな、まるで子供がお母さんに甘えて、我が侭を言ってるみたいな…………。怒った? そういう意味じゃないんだ。君を見ていると勝手に親近感が沸くものだから……。
 僕等はきっと似たような状況で戦ってる。大切な恋人を戦場に立たせてる。
 ほら、彼女達もそうだ。彼女達は皆、夫婦や恋人同士で、けれど契約者だからね。パートナーが戦場に立つなら当たり前に共にくる。
 ……そう考えると僕等と君は、少し違うのか。普通、大事な人は、傍に置いておくものだ]
 美羽、歌菜、フレンディスを示しながら、ハインリヒは今度は長く間を置いた。そうしてピオが迷いと苛立ちを勝手に増幅してくれるのを待ち、次の話題へ入る。
[……それにしても遅いね、此処へやってこないって事は、怪我をしているか。捕縛されたか……最悪死んでしまったかも。
 ごめんね、彼女がどうしているかは分からないけど……、何を言ってるかは教えてあげられる。職業柄そういう場面は何度も見て来たから大体察しがつくんだ。
 彼女、君を呼んでるよ。“こんな事なら最期までピオのところに居たかった”って。
 哀れなファラ・ダエイ。ねえピオ君、君臨する者の地位はそんなに大事なものかい? 君はそんな立場なんて捨てて、一人の男として彼女を守ってやるべきだったんじゃないの?]
 ハインリヒの言葉は此方の心に寄り添ってくるようにも思えるし、挑発しているようにも思える。いずれにせよ酷い興奮状態に陥っているピオは、その意図を考える為の思考能力を失くしていた。精々分かるのは、あの金髪の軍人が自分に話し掛けながら、全く此方を見ていないという事だけだ。
 椅子の上に座ったまま動かない人形のような……ピオからは“男だか女だか良く分からない奴”の髪を解き、頬を撫で、指先を取って軽く口付ける。愛おしげな仕草の全てが当て付けに思えてならない。
「僕ならそんなことはしない。最期の時まで傍に居て、守り続ける。糞餓鬼じゃこういうの分かんないか」
 はっきり声に迄出してけろりと吐いた言葉は、トドメの様にピオを刺貫いた。

「もう、そういうのろけ話は後でゆっくりしてください! ツライッツさんが何か真っ赤になってますから!」
 振り向き様の歌菜に怒られて、ハインリヒはツライッツの細い肩を抱いたままケラケラと笑った。ツライッツは駆動系をほぼカットした状態だが、最低限の自衛の為、音声や触覚や視力は残していたのだ。だから普段人前では一定の距離を保ってくれる筈の恋人が、自分が抵抗出来ないのを良い事にやりたい放題しているようにしか思えず、羞恥に頬が朱に染まっていた。
「否、ごめんね歌菜さん、あながち冗談じゃないんだ。
 これから向こうの動きがちょっと早くなる。
 本来ならピオ・サピーコは現状を維持させる為に此処へきてたんだろう。
 どういう魔法を持っているのかは知らないけど、ファラ・ダエイ……、彼女がくるまでは下手に前に出過ぎないように命令を出していたようだね。
 だけどね、これからは多分……私怨で動くよ。此方を殺す気で動く」
「だがその分前に出てくる、カタがつけ易くなるんだな!?」と、ベルクが言う。
 ハインリヒはそういう事だと頷いた。この間の葦原島の件を考えれば、ピオはサヴァスと違い、ヴァルデマールの命令を忠実に守る気などないのは分かる。それから……
「あれは調子こいた餓鬼だからね。切っ掛けさえ与えてやれば、直ぐに決壊するよ。
 その分攻撃力は上がるかもしれないけど、統率は崩れるな。
 兎に角時間が経つ程ツライッツへの負担が増えるからね。干渉が失敗する事だけは避けたい」
 頼むというような言い方に、契約者達は声や動きでそれぞれ同意と返した。
「OK! ソッコーで片付けるよッ!!」
 亜人を蹴り飛ばしながらの美羽の返事に、ハインリヒが瞬きすると、ナージャがその顔をひょいっと覗き込んで、今度はツライッツを興味深げに観察する。
「エラー君」
「なんですか?」
「ツライッツが爆発しちゃうよ」
 同期を終えたジゼルの指摘に、ハインリヒはツライッツを抱いていた手をぱっと離した。
「ああついうっかり。すみません博士、忘れてました」
「はいはい、ただでさえ負荷かかってるんだから、うっかりで熱暴走させないでね」