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一会→十会 —雌雄分かつ時—

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【葦原島・1】


 葦原明倫館は広い。
 葦原島の本体であるミシャグジに通じる穴はこの敷地内にあるのだが、正確な位置を知る者は多くない。巧妙に偽装されているため、それと知らなければ通りがかっても気づかないだろう。
 北門 平太(ほくもん・へいた)は、ここに来たのは初めてだった。来たいとも思わなかったわけだが。
 何しろ、最初の事件のときはまだ入学していなかったし、二度目はベルナデット・オッド(べるなでっと・おっど)を失った。平太にとっては悪夢のような場所だったのである。だから意識的に避けていた、と言えるかもしれない。この状況を避けられるのであったら、もっと早くに来ていたろうが。
 平太は何度目かのため息をついた。
 どうシミュレーションしても、「もし」を現実にすることはできない。タイムマシンを開発したら――、とさすがにこれは埒もないかと頭を振って、その考えを追い出した。
「北門、もしよかったらその剣を見せてもらえないか?」
 ダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)がベルナデットの背中を指差して言った。自身も剣の花嫁――その呼称は嫌っているが――であるため、興味があるのだ。
 一度は荷物として送るため梱包した「【大気を震わせる音】」だったが、運びやすくするため、今は革と布でぐるぐる巻きにしてある。
「あのね、ちょっと考えたんだけど、その剣をダリルが持って、非物質化してみたらどうかな?」
 ルカルカ・ルー(るかるか・るー)が提案する。
「うーん、それ無理じゃないですかね」
 平太は首を傾げた。
「この剣、他に持ち主がいますから。なんか魔法がかかっちゃってますし、言うこと効かないかもしれませんし。試してもいいですけど、それで変なことになったら困りますし」
 それはそれで不可抗力――と、平太は現実逃避しかけた。
「そっか、それは残念」
 ルカルカもそのアイデアに固執しなかった。ならば、守り切って三階まで下りればいいだけのことだ。代わりに超加速を全員に付与する。
「急ぐよ!」
 擬装用の大木の根元から一人ずつ中に入ると、中央の灯篭が彼らを出迎えるようにぽっと点いた。
 洞窟は円形の筒をすっぽり埋め込んだ形の、ほぼ真下へと抜ける竪穴だ。壁に沿って階段が掘ってあり、歩き出すとその上の提灯が灯る。
 未だにどういう仕組みだか分かっていないが、作ったのがオルカムイであることは、知られている。今度、これの作り方も訊こうと平太は思った。
 ずしん、とその時、洞窟全体が揺れた。
「まま、まさか、ミシャグジが起きたんじゃないでしょうかね!?」
「落ち着きなさい」
 ニケ・ファインタック(にけ・ふぁいんたっく)が嘆息する。
「総奉行もオルカムイも、何も言ってなかったでしょう?」
「ああ、そう言えば」
「だからミシャグジじゃありません」
「ああ、よかった」
「でも、敵じゃないとは言いませんが」
「……つまり?」
 ごくり、と平太の喉が鳴った。
「つまり――」
 再び、洞窟が揺れる。
「急げってことですよ!!」
 一行は慌てて走り出した。

 最後尾にいたのは、麻篭 由紀也(あさかご・ゆきや)だ。だから彼は、真っ先に敵――ファラ・ダエイの姿を認めた。
 長い黒髪、豊満な胸、引き締まったウェスト。
 ――セクシーなお姉さん、というのが由紀也の第一印象だった。
 駆け下りていくとき、瀬田 沙耶(せた・さや)が氷術で灯篭の火を消していったため、由紀也の周囲は真っ暗だ。だが、ホークアイとダークビジョンのおかげで、視界には問題ない。
 へーた君から預かったこの武器を無駄にするわけにはいかない――。
 由紀也は階段に膝を突くと、『十字型大銃:ヴィア・ドロローサ』を構えた。
 それにしても、とふと思い出す。
【無慈悲の一撃】って名前格好いいのに、へーた君、何で怒らないでとか言ったんだろう……?
 それほど長くは待たなかったが、緊張のせいか、由紀也は全身にねっとりとした汗を掻いていた。ファラが現れ、動悸が一段と速まったとき、それが彼女のせいだと気付いた。
 まずい――急がなければ――だが外すわけにはいかない。
 ファラは由紀也に気付いていない。一歩、また一歩と近付いてくる。暗いせいか、歩みはそれほど速くない。
 確実な距離に近づくまで――。
 由紀也はその刹那、息を止めた。彼の意思のみが指先に伝わり、引き金を引く。
 シャープシューターによって放たれた一発の弾は、過たず、ファラの左胸に向かった。
「よし!」
 確信し、ガッツポーズを作った由紀也はしかし、次の瞬間、絶句した。
 強く、激しい風がファラの周囲に渦巻く。
 由紀也の渾身の一発は、その風に煽られ、軌道が逸れた。
「くそっ!!」
 顔を上げると、そこにファラがいた。美しい顔を、怒りで赤く染め上げ。
 そして左肩からはどくどくと血が溢れている。
「おどき」
 頭部に激しい衝撃を受け、由紀也の目の前は真っ暗になった――。

 ひゅっと音がして、すぐ横を何かが落ちて行った。
「なんか今、落ちていきませんでした?」
「由紀也ではないでしょう」
 最後尾の沙耶はけろりと恐ろしいことを言った。実のところ、落ちたのは『十字型大銃:ヴィア・ドロローサ』だったのだが、そこまでは分からない。人間の重量ではなかったので大丈夫だろう、と彼女は判断した。
 平太は結局、そろそろと足元に気を付けながら階段を下りた。最初は全ての灯りを消し、ルカルカのLEDランタンと沙耶の光術を頼りにしていたのだが、それでは足元が全く見えず、平太が一歩も動けなくなってしまったので、取り敢えず階段部分はそのままにした。
 しばらく下っていくと階段が途切れ、橋が現れた。
「灯りなしで、駆け抜けられますか?」
 和泉 暮流(いずみ・くれる)が首を巡らし、尋ねた。橋は二〜三人が並んで通れる幅だ。
 平太は橋の下を覗き込んだ。音もなく、灯りもない。まるで地獄の底まで続いていそうな穴だ。それから、すぐ目の前に立つベルナデットに目を向けた。階段では一人ずつ下りる他なかったため、暮流、ダリル、ベルナデット、平太、ルカルカ、ニケ、沙耶の順だったが、ベルナデットはずっと平太の袖を掴んで離さなかった。守っているつもりなのか、頼っているつもりなのかは分からないが、この状態で、しかも灯りを消して走ればまず間違いなく、
「……転ぶと思います」
「光術があっても駄目でしょうか?」
「ランタンがあっても?」
「自信ありません」
 危険は冒さない。石橋は叩いて渡る。平太の信条である。
「それじゃ、残る手立ては一つです」
 暮流がブーストソードを抜く。
「私が時間を稼ぎます。皆さんは駆け抜けてください」
「急いだ方がいいな」
 ダリルはルカルカに目をやった。超加速の影響か、本人は何でもない風を装っているが顔色が悪い。それに敵が近づいてくるのを、肌で感じる。――おそらく、瘴気だ。
「――行きます」
 暮流が足を踏み出した。灯篭に明かりが灯る。
 ぼこぼこと地面が盛り上がり、忍者たちが現れた。傀儡だ。うわあ、と平太が感嘆の声を漏らす。
「どういう仕組み……」
「そんなこと言ってる場合ですか! 走りますよ!」
 ニケに突き飛ばされ、平太は慌てて走り出した。
 傀儡の攻撃は、ブレイブガードで受け止める。その後ろをルカルカたちが駆け抜けた。最後尾はダリルだ。
「死なない程度に頑張りなさい」
 ……沙耶のセリフが笑っているように聞こえたのは、気のせいに違いない。