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一会→十会 —雌雄分かつ時—

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【カナン・3】


 領主の城はアガデ北寄りの高台の上に立っている。木々の間を抜けるようなゆるやかなカーブを描く坂の下では金剛石でできた人形がひしめきあっていた。
 夜の間は活動を停止していた人形の軍勢は夜明けとともに活動を開始して、今ではぶつかり合う剣や槍といった人形たちの立てる音は、領主の城まで響いてきている。
「このままでは外門が破られるのも時間の問題ね」
 遠く、坂の下の光景を窓から見下ろして、東カナン領母アナト=ユテ・ハダドはつぶやいた。独り言なのだろう。その横顔は、口に出したことにも気づいていない様子だ。
 続き部屋になっている子ども部屋で、双子の赤ちゃんのアルサイードとエルマスを見ながら幸せの歌を歌っていた朱里・ブラウ(しゅり・ぶらう)は、そのつぶやきを聞いて面を上げた。アナトを振り返り、何か声をかけようと口を開いた直後。
「朱里」
 とベビーベッドを挟んだ反対側で同じく双子を見ていたアイン・ブラウ(あいん・ぶらう)が彼女を呼んだために、朱里はいったん口を閉じ、アインの方へ向き直った。
「何?」
 アインはベビーベッドを避けて朱里に近寄る。
「そろそろ僕は行くよ」
「ええ。行ってらっしゃい。シャムスによろしくね」
 本当は朱里も一緒に行って戦いたかったのだが、今は時期が悪すぎた。2人目の子どもを妊娠している身で前線に立つことはできない。
 そんな朱里の歯がゆい胸の思いを十分理解しているアインは、分かっていると言うように軽く抱き締めた。
「行ってくる」
 朱里のおなかに手をあて、朱里と子ども、2人に告げる。まだおなかは平らで妊娠の兆候は見られないが、たしかにそこにいるわが子を思って。
 優しい瞳をそそぐアインに、朱里は潜在解放をかける。そうして戦場へ行く夫を見送ると、窓辺にいるアナトの視線に気づいてそちらを向いた。
「見ているだけしかできないって、なかなか歯がゆいわね」
「はい」
「あの子たちを産んだことを後悔なんかしてない。だけど……国の危機に、何もできないっていうのは……」
 夫が戦いに出ているとき、家を守るのが妻の役目だ。なのに今の自分はそれも満足にできそうにない。
 何の前触れもなく、突然硬い物が折れて砕ける激しい音が窓から飛び込んできた。いよいよ外門が破られたのだ。
 大急ぎ先まで見ていた窓を振り返り、そこから身を乗り出したアナトは、木々の向こうに続々と坂を上ってくる人形たちの姿を見て、きゅっと手をこぶしにする。
 これであとは城壁と城門しかない。もちろんそこはとうに南カナン領主シャムス・ニヌア(しゃむす・にぬあ)率いる兵や騎士たちが防備を固めてくれているが、はたしてあれだけの数を相手にどこまで持ちこたえることができるのか。
 煩悶するアナトのこぶしに固められた手に、そのとき、横から手が伸びてそっと重なった。
 朱里がいたわりを込めて見つめている。
「こういうことしかできなくて、すみません。アナトさんや城の人たちの何のお力にもなれないことは分かっていたんですけれど、でも知ったからにはどうしても来ずにはいられなくて」
「……いいえ。一緒にいてくれるだけでとても心強いわ。あのドーム。あれでわたしたちは外界から完全に隔離されてしまったわ。連日の戦いで疲弊するばかりで。きっとだれにも気づいてもらえないままここで死んでいくしかないんじゃないかと不安に思っている者も大勢いたの。でも、あなたたちが来てくれた。
 この城の状況を知りながら、それでもまっすぐここへ飛び込んできてくれたあなたたちが城の者たちにもたらしてくれた希望に、わたしや騎士たちはどれほど感謝しているか……」
 きゅっとアナトの手が朱里の手を握り返した。
「もし……、わたしに何かあったら、双子をお願い」
「アナトさん?」
「こんな状況でも来てくれた、あなたたちにならわたしの大切な宝物を託せる」
 きっとどんなときも、あの子たちを守ってくれるでしょう。
 アナトからの全幅の信頼に、朱里は手を握る力を強めた。
「シャンバラは何があろうと友好国を見捨てたりしません。同じように、私たちも友人を見捨てたりしない……決して」
 そのまま、アナトを双子たちの眠るベビーベッドのそばへと導く。
「あなたも子どもたちも、守ってみせます。
 祈りましょう、私たちの大切な人たちが、使命を果たして無事に戻ってきてくれることを」
 ほほ笑む朱里の体から光が走った。ベビーベッドとアナトを内側に、光は直径2メートルほどの小さな魔法陣を描き始める。
 トリップ・ザ・ワールドが構築されていくなかで、朱里は目を閉じて無心で祈っていた。


 同じころ、アインもまた幸せの歌を口ずさむことで前庭から瘴気を払っていた。
 ドン、ドン、ドン。
 重い物体が城の門に一定のリズムでぶつけられている。どうやら伐採した街の緑樹を用いて扉を破ろうとしているらしい。城壁からそれが運ばれてくるのを目撃したシャムスがそう言っていた。
 彼女は今も城壁にいて、狭間から強弓兵に矢を射らせたり、煮えた油を下に流させて火矢を放ったりしているが、たいして効果は上がっていないようだ。
「相手は痛みも感じない石の人形だからな、ひるみもしない。しかも金剛石製ときている。強弓を使う弓兵が、近距離から射ればかろうじて部位を砕ける程度だ」
 あいさつに行ったとき、城壁から見える光景にシャムスはいまいましげな口調で敵についての情報をくれた。しかし振り返ってアインの方を見たシャムスはいつもの彼女に戻っていて、口元にはうっすらと彼を歓迎する笑みまでも浮かんでいた。
 ぽんと気安くアインの肩を叩く。
「よく来てくれた。頼りにしている」
 ほんの少し長めに乗っていたその手の感触は、まだアインの肩に残っている。
(城が陥落すれば、今も戦っている全兵の士気に影響する。ここは必ず死守しなくてはいけない。
 聖騎士として、盟友たちを守るため、持てる限りの力をふるって金剛人形の相手を引き受けよう)
 彼の目前、すでに門扉は大きく内側にたわんでいた。鉄板を何本か縦横に打ちつけて補強し、三重に太い閂をかけているが、閂を取りつけた金具の方がもちそうにない。
 城壁のシャムスが合図を出していた。門をこちらから開くのだ。破られ、破壊されては閉じることができなくなる。それよりいっそ、ある程度内側へ敵を誘い込み、再び門を閉じるという作戦だった。
「まず僕が攻撃を試みます」
 いよいよだと血気はやり、武器をかまえ直す周囲の兵や騎士たちに向けてアインは言った。
「決して僕より前に出ないでください」
 アインの周囲で早くも雷電の青白い光がパチパチと弾け始める。
「やれ!」
 シャムスの声が雄々しく響いた。門の左右についていた男たちが一斉に閂を引き抜き、全力で門を開く鎖を巻く。しかし巻き切る間もなく、門は人形たちによって轟音とともに押し開かれる。
「うおおおおおおおっ!!」
 雷電の光が増し、アインの口から雄叫がほとばしると同時に全力のヘルスパークが撃ち出された。激しい火花が空を裂いて走り、どっとなだれを打って走り込んできた人形たちへと直撃する。雷撃と火炎に彼らを一撃で砕くほどの威力はなかったが、先頭の人形たちの足を止めることができた。
「撃て!」
 再びシャムスの声がして、カタパルト数台が次々と木の杭を飛ばし、人形たちを吹き飛ばす。
「全兵突撃せよ!!」
 号令が下り、剣を手に突撃していく兵や騎士たちに混じって、アインもまた、人形たちに向かって行く。
 城を守る戦いの始まりだった。