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記憶が還る景色

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記憶が還る景色

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■祝福



 酒杜 陽一(さかもり・よういち)は公園内のベンチで日頃の忙しさを忘れて、ぼーっと日向ぼっこをしていた。



…※…※…※…




 女性の囁き声が聞こえる。
 話しかけて、あやして、また、話しかける。
 時には子守唄を口ずさみ、時に微笑む。
 眼差しは優しく、腕に抱くおくるみに落とす眼差しは自愛に満ちて、まさに聖母。
 そんな女性の横に寄り添う男性もまた、優しい目で二人を見守り、そっと女性の肩を抱き、自分に寄せる。
 愛しさに、満ちた空気。解けそうにまでも優しい、時間。
 仲睦まじい夫婦。彼らに至福を与える赤子。
 幸せの、象徴。
 まるで一枚の写真のようなフレームに収まる光景に「ああ」と陽一は気持ちを吐き出す。
 本能的にわかってしまった。
 あの大事そうに大切そうに女性に抱かれている赤子が自分だと。
 そして、その自分に愛しいくて堪らないと眼差しを細める男女が自分の両親だと。

 自分の中では、こんな綿菓子のようなふんわりとした温もりに満ち満ちている記憶なんて、無かった。
 物心ついた頃から既に両親との間には目に見えない大きな壁があり、亀裂があり、隔たりに幼心は冷えかけていた。
 ″家族の団欒″を象徴する食事中でさえ両親や妹に陽一は遠慮していた。目立たないように会話に割り込まないようにと引け目さえ感じて惨めだった。
 いつの頃から陽一は両親から疎まれるような存在になったのだろう。本人でない陽一には永遠にわからない命題だ。
 ただ、だからと言って諦めていたわけではない。
 幼いながらも両親に好かれようと努力してきた。自分が出来る精一杯をしてきた。

 でも、それも、徒労に終わった。
 現実に向きあえば向き合うほど、言葉にできない感情が行き場を失い、陽一の中で凝り固まり暗い影を落とした。

 陽一は顔を上げる。
 母がまだ産まれたばかりの自分に向かって、自分の名前を呼んでいる。
 父が早く大きくなれよと自分に期待してくれていた。
 二人が名前を呼んでくれる。
 何度も。
 何度も。
 名前を呼ばれて、
 ――祝福を受ける。

「両親の事なんてどうでもいいって思っていたつもりだったんだけどな」

 覚えているとか覚えていないとか、そういうのではなく、陽一は知っている。
 確かに両親に祝福され、産まれてきてありがとうと喜ばれていた事を。
 あの頃はまだ両親の中に陽一の居場所が在った。
 これは、未練、なのだろうか。
 心に巣食う闇が、抜けない刺が、答えを求めようと縋っているのだろうか。

 正直、いつまでも見ていて良い気分にはならない。 ――なれない。
 目の前で繰り広げられる光景を素直に受け取るには、虐げられた日々があまりにも長過ぎた。



…※…※…※…




 ふ、と。知らず伏せていた瞼を開けて、陽一は蒼い空を見た。
「なんだっけ?」
 記憶の欠落に、ぼーっとしすぎたかと顔を顰める。
「帰ろう」
 無性に愛しい人の元に帰りたくなって陽一はベンチから腰を上げた。

 それでも、覚えていなくても陽一は知っている。
 苦い過去だ。
 けれど、未来も同じく苦いとは限らないのだから。
 いつの日か、許せる日も来るかもしれない。
 陽一は確かに祝福を受けてこの世に産まれてきたのだから。