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記憶が還る景色

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記憶が還る景色

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■立ち戻れない日のひととき



 残されたのは、水宝玉の小さなアクセサリーと世界渡りの弊害で薄れて掠れたノイズ混じりの記憶だけ。



…※…※…※…




 夏の間ほとんど動けず過ごしてきたグラキエス・エンドロア(ぐらきえす・えんどろあ)は、外の空気に体を慣らそうと軽い気持ちで――また、少しでも強くあろうとする為に――空京のある公園まで足を伸ばしていた。
 真夏のような強い日差しも穏やかになりつつある最近、緑の多い公園を吹き抜ける風は涼しく肌に心地いい。適当でいいかと気ままに行き先を決めてきたが、休憩するには丁度いい場所と時間だった。
「エンドロア」
 と、そんな彼の背中にウルディカ・ウォークライ(うるでぃか・うぉーくらい)の声がかかった。
「今回は見つけるのが遅かったな」
 本来が好奇心旺盛で興味があればあちらこちらと行きたいグラキエスは体調が良くなれば度々脱走――もとい、書き置きだけ残して部屋を去っていることがある。その事に頭を抱えることの多いウルディカは例によってテーブルの上に残された書き置きに慌てて追いかけてきたという次第であった。
 子供っぽく笑うグラキエスに頭痛を覚え思わずこめかみを揉むウルディカは、溜息を吐く。
「動けるようになった途端にこれだ」
「外の空気は気持ちがいい」
「あのな……まだ体調は完全に戻っていないと言うのに……、
 エンドロア、お前はとにかく周囲の言う事をちゃんと聞け! しかも、まだ散策と……」
 続けようとした小言は尻すぼみに消えた。
 グラキエスの表情にウルディカは肩を竦める。
「まあいい、今日は体調も悪くなさそうだからな。散歩だけなら、少しくらいは付き合ってやる」
「やった! やっぱりお前は話がわかる」という歓声を聞き流し、結局はグラキエスに甘い自分にウルディカは苦渋の顔で何度目かの溜息を吐いたのだった。
 二人の足元には音も無く白霧が満ちはじめている。



…※…※…※…




 そこは彼が元々居た世界。 ――未来。
 ある男が狂った魔力の暴走の後、全てを蝕む災厄に変化し、ただ無常にも侵されて蹂躙された世界。
 人が生きていくにはあまりに過酷な、地面や時には大気中の成分までが危険な存在となって命を奪わんと襲ってくる、ただ歩いて息をするだけ死んでしまうような世界。
 ただ、災厄の侵食度――つまり、汚染度と危険度は比例しあっていて、ある程度区分け化されていた。
 危険度の低いエリアに行こう。
 かつてのパートナーに誘われた彼は元来生真面目な性格で、造られた兵士リベリオンである自分達は本来危険度の高い場所で活動をするのであって、危険度の低い場所に行って悪戯に一般兵達を引っ掻き回すのは良くないと思っている。活動範囲が重なる事の無いリベリオンの姿を見れば一般兵達がパニックを起こすだろうことは想像に難くない。
 しかし、パートナーは大丈夫だからと引き下がらなかった。
 たまたま近くを通っていた。それで一緒に危険を排除したら安心するだろうし、注目はあるだろうけど少し離れて視界から消えれば元々区域が違うから帰っただろうと思われて自分達は気にされない。そしたら素直に帰らないでそのまま二人きりのデートに勤しもうという。
 本命はそっちかと彼はパートナーの意図に合点がいき、了承に頷いた。断る理由は無かった。性格的にそういうプランは好まないが、それはパートナーと天秤にかけるような事ではない。二つ返事で返した彼は配給されている嗜好品を手に取り、
「パトロールだ」と、軍の担当官に告げてパートナーと二人目的地まで急いだ。
 途中、面白いものを見つけパートナーと二人好奇心を満たし、現地では一般兵と共に敵対者を排除し、颯爽と退場、そのままデートに縺れ込み気づけば結構な時間が経っていた。集まった戦利品も豊富である。
 帰る前の休憩に彼が気を使えば、任務中はあれだけ冷静沈着なのに任務外は本当にまめしいと、軽く笑われる。
「気分は悪く無いだろ?」
 言い返すと、気がいい人と、返されて肩を竦めた。
 珍しく顔色を伺うような愛らしい声で、またデートしようというパートナーに、
「本分を忘れなければな」
答えた声は照れ隠しにか僅かに硬くなってしまった。
 生真面目なあなたらしいとパートナーに笑われて、彼も頬を緩めたのだった。



 災厄に触れ体内への侵食を許してしまったパートナーが敵対者となる前に別れを告げた彼が、パートナーロストに打ちひしがれながら可能性を求め世界を渡り歩き今に繋がるのは、それはまた別の話である。



…※…※…※…




「ウルディカ……ウルディカ?」
 呼ばれて、ウルディカは我に返った。
「なんだ、ぼーっとして」
 きょとんとするグラキエスに、確かに一瞬の記憶が無いウルディカはむっとした。
「エンドロアほどじゃない」
「そうか?」
 そうかとか言いながら微笑むグラキエスにウルディカはむっとした上に眉間に皺を寄せた。
「なんだ?」
「いや、よくわかんないけど、変わったよな?」
「変わった?」
「うん。よくわかんないけど、うん。いい感じだと俺は思う」
 いい感じ、と言われた。
 それは、もう一度触れたいと思った女性(ひと)が出来たせいかもしれない。
 それとも、目の前の新しいパートナーがこうやって笑っているせいか、か。
 世界を渡り指間からすり抜け落ちていく可能性に絶望するというのを繰り返し心が荒み冷淡冷酷に凝り固まっていたウルディカは、紆余曲折ありながらも穏やかさに浸り自分を取り戻し始めていた。
「そろそろ帰るぞ」
「え?」
 ウルディカの宣言にグラキエスは慌てた。
「え? じゃない。帰るぞ」
 帰ったら何が待ち受けているのか考えるだけでウルディカは頭が痛いが、病み上がりのグラキエスをいつまでも外で歩かせるわけにはいかない。慣らしが必要というのなら明日また来ればいいだけの話だ。
「全く世話の焼ける……」
 小さく呟く。
 これが、今の彼を取り巻く世界だった。