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リアクション
(あれ? 子供の声が聞こえる。どこからだろう……)
焙煎カレーとスパイス料理店『焙沙里』で使用する香辛料を仕入れに、『うぉーたーみる』を訪れようとしていたネージュ・フロゥ(ねーじゅ・ふろう)が通りを右に曲がろうとして、正面から聞こえてきた子供の声にそちらを振り向き、足を向けてみる。
しばらく進むと、子供の声が段々と大きくなってくる。辿り着いた建物、『こども達の家』が声の発生源であった。
「まてまてー!」
「わーい、にげろにげろー……うわぁ!」
外で追いかけっこをしていた子供の一人が、中に入ってきたネージュに驚いて足を滑らせ、地面に転ぶ。
「あっ、ゴメンね〜。大丈夫、ケガしてない?」
「……うん、だいじょうぶ! おねぇちゃんもあそぶ〜?」
見た目は殆ど変わらないながら、雰囲気で年上と察したらしい子供が、ネージュを追いかけっこに誘う。
「いいの? じゃあ、仲間に入れて!」
それから、ネージュは当初の目的を忘れ、子供たちと一緒に遊ぶ。
「それっ!」
ネージュが庭の花に手をかざすと、まだ球根だった花がスルスルと伸び、綺麗な花を咲かせる。
「うわ〜、すごいすご〜い! どうしてどうして〜!?」
「えへへ♪ お姉ちゃん、魔法少女なんだよ〜」
そう言いながら、ネージュが二本、三本と花を咲かせる。ネージュの魔法に、子供たちは目を輝かせながら見入っていた。
魔法で成長させた花を元に戻した後(これは、豊美ちゃんからの教えであった)、いい時間になったのを見計らって、ネージュがお昼ご飯作りを手伝う。
「手伝っていただいてありがとうございます」
「いえ、あたしも子供が好きでしてることですから、お構いなく」
『焙沙里』で鍛えた腕を振るい、ネージュがカレーを子供たちに振る舞う。
「おいしー!」
「おかわりー!」
「いっぱいあるから、たくさん食べてね〜」
はーい、と声を返す子供たちに、ネージュが満面の笑みを浮かべる。
いっぱい遊んで、いっぱいご飯を食べれば、眠くなるのは当然のこと。
というわけで、スヤスヤと寝息を立てる子供たちに毛布をかけてやったネージュは、二階から一階へ降りてくる。
「ネージュさん、今日は本当にありがとうございました」
「あたしも楽しかったです。……あの、一通り建物を見させていただいて、気になったところがあるんですけど……」
そう言って、ネージュが家の設備の中で足りなそうな箇所(例えば水回り設備など)を挙げ、これから整備する予定があるのかを尋ねる。
「そうですね……なかなか経営がギリギリなのもあって、手が回っていないのが現状ですね」
子供たちの両親も決して裕福とはいえない中、高い利用料を取るわけにもゆかず、そのことが経営をギリギリにしている旨を聞いたネージュは、スポンサーになりたいことをスタッフに伝える。最初は断っていたスタッフも、ネージュの子供好きに裏付けられた熱意に押されて、提案を受け入れた。
「ばいば〜い、おねぇちゃん!」
子供たちに手を振られて、ネージュが帰路につく。
(帰ったら色々とやることがあるね! 忙しくなるぞ〜)
それも、子供たちのことを思えば、苦にならない。
ぐっ、と拳を握ってやる気を見せたネージュであった――。
ちなみに、当初の目的であったスパイス購入は、後日になってしまったようだ。
「いたたたた……うぅ、訓練頑張り過ぎちゃったよ〜」
「大丈夫ですか、リンネさん? 頑張るのもいいですが、頑張り過ぎは身体を壊しますよ」
身体のあちこちをさすりながら苦笑を浮かべるリンネ・アシュリング(りんね・あしゅりんぐ)に、音井 博季(おとい・ひろき)が心配する声を掛ける。
「うん、ありがと〜。
でも、おかげで少しだけ自信がついた気がするんだ。だから、大丈夫!
今日は誘ってくれた博季くんと、思いっきり遊ぶよ!」
言うが早いか、リンネが繁華街の方へと駆け出していく。
「あっ、リンネさんっ」
その後を、博季が遅れないように付いていく――。
「は〜、いっぱい遊んだね、博季くん!」
「……ええ、そうですね、リンネさん」
街のあちこちを回り、最後にイナテミス広場の一画に腰を下ろしたリンネと博季。
広場では様々な人たちが、それぞれの時間を過ごしていた。その者たちを何とはなしに見つめながら、穏やかな時間が流れていく。
「……リンネさん。
アーデルハイト師やエリザベート師や皆さんが、『特別な事』をされてるとお思いですか?」
ふっ、と投げかけられた博季の言葉に、リンネが自分の考えを口にする。
「アーデルハイト様もエリザベートちゃんも、みんなも、凄いよ。
私が出来ないことを、簡単にやってのけちゃう。それはきっと、みんなが特別頑張っているからで――」
リンネの言葉を、そうではない、と言いたげに首を振って遮って、博季が口を開く。
「こう言うと誤解を招くかも知れませんが……。
皆さんは、『自分が特別な事をしている』とは思っていないと思いますよ」
「…………」
肯定も否定もしないリンネの様子を見て、博季が続ける。
「皆さん、ご自分に出来る『当たり前』を、一生懸命こなしているだけなんだと思います。それこそ『当たり前』に。
これは、皆さんが努力をしてないって事じゃありませんよ? 皆さん、それに見合うだけの努力をされた上で結果を出されていると思います」
「うん、それは分かる。みんな、すっごい頑張ってる。
……みんなは、それを特別なことじゃなくて、当たり前だと思ってやってる、ってこと?」
リンネの言葉に、そうです、と同意する博季。
「その『当たり前』が僕らから見てどれだけ大きな事でも、それをこなす方にとっては『当たり前』なんです。
……そして、大小はあれど、その時その時で、一人一人に出来る事には限りがあります。
だから僕らは、今の僕らに出来る『当たり前』を一生懸命やりぬく事しか出来ないと思います。
非常に歯がゆいかもしれませんが……でも、その『当たり前』は、リンネさんや僕が思っている以上に、もしかしたら凄く大きな事かも知れませんよ?」
だいたいにおいて、人は自分を過小評価する。
自分のしていることは、大したことではないと。自分はもっと大きなことをしなければ、先には進めないと。
ただ、どうしたって今出来ることと出来ないことは存在する。
そんな時に、挫折を味わった時に必要なのは、『あなたは十分頑張っているから、自信を持って』と言ってくれる、伝えてくれる人の存在。
「僕らは、一人前になれるんです。今はそうでなくても、いつか必ず」
この時、リンネにとっての『伝えてくれる人』は、先日の訓練に付き合ってくれたラルクや武であり、そして、博季であった。
こういうのは、一人いればそれだけで幸せである。複数いるリンネは、十分以上に幸せと言えた。
「だから、焦らないで。無理しないで、肩の力を抜いて、地道に努力していきましょう。
……僕も、一緒に頑張ります。一歩ずつ……ね?」
「あはは……うん、そうだね。
この前の訓練の時にも、似たようなこと言われちゃった。一人で頑張るんじゃねぇ、皆で頑張るんだって」
呟いたリンネが、ぽす、と博季の肩に頭を乗せ、身体を預ける。
「ありがとね、博季くん。
また、明日から私の『当たり前』を、頑張ろうと思うんだ」
「ええ……僕も、僕の『当たり前』を、頑張ろうと思います」
二人を、橙に染まった陽が照らしていた――。
「今日はこうしてお集まりいただき、どうもありがとうございます。」
『イナテミス文化協会』の一室、集まった街の住民を前に、メイベル・ポーター(めいべる・ぽーたー)がぺこり、と頭を下げる。
本日は、かねてからメイベルが実行を検討していた、歌謡教室の開催日であった。初めてということもありメイベル自身、不安もあったが、申し込みを開始してから希望者が続出し、定員はすぐにいっぱいになってしまった。次回以降は手狭で資材も限られるここではなく、『イナテミス市民学校』の一教室を借り、歌だけでなく音楽も演奏可能な音楽教室として開くことも検討できそうな勢いであった。
「記念すべき第一回に、精霊長様からも特別に、ケイオース様が来てくださいました。
ケイオース様、一言よろしくお願い致します」
「いや、俺は個人的に興味があって来てみただけなのだが……」
教室の開催を知って顔を出したケイオースが、メイベルに話を振られて苦笑しつつ、皆の前に立つ。
「こうして俺たち精霊と街の人間とが場を同じくして歌を楽しめる機会を設けられたことは、非常に嬉しく思う。
主催者であるメイベルには色々と苦労が伴うと思うが、ぜひ次回以降も皆で歌うことの楽しさを伝え、続けていってくれることを願いたい。
……さ、堅苦しい挨拶はこのくらいにして、歌の時間といこうではないか」
拍手に迎えられて壇上を降りるケイオースに代わり、メイベルが壇上に立つ。
(いつかは、シャンバラ中の人々の歌声を地球の皆さんに届け、また逆に地球の人々の歌声をシャンバラに届ける。
……そんなことが出来たらいいです)
今日は、そのための第一歩でもある。老若男女関係なく、一つの歌を心を合わせて歌うことの楽しさ、喜びを共有し合うために。
「皆さん、準備はよろしいですか? では――」
息を吸い、メイベルが歌声を響かせる――。
(……あっ、メイベルの歌だ。向こうも始まったみたいだね)
歌謡教室が行われている部屋の隣では、セシリア・ライト(せしりあ・らいと)主催による料理教室が開催されていた。こちらもやはり盛況で、同じように市民学校での開催も検討の一つとして挙がる勢いに満ちていた。
「みんなの料理って何があるのかな? 僕の知らないレシピとかあったら、僕も教えてほしいな」
「すみませんセシリア様、私たちは最近まで、セシリア様がされるような料理の習慣がそもそも無かったんです。
だから、今日セシリア様が教えてくださった料理が、どれも新鮮で、楽しそうだなって思うんです」
かねてから料理教室を熱望していた(もちろん、申込みは一番だった)精霊の女性によると、精霊がイルミンスールと交流を持つ前は、およそ人間が行うような料理ではなかったのだという。こうして人間と交流を持つようになったからこそ、料理に興味を持つ精霊が現れたということになる。
「そうなんだー、じゃあ、イナテミスのみんなは何かあるのかな?」
「そうですね……あの、全然誇れるものとかじゃないんですけど……」
「大丈夫だよ、料理はなんでも、そこに込められた作り手の思いとか、歴史とかが詰まってて、僕はそれを知りたいなって思うの」
契約者のパートナーとしてシャンバラ各地を旅することが多いセシリアは、訪れた土地の特徴的な料理を食べることが楽しみの一つであった。それは彼女曰く食いしん坊なのもそうだが、彼女が言うように、その土地に伝えられている料理から判明することが多々あるからでもあった。
「そ、そうですか。じゃあ……」
言って、住民の一人がおもむろに調理台の前に立ち、作業を始める。それを見て、周りの住民たちも思い思いの料理を作り始める。大人も子供も、それぞれ出来ることで料理を楽しんでいた。
(うんうん、こうやって大人も子供も料理を楽しんで、素敵な時間を過ごせることが一番だよね)
満足そうな笑みを浮かべるセシリア、その笑顔にシャッターが切られる。会場の様子を撮影していたフィリッパ・アヴェーヌ(ふぃりっぱ・あべーぬ)が、写真の具合を確認してふふ、と微笑む。
(日常のこうした触れ合いの様子を撮影し、記録する。それはとても、素晴らしいことだと思います。
ぜひ、地球の人々にも、この様子を知ってもらいたいですね)
もしかしたら地球の大部分の都市では失われつつある光景が、このパラミタには残っているのかもしれなかった――。
晴天の空の下、今日もイナテミスでは、様々な人が行き交い、街は活気づいていく。
(街は日々、変化し続けています。それがどのような変化を辿るのでしょう……私はそれが楽しみですし、出来る限り、変化を追いかけていきたいと思います)
文化協会を出、精霊塔の方角に向かって歩きながら、ヘリシャ・ヴォルテール(へりしゃ・う゛ぉるてーる)が周囲の光景にビデオカメラを向ける。
もし今より発展していれば、その時に過去を懐かしむために。もし今より荒んでしまっても、映像を見て再び活気を取り戻すきっかけにするために。
(……そうです。町長さんやサラさん始め五精霊の皆さんに、街の様子、歴史を記録保存する作業を提案してみましょう)
自分の力に加え、大勢の力が加われば、今以上に素敵な作品になるような気がして、ヘリシャはふふ、と笑みを浮かべるのであった。